フィリップ殿下から招待状が届いた。
以前聞いた、王宮の北の離宮にある桜の庭で、ご友人の誕生日パーティーを開催するそうだ。
満開の桜をぜひその目で見て欲しいと直筆でお言葉が添えられている。
ありがたいと思う反面、そういえば肖像画の返事をしていないなと思い至ってため息が出た。
お二人の婚姻式は先月だった。
第四王子と聖女の結婚式とは言え、いずれは臣下に下るのだからとあまり華々しくせずに、浮いた費用の一部は王都病院の新棟建設に回されたと話題になった。

そんな奇特なお二人には、後世に残る華やかで素晴らしい肖像画が相応しいのに、見たままにしか描けない僕では力不足だとやはり気が重い。
一緒に招待されているミレリアにそういうと、いつになく真剣に見つめられた。

「お兄さま、いつも絵の具バカって揶揄って本当にごめんなさい。」

は? びっくりしすぎて声が出ない。

「お兄さまは肖像画の天才よ。私だけでなく書いてもらった方たちの評価ももちろん、その肖像画を見た人は皆そう思っているわ。私は肖像画の納品に行く度に絵を見た皆さまが息を飲む姿を見るのを楽しみにしているの。そして必ず言われるのよ。『レナート様にお願いして本当に良かった』と。
いつも見たままにしか描けないと言っているわよね。それが本当なら、お兄さまに見えているものが私たちとは違っているのよ。リリィ伯母様もそうおっしゃっていたわ。どうか自覚を持って? お兄さまの見ている世界は、普通の人が見ている世界よりもずっとずっと美しいの。」

変なものでも食べたのかというと、せっかく一世一代の決心で話したのにとぷりぷり怒っている。
でも、誰に言われるよりミレリアに言われたことは信用できるし、そう思ってくれている事が嬉しいというと、あっけにとられた顔で今度は涙ぐみながらやっぱりぷりぷり怒って言われた。

「私は女侯爵としてお兄さまの美しい世界を守るって決めてるの! もう、不意打ちだなんて、相変わらずそういう所よ、お兄さま!」

ミレリアが妹で本当に良かったと思う。


そして迎えた北の離宮でのパーティーの日、案内された庭園で僕は満開の桜に圧倒された。
辺りの空気まで仄かな桃色に染め上げ、はらりはらりと優雅に風に舞う花弁の軌跡さえも美しい。
夢に見たこの風景、この空気感、この温度、そしてそのすべてを含んだこの色たち。

ああ、今なら描ける。

そう思った時、白昼夢のように目の前に見たことのない異世界が広がった。


‥‥◆◆‥‥◆◆‥‥
隣に住んでいる日本画の師匠は、年を重ねるにつれ頑固になっているらしい。
ご家族から、僕の言う事なら聞くからという理由で休日には必ず呼び出され、なんとなく世話をしている。
締め切った部屋から連れ出し、お手伝いさんが部屋の掃除をしている間に庭の見える北の座敷の縁側で一緒に絵を描く。岩絵の具を膠で溶く手伝いをしながら、毎日遅くまで絵を描いていてはいけないとか、ちゃんとご飯を食べてとか、たまには外に散歩に行こうとか、ご家族に頼まれた伝言を交えながら世間話をする。
そんなある日、庭に女の子が立っていた。高校を卒業したばかりの遠縁のお嬢さんだそうだ。
ちょっと首をかしげてにっこり会釈をされた。
たったそれだけの事がずっと頭から離れず、誰にも言わなかったはずなのにいつの間にか見合いの席が設けられ、周囲の皆から良かった良かったと祝われて、程なく僕は彼女と結婚した。
もちろん、誠心誠意大切にしたし、娘が生まれてからは彼女と娘が幸せであるように願い、尽くしてきたつもりだった。しかし、10歳も年下の彼女にどう接していいのか戸惑い続け、一目惚れだったことも、出会った時からずっと好きだったことも、結婚出来て嬉しかったことも伝えられずにいた。

彼女が余命宣告を受けた次の日、僕は美術教師を辞めた。
医師に告げられた時間は3か月。
その日から彼女のそばを離れないと決めた。彼女がやりたいという事を一緒にやり、行きたいという所には一緒に旅行に行った。
持たないと言われていた春を迎え、体力的にもこれが最後だと思う旅行先で、満開の桜の下で渾身の告白をした。もしも君と同じ年だったら、もっと素直に好意を伝えられていただろうかと、ずっと思っていた事だった。

「生まれ変わったら今度は君と同い年になる。出会った時の君と同じ18歳の春、僕は君にもう一度一目ぼれをして恋をするんだ。」




◇・◇・◇・◇
夢から覚めたように辺りの風景が戻ると、花びらの舞い散る桜の木の下に彼女が立っている。
ちょっと首をかしげて会釈をする彼女の癖をそのままに、美しい笑顔を向けられた。

やっと辿り着けた。

万感の思いを込めて自己紹介した。

「初めまして、レナート=ノア・ド・ナイトレイと申します。美しい人、あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか。」