◆旭日中学生 旭日が父親と住んでいたアパート
帰ってきた父親を玄関で出迎える。
旭日「おかえり」
父「疲れた……。風呂。わいてるか?」
旭日「あ、うん。晩飯も作った」
父「ああ……、そうか」
軽く頷くだけで、疲れた顔で父は部屋に入っていく。
ぎゅっと手を握りしめて、それを見送ることしかできない旭日。
◆旭日中学生 昼 教室
旭日は、菓子パンを手に自分の席から去ろうとしたところで、クラスメイトの男子から声をかけられる。
旭日「助っ人?」
男子「そう。お前、この間の体育の授業でサッカーやったとき、すごかったじゃん」
男子「今怪我したやつがいて、人数が足りなくなりそうなんだよ。来てくれると助かるんだけど」
男子の周りには、数人の、同じくサッカー部の男子たちが不安そうに、見守るようにそれを見ている。
旭日(この間の授業……、やけにボールを回してもらえないから、ムキになって何回か点を決めたんだった)
旭日(変に目立ってしまった。失敗したな……)
旭日「ごめん。俺、そういうのは」
旭日(そんな暇ないし)
男子「そこをなんとか!打ち上げでメシ奢るからさー!な?」
顔の前で手を合わせて懇願する男子。
旭日「……」
旭日「それ、本当に?」
男子「あ、ああ!来てくれたら絶対に!」
旭日「なら……、行ってみようかな」
男子「マジか!ありがとうな、旭日!」
男子は、周りの男子たちと一緒に喜んでいる。
旭日(一食分の金が浮くなら……、悪くないかもしれない)
◆次々に、回想
男子「本当にありがとうな、旭日!」
男子「今日、旭日のおかげで勝てたよ!」
打ち上げで、仲間と嬉しそうにするサッカー部。
別の男子1「お前すげーなー。出てくれてサンキュな」
バスケ部。
別の男子2「練習するには人数足りなくて、困ってたんだ。旭日くんには感謝してもしたりないよ」
野球部。
女子1「まさかうちにも来てくれるなんて」
女子1「ありがとうね、荷物運び手伝ってくれて」
美術部の女子。
女子2「本当にそれだけで大丈夫?もっと食べない?まだあるよ、ほら!」
委員会(生徒会)の女子。
旭日(上手くやれてる)
旭日(やれてる……、よな?)
旭日(メシ代は、間違いなく浮いてるし……)
旭日(遠出になるやつは、断ってるし……)
喜ぶ生徒たちとは裏腹に、旭日の視界はどんどん暗くなって、ノイズが走っていく。
◆ 旭日中学生。学校。廊下。
ポスターを見て立ち止まる旭日。
ポスターには、進路について、高校受験について書かれている。
近くにあるテーブルには、高校のパンフレットや、就職先について書かれた冊子、プリントなどが置かれている。
疲れた顔でその前で立ち止まる旭日。
◆旭日中学生。夜。アパートの、旭日の部屋。勉強机に向き合い、宿題をやりながら。
旭日[ふとした瞬間に、押しつぶされそうになる]
旭日[だから、理由が欲しかった]
旭日[俺は、ただすがるものが欲しかっただけだ]
旭日[だってさ、わかりやすいだろ?]
旭日[俺には、琴子がいるから]
旭日[あの約束があるから]
旭日[そう思うだけで、上辺だけの日々は、簡単に過ごすことができた]
机の上で紙に『空山琴子』と書いて、突っ伏しながらその文字列を眺める旭日。
ニヤけながらも愛おしいものを見る感じ。若干気持ち悪いくらいに。
机の上には、就職先についての冊子が数冊積み重ねられている。
◆旭日中学生 いつかの助っ人の帰り道 夕方
旭日は、通学カバンのほかに、両手にスーパーで買ってきたものが入っているビニール袋を持って走っている。
旭日「はぁ……、はぁ……」
旭日(やばい)
旭日(思っていたよりも遅くなった)
旭日[父と住んでいたアパートの前には]
旭日[毎日登り降りすることになる、大きな階段があった]
旭日(俺……、なんでこんなことしてるんだったっけ)
旭日(何回繰り返したって。こんなこと、意味なんて……)
階段を登りながら。
◆旭日中学生 旭日が父親と住んでいたアパート
玄関に入る旭日。
旭日「はぁ……」
旭日「……ん?」
電気がついていることに気がつき、青ざめる。
慌てて、部屋の中に入っていく。
旭日「ごめんなさい。遅くなった」
父「ああ。おかえり、蒼」
父「まだ遅くないよ。今日は、はやく上がれたからね。いつもよりもはやく帰って来れたんだ」
父は台所で夕飯を作っている。
旭日「今、俺やるから」
父「ああ。いいんだよ。手を洗ったら、蒼はゆっくりしなさい」
父は、柔らかく微笑む。
旭日「でも」
父「どこかに助っ人に行ってきたんだろう?」
旭日「――!!」
旭日は、一気に青ざめる。
旭日「ご、ごめんなさい。でも、ユニホームとかは貸してもらえたんだ。それに、昼飯奢ってもらったから。その分の金、次に回せると思って。だから……」
父「疲れただろ。楽しかったか?」
父は、笑顔で聞く。一瞬だけ旭日に顔を向ける。
話しづらいだろうと思って、じっとは見ない。
旭日「……えっと」
旭日は、俯いて視線を逸らす。
父「蒼は。スポーツが好きなのか?」
旭日「……どうなんだろう。分からない」
父「そうか」
洗面台で手を洗って帰ってきた旭日に、父は麦茶を出す。(テーブルに置く)
父「近いうちに、三者面談があるみたいだな」
旭日「そう……、みたいだね」
父「蒼は。どうしたいか、決まっているのか?」
旭日「うちの近くにも、中卒で雇ってくれるところがあるみたいだから。だから、卒業したらそこに……」
旭日は、ビニール袋から、買ってきたものを冷蔵庫にいれながら答える。
父は、鍋の中の、味噌汁を作ろうと味噌を溶かしていた箸を動かす手を止める。
父「……蒼」
父「他に。何かやりたいことはないか?」
旭日「え?」
父「行きたいところや。やってみたいこと。勉強に関係があることだけでなくていいんだ」
旭日「それは……」
ぼんやりと、空山の姿が思い浮かぶ。
その姿に、手を伸ばそうとする。
◆現在。夕方から夜 旭日の自室の前
空山は、旭日の部屋の扉の前で固まっている。
空山(蒼に、めちゃくちゃ勝手なこと言っちゃって)
空山(ひとりでウンウン考えていてもどうしようもないから、きちゃったけど)
空山(まさか蒼のおばあちゃんに、蒼の部屋に寄っていけって言われるとは……)
空山(どうしよう。ちょっと緊張してきた)
空山(いや。大丈夫……)
空山(よし)
深呼吸をして、ノックする。
空山「蒼?」
空山「わたしだけど。空山琴子です。いる?」
返事はない。シンと静まり返っている。
ノブをひねると、あっさりと開く。
空山「……!」
空山「蒼。入るよ?」
ゆっくりと扉を開く。
空山(真っ暗だ)
部屋の中は暗い。半開きのカーテンの奥の窓から差し込む街灯や近所の家からの光だけ。
空山は、恐る恐る中に入る。
部屋には、ところどころ段ボールが積み重なっている。
空山「……蒼?」
空山「あ、いた」
部屋の奥にあるベッドに横になっている旭日を見つける。
空山「あお……」
突然、旭日の方から手首を掴まれる。
空山「へ」
そのまま、空山は旭日の上に倒れ込む。旭日は、空山の背に手を回す。
空山(えっ)
旭日「……」
空山「!?」
旭日の額が肩に触れ、抱き寄せる力が強くなって、空山は慌て始める。
空山「蒼!?ちょっと。は、離して!」
一気に真っ赤になり、手足をバタつかせる空山。
抱きしめたものが暴れていることに気がつき、旭日は動きを止める。
旭日「琴子」
空山「うん」
旭日「…………」
旭日は、寝ぼけた顔で腕の力を緩める。
そのおかげで空山は身体を起こすことができ、二人は顔を突き合わせて向き合う。
旭日「本物?」
空山「本物。本物の、空山琴子です……」
旭日「…………………」
ぶわ、と、今度は一気に旭日の顔が真っ赤に染まる。
腕の方も慌てて空山の身体から離す。遅れて気がついたように。
旭日「……いや。その。本当にごめん」
空山「う、ううん。大丈夫。気にしてない」
空山(びっくりした……)
強く引き寄せられたことを思い出し、チラリと旭日の腕を見る空山。
空山(ね、寝ぼけてたのかな。なにと勘違いして、こんなことしたんだろ……)
空山(知りたいような、知りたくないような……)
空山は、ベッドの側に立つ形になる。
旭日「……いやなんで。俺の部屋に琴子が……」
空山「はっ。そうだった」
空山「ちゃんと話がしたくて、来た」
空山「んだけど……」
赤くなって俯く空山に、旭日はバツが悪そうな顔をする。
空山「おばあちゃんが、蒼は部活から帰ってきてすぐこもって、そのままだって教えてくれて。話するなら、寄っていっていいって」
旭日「ばあちゃん……」
空山「ごめん、休んでいるところに」
旭日「いや、いい。いいんだ、別に」
旭日は身体を起こし、ベッドに座る姿勢になる。
空山「……蒼」
旭日「なに?」
空山「ごめんなさい。わたし、蒼に勝手なことばかり言って」
旭日「……」
頭を下げる空山に、旭日は考え込むようにして続ける。
旭日「……どうすれば、琴子は嬉しい?」
空山「え?」
旭日「俺が部活やめるのは、嫌なんだろ」
空山「いや。部活をやめるのが嫌というか」
空山「ただあのときは、わたしと一緒にいるためっていうのが……、引っかかって」
上手く言葉に出来ず、空山は戸惑う。
旭日「俺は、一秒でも多く琴子と一緒にいたい。それじゃあ、駄目?」
空山「え」
空山「な、なに言ってるの」
旭日「やめるなら、早いほうがいい。琴子は、部活とか、他の人に迷惑がかかることが嫌なんだろ?」
空山「いや。それだけじゃなくて……、なんて言えばいいかな……」
空山は、考え込むようにしながら、思っていることを言葉にしようとする。
空山「わたしにとって、蒼は本当にすごい人なんだ。わたしが出来ないこと、色々できて」
空山「だから、わたしがその足を引っ張るのは、嫌だなって思ったというか……」
旭日「……別に普通だよ」
空山「蒼にとって、それが普通だとしてもだよ」
旭日「俺だって、嫌だ」
空山「え?」
旭日「俺は。ずっと琴子といたい。琴子を心配していたい。琴子のことを考えられなくなるのは、嫌だ。話せなくなるのは、もっと嫌だ。俺から、琴子を取ら……」
はっとして、旭日は顔を上げる。
驚いて目を見開く空山と目が合い、旭日は顔を赤くして俯く。
旭日「今俺、言った?」
旭日「言っちゃった!?」
空山「たぶん……」
旭日は真っ赤になって頭をかいて、俯いて顔を覆って、手に顔を当てて考え込んだ後、胸を張って言い放つ。
旭日「……結論が出ました」
空山「はい」
旭日「訂正はありません。言っちゃったもんはしょうがない。本心です」
空山「は、はぁ」
旭日「琴子は……、忘れちゃったの?」
空山「なにを」
旭日「……約束」
空山「………それ、は」
空山(ずっと一緒にいよう、って……)
旭日「だから。俺が言いたいのは、そういうこと」
空山「いや。そういうことって言われても」
空山「そのために、他の何かをないがしろにするのは、わたしは違うって思う」
旭日「それは……」
旭日「俺は。琴子と少しでも多く一緒にいたいし、話したいし、…………」
旭日は、何かを言いかけてやめる。
旭日「とにかく。そういうことを言ってる」
旭日「琴子は俺のこと、どう思ってる?」
空山「それは、もちろん。蒼のことは、ずっと大切で」
空山(だけど)
空山(今蒼が言っているのは、それだけじゃないってことだよね……)
空山「……」
空山(蒼が言ってること)
空山(上手く飲み込めなかった)
空山(今なら分かる)
空山(わたしは、なにも分かっていなかった)
空山(蒼のことも、蒼の家族のことも、自分のことも)
空山(分かってなかったから、簡単に言えたんだ。自分がそうしたいからって、ずっと一緒にいよう、なんて)
空山「…………無理だよ」
空山(ちゃんと話せば……)
空山(蒼も、分かってくれるはず)
空山「ずっと一緒にいるなんて……」
空山「あんな約束……、もう忘れて。考えなしだったんだ、わたしが」
空山(これでいい)
空山(これでいい……、はず)
顔を上げた空山の目に入ってきたのは、明らかに怒りを滲ませた旭日だった。
旭日「そう」
旭日「琴子も俺をバカにするんだ。嘘言って騙して、適当に誤魔化せればそれでいいって思ってるんだ」
空山「ちが……」
旭日「何が違うんだよ!」
旭日は、語気を荒げて叫ぶ。声を張り上げる旭日を見て、空山は動揺する。
旭日は、乱暴に空山の腕を掴む。指を立てる感じで。
痛みに、空山の顔が歪む。
空山「いっ……」
旭日「ずっと一緒って言ったのに。嘘だったんだ」
旭日「ううん。良いんだ、知ってた。だって、みんなそうだから。口では綺麗なこと並べたてて、腹の底では見下してる」
旭日「俺だって、分かってるよ。こんなの、子どものわがままだって、笑ってるんだろ。そっか……、琴子も、そうなんだ」
空山「蒼……」
空山(いや違う)
空山(これ……、誰?)
空山は、これまでの旭日を思い出す。
幼い頃遊んでいた旭日、泣いていた旭日。
小学生の頃、一緒にいて揶揄われたときの朝日。
現在の、皆の前で猫をかぶっている旭日、再会したばかりの旭日。
旭日「分かったふりして笑って、みんなみんな、バカにしやがって!」
空山(睨まれて、身がすくみながらも)
空山(……なんだ)
空山(と、思った)
空山(蒼も。そんな風に思うこと、あるんだ)
空山(泣いて笑って。思い出の中にいた、綺麗な男の子)
空山(そう思っていたけれど)
空山(蒼に、こんなにぐちゃぐちゃなところが、あったなんて)
空山(なんていうか、それは)
空山「……蒼」
空山は掴まれていない方の手で、旭日の頬に手をやる。
空山「蒼!」
旭日は、ハッとしたように顔を上げる。そして、空山の腕に爪を立てていたことに気がつくと、パッと手を離す。
旭日「……なに」
空山「今の。他の人に言ったことある?」
旭日「は?」
予想外の言葉に、旭日は意図を測りかねる。
旭日「いや。ないけど……」
空山「蒼のお父さんにも?おばあちゃんにも?」
旭日「……うん」
空山「そっか」
空山は、ここで本当に嬉しいことを滲ませるように笑う。憧れていて、劣等感さえあった旭日のむき出しの感情に触れられたことに喜び、目を細める。
元の表情に戻り、続ける。
空山「分かった」
旭日「……なにが」
視線を逸らし、小さな声で答える旭日。
空山「いよう。一緒に」
旭日「……え」
空山「気分で、もういいやってならないで。ずっと一緒にいる」
旭日「……本気?」
空山「うん」
旭日「……」
しばらく黙って見つめ合った後、旭日は探るように続ける。
旭日「絶対?」
空山「絶対」
旭日「これから、毎日話してくれる?」
空山「もちろん」
旭日「もう話しかけないでって言わない?」
空山「言わないよ」
旭日「誰かに何か言われても。それで離れられたら、嫌だよ」
空山「うん。蒼が1番だよ」
旭日「……」
旭日は嬉しそうに、座ったままの姿勢で、そばに立っている空山を抱きしめる。
空山は驚き肩を跳ねさせるが、旭日は離そうとしない。
空山「ちょっ」
旭日「守る。破らない。離れないから。俺は絶対に諦めない。どんな手を使っても。一生」
空山「一生!?」
旭日「一生」
いきなり一生、と言われたことに驚く空山に、旭日はすぐ肯定するように続ける。
旭日の言葉を咀嚼し、空山は軽く旭日の背を抱き返し、ぽんぽんと叩く。
空山「……うん。がんばってみよう」
帰ってきた父親を玄関で出迎える。
旭日「おかえり」
父「疲れた……。風呂。わいてるか?」
旭日「あ、うん。晩飯も作った」
父「ああ……、そうか」
軽く頷くだけで、疲れた顔で父は部屋に入っていく。
ぎゅっと手を握りしめて、それを見送ることしかできない旭日。
◆旭日中学生 昼 教室
旭日は、菓子パンを手に自分の席から去ろうとしたところで、クラスメイトの男子から声をかけられる。
旭日「助っ人?」
男子「そう。お前、この間の体育の授業でサッカーやったとき、すごかったじゃん」
男子「今怪我したやつがいて、人数が足りなくなりそうなんだよ。来てくれると助かるんだけど」
男子の周りには、数人の、同じくサッカー部の男子たちが不安そうに、見守るようにそれを見ている。
旭日(この間の授業……、やけにボールを回してもらえないから、ムキになって何回か点を決めたんだった)
旭日(変に目立ってしまった。失敗したな……)
旭日「ごめん。俺、そういうのは」
旭日(そんな暇ないし)
男子「そこをなんとか!打ち上げでメシ奢るからさー!な?」
顔の前で手を合わせて懇願する男子。
旭日「……」
旭日「それ、本当に?」
男子「あ、ああ!来てくれたら絶対に!」
旭日「なら……、行ってみようかな」
男子「マジか!ありがとうな、旭日!」
男子は、周りの男子たちと一緒に喜んでいる。
旭日(一食分の金が浮くなら……、悪くないかもしれない)
◆次々に、回想
男子「本当にありがとうな、旭日!」
男子「今日、旭日のおかげで勝てたよ!」
打ち上げで、仲間と嬉しそうにするサッカー部。
別の男子1「お前すげーなー。出てくれてサンキュな」
バスケ部。
別の男子2「練習するには人数足りなくて、困ってたんだ。旭日くんには感謝してもしたりないよ」
野球部。
女子1「まさかうちにも来てくれるなんて」
女子1「ありがとうね、荷物運び手伝ってくれて」
美術部の女子。
女子2「本当にそれだけで大丈夫?もっと食べない?まだあるよ、ほら!」
委員会(生徒会)の女子。
旭日(上手くやれてる)
旭日(やれてる……、よな?)
旭日(メシ代は、間違いなく浮いてるし……)
旭日(遠出になるやつは、断ってるし……)
喜ぶ生徒たちとは裏腹に、旭日の視界はどんどん暗くなって、ノイズが走っていく。
◆ 旭日中学生。学校。廊下。
ポスターを見て立ち止まる旭日。
ポスターには、進路について、高校受験について書かれている。
近くにあるテーブルには、高校のパンフレットや、就職先について書かれた冊子、プリントなどが置かれている。
疲れた顔でその前で立ち止まる旭日。
◆旭日中学生。夜。アパートの、旭日の部屋。勉強机に向き合い、宿題をやりながら。
旭日[ふとした瞬間に、押しつぶされそうになる]
旭日[だから、理由が欲しかった]
旭日[俺は、ただすがるものが欲しかっただけだ]
旭日[だってさ、わかりやすいだろ?]
旭日[俺には、琴子がいるから]
旭日[あの約束があるから]
旭日[そう思うだけで、上辺だけの日々は、簡単に過ごすことができた]
机の上で紙に『空山琴子』と書いて、突っ伏しながらその文字列を眺める旭日。
ニヤけながらも愛おしいものを見る感じ。若干気持ち悪いくらいに。
机の上には、就職先についての冊子が数冊積み重ねられている。
◆旭日中学生 いつかの助っ人の帰り道 夕方
旭日は、通学カバンのほかに、両手にスーパーで買ってきたものが入っているビニール袋を持って走っている。
旭日「はぁ……、はぁ……」
旭日(やばい)
旭日(思っていたよりも遅くなった)
旭日[父と住んでいたアパートの前には]
旭日[毎日登り降りすることになる、大きな階段があった]
旭日(俺……、なんでこんなことしてるんだったっけ)
旭日(何回繰り返したって。こんなこと、意味なんて……)
階段を登りながら。
◆旭日中学生 旭日が父親と住んでいたアパート
玄関に入る旭日。
旭日「はぁ……」
旭日「……ん?」
電気がついていることに気がつき、青ざめる。
慌てて、部屋の中に入っていく。
旭日「ごめんなさい。遅くなった」
父「ああ。おかえり、蒼」
父「まだ遅くないよ。今日は、はやく上がれたからね。いつもよりもはやく帰って来れたんだ」
父は台所で夕飯を作っている。
旭日「今、俺やるから」
父「ああ。いいんだよ。手を洗ったら、蒼はゆっくりしなさい」
父は、柔らかく微笑む。
旭日「でも」
父「どこかに助っ人に行ってきたんだろう?」
旭日「――!!」
旭日は、一気に青ざめる。
旭日「ご、ごめんなさい。でも、ユニホームとかは貸してもらえたんだ。それに、昼飯奢ってもらったから。その分の金、次に回せると思って。だから……」
父「疲れただろ。楽しかったか?」
父は、笑顔で聞く。一瞬だけ旭日に顔を向ける。
話しづらいだろうと思って、じっとは見ない。
旭日「……えっと」
旭日は、俯いて視線を逸らす。
父「蒼は。スポーツが好きなのか?」
旭日「……どうなんだろう。分からない」
父「そうか」
洗面台で手を洗って帰ってきた旭日に、父は麦茶を出す。(テーブルに置く)
父「近いうちに、三者面談があるみたいだな」
旭日「そう……、みたいだね」
父「蒼は。どうしたいか、決まっているのか?」
旭日「うちの近くにも、中卒で雇ってくれるところがあるみたいだから。だから、卒業したらそこに……」
旭日は、ビニール袋から、買ってきたものを冷蔵庫にいれながら答える。
父は、鍋の中の、味噌汁を作ろうと味噌を溶かしていた箸を動かす手を止める。
父「……蒼」
父「他に。何かやりたいことはないか?」
旭日「え?」
父「行きたいところや。やってみたいこと。勉強に関係があることだけでなくていいんだ」
旭日「それは……」
ぼんやりと、空山の姿が思い浮かぶ。
その姿に、手を伸ばそうとする。
◆現在。夕方から夜 旭日の自室の前
空山は、旭日の部屋の扉の前で固まっている。
空山(蒼に、めちゃくちゃ勝手なこと言っちゃって)
空山(ひとりでウンウン考えていてもどうしようもないから、きちゃったけど)
空山(まさか蒼のおばあちゃんに、蒼の部屋に寄っていけって言われるとは……)
空山(どうしよう。ちょっと緊張してきた)
空山(いや。大丈夫……)
空山(よし)
深呼吸をして、ノックする。
空山「蒼?」
空山「わたしだけど。空山琴子です。いる?」
返事はない。シンと静まり返っている。
ノブをひねると、あっさりと開く。
空山「……!」
空山「蒼。入るよ?」
ゆっくりと扉を開く。
空山(真っ暗だ)
部屋の中は暗い。半開きのカーテンの奥の窓から差し込む街灯や近所の家からの光だけ。
空山は、恐る恐る中に入る。
部屋には、ところどころ段ボールが積み重なっている。
空山「……蒼?」
空山「あ、いた」
部屋の奥にあるベッドに横になっている旭日を見つける。
空山「あお……」
突然、旭日の方から手首を掴まれる。
空山「へ」
そのまま、空山は旭日の上に倒れ込む。旭日は、空山の背に手を回す。
空山(えっ)
旭日「……」
空山「!?」
旭日の額が肩に触れ、抱き寄せる力が強くなって、空山は慌て始める。
空山「蒼!?ちょっと。は、離して!」
一気に真っ赤になり、手足をバタつかせる空山。
抱きしめたものが暴れていることに気がつき、旭日は動きを止める。
旭日「琴子」
空山「うん」
旭日「…………」
旭日は、寝ぼけた顔で腕の力を緩める。
そのおかげで空山は身体を起こすことができ、二人は顔を突き合わせて向き合う。
旭日「本物?」
空山「本物。本物の、空山琴子です……」
旭日「…………………」
ぶわ、と、今度は一気に旭日の顔が真っ赤に染まる。
腕の方も慌てて空山の身体から離す。遅れて気がついたように。
旭日「……いや。その。本当にごめん」
空山「う、ううん。大丈夫。気にしてない」
空山(びっくりした……)
強く引き寄せられたことを思い出し、チラリと旭日の腕を見る空山。
空山(ね、寝ぼけてたのかな。なにと勘違いして、こんなことしたんだろ……)
空山(知りたいような、知りたくないような……)
空山は、ベッドの側に立つ形になる。
旭日「……いやなんで。俺の部屋に琴子が……」
空山「はっ。そうだった」
空山「ちゃんと話がしたくて、来た」
空山「んだけど……」
赤くなって俯く空山に、旭日はバツが悪そうな顔をする。
空山「おばあちゃんが、蒼は部活から帰ってきてすぐこもって、そのままだって教えてくれて。話するなら、寄っていっていいって」
旭日「ばあちゃん……」
空山「ごめん、休んでいるところに」
旭日「いや、いい。いいんだ、別に」
旭日は身体を起こし、ベッドに座る姿勢になる。
空山「……蒼」
旭日「なに?」
空山「ごめんなさい。わたし、蒼に勝手なことばかり言って」
旭日「……」
頭を下げる空山に、旭日は考え込むようにして続ける。
旭日「……どうすれば、琴子は嬉しい?」
空山「え?」
旭日「俺が部活やめるのは、嫌なんだろ」
空山「いや。部活をやめるのが嫌というか」
空山「ただあのときは、わたしと一緒にいるためっていうのが……、引っかかって」
上手く言葉に出来ず、空山は戸惑う。
旭日「俺は、一秒でも多く琴子と一緒にいたい。それじゃあ、駄目?」
空山「え」
空山「な、なに言ってるの」
旭日「やめるなら、早いほうがいい。琴子は、部活とか、他の人に迷惑がかかることが嫌なんだろ?」
空山「いや。それだけじゃなくて……、なんて言えばいいかな……」
空山は、考え込むようにしながら、思っていることを言葉にしようとする。
空山「わたしにとって、蒼は本当にすごい人なんだ。わたしが出来ないこと、色々できて」
空山「だから、わたしがその足を引っ張るのは、嫌だなって思ったというか……」
旭日「……別に普通だよ」
空山「蒼にとって、それが普通だとしてもだよ」
旭日「俺だって、嫌だ」
空山「え?」
旭日「俺は。ずっと琴子といたい。琴子を心配していたい。琴子のことを考えられなくなるのは、嫌だ。話せなくなるのは、もっと嫌だ。俺から、琴子を取ら……」
はっとして、旭日は顔を上げる。
驚いて目を見開く空山と目が合い、旭日は顔を赤くして俯く。
旭日「今俺、言った?」
旭日「言っちゃった!?」
空山「たぶん……」
旭日は真っ赤になって頭をかいて、俯いて顔を覆って、手に顔を当てて考え込んだ後、胸を張って言い放つ。
旭日「……結論が出ました」
空山「はい」
旭日「訂正はありません。言っちゃったもんはしょうがない。本心です」
空山「は、はぁ」
旭日「琴子は……、忘れちゃったの?」
空山「なにを」
旭日「……約束」
空山「………それ、は」
空山(ずっと一緒にいよう、って……)
旭日「だから。俺が言いたいのは、そういうこと」
空山「いや。そういうことって言われても」
空山「そのために、他の何かをないがしろにするのは、わたしは違うって思う」
旭日「それは……」
旭日「俺は。琴子と少しでも多く一緒にいたいし、話したいし、…………」
旭日は、何かを言いかけてやめる。
旭日「とにかく。そういうことを言ってる」
旭日「琴子は俺のこと、どう思ってる?」
空山「それは、もちろん。蒼のことは、ずっと大切で」
空山(だけど)
空山(今蒼が言っているのは、それだけじゃないってことだよね……)
空山「……」
空山(蒼が言ってること)
空山(上手く飲み込めなかった)
空山(今なら分かる)
空山(わたしは、なにも分かっていなかった)
空山(蒼のことも、蒼の家族のことも、自分のことも)
空山(分かってなかったから、簡単に言えたんだ。自分がそうしたいからって、ずっと一緒にいよう、なんて)
空山「…………無理だよ」
空山(ちゃんと話せば……)
空山(蒼も、分かってくれるはず)
空山「ずっと一緒にいるなんて……」
空山「あんな約束……、もう忘れて。考えなしだったんだ、わたしが」
空山(これでいい)
空山(これでいい……、はず)
顔を上げた空山の目に入ってきたのは、明らかに怒りを滲ませた旭日だった。
旭日「そう」
旭日「琴子も俺をバカにするんだ。嘘言って騙して、適当に誤魔化せればそれでいいって思ってるんだ」
空山「ちが……」
旭日「何が違うんだよ!」
旭日は、語気を荒げて叫ぶ。声を張り上げる旭日を見て、空山は動揺する。
旭日は、乱暴に空山の腕を掴む。指を立てる感じで。
痛みに、空山の顔が歪む。
空山「いっ……」
旭日「ずっと一緒って言ったのに。嘘だったんだ」
旭日「ううん。良いんだ、知ってた。だって、みんなそうだから。口では綺麗なこと並べたてて、腹の底では見下してる」
旭日「俺だって、分かってるよ。こんなの、子どものわがままだって、笑ってるんだろ。そっか……、琴子も、そうなんだ」
空山「蒼……」
空山(いや違う)
空山(これ……、誰?)
空山は、これまでの旭日を思い出す。
幼い頃遊んでいた旭日、泣いていた旭日。
小学生の頃、一緒にいて揶揄われたときの朝日。
現在の、皆の前で猫をかぶっている旭日、再会したばかりの旭日。
旭日「分かったふりして笑って、みんなみんな、バカにしやがって!」
空山(睨まれて、身がすくみながらも)
空山(……なんだ)
空山(と、思った)
空山(蒼も。そんな風に思うこと、あるんだ)
空山(泣いて笑って。思い出の中にいた、綺麗な男の子)
空山(そう思っていたけれど)
空山(蒼に、こんなにぐちゃぐちゃなところが、あったなんて)
空山(なんていうか、それは)
空山「……蒼」
空山は掴まれていない方の手で、旭日の頬に手をやる。
空山「蒼!」
旭日は、ハッとしたように顔を上げる。そして、空山の腕に爪を立てていたことに気がつくと、パッと手を離す。
旭日「……なに」
空山「今の。他の人に言ったことある?」
旭日「は?」
予想外の言葉に、旭日は意図を測りかねる。
旭日「いや。ないけど……」
空山「蒼のお父さんにも?おばあちゃんにも?」
旭日「……うん」
空山「そっか」
空山は、ここで本当に嬉しいことを滲ませるように笑う。憧れていて、劣等感さえあった旭日のむき出しの感情に触れられたことに喜び、目を細める。
元の表情に戻り、続ける。
空山「分かった」
旭日「……なにが」
視線を逸らし、小さな声で答える旭日。
空山「いよう。一緒に」
旭日「……え」
空山「気分で、もういいやってならないで。ずっと一緒にいる」
旭日「……本気?」
空山「うん」
旭日「……」
しばらく黙って見つめ合った後、旭日は探るように続ける。
旭日「絶対?」
空山「絶対」
旭日「これから、毎日話してくれる?」
空山「もちろん」
旭日「もう話しかけないでって言わない?」
空山「言わないよ」
旭日「誰かに何か言われても。それで離れられたら、嫌だよ」
空山「うん。蒼が1番だよ」
旭日「……」
旭日は嬉しそうに、座ったままの姿勢で、そばに立っている空山を抱きしめる。
空山は驚き肩を跳ねさせるが、旭日は離そうとしない。
空山「ちょっ」
旭日「守る。破らない。離れないから。俺は絶対に諦めない。どんな手を使っても。一生」
空山「一生!?」
旭日「一生」
いきなり一生、と言われたことに驚く空山に、旭日はすぐ肯定するように続ける。
旭日の言葉を咀嚼し、空山は軽く旭日の背を抱き返し、ぽんぽんと叩く。
空山「……うん。がんばってみよう」
