推しと奏でる、私たちの唄 〜ドS天才歌手の隣は甘くて難しい〜


 山道に入ると、景色が少しずつ変わっていく。
 新緑が近くなり、空気がひんやりとする。

 「あれ……。
 この辺、来たことあるかも」

 「そうなの?」

 「はい。たしか……
 この近くに、美味しいエクレアのお店があった気がします」

 少し懐かしそうに、窓の外を見る。

 「小さい頃、家族でドライブした時に寄ったような……
 曖昧ですけど」

 一拍おいて、ふと思い出したように続ける。

 「夏さんは、家族でドライブの思い出とか……ありますか?」

 ――言った瞬間。

 (……あ)

 頭の中で、
 “極秘ノート”の文字がフラッシュバックする。

 《NG項目:家族》

 (やば……っ)

 空気が、一瞬止まった気がした。

 「……す、すみません。
 今の、忘れてください」

 ハンドルを握る夏は、何も言わない。
 車内に、沈黙が落ちる。

 (……怒った?
 それとも、気を悪く――)

 そう思った、そのとき。

 「……俺は、ないな」

 低く、ぽつりと。

 「……」

 「こういう場所に来るのも、
 家族で出かけるのも。
 あんまり縁がなかった」

 それ以上、言葉は続かなかった。

 灯里は、そっと息を吸う。

 (……聞かなかった方が、よかったんだよね)

 そう思いながらも、
 なぜか胸の奥が少しだけ、きゅっとした。