名無し

ふと目が覚める。


無意識のうちに、手首の血管へ指をあてる。


いつもの癖だ。


耳に、外の音が聞こえてはっとする。


怒鳴られる前に、起きなきゃ。


そう思うと、自然に体が起き上がる。


って、ここは相良組だった。


部屋の中は静か。


でも、胸のざわめきが収まらない。


この静けさは、何かが起こる前の前兆だ。


風の音、扉の向こうの話し声、床のきしむ音。


どんなに些細な小さな音でも聞こえると、体が反応してしまう。


ぐるりと部屋を見渡す。


普通の部屋。


普通が怖い。


普通の扱いをされてしまうと期待すると、すぐに奪われる。


期待しちゃいけない。


水が欲しい。


でも、飲んでいいなんて言われてない。


からからと乾いて、つばを飲み込むたびにのどが痛む。


勝手にいいのかな。


ベッドから降りていいのかさえも迷う。


この部屋自体が鳥籠。


いついかなる時も監視されている。


そういえば、昨日食べたシチュー美味しかったなぁ。


頬が緩んだ。


って、こんなところで安心しちゃダメ。


気を引き締めないと。


外からこっちに近づいてくる音に気付いた。


警戒心を強くなる。


コンコンと控え目な優しいノック。


びくりと体が跳ねる。


体中に、冷や汗が流れる。


”早く起きろ!”


嫌な記憶が頭の中に一気に流れ込んでくる。


返事しないといけないのに、口を開いても声の代わりに息しか出てこない。


早く声、出てよ!


じゃないと、新しい傷が...。


すると、扉の向こうから思っていたより、落ち着いた声が聞こえてきた。


「大丈夫ですか。失礼します。」


大丈夫なんて言葉を、自分に向けられると思っていなかった。


扉が開いて、昨日の赤髪の男が入ってきた。


光稀じゃないんだ。


男はじっと見てきた。


……心配している目だった。


でも、その目だけで、体が固まる。


「すみません。怖がらせてしまいましたね。」


少し眉を寄せながら、男は言った。


私なんかに気を遣わせてしまった。


「お食事ご用意できていますけど、食べられますか?」


頭が真っ白になる。


食べるなんて権利、私にあったの?


いつも「食うな。」としか言われず、食べるときは、いつも隠れて食べていた。


私の様子を察したのか、「無理なら無理でいいですよ。」と柔らかくはにかんで言った。


私に、断るなんて権利はないか。


断ったら、罰がある。そういう世界で生きてきた。


「あ、ありがたくいただきます。」


そう言うと、「では、こちらへ。」と言って歩き出した。


ベッドから出て後ろを急いでついていく。


目の前の男の人は、何て名前なんだろう。


そんな考えを読み取ったみたいに、「自己紹介がまだですね。」と笑いながら、話しかけてきた。


「私は、麗と言います。『綺麗』の麗です。彗の側近としてやらせてもらっています。」


「女性っぽい名前ですよね。」と最後は冗談っぽく話して、空気を軽くしようとしていた。


でも、私は笑えなかった。


なぜなら、その声は優しかったが私を選別しようとしている声だということに気づいたから。


優しいのに。


それが、私に向けられているのかどうか分からない。