扉を開けると、からんころん、と丸いドアベルの音が静かな店内に響いた。
「いらっしゃいませ。ナイトバー・『Cherry』にようこそ。マスターの榎野瀬浩です」
華奢なカクテルグラスを拭いていた、ちょび髭を生やしている30代くらいの男性――浩さんが顔を上げた。
「空いているお席に。お召し物はハンガーにかけてください」
制服の上に着ていた上着とマフラーを脱ぎ、後ろのハンガーにかける。
そしてスクールバッグを足元に下ろして、適当な席に腰かけた。
店内は暖房が効いていて心地よい。
無意識の間に入っていた肩の力を抜いてあたりを見回す。
チェリーレッドの間接照明がぽつぽつと灯るバー。カウンターの奥には、酒瓶がずらりと並んでいる。
さっきまでは謎のテンションで何も気にしなかったけど、バーなんて大人の男女が嗜むもので、僕みたいな中学生がファミレス感覚で入っていい場所ではない。
場違いも甚だしいところだ。
先ほどとは違う意味で、耳が燃えるように熱くなっていく。
羞恥心をごまかすように木でできている深い茶色のカウンターを指でなぞっていると、カウンターから声が降ってきた。
「メニューです。学生さんにも優しい価格のつもりなんですけどなかなか学生さんは来てくれなくて。」
震える手を叱咤して、ありがとうございます、とメニューを受け取って冊子を開く。
最初のページはカクテルだった。未成年はお酒を飲んではいけないので次のページに目線をスライドする。
その途中、ふと思い出した僕は制服のスラックスからスマホを取り出した。
LINEを立ち上げて母親とのトーク画面を表示させる。
僕は入力フィールドを指先でタップし、現れたキーボードをタップして【塾で自習するから遅くなる】と打ち込んでトーク画面に投下した。
数秒で既読がつき、母親からはウサギかクマかよくわからない謎の生物がぐっと親指を突き立てているスタンプと【あまり遅くならないようにしてね】というメッセージが送られてきた。
カウンターにスマホを伏せて置き、次のページに目を戻す。
そこに書かれていたのはモクテルという聞きなれない言葉だった。メニュー上部に(各600円+税)と書かれている。
「すみません、モクテルって何ですか?」
「モクテルはね、ノンアルコールのカクテル。お酒は使わずに、香りや色、味の重なりで“物語”をつくる飲み物です。」
浩さんが、大人の余裕が滲んだ柔らかい笑みを浮かべる。
「ソフトドリンクもあるので、ゆっくり決めてください」
ページをめくると、『淡雪ブレンド』という6文字に目が留まった。メニュー上部の表記やほかのドリンクたちの名前から察すると、ソフトドリンクのページらしい。
オレンジジュース、ウーロン茶、とほかのドリンクたちにもざっと目を通したけど、やはり僕の心をつかんで離さないのは『淡雪ブレンド』だ。



