《TwilightNotes ― 夜明けに鳴る音》

 仕事を終えた麻里奈がビルの玄関を出ると、秋の夜風がスーツの裾を揺らした。
 街の灯りが遠くで瞬き、昼の喧騒が嘘のように静まり返っている。
 
 歩き出そうとした、そのとき。
 
「──麻里奈さん」
 
 不意に呼ばれた名前に、足が止まった。

 振り返ると、街灯の下にひとりの青年が立っていた。
 帽子を深くかぶり、マスクをしていても、その目の奥の光に見覚えがある。
 
「……大和くん?」
 
 彼はマスクを外し、少し照れくさそうに笑った。
 
「ごめん。待ってた。
 ほんの少しだけ……話せないかな?」
 
 その声音は、懐かしくも、どこか切実だった。
 麻里奈は一瞬迷ってから、小さく頷いた。


 二人は並んで、ビル脇の細い道をゆっくり歩く。
 夜風が頬をかすめ、遠くから車の音と、店の奥から流れるジャズが重なった。
 
「……須田プロデューサーとは、付き合ってるの?」
 
 あまりに唐突な言葉に、麻里奈の足が止まりかける。
 
「どうして、そんなこと……」
 
「今日、見てた」
 
 大和の声は、わずかに震えていた。
 
「……あの人、俺が知らない表情を麻里奈さんに見せてたから」
 
 その目にあったのは、嫉妬でも怒りでもない。
 ただ、心の底からの混乱と苦しさだった。
 
「……私ね」
 
 麻里奈は小さく息を吸い、夜空を見上げる。
 胸の奥が、静かに熱を帯びていた。
 
「高校のとき、大和くんのこと……気になってた」
 
 彼の瞳が、驚いたように揺れる。
 
「でも、自分から踏み出すのが怖くて。
 あなたが笑ってくれるだけで嬉しくて、それ以上を望んじゃいけないって思ってた」
 
 風が吹き、髪が揺れた。
 街灯の光が、その隙間で揺らめく。
 
「最後、駅で声をかけようとしたの。
 でも──言えなかった。背中を呼ぶ勇気が、どうしても出なくて」
 
 その声は、夜の静けさに溶けていった。
 
「……だから今日、スタジオであなたを見たとき、
 まるで時間が巻き戻ったみたいだった」
 
 その言葉に、大和の胸の奥で、何かがほどけた。
 
「……俺も、言えなかった」
 
 かすれた声で、大和はつぶやく。
 
「本当は──ずっと、好きだったんだ」
 
 麻里奈が、ゆっくりと顔を上げる。
 視線が重なり、言葉が途切れた。
 
 沈黙。
 けれどそれは、痛みの沈黙ではない。
 長いすれ違いの先で、ようやく辿り着いた静けさだった。
 
「……それでも、またこうして会えたね」
 
 麻里奈の言葉に、大和は小さく笑う。
 
「うん。また、会えた」
 
 夜風が二人の間をすり抜ける。
 ビルの壁に伸びた影が、寄り添うように重なった。
 
 ──その距離は、まだ答えではない。
 けれど確かに、未来へと続いていた。