「自習してくる―」
家に帰って、母親にただいまより先にそれを言うと「ただいまは?」と言われてしまった。
「あ、ただいまー。自習してくる」
「あんまり遅くならないようにね」
僕は部屋に駆け上がり、最低限の勉強道具と春上さんに借りた『古都琴子は好きに生きるので、悪しからず』をスクールバッグに放り込んだ。
そして勉強机の上に置いていたスマホとワイヤレスイヤホンを制服のスラックスに押しこみ、僕は逃げるように玄関を出た。
玄関の扉を開けた瞬間、切りつけるような寒さが僕を包みこんだ。
ぶるっと身震いしてから一歩を踏み出すと、アスファルトとスニーカーがぶつかる乾いた音が耳朶を打つ。
信号で立ち止まると、ピンク色に染まった雲が視界に入った。
水の中に1滴ピンク色の絵の具を落としたようなその色彩に見とれていると、信号が青に変わった。
アウターのポケットに手を突っ込み、横断歩道を渡って路地裏に入る。
赤いネオンを視界に写しながら、そこに吸い寄せられるように路地裏を歩き、木のドアノブをつかんだ。



