それを貸そうかどうしようか迷う。
見ず知らずの女がいきなり、傘を渡すのは不審がられそうだよな……。
でも、言ってみる価値はあるかもしれない。
思い切って声をかけた。
「あの、よかったら使ってください」
折りたたみ傘を差し出した瞬間、男性は驚いたように目を丸くした。
「えっ、それだとあなたはどうするんですか?濡れますよ」
「私はバスに乗って帰るだけだし、バス停から家も近いんです。それにタオルがあるから大丈夫ですよ」
安心させるために手に持っていたタオルを見せると、彼は困ったように眉を寄せた。
「でも……」
彼がそう呟いた時、遠くにバスのライトが見えた。
水しぶきを上げながらバスがバス停に滑り込んで、ドアが開く。
「傘、使ってください。これも何かの縁だと思いますし」
彼は遠慮して、なかなか受け取ろうとしてくれなかったので、傘を押し付けるように渡してバスに乗り込んだ。
「これどうぞ。気をつけて帰ってくださいね」
「あ、ありがとうございます」
「いいえ。では」
私は軽く手を挙げて彼に別れを告げる。
そして、バスのドアが閉まった後、彼はこちらに向かってガラス越しに軽く会釈した。
動き出すバスの中から彼に視線を向けると、どこかホッとしたように折りたたみ傘を広げ、バス停の屋根の下から歩き出していく。
その姿を見て、渡してよかったと心の中で思った。
時間にしたら五分にも満たない出来事で、きっと彼には二度と会うことはないだろう。
だけど、この数分の出会いは私の心の奥に小さな温もりを宿していた。



