悪魔に恋した少年

列車から降りたら、そこはバルが今まで住んでいた街よりだいぶ寂れた町だった。
列車は戦火に巻き込まれる前にかろうじて逃げた乗客達でごった返している。
「ここは…?」
バルが問う。
「隣国のコーラス国サザン市。今日はここで休もう。
あまり長居はしたくない国だけど…」
「何で?」
「治安の悪い国だから…それもあとで説明します」
「あ、敬語じゃなくていいよ。堅苦しいし」
「…うん。じゃあホテルに行こっか。そこで色々説明するね」
そう言うと、少女はバルをしばらく導く。
なぜか少女はこの町の地理を知っているようだ。
十分ばかり歩くと、寂れた町にしては小綺麗なホテルに着いた。

「…何から説明しようか…?」
少女が独り言のように問う。
「うーん…そういえば名前まだ聞いてなかったね。何て名前なの?」
「…プルート・ディ・ラグランジア」
「ぼくはガレン・ハンニバル。バルって呼んで」
「うん。私はランで」
「…ずっと気になってたんだけど、"悪魔の一族"って何?」
バルはランが買ってくれたジュースを啜りながら問う。
「えっとね…説明するのは難しいんだけど…」
ランは前置きして続ける。
「私は…300メートルくらいかな…にあるものを視ることができるの。目で見なくても」
「目で見なくても?」
「うん。そして300メートル以内にあるものなら自由に瞬間移動させることができる…テレポートだね」
バルは時計塔から逃げる時、目まぐるしく景色が切り替わったのを思い出した。
「"空間支配"とも呼ばれるこの能力を持って生まれた一族のことを、今では"悪魔の一族"と言うの」
「悪魔の一族はみんなそれができるの?」
「うん。人によって能力の有効範囲は異なるけど。私は300メートルくらい…」
「何で"悪魔"なの?」
「説明すると長くなっちゃうけど…」
ランは続ける。
「私たちは約400年前の戦争に敗れた一族なの。聞いたことない?エウロペの大戦…」
「うーん…聞いたことあるようなないような…」
「その戦争に敗れた私たちの祖先は、二度と戦うことができないように、当時の4人の賢者達に封印をかけられて…」
「封印?」
「一つは能力の封印。本来、私たちの能力はもっと広い有効範囲なんだよ?300メートルよりずっと…」
300メートルでも反則のような能力だと思ったが、本来の力はそれ以上と聞き、
バルは自分が思っていたより大きな存在を相手にしているのかもしれないと少し怯んだ。

「もう一つは感情の封印…これが私たちが悪魔と呼ばれるようになった原因…」
「感情の封印って?」
「私たちは怒ったり、誰かを嫌ったり、敵と思ったりすることができないんです」
「そんな人いる?本当に!?」
バルには信じられない思いだった。
「うん。だから私、怒るって感情がわからなくて…ないから…」
人を、世の中さえも憎んで生きてきたバルには、それが幸せなことなのかわからなかった。
けれど、ひどく残酷な処罰であるように思えてならなかった。
「ううん、正確には無いんじゃなくて、封印してるだけ…だから…」
「だから…?」
「最近、といってもここ何十年かだけど…封印が解ける人達が現れるようになったの。
さすがに400年も代々続く封印は賢者達にも無理だったみたい…」
「それの何が悪いの?」
「私たちは怒りって感情を感じたことがないから、封印が解けて初めて感じるその感情をコントロールできなくて… 一度、封印が解けると、暴走してしまう人が多く現れたんです。
その時は能力の封印まで解けるし、そうなると止められる人はいなくて…」
ランが言うには、怒りの感情が長きにわたり封印されていたため、 怒りを制御する脳の機能が退化したのではないかとのことだった。
「そういうことが続くうちに、悪魔と呼ばれるようになって…
ついには封印が解ける前に一族を皆殺しにしてしまおうという人達も現れて…」
「ひどい!勝手に封印しておいて、勝手に殺すなんて!」
バルは憤った。理不尽な話だと思った。
あまりにも理不尽だ。
「えっ…?」
ランはその反応が予想外のようだった。
「ランは何も悪くないのに…」
バルは悔しげに呟く。
「そっ…か。そう思ってくれる人もいるんだね…ありがとう」
ランは驚きとともにバルを見た。
「でも、ついにはそれが世界連合で可決しちゃって…」
「それでどうなったの?」
「一族の多くは殺されました…そのほとんどがまだ封印の解けてなかった人達… 私のお母さんとお父さんも…」
バルは話の重さに言葉を失っていた。
「でもそれから間もなく、北の帝国ポラリスが世界連合を脱退して、南の大国シレスティアルに戦争を仕掛けた…んだけど、聞いたことあるかな…?」
「えっ、、うーん…」
話相手もおらず、新聞も読まないバルにとってこの種の話は疎かった。
「ポラリスとシレスティアルは共に世界連合の中枢を占める国…事実上の世界大戦だよね」
「う、うん、そうだね…」
「実際、世界は北のポラリス側と南のシレスティアル側に分かれたんだけど…
でも戦況は南側が有利で…」
「それで?」
「ポラリスの皇帝、エンペリオールがついに包囲されて、あと少しで殺されるという時に、 彼を助けたのが私たちの一族なんです…」
「何でそんなことを?」
「賭けに出たんです…私たちを味方につけて窮地を逃れたエンペリオールは、戦況を巻き返して…」
「賭けって?」
「窮地を救われたエンペリオールは私たちを保護することにしたんです。
危険な存在だけど、その恐るべき力は戦力になると考えて…」
「それを見越して助けたってこと?」
「うん。だから今では北側に行けばひとまず安全…
でも戦争には行かないといけないけれど…」
「えっ!?じゃあ何でぼくが住んでた街にいたの?
カミラスは北についたって言ってたような…ならぼくの街は南側…」
「それは…言えないんです。ごめんなさい…」
ランは全てを語ったわけではないようだ。
バルはジュースを飲み干し、再び口を開く。
「でも、それなら北が勝てばいいね!勝てそうなの?」
「ううん…一時的に巻き返せはしたものの、保ってあと4年、だと思う…」
「そんな…」
「でも、希望がないわけじゃないんだよ?あと4年の間に見つかれば…」
「希望って何?」
「能力を消すことができる能力者を探してるの。いるかもわからないけど…」
バルはそんな能力者は聞いたことがなかった。
雲を掴むような話だと思った。
「見つかればいいね…あっ、それで旅してるの?」
「そ、そうだね。それもある…かな。 能力を消すことができないと…それしか…」
ランは口を濁した。

幾ばくかの謎を残したままだったが、それよりもバルにはどうしても聞いておきたいことがあった。
「ランと一緒にいるところを見つかって、捕まったら、ぼくはどうなるの?」
「最悪の場合、拷問の上、死刑…だと思う」
ランは一呼吸置いて、躊躇いがちに答える。
バルは胸に重石を入れられた気持ちになった。
「それじゃあ…」
この娘と一緒にいるわけにはいかない。
そう思った矢先だった。
「大丈夫だよ。ここは北にも南にも、世界連合にも属してない国だから、その点は…」
「何で?どういうこと?」
ランが言うには、ここは、 独裁者、マフィア、カルト宗教の三勢力が覇権を争い続けている、極めて治安の悪い国なのだそうだ。
その為、どこの勢力も取りたがらず、世界連合にもそもそも加盟していないという。
「じゃあひとまず安心ってわけだね。よかった…」
「でも別の意味で危険な国です。長く留まるのは… そういえばまだ聞いてなかったね。バルはどこに行きたい?」
問われて、バルは困った。
北側に行けばとりあえずは安全だが、結局は、4年内には戦火に包まれる事になる。
ランと別れて、南側に一人で行くべきだろうか。
「少し考えさせて」
バルは答えを保留することにした。
「うん」

バルはふと壁にかけられた時計を見上げる。
時計は午後4時を指していた。
「お腹減った…何か食べに行こうかな」
バルが呟く。
「ここのホテル食事出るよ」
「何時ごろ?」
「夜は6時から」
バルは再び時計を見上げる。
「まだ2時間もある…やっぱり食べに行ってくる」
昼は食べていたが、とても2時間も待つ気にはなれなかった。
「お金はある?」
ランが問う。
バルは古びた汚い財布をポケットから取り出し、中を確認する。
「ん……少しなら…」
財布には硬貨が多少入っていた。
選ばなければ何かは食べられそうだ。
「私が出すよ」
ランが言うと、バルは驚きの目でランを見る。
「いいの?何から何まで…」
ランはローブを探り、シックな財布を出した。
「これ使って」
ランは財布を渡す。
中を見ると、札が数枚入っていた。
「こんなに…?」
「あんまり持ってると誘拐されたりする心配があるから…今はこれだけしかあげられないけど、落ち着いたらバルが暮らしていけるだけのお金を渡すね」
「何で…?」
「私、お金持ってるから…大丈夫」
ランは何かを隠すように答える。
「う…、うん」
バルは一瞬躊躇しながらも、それ以上問わず、踵を返す。
「じゃあ…」
「待って」
ランが呼び止める。
「この町、危ないところが多いから…私が少し案内する」
「うん」

「それでこっちに行ったらパスタの美味しいお店があって…ラティークっていう私が好きな…」
バルはパスタに興味がなかった。
案内を長ったらしくも感じていた。
「焼き肉は?僕、焼き肉食べたい」
バルは単刀直入に聞き、切り上げようとした。
「焼き肉ならこの道を5分ほど行ったところに2件あるよ。あ、でも…」
ランは不安気な顔をする。
「ん?」
「その先には行かない方が…」
「何で?」
「マフィアの縄張りだから…」
バルはマフィアと聞いて少し怯む。
「すごく危ないから…行きすぎないように気をつけて」
ランが警告する。
バルも少し不安になるが、もう腹は保ちそうになかった。
「うん。じゃあ…」

「うん。美味い」
バルは焼き肉に舌鼓を打っていた。
たしかに5分ほど歩くと、すぐに焼き肉屋が目に入った。
ここ数年、焼き肉なぞ食べられていなかった。
特に、故郷を発ってからは一度も・・・
バルはカルビや塩タンなど、思うがままに鉄網に乗せて焼きつつ、ふと疑問がよぎる。
あの娘はなぜここまでしてくれるのだろう?
そもそも、あの娘は何者なのか?
"悪魔の一族"と名乗ってはいたが、未だ素性知れずの娘だった。
実はとんでもないことになっているのではないか、と思う。
これまで無縁だったはずの"世界"という巨人に、自分が触れてしまったような・・・
それでも、バルはもともと物事がギリギリに差し迫るまで考えない性質だった。
すぐに意識は目の前の焼き肉に移る。

この機会に食べられるだけ食べておこうと腹にパンパンに肉を詰め込んだバルが焼肉屋の外に出た時には、辺りは闇に覆われていた。
「もう暗くなってる…帰ろう」
バルはしばし余韻に浸りつつ帰途につく。
しかし、しばらく歩いたところで何か引っ掛かるものを感じた。
「いつまで経ってもつかないな…もう10分は歩いてるのに… ん?もしかして…逆の道を来た…?」
バルは目印になるものはないかと、闇夜に目を凝らし、建物を見ながら歩く。
と、不意に、強い衝撃が体に加わり、後ろに跳ね返された。
「痛って!」
男の声。
バルは驚き、男を見上げる。
目の前には180cmはあろう長身の男が立っていた。
黒のスーツ姿に、黒髪をオールバックにし、夜なのになぜかサングラスをかけている。
よそ見をして歩いていたので、ぶつかってしまったようだ。
顔を見ると、齢は20代後半くらいだろうか。
顔つきも、出で立ちも、見るからにチンピラという風情だった。
これがランの言っていたマフィアだろうか?
よりにもよって、とんでもないのに当たってしまったと思った。
「てめェ!どこ見て歩いてんだ!」
男は怒声と共に、懐から素早く黒いものを抜き、バルに突きつける。
拳銃だ!
男が手に持っているものに気づいたバルは、恐慌状態に陥った。
さっきまでいた世界が急に別のものに変わったように思えた。
「すっ!すいませんっ!!」
バルは叫ぶように、口をついて謝罪した。
それ以外、できることは思いつかなかった。
まずいとは思ったが、まさかぶつかったくらいで自分のような子供相手に銃を突きつけてくるとは思わなかった。
しばらく、沈黙の間・・十秒ほど経った後、男は何を思ったか
「ん?…今の感触…」
と呟く。
男は拳銃を持った手を下げ、逆の手でぺたぺたとバルの胸を触りはじめた。
バルは何なのかわからず困惑する。
助かったのか・・・?
「お前…この町丸腰で歩いてんのか?」
男が問う。恐怖で頭が真っ白になっていたバルは、一瞬何のことかわからなかったが、
時間を置いて、男が自分が武器を持ち歩いていないことを問うているのだろうと理解した。
「は…、はい」
バルは慎重に返事する。
「度胸があるのか馬鹿なのか…余所者か?」
男は呆れたように問う。
「はい…隣のクラニスから…」
答えると、またしばらく沈黙の間があった。
男が何を考えているのかわからなかった。
すると、男は拳銃をしまい、再び懐に手を入れ、何かを取り出した。
それをバルに差し出す。
見ると、別の拳銃のようだ。
「やるよ」
男は言う。
バルは状況に追いつけず戸惑う。
「古い型(タイプ)だからな。俺はもういらねェ」
男が手に持っている拳銃を見ると、小型のリボルバーだった。
手のひらくらいの小ささだ。
男の言う通り、銃は古びていて年季を感じる。
「やるっつーんだからもらっとけよ。これでも無いよりゃマシだ」
バルは、男がなぜ心変わりしたのかいまいちわからなかった。
情けない自分を見て、脅威になり得ないと思ったのだろうか。
「あ…ありがとうございます」
バルはおずおずと拳銃を受け取った。
ぎこちない動作で銃を懐にしまう。
「それとな、坊主」
まだ何かあるのかとバルは一瞬警戒する。
「こんな所夜にブラブラうろつくな。ぶっ殺されっぞ」
男は警告した。
「は…、はい。……それでは…」
バルは頭を下げて言うと、踵を返し、急いでその場を立ち去った。
男はそれ以上何も言わなかった。
まだ緊張して、足取りがぎこちない。
何分か歩き、ようやく後を振り返ると、男の姿は影も形も見えない。
バルは一息ついた。
運良く、そんなに悪い人じゃない人にぶつかったのか・・・?
いや、マフィアだから悪い人か・・・?
バルはさっきの出来事をあれこれ考えながら歩き続ける。

ふと、懐に入れていたリボルバーを取り出して、しばし眺める。
地味で古風な銃だが、格好いい、とバルは思った。
銃を手にしたのは初めてだったが、こうして持ち歩いていると、自分が力を得たような気がした。
以前より少し自信を持って町を歩ける。
バルは目線をキョロキョロさせ辺りを伺い、誰も見ていないことを確認して、再び銃を懐にしまう。
しかし、いつまで歩いても探しているホテルにたどり着かない。
もうとっくにホテルに着いていて良さそうなものだが・・・
「ここの辺りを右に曲がるんだったかな…?また道に迷ってしまった…あっ!」
バルは闇夜の先に、背の低い自分よりもさらに小さな人の姿を見つけた。
子供のようだ。
子供は手に何かを持ち、構えている。
棒だろうか。
と、思った瞬間、子供は目にも止まらぬ速さで棒を振り回す。
棒はとても目では追えず、消えたかのようだった。
剣術の練習でもしてるのだろうか?
バルはこんなにも速く動ける人を見たことがなかった。
人間業には見えない。
しばらくバルは見惚れるようにその様子を眺めていた。
子供の動きが止まり、再び棒を構えた。
このままずっと立ちつくしてるわけにはいかない。
「ちょっとごめん…」
話しかけるのは躊躇われたが、バルは声をかけた。
「あ?」 子供は不機嫌そうな声と共にバルを見る。
歳はバルより幼く、10歳に満たないくらいだろうか。
この町にもまばらに灯る電灯は、子供の銀色の髪を微かに照らしていた。
露骨に不機嫌さを現す子供に少し気後れしながら、バルは 「道を聞きたいんだけど…」
と続けた。
「道?」
子供が問い返す。
バルは薄明かりに目を凝らして子供の顔を見る。
まだ幼さの残る顔だが、美形だ・・とバルは思った。
これは女の子にモテるだろうな・・とバルはあらぬ方向に思考が移る。
自分とは住む世界が違う、違う人種だ、と思う。
緊張が増しつつ、
「えっと…何てホテルだったっけ…」
バルは思考を元に戻そうとして呟く。
「あ、思い出した。シャトールホテルってどこにあるかわかる?」
「シャトールホテル?」
子供は言うと、バルが今来た道を指し
「この道左見て歩いてりゃあるよ」
と答える。
バルは意外とちゃんと答えてくれたことに嬉しくなる。
しかし、また道に迷ってしまうかもしれない。
「やっぱり通りすぎてたのか…それがよくわからなくて…」
バルがぼやく。
「チッ…面倒だけど行ってやるよ」
子供は持っていた棒を地面に放り投げて言う。
どうやら子供はついてきてくれる気らしい。
またしてもバルの予想外の答えだった。
「いいの?」
「どうせやることないしな」
言うと、子供は歩き始めた。
案内してくれるようだ。
バルは一瞬遅れて、慌ててついて行く。
少し無言で歩いたところで、バルは疑問に思ったことを聞く。
「君はこんな夜に一人で何してたの?」
「修行」
子供はそっけ無く答える。
「修行?」
「将来、戦士になる為のな。こんな町抜け出してやる」
バルは、ランがここは危険な国と言っていたことを思い出した。
町並みも、バルが住んでいたクラニスより大分貧しい。
子供はこの国を出て、どこかに仕官するつもりなのだろうか。
「お母さんは?」
再びバルが問う。
「集会」
と、だけ子供が返す。
「集会?」
「イクオリティ教会のな。イカれてんだよ。私は神に選ばれた、だとか言ってな」
イクオリティ教会というのは、ランが言っていたカルト宗教のことだろうか・・?
バルにはいまいち全容が見えない。
「神に…?君のお母さんが?」
「最近イカれ具合が酷くなってんだよ。しばらく帰ってこないとさ」
言うと、何も知らない様子を見て取ったか、今度は子供の側から
「あんた他所から来たのか?」
と、問い返す。
「うん。クラニスに住んでたんだけど、戦争で…」
バルが答える。
「それならこの国もすぐに出た方がいいぜ。もうじき戦争になるからな」
子供が事もなげに言う。
「戦争!?ここも!?」
バルは驚いて問い返す。
「ああ。うちの教祖が新兵器の開発間近でな。これが完成すれば勝てる!だとさ」
子供は続ける。
「母親もそれで呼ばれてんだよ。最後の仕上げ…だとかで。
ま、これ本当は外部の奴に言っちゃいけないんだけど」
バルはランに忠告された時、すぐ逃げなかったために窮地に陥った記憶が蘇った。
子供の言ってることが真実かはさておき、それなら逃げておくに越したことはないだろう。
「今すぐこの国を出た方がいいの?」
バルは重ねて問う。
「今すぐってこともないだろうけど…いつも教祖の気まぐれで決まるからな」
それだけ言うと、子供は何かに気づいたように前方を指す。
「あれ、お前を探してるんじゃないか?」
「えっ?」
見ると、遠くから黒い人影が駆け寄ってきた。
ランだ。
「あっ、いた!その子は!?」
ランは息を切らして立ち止まる。
帰りが遅くなったので、探してくれていたようだ。
「じゃあな。明日もいるんだったらまた来いよ。面白い所案内してやる」
それだけ言うと、子供はランを無視してくるりと向きを変え、去っていった。
面倒がられていると思っていたが、どこかに誘われるとは、またしてもバルには意外な思いがした。
「道に迷って…案内してもらってた」
バルは答えるが、ランは何があったかには最早あまり興味がないらしく、慌てた様子で
「状況が変わりました!今すぐこの街を発った方がいいです!」
と少し叫ぶように言う。
「すぐに戦争にーーー」
「さっきの子に聞いた」
バルは遮って言う。
ランは先の戦争同様、何らかの方法でこの国の状況を知っていたようだ。
「知ってた!?良かった。じゃあ今すぐ出発しよう」
ランは急かすように言う。
ずいぶん焦った様子だ。
「それなんだけど…もう1日だけ待ってもらっていい?」
バルは少し言いづらそうに問う。
「1日?なぜ…?」
ランは怪訝な顔をして問い返す。
「さっきあの子に…面白い所を案内してやるって誘われて… 人とどこか行くのなんて誘われたの初めてだから…ダメかな…?」
バルが言った通り、人にどこか一緒に行こうと誘われたことは、バルには初めての経験だった。
こんな風に子供同士、話したことも、もはやおぼろげにしか思い出せない遠い記憶だ。
バルにはまるで、初めて友達ができたかのような気持ちになっていた。
「でもっ…!」
ランは強く抗議するように言う。
「1日だよ…明日戦争になるってわけじゃないでしょ?
それにあの子にも本当に戦争になるって…君も逃げた方がいいって伝えておきたいし…」
バルがごねると、ランはしばし考えた後
「でしたら…明日あの子に会ってから…明日中に出発しましょう…!」
と、妥協した。
折れてくれたようだ。
「明日中かぁ…わかった。そうしよう」
どのみちあの子とは明日中に別れないといけないことに、少し名残惜しさを感じつつ、バルも了承する。
「じゃあ…ホテルに帰ろう」
ひとまずお互いに妥協した結論が出たところで、2人は帰途についた。


「よう」
翌朝、バルが先日子供のいた辺りに向かうと、子供は家の壁に寄りかかったまま、軽く手を上げて出迎えた。
行ってもいなかったら馬鹿みたいだとどこかで思っていたバルは少し嬉しくなる。
まるで本当に友達ができたみたいだ、と思った。
「じゃあ行くか」
子供は立ち上がって、歩き始めた。
「面白い所ってどこなの?」
バルが問う。
「見てのお楽しみだ」
子供は思わせ振りに言う。
バルに微かに不安が過る。
「見て損はしねーぜ」
子供がバルの不安を打ち消すように言うと、バルの微かな不安は期待へと変わった。
「そういえばさ…」
「ん?」
「名前何ていうの?」
「レオ。レオでいいよ」
「僕はガレン・ハンニバル。バルって呼んで」
互いに軽く自己紹介を終えると、バルは気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところで…こんなのもらったんだけど、何て銃か知ってる?」
言うと、バルは懐から先の拳銃を取り出す。
レオは少し驚いた顔をしたが、すぐにつまらなそうな顔に変わり
「何だ…AP36じゃん」
とだけ答える。
「凄い銃なの?」
「凄いも何も…昔っからある銃だよ」
「ふーん…」
バルはこの銃を気に入っていたので、レオの冷めた反応を残念に思う。
考えてみると、さっき会ったばかりの子供に高価なものを与えるはずもないか・・・
「誰にもらったんだ?」
「ここのマフィアに…」
バルが答えると、レオは先ほどより驚いた様子で
「マフィア!?余所者が!?」
と問い返す。
「うん」
「よく生きてたな」
レオが少し感心したように言う。
「うん。ドキドキしたよ」
バルとレオは何気ない世間話をしながら歩き続ける。
しかし、しばらく歩いても着く気配はない。
また、10分くらい前から、木々が鬱蒼と生い茂るなだらかな丘に入っていたことも、バルの疑問を膨らませていた。
意外と子供らしく、秘密基地にでも招待されるのだろうか?
「まだ歩く?」
バルが問う。
バルは足が疲れはじめていた。
「もうすぐだ」
それから数分歩くと、突然、高いフェンスに突き当たった。
鉄網のフェンスの上には鉄条網が張り巡らされ、向こう側は木が伐採されたのか、開けた平地になっていた。
平地以外には何も見当たらない。
「着いたぜ」
言うと、レオはフェンスをすいすいと上り、鉄条網に差し掛かると、懐からナイフを取り出し、瞬く間に鉄条網を切り裂いてしまった。
鉄条網がこんなに簡単に切れてしまうものなのか、バルは不思議に思った。
レオはフェンスを軽く乗り越えると、猿のような素早さで向こう側の地面に降りる。
バルはまたしても、レオの万事鮮やかな身のこなしに見惚れていた。
やっぱり違う人種なのだ。
「来いよ」
呆けていたバルをレオが誘うと、バルもフェンスを上り始めた。
レオとは対照的に鈍重なバルは、のろのろと慎重にフェンスを上る。
やっとの思いでフェンスを乗り越えたバルが改めて前方を見上げると、 そこには今までに見たこともない巨大な鉄塊が聳え立っていた。

鉄筋を幾重にも束ねた、恐鳥類を連想させる長い脚が8本地面に伸びている。
その脚の上に載っているのは、異常に巨大な機械仕掛けの黒い球だった。
球の側面には、これまた巨大な、閉じた目を思わせる隆起がいくつもついている。
高さは50メートルはあるのではなかろうか。
突然目の前に現れた、異様な迫力を発するこの黒い物体を前に、バルは放心していた。
これは、まるで・・・
「凄い…!何これ…?」
「"蜘蛛"だ。教団はそう呼んでる」
レオの答えに、バルは得心した。
そう、これはまさに、巨大な蜘蛛のようだった。
機械でありながら、なぜか生きているように見える。
「バカみてぇに金かけて作ったんだろうな。うちの教団、金は腐るほどあるから。
バカな信者共から搾り取った金が…」
レオが解説する。
ここまで行動を共にしたところ、バルには、レオは意外と人と話すのが好きなように見えた。
「兵器なの?」
「ああ。こいつが"切り札"だろうな。これが完成間近ってこたぁ…もうじき戦争だ」
聞くまでもなく、これを平和的に利用する画は欠片も思い浮かばなかった。
これが先日レオが言っていた教団の新兵器のようだ。
しかし、こんな所に来てしまっていいのだろうか・・・
バルに不安が過る。
「もっとも、これ以上詳しいことは俺も知らねーが…ん?」
ガコン、ガコン、、と、鈍い金属音が響く。
「何の音…?」
不気味な音がしばし続いた後、突然、"蜘蛛"は巨体に似合わぬ速さで動き始めた。
蜘蛛が早足で歩いているかのようだ。
しかし、蜘蛛は少し歩いて、平地の中央に陣取ったところで動きを止める。
「止まった…?」
2人は体を強張らせて、ただ蜘蛛の動きを見つめていた。
完全に気を奪われている。

突然、ガシャン!という鋭い音と共に、側面の隆起が2つに割れて、勢いよく開いた。
中から巨大な黄色の半球が現れる。
まさに蜘蛛の目が開いたかのようだ。
キュイイ、、と、高い音が響き続ける。
同時に、蜘蛛の目が光り始めた。
蜘蛛の周囲に、金色の光の雪が舞う。
金に光る雪もまた、ゆっくりと蜘蛛の目に吸い寄せられていく。
それは2人がこれまで見たことがない美しい光景だった。
「何だ…?」
音が鳴り止む。
一瞬の静寂の後、目の前に太陽が現れたかのような眩い光に照らされる。
「耳ふさげ!!」
咄嗟にレオが叫ぶ。

バルはその声に、反射的に耳を塞いだ。
眩しさに目も閉じたバルだったが、耳を塞いでも、列車が目の前を通過するような音が・・その数十倍の轟音に襲われる。
眩しさが少し和らいだ頃、目を開けると、青白い光の帯が"蜘蛛"の目から全方向に彼方まで伸びていた。
非現実的な光景だ。
ウォンン・・と大気を切る音。
音が鳴り止む。

遥か彼方で、赤く光が弾ける。
まるで夕日のようだ。
遠くで空間が歪む。
景色の歪みが、砂煙と共に近づいてきた。
音だ!
バルは爆音と衝撃波が迫ってくることを直感し、耳を塞ぐ手に力を込め、再び目も塞いだ。

ドオッッ・・!という、凄まじい音。
全身が重く殴られたように響く。
鼓膜が破れそうだ。
「う・・あ"ッ!!」
キイイ・・ンと耳が鳴り続ける。
バルはわけもわからなくなっていた。
どれだけそうしていただろうか。
ようやく、まだ舞い散る砂ぼこりの臭いを嗅げるくらいに、正気を取り戻していた。
彼方からは、8方向から、火と煙のキノコ雲が空高く上がっている。
人間を滅ぼす"天使"がいるとするなら、これなのだろうか、とバルは思った。

「何…なんだ…!?」
レオもまた、放心状態で呟く。
2人共に、目の前の異常な光景に気を奪われ、理解が追いつかなかった。

「いつもながら…ノア様は唐突に事を始めなさる…」
不意に聞こえた第三者の声に、2人は驚いて振り返る。
そこには、4人の男が立っていた。
「ラゴス…!?」
「呼び捨てにするな。クソガキめ」
レオがラゴスと呼んだ、先頭に立っている小男が吐き捨てるように言う。

砂ぼこりが晴れてきたことで、男達の顔も見えるようになってきた。
ラゴスという男は、どこかネズミのような顔だとバルは思う。
後ろの無個性な3人を引き連れている様子から、幹部的な地位にあるのかもしれないが、なぜこの嫌な顔をした男が信者の尊敬を得られるのかバルには理解できなかった。
「何でこんな所に…?」
レオが問う。
「それはこちらの台詞だ。前からネズミがうろついているのは知っていたが…駆けつけた時にはいつも消えていた。お前だったとはな」
ラゴスの口振りから、バルは不安が増していく。
再び心臓が強く脈打ち始めた。
「本来なら死罪に処す所だが…もはや隠しておく意味もない。だが後で罰は受けてもらうぞ」
ラゴスが言う。
やはりバルが予感した通り、ここは来てはいけない所だったようだ。
「そこの醜いガキもだ。そいつは生かして帰すわけにはいかん」
「ヒッ!?」
バルは悲鳴を上げて体を硬直させた。
いよいよ心臓は激しく鼓動し始める。
だが、パニックになる寸前のバルとは対照的に、レオは事ここに至っても冷静な様子だった。

「フン…母親が泣くぞ。もっとも…」
ラゴスは口元に微かな笑みを浮かべる。
ひどく冷たい笑いだった。
「母親?それがどうした?」
レオは母親を持ち出されても、意に介さず問い返す。
それは反抗期の子供のようにも見えた。
「何も知らんのだな」
ラゴスは冷ややかに笑う。
「あ?」
レオは不機嫌さを顕にして問い返した。
「"今の"は…お前の母親だ。"蜘蛛"は人の生命をエネルギーに換え発射する…」
ラゴスは事もなげに言い放つ。
バルは目だけでレオを見やるが、後ろ姿からはレオの表情は伺い知れなかった。
「喜べ。本望だろう。貴様ら愚か者が"蜘蛛"の一部となることができたのだからな。
お前の母親は恍惚の中で死んだであろう…ハハッ」
ラゴスが続ける。
バルはこれまで嫌な人間は散々見てきたつもりだったが、これほど醜悪な者を前にしたのは初めてだった。
なぜここまで醜くなれるのか、理解を超えたものを前に、バルは見入られたようにラゴスとレオを見つめている。
「何だ、その目は?悔しかったのか?気にすることはない。そんなにも母が恋しいならば…お前も母のもとに…」
だが、ラゴスの呪詛はそれ以上続かなかった。
レオの姿が消える。
次の瞬間、5メートルは離れた距離に立っていたはずのラゴスが、ライフルで撃たれたかのように吹き飛んだ。
「グ……アッ!」
ラゴスが苦悶の声を上げ、地面に崩折れる。
その様子を、レオは冷たく見下ろしていた。
レオの手にはいつの間にかナイフが握られている。
ラゴスが倒れた地面には、黒い血だまりが広がり始めていた。
「勘違いするな。ババアのことなんざどうでもいい」
レオが吐き捨てる。
やはりバルからは、レオの表情は伺い知れない。
レオが本当には何を思っているのか、察することができなかった。
「魔力を…身体強化に充てることができたとはな…こんな…ガキが…」
息も絶え絶えに言い残すと、ラゴスは沈黙する。
倒れた身体はピクリとも動かない。
生まれて初めて殺人を見たバルは、目の前にした光景に絶句していた。
「貴様ッーー!!」
バルと同様に立ち尽くしていた信者達3人が、慌ててレオを取り押さえようと駆け出す。
同時に、再びバルの視界からレオが消えた。
瞬間、駆けつけた信者3人の首から真っ赤な血飛沫が飛び散る。
バルがレオの姿を捉えられた時、すでに3人は噴水のように鮮血を撒き散らして地面に崩折れていた。

レオはナイフを鋭く振って、付いた血糊を落とす。
年齢から考えると、殺人は初めてなのだろうか。
それにしてはやけに落ち着いているのが、バルには異様に思えた。
バルには想像もつかない環境で生きてきたがゆえ、冷酷な人格を育んでしまったのかと、バルは思いを馳せる。
そんなバルの動揺は意に介さず、レオは悠々とバルの方に歩いてきた。
「あっ…あ……」
バルは初めて見た殺人と、レオに対する恐怖で声が出てこなかった。
何と言っていいかもわからない。
「行くぞ。今のが戦争開始の合図だったようだ」
レオは変わらない調子で言う。
"今の"が"蜘蛛"の砲撃を指していることは理解できたが、バルは未だ、目前で展開された異常な状況に心が追いつかない。
だが、レオに対する恐怖心が薄れてくると共に、バルには新たな感情が沸きだしていた。
「何やってんだ?」
レオが不思議そうに問う。
「聞いてない…」
バルは呟くと、胸の感情が噴き出した。
「こんなっ!命の危険がある所だったなんて…!危うく殺されるところだった…!」
バルは、自分が今さっき、ラゴス達に殺されていたかもしれないことを思うと、危険を何も言わずに連れてきたレオに対して、自分でも予想外に怒っていたことに気づく。
「そう怒るなって…悪かったよ」
レオは意外なバルの怒りに少し動揺して、謝った。
バルもまた、レオが謝るのは予想外だったので、気勢を削がれる。
それ以上、何と言っていいかわからなくなった。
しばしの沈黙ーー。

「…行こうぜ。ここにいても殺されるだけだ」
少しばつが悪そうに、レオが切り替える。
「…うん」
これ以上追及する気になれないバルもレオに従った。

バルはレオに導かれるまま、駆け足で走り続ける。
レオは地理に詳しいのか、鼻が利くのか、なぜたか不思議と、丘を抜けて町に戻ってからも戦闘地帯には出会さない。
それでも、バルは息が切れてきた。
階段のような短距離ならまだしも、長距離を走るのは肥満したバルの苦手とする所だった。
「ヒィ、ヒッ、」
「もうちょっと速く走れねーのか?」
「まっ…待って。もう息が…」
言うと、レオは走るのをやめて歩くことにした。
「いざとなったら置いてくぞ」
レオはそう言うが、当面はバルのペースに合わせてくれるつもりのようだ。
「ハァ、ハァ」
バルは喉が焼けるようだったが、歩きながら何とか呼吸を整えようとする。

だが、2人は少し歩いたところで、何人もが倒れている所に行き当たった。
戦闘での犠牲者のようだ。
「…ここでも戦闘があったみたいだな。いっぱい死んでら」
レオが死体を指して言う。
「国の…軍人?」
倒れている人達が、揃って灰色の制服のような服を着ていることから、軍人と見て取ったバルが問うた。
「ああ。ろくな連中じゃないがな。おっ」
レオは言うと、屈んで死体を弄り始める。
「良いもんが落ちてる」
バルが、本当に全員死んでるのか、今にも誰か起き上がるんじゃないかとドキドキしながら見守っている中、レオは平然と、死体の持ち物から何かを取り出した。
「何それ?」
バルが再び問う。
レオが手に持っているのは、黒色の、剣の柄部分だけのような奇妙な物体だった。
それにはなぜだか銃のように、引鉄が付いている。
「“水霊刀”だ」
レオが引鉄を引く。
すると、黒い物体から、鋭く銀の刃が現れた。
吸い込まれるような銀の光にバルはしばし見入る。
「斬れ味は良いが…脆いのが欠点だ」
そう言うと、レオは刃を地面に叩きつける。
銀の刃は硝子のように割れて砕け散った。
「だが、弾倉(マガジン)を入れるとーー」
レオはいつの間にか手にしていた、オートマチック拳銃のマガジンにそっくりなそれを、柄の底から押し入れる。
「こうしてまた復活できる」
再び引鉄を引くと、元のように銀の刃が射出された。
「凄い…」
バルは初めて見るもので知らない事だったが、“水霊刀”はマガジンに入っている水銀を瞬時に鋭い刃に形成する事が出来る、高度な技術を用いて作られた武器だった。
「高級品だぜ。まだ落ちてるからお前も拾っとけよ」
レオが促す。
レオはすっかり、複数の弾倉(マガジン)を入れた帯まで死体の兵士から剥ぎ取り、自分の体に巻き付けている。
「僕はこれがあるからいいよ」
バルは懐から銃を見せて断った。
本当の理由は、死体から物を盗み取ることは良心が咎めたからだったが、レオには言えない。
「じゃあとっとと行くか」