私は今、見合い場所であるホテルのラウンジへと強制連行されている真っ最中だ。

やはり、私には、自力で未来を変えるなんて無理なのだろうか?

「そんな陰気な顔するの、やめて頂戴」

タクシーの後部座席で、隣に座る母が咎める。

「私、お見合いなんて嫌って、昔から言い続けてきたよね⋯⋯?」

「仕方ないでしょ。うちには男の子がいないんだから」

心底、悔しい。

もし、私が男に生まれていたら⋯⋯そして、もっと頭が良ければ、こんなことにならなかったのに。

昔から、友達には、

「紫ちゃん、いいなー!お嬢様なんだから」

そんなことを言われてきたが、ちっともよくない。

確かに、お金である程度の幸せは買える。

食べるものにさえ困っている人から見たら、贅沢な悩みかもしれない。

それでも、私は好きな仕事をして、好きな人と一緒になりたかった。

裕福な暮らしを捨ててでも、そのほうがいい。

しかし、それは許されない夢。

いま着ている、パステルカラーのワンピースだって、こんな服は自分なら決して選ばない。

パステルカラーなんて、他のどんな色にでも簡単に塗り替えられてしまう⋯⋯だから嫌いだ。

今までは親の言いなりで、これからは夫を立てる妻となり、ずっと、実家である病院の為だけに生きなければいけないのか。

好きでもない人の子供を産みたくない、などということも許されないだろう。

私の人生って、何⋯⋯?



ホテルのラウンジで、見合い相手を待つ。

現れた男は、モテそうなルックス、優秀な外科医、次男坊。

相手は愛想よく笑っていたが、何とも嘘くさい笑顔だ。

あとは、お若い二人だけで⋯⋯となったあと、見合い相手は一方的に話し始めたが、自慢ばかりで、実に退屈な話。

私は、作り笑いで聞き流していたが、

「ごめんなさい。ちょっと、化粧室に⋯⋯失礼します」

そう言って席を立った。

失礼な奴だと思われて、断ってくれたら丁度いい。

それならば、いっそ⋯⋯。


いけないと思いながらも、私はこっそりホテルから逃げ出した。

行くあてなどないが、財布は持っているし、どうにかなるだろう。

とりあえず、駅前のネットカフェの個室に身を潜めていたが、こんな近くでは、きっとすぐ見つかってしまう。

しかし、何処へ逃げようか⋯⋯?



静かに雪の降り積もる、夜の駅。

私は、ふと遠い昔のことを思い出し、吸い寄せられるように、温泉街行きのローカル線の駅へと向かった。

切符を買い、乗降客など殆ど居ない改札を通る時、これが最終だというアナウンスが流れる。

田舎なだけに、終電も早い。


人もまばら⋯⋯を通り越して、あまりにもガラガラのボックス席に座り、車窓を眺めてみても、そこに映るのは不幸せそうな自分の顔だけ。

時折、小さな町の灯りや、遠くの漁火は見えるが、本当に田舎だ⋯⋯。


父は、地元では天才外科医と呼ばれて居るが、果たしてどうなのだろう。

本物の天才ならば、都会なり世界に飛び出すと思うのだが。

緒方病院というと、地元の個人病院では、確かに、知名度も歴史も県内随一なのは認めざるを得ない。

鶏口牛後と言えば響きはいいが、結局は、この田舎という小さな枠組みの中でトップでありたいということなのだろう。



2時間近く電車に揺られ、終点である温泉街の駅で降りる。

繁忙期の日中なら、観光客で賑わうはずだが、今は平日の終電時刻。

閑散としたホームのベンチに、取り敢えず腰を掛ける。


これから、どうしよう⋯⋯?

相変わらず、後先まるで考えない自分に思わず苦笑い。

そういえば、昔も、ここへ逃げてこようとした⋯⋯大好きな人と二人きりで。


とにかく、疲れた。

心身ともに疲れ果てた⋯⋯。



気付くと、そのまま駅のベンチで船を漕いでしまったようだ。

どれぐらい、そうしていたのだろう?

「お客さん、起きてください」

寝ぼけ眼で声の主を見遣る。

「大丈夫ですか?あれ⋯⋯もしかして、緒方?」

声をかけてきた人は、ここの駅員のようだ。

その顔も声も、私はよく知っている。

「え⋯⋯戸倉なの!?」

一瞬にして覚醒した。


会えなくなってから、もう6年も経っているので、当然ながら、彼はもうあの頃の少年ではない。

「戸倉⋯⋯ここで何してるの?」

「何って、見ての通り、ここで働いてるんだよ」

ああ、そうだ。

戸倉は、部活少年であり、鉄道好きでもあった。

「緒方こそ、どうしたの?そんなおめかしして」

「うん⋯⋯ちょっとね」



戸倉隆は、私の初恋の人で、最初で最後の恋人。

この世に生まれた時から、恋することなど許されなかった私が、たった一人、心の底から愛した人。

中学も同じ学校だったが、あの頃はクラスも違えば共通点も皆無で、話したことがない。

同じ高校に進学し、クラスも同じになり、席替えで隣になった時から、急速に親しくなった。

「緒方、同じ中学だったのに、一度も話したことなかったよな」

「何も共通点がなかったからね」

高校生になっても、特に共通の趣味はなかったのに、戸倉と居ると、何故かとてもしっくりくるし、楽しくてドキドキするのに、安心して⋯⋯。

そんな気持ちは、初めてだった。


高校1年も後半に差し掛かった頃。

日直で、放課後の教室で二人きりになった時、

「実は俺、中学の頃から、緒方と話してみたいと思ってたよ」

突然、そんなことを言われ、どうしたのかと思いつつも、黙って聞いていた。

「だから、こんな風に話せるようになって、凄く嬉しいんだ。ただ遠くから見てるより、話してみて、ますます⋯⋯好きになったから」

その言葉に、落雷のようなものを感じた。

「緒方。もし、俺でよかったら付き合って欲しい」

「俺でよかったら、なんて⋯⋯私だって、戸倉のこと好き!他の人なんて有り得ないでしょう?」

互いの想いを知ったその日、初めて二人で帰った。


それ以降、よく、部活中の戸倉を、こっそり見に行ったりもした。

弓道部の戸倉の、真剣な横顔に見惚れながら。

戸倉は部活で帰りが遅くなることだし、私も何か部活に入ろうかな⋯⋯と、いちばんラクそうなアマチュア無線部を選んだ。

幽霊部員ばかりで、実際の活動は殆どなかったので、本を読みながら時間を潰していた。

道場の近くで戸倉を待ち、彼はいつも、少し慌てて私のもとへ来てくれた。

「ごめん、待った?」

「ううん」

そんな、幸せいっぱいのやり取りをしていると、弓道部員たちや、同級生からも冷やかされたが、私たちは周りの目など気にしなかった。


初々しいことに、毎日毎日、交換日記もやり取りしていた。

本当は電話もしたかったが、親が激怒するのは目に見えていたので、限られた時間と、交換日記だけが二人を繋ぐもの。

それでも、やはりデートぐらいしたいという思いもあって当然だ。

親に見つかると面倒だから、遠くでデートしたいとワガママを言い出した私。

そして、地元から少し離れた小京都で、未成年だてら冬の酒蔵めぐりをした。

周りは外国人観光客ばかりだし、私服姿なので、いつもより大胆に腕を組みながら、

「こうしていると寒くないね」

などと言いながら歩いて⋯⋯。

学校でもいつも一緒、時折こっそり遠くでデートして、本当に幸せな日々だった。



そんな日々に暗雲が立ち込めたのは、ある日突然、母親が鬼の形相で、

「これは何?」

何冊にも渡る交換日記を持っていた。

「返してよ!」

「あなたがそんな軽薄な娘とは思わなかったわ!高校生のくせに、恋愛ですって?」

高校生が恋愛してはいけないなんて、時代錯誤も甚だしい。

激怒した母は、交換日記を全部まとめて、暖炉の炎の中に放り込んだ。

「何てことするの!」

慌てて取り出そうにも、熱くてとても無理だ。

私は、部屋に戻って慟哭した。

その夜、父から告げられたのは、

「お前は将来、優秀な外科医と見合い結婚する。恋愛など厳禁だ。わかったな?」

「は⋯⋯?冗談でしょ?今の時代に」

「仕方がないだろう。子供はお前一人なのだから」

「それ、跡継ぎが欲しいってこと?」

「わかりきったことを言わせるな」

わかりきったって、何がどう?としか思えない。

「あっそ!じゃあ、私が有能な外科医になりさえすれば、そんな不毛な結婚しなくていいのね?」

すると、両親は私を鼻で笑った。

「お前ごときが外科医になれたら、この世は外科医だらけだな。進路も、文系なんか何の役にも立たないから変更しろ」

この両親には何を言っても無駄なだけだと思った。


ブルーな気持ちで登校すると、いつもの笑顔で戸倉は、

「おはよう」

そう言ってくれたが、うまく笑顔が作れなかった。

「元気ないな⋯⋯どうした?」

「あとで、話があるの。誰も居ない場所で話したい」

神妙な面持ちで、戸倉は頷いた。


放課後、たまたま今日は戸倉のご両親が不在だということで、初めて彼の家を訪ねた。

「なんか、ちょっと照れるよな」

呑気に言う戸倉の顔を引き寄せると、私は強引にキスをした。

戸倉とは、軽く触れるだけのキスを一度しただけなので、ギョッとしたようだ。

「緒方⋯⋯!突然どうしたんだよ?」

確かに、その時の私は、どうかしていたと思う。

乱暴に制服を脱ぎ捨て下着姿になり、彼の服も脱がせようとすると、流石に戸倉も慌てて、

「ちょっと待てって⋯⋯!少し落ち着けよ」

「何よ⋯⋯最初からこうするつもりで家に誘ってくれたんじゃないの?」

「違う!誰にも聞かれたくない話があるって言うからだよ!」

私は、恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆った。

「本当に、どうしたんだ?ホラ⋯⋯服着なよ」


初恋の人とは結ばれないと聞いたことがある。

まさに、そういうことなのだろうか。

「昨日ね⋯⋯母親に交換日記を焼き捨てられた上に、父親からは、私は将来、見合いで優秀な外科医と結婚するんだって言われたわ」

吐き捨てるように言うと、

「つまり、俺との未来はないってことか⋯⋯?」

私は黙って頷く。

「だから⋯⋯戸倉と既成事実作ってしまえばいいかと思ったの」

私は彼にしがみついて、

「ねえ、私って魅力がない?二人きりになっても、戸倉はその気になれないの?」

そう言ったら、優しく私の髪を撫でながら、

「違うよ。心の底から好きだからこそ、焦りたくないんだ。本当は緒方だって、今はまだその時期じゃないって思ってるんだろう?俺にはわかるよ⋯⋯好きな子の気持ちぐらい。だからこそ、既成事実云々なんて理由で抱くなんて、とても出来ない」

「戸倉は平気なの?私が他の誰かと結婚しても⋯⋯」

「平気な訳がない!だから、時間をかけて、ちゃんと俺たちのことを認めてもらおうよ」

戸倉の誠実さは、痛いほど判る。

しかし、両親が「話せばわかる」ような人ではないことを、彼は判っていないようだ。

「ねぇ⋯⋯3年の自由登校の時期に入ったら⋯⋯私と駆け落ちしてくれないかな?」

かなり滅茶苦茶を言っていることは、当時の私にも判っていた。

「うちの親はね、話せばわかるような人じゃないの。勿論、こんな滅茶苦茶な話、戸倉に拒否権はあるよ。でも、もし私と一緒になってくれるなら、日時を決めて、二人で逃避行しよう?鄙びた温泉街で住み込みで働けば、二人きりの慎ましい生活なら、どうにかなるだろうし⋯⋯」

戸倉は、しばらく無言で私を見つめていたが、

「わかった。俺だって緒方を離す気はない。こんな時ばかりは、大きな野望があるわけでもない、つまらない男でよかったと思うよ。諦めたり、失うものもないから」

「戸倉は、つまらなくなんかない!私がこれほど好きになった相手を、つまらないなんて言わないで」

「はは⋯⋯わかったよ。俺だって、緒方さえ居てくれたらいい」


そう言ってくれたから、私は約束の日に、真冬の駅のホームで、ずっと戸倉を待ち続けた。


しかし、いつまで経っても、彼は現れなかった。




To be continued