引きこもり魔公爵は、召喚おひとり娘を手放せない!

「どうやって? そうね」
 アヴェーラ王妃はすっと立ち上がった。
「ついていらっしゃい」
「……」
「どうしたの? 異界……ニホンに帰りたいのでしょう? 心配しないで、まさか殺されるとでも思った?」
「ユノに、私の存在が邪魔だと言われたもので」
「ああ、あの男はリュスのシンパだからね。でも、私に依頼してきたのは王太子アリオンよ。言ったでしょう? 彼は平凡だけど誠実な人間よ。女を害したり、ましてや人殺しなんて望まない」
 アヴェーラは美玲に手を差し伸べる。
 少し前まで、親しく知っていた人と同じように長い腕、指。違うのは手入れされた美しい爪。
「召喚と違って、転送はどこでもできるわけじゃないわ。ほら、荷物も届いている。帰った時に困らないように。いい配慮でしょ?」
「荷物?」
 アヴェーラが振り返った扉のそばには、いつの間にか小さな包みが置かれていた。
 いつ置かれたのかわからないところが不気味だ。
「中身を確かめてみなさい」
「……」
 美玲は無言で包みを開いた。
「あっ!」
 そこには、美玲がリュストレーに召喚された時に着ていた服、つまりすみれホームヘルプサービスのスタッフ用の上着にエプロンがあった。それになんと、靴下や下着まで入っていたのだ。
 靴はいつも美玲が履いているから問題ない。
「あなたがここに送られてくると聞いて、持って来させたのよ。さぁ、着替えなさい」
「こ、ここで、ですか?」
 いくら同性でも、王妃様の前で裸になるのは抵抗がある。しかも、なかなか得体が知れない怖い人なのだ。
「ダメなの? 私あなたの裸になんて興味はないわ。でも、嫌なら、そっちの控え室でお着替えなさいな」
「わ、わかりました」
 ここまで周到に準備されているのなら、確かに根拠があるのだろう。
 美玲は多分召使い用の控え室で、全部元の服に着替えた。ありがたいことに、トイレもあったので生理的な用も足しておく。

 でも、このままでは私リュストレー様に、何も伝えないで行くことになってしまうのでは?
 私はどうして、また戻る(召喚してもらえる)こともできますよ、なんて安易に言っちゃったんだろう? 確かにそんな気は、なんとなくしていたけれど、なんの根拠もないのに。

「ミレイ! もうよろしくて? 出ていらっしゃい!」
 もうこうなっては逃げられない。
 美玲は腹を括って扉を開けた。
 少し先には王妃が立っていて、廊下の先へと進んでいく。こじんまりと美しい屋敷なのに、やはりどこにも召使いらしい姿は見られない。
 多分、美玲がいるから一層隠されているのだろう。
 しかし、リュストレーの屋敷と違って、ここには冷徹な雰囲気が漂っている。

 見守られている、というより、見張られているみたい……。

 突き当たりの階段を降りると、地下のようだった。
 ここでも少し廊下を進み、小さな扉を開けると、天井は高いが柱の他には何もない、暗く真四角な部屋があった。
 その床に、文字のような絵のような模様が、四角く区切られたような枠の中に彫りつけられている。小さい正方形もあれば、大きな長方形もある。
 それが中心に向けて、異例に放射状に並んでいる。
 枠の中に何が書いてあるのか美玲には読めない。
 が、感覚でわかる。

 これは、陣だ!

 ファンタジー小説でいう、魔法陣。
 しかし、よくある同心円のようなものではなく、四角い形が部屋の中央に向かって並ぶ、不思議な陣だった。
 中でも一番大きな長方形が三つ、百二十度間隔で刻まれているのが一番目立つ。
「ここは我々異能者にとっては神聖な場所。それぞれの四角い模様の一つ一つは、個を表している。そして彼らの思いが、王族にしかわからない古代語で示してある」
「古代語……そうですね。私がこの世界に来た時、同じような文字に包み込まれ、飲み込まれたような感じでした」
「そうね。だから私はこの場所に閉じ込められているのよ。異能を持つ先祖が葬られているこの場所に。逃げ出さないよう、特別な使用人──神官に見張られながらね」
「葬られて? つまりここはもしかして」
「ええそうよ。ここは霊廟。つまり」

 お墓か!

「小さな模様は、幼くして亡くなった方や、それほど大きな異能を持たなかった方のもの。一番大きなものは、転移の異能を持つ我らの血脈」
「大きなもの……目立つのは三つの長方形ですね」
「そう。その中で一番古いものは、七代前の王。こっちはライオネルの曽祖父の弟の一人。一番新しいものは、その人の娘で、転移の異能が顕現(けんげん)した初めての女性。でもこの人は、二十歳前に亡くなっている」
「その娘さん……お姫様ですよね。その方もここに軟禁されていたんですか?」
「ええ。でも、その人は一度は逃げたのよ。そして連れ戻された時には、身籠もっておられて、その時の子供が私の母よ。そして異能を持たない母にも自由はなかった」
「……え。つまり王妃様のお婆さま?」
「そういうことになる。だからここには何代にもわたって、転移異能者の嘆きや恨みが詰まっているの。だからここは忌み地。禁足の地。誰も近づかない」
「禁足!?」
 美玲は、はっとして床に彫りつけられた陣──紋様を見つめた。
 長方形の紋様。
 それは確かに人一人分の大きさだった。
 それが中央を向いて三人分。
 確かにここはお墓だった。

「さぁ」
 いつの間にか、アヴェーラは美玲の手を引いて部屋の中央に導いて行った。
「王妃様、私やっぱり一度、リュストレー様にお知らせしてから……あっ!」
 体がもうピクリとも動けなかった。

 まずい! うっかり流されてしまった!?

「おっ、王妃様! これは!?」
「心配しないで。言った通り、あなたを異界に戻してあげると言っているの。ここに眠る人たちは、私の願いを聞いてくれるのよ。私は長い間ここにいて、祈りをささげてきたから。これが私の異能。ほら、もう動けないでしょう? でも一瞬で、というわけには、さすがにいかないみたいね」
「う……しびれて」
「このまま、時間をかけてあなたは飲み込まれていく。どのくらい時間がかかるかは私にはわからない。でも、気がついた時には、あなたはニホンに帰っているはずよ。少なくとも、私の母の記述ではそうなっていた」
「王妃様の……母うえ?」
「あるわよ。私の祖母を身籠らせた男性は、異界の男で、祖母によって異界に戻らされたみたいだから」
「か、確証は?」
 美玲は最後の力を振り絞った。
「……さぁ。どうかしら?」

 ああ、これは詰みだ。
 人生終わった。

 絶望に美玲の体も心も蝕まれていく。

 私はもうあの人に会えないのかな?
 大好きな、ぎんいろをもつあの人に。
 違う……大好きなのはぎんいろではなくて……。

「リュストレー様!」
 その言葉を最後に、私の意識は急速に途切れていった。