いつものように王太子殿下とシェリーを残して執務室に戻ると、いつものようにトビアス様がお茶の準備をして待っていた。

「明日はご自身の結婚式ですよ。今日くらい執務は休まれては?」

明日から私は夫を持つ身になる。
きっと今までと何も変わらない態度で接してくれるだろう。
それが何よりも辛い。

「ありがとう、でもわたくしはここで仕事をしていないと落ち着かないの」

温度も濃さも完璧にわたくしの好みに合わせたお茶をゆっくりと味わって続けた。

「閣下にお願いがあるの。
 …明後日からの休暇を少しずらしてもらえないかしら」

トビアス様は一瞬息を止めたが、すぐに向き直って私の言葉を待った。

「明後日から私は変わらずにここで仕事をするわ。
 でも安心して、他の文官たちの休暇は変えないから。
 わたくしは蜜月の休暇は取らない。それはこれから殿下に了承を取るつもりよ。
 その代わり14日後に2日間お休みを貰うから、閣下の休暇はその前後に合わせて欲しいの。
 …我が儘を言ってごめんなさい」

両手で持ったカップに目を落としながら言った言葉に、トビアス様はいつもの声で答えてくれた。

「分かりました。仕事中毒の妃殿下のお目付け役として残りましょう」

「ありがとう」

それからいつものように仕事に戻り、殿下とシェリーのお茶の時間が終わるのを待って、王太子殿下の自室を訪れた。

「殿下、折り入ってご相談がございます」

いつにないわたくしの固い表情に少し緊張した様子で対応した殿下は人払いをして聞いてくれた。

「明日の結婚式のあとの初夜と蜜月の休暇についてです」

普通、淑女からこのような事は口にしない。周囲の誘導によって粛々と進められ、寝室に入ってからは夫となった方に任せるのが常識だ。流石にぎょっとした表情になった殿下が言葉を発する前に畳みかける事にした。

「シェリーを側妃として迎えるためには、殿下はわたくしと子を生さなければなりません。ですが、シェリーを心から愛している殿下は私に触れる事は苦痛でしょう?
 実は昨日医師の診察を受けたのです。今日から数えて14日後が最も子を授かりやすい日だそうです。
 その日に向けて体調を万全に整え、出来る限りその日のみの接触で子を授かれるようにと考えているのです。
 それから、蜜月の休暇は離宮でシェリルと過ごせるように手配済です」

一気にまくしたてるように伝えると、思いもよらないといった風に問われた。

「私は君にもきちんと情けをかけて遇するつもりだったのだが…」

それもシェリーを娶るまでの事、捌け口にされた挙句に捨て置かれるなどご免だと顔に出ないよう必死で続けた。

「そのお情けは全てシェリーにお与えください。シェリーの幸せに輝く笑顔がわたくしの癒しなのです。
 わたくしへの殿下のお渡りがシェリーの顔を曇らせる事になるなど、考えただけで心が砕けそうです」

わたくしは心からの微笑みを向けて伝えた。

「どうかシェリーとお幸せになって」


必死の祈りが通じたのか、わたくしはその一夜で懐妊し、結婚1周年の祝賀に合わせて第一王子のジョージをお披露目することが出来た。

これでわたくしの役目は終わった。そう肩の荷を下ろした所で王妃陛下がとんでもないことを言い出した。

「王子一人では心許ないわ。まだ結婚1年だもの、側妃を迎える前にもう一人子が欲しいわね」

シェリーとの結婚式を来月に控え、嬉々として準備を進めていた殿下は王妃陛下の言葉を聞いて凍り付いた。

「シェリルとの結婚式を伸ばすと仰るのでしょうか」

顔を見れば蒼白に近くなっている。

「そうね、結婚式といってもごく内輪のお式でしょう?招待客はお互いの家族位だし、半年くらい伸びても支障はないわ」

「分かりました、その代わり懐妊が分かり次第シェリルとの結婚式を執り行います。
 御前失礼いたします」

そういうと殿下はわたくしの手を取って部屋を辞し、廊下に出るといきなり手首を掴まれ引きずるように殿下の自室へ連れていかれた。

「いつだ!次に子が出来る日はいつだ!」

ソファーに投げるように放り出され、そう問う表情は初めてのお茶会で態度を窘めた時と同じ、あの懐かしい憎しみの籠った表情だ。せっかく築きあげた関係は一瞬で崩れ去り、シェリーとの仲を引き裂く邪魔な存在に逆戻りした瞬間だった。

「産後間もないですから、まだ月のものが戻っていないのです。お医者さまでも予測は難しいでしょう」

「なら今から試してやる!これで子が出来れば来月の結婚式には間に合う!」

そう叫んで、逃げようとした私を床に引き倒して掴みかかった殿下を後ろから羽交い絞めにするように止めたのはシェリーだった。
この事態を聞き、急いで駆けつけてくれたのだ。
シェリーが来てくれなければ私はここで無体を働かれ、きっと壊れてしまっていただろう。

シェリーは声を限りに泣き叫びながら殿下を止めてくれた。
小さな頃に喉を患い失いかけ、以来ガレリア侯爵家一門が大切に守ってきたシェリーの声はこの日にほとんど失われてしまった。