引きこもり魔公爵は、召喚おひとり娘を手放せない!

 美玲は苦もなく扉を開けると、腰を屈め、ぽっかり空いた空間へと進んだ。
 体が吸い込まれるようだが、少しも違和感がない。
 そして不安もまた──。
「ふふ」
 案の定、真ん中に光る文字のようなものが浮かび上がっている。
 立つことができないので、その文字の中へ体を横たえ、耳を澄ませた。
 光る文字がゆっくりと美玲の体を包み込む。
 体が伸びやかに沈み込んでいく感覚。
 そして、遠くから呼びかける声。

『……れい……美玲、まだ届かぬのか? こんなに幾度も、そなたの名前を呼び続けているのに……美玲、返事をしてくれ。私の元へ戻ってきてくれ』

 ああ、この声だ。
 相変わらずいい声だなぁ……

『美玲! 我が元へ戻らぬか! この意地っ張り勤労娘!』
 声が次第に大きくなる。

 もう。
 意地っ張りだけは余計だよ…………様

『美玲!  愛しておるのだ! 私の美玲!』
「はい! リュストレー様!」
 美玲は元気よく返事をした。
 その途端、体全てが光に包まれ、美玲の体は別の空間へと沈んだ。
 驚くべき、そして懐かしい浮遊と落下の入り混じった感覚。
 恐怖はない。
 美玲は光に包まれながら、ゆっくりと落ちていく。
「わっ!」
 出し抜けに光が収まり、美玲は今度は物理的に落下した。
 懐かしい、暖かい胸の中に。

「……ただいまです」
 思いがけない姫抱っこに、嬉しいよりも照れてしまった美玲は、我ながら間抜けな挨拶をした。
 リュストレーは光の強い銀色の瞳で、美玲をただ見つめている。
「み……れ……」
「遅くなりまして」
「ほんとう……に?」
「本当です。お待たせしました」
 美玲はリュストレーの首に腕を回して顔を隠した。恥ずかしすぎるのだ。
「そうだぞ……この馬鹿娘!」
「すみません。こっちでも色々あったもんで」
「私が何万回、そなたの名を呼んだと思っている?」
 抱きしめる腕が締まる。床が遠い。
リュストレーは立ったままなのだ。
「わかんないですけど、私もずっと扉を探していたんですよ……きっと時空の狭間のなんちゃらとか、条件が全て整わないといけないとか。きっとあるんですよ。私にはこの設定、全く理解できないけど」
「設定とかそんなこと、どうでもいい……」
 もと設定オタクはそう言い放ち、ずいと顔を近づけた。
「よく帰ってきてくれた……美玲」
 おずおずと触れるようなキス。
 この人はこんなに素敵なのに、異性の扱いに慣れていない。

 私もだけど……。
 でも、そこが可愛いんだわ。

 唇を擦り合わせるようなキスのあと、リュストレーの喉の奥から嗚咽のようなうめきが聞こえ、美玲の頬に彼の頬がピッタリくっついた。
 やがて、その隙間に暖かい水が入り込もうとするのは、きっと多分……。
「美玲……美玲……」
 変わらない美声が、ちょっと鼻にかかっていた。

「うん……リュストレー様、もう下ろして」
「下ろす? ああ、ずっとこうしていたのか……」
「そうですよ。重かったでしょう」
「それがそうでもない」
 リュストレーはそっと美玲を床に下ろした。
 ここはあの執務室だ。最初にこの世界に来た時に、落ちた部屋である。
 美玲は、ちょっと赤くなった彼の目元を見ないように気を遣いながら、懐かしそうに部屋の中を見渡した。
 部屋の中は驚くほど綺麗になっていた。かつて締め切られることが多かった窓は、帷も新しくなり、書物はきちんと本棚に収まっていて、雑多な資料もかなり少なくなっている。
 代わりに増えているのは、体を鍛える道具だ。
 木剣や、鉄の棒(鉄アレイ?)、吊り下げ式の砂袋(サンドバッグ?)などが部屋の隅に置かれている。
「リュストレー様、筋トレを始められたんですか?」
「きんとれ? 冬場は雪の日が多いから、部屋の中でできる鍛錬の道具を揃えただけだが」
「……」
 リュストレーはぴったりとした黒い部屋着を着ている。日本で言うならコットンタートルのような、体の線が出るものだ。
 見ると、今のリュストレーの体つきはすっかり変わり、胸板は厚くなり、細かった二の腕には上腕二頭筋とか言われるものが、かっちりとついている。
「体つきもそうですけど、あの時はびっくりしました。なぜ髪を切ったのですか?」
「似合わぬか?」
「お似合いです。でもなんでかなって」
 あの時は切ったばかりだったのか、ざんばらとしていた髪だが、今では綺麗に整えられ、なかなかのニュアンスヘアになっている。
 はっきり言ってものすごくサマになっていて、美玲がしばし見惚れた。
「そうだな。まずはそなたに詫びねばならない。そもそも、最初から最後までそなたを翻弄し続けたのは、この私なのだから」

 そして、リュストレーは話し出した。