「おはよ寧々!」
登校時間ぎりぎりに入って来た彼女に向けられた言葉に肩が跳ねた。
「おはよぉ〜」
クラスメイトにバレないようにひっそりと話題の中心人物である彼女、天宮 寧々(あまみや ねね)さんの方へ視線を向ける。
地毛だというミルクティー色のふんわりとした長い髪を揺らし、恐ろしい程に整った顔の頬を桜色に染めながら笑う彼女に異性だけじゃなく、同性である女子達もうっとりしていた。
噂によるとつい最近もモデル事務所からスカウトされたらしい。
相変わらず凄いな・・・。
容姿端麗であり勉強も運動もできてしまう彼女。それを鼻にかけることもせず、本人もお洒落やアニメなど幅広い趣味を持ってるためか誰とでも打ち解けてしまう人柄の良さ。
非の打ち所がないとはまさにこの事。どうやら天は二物を与えずという言葉は天宮さんには当てはまらない様子。
人気者である天宮さんと根暗でコミュ障な地味男だとある意味で目立ってしまっている僕、関口 空(せきぐち そら)は関わってはいけない者同士だと思う。
痛いほどに、自覚してるのに・・・、
(また、放課後ね?)
僕だけに伝わるように口を動かしながら普段周りに見せる天真爛漫な笑顔とは異なる、妖艶な笑みをこちらに向けて来るんだ。
未だに慣れないその笑みに、顔が信じられない勢いで熱を帯びたため慌てて読んでいた本で隠す。
周りにいた数人のクラスメイトは何事かと僕の奇行にドン引きしているんだろうけど仕方ない事だと思う・・・ッ!!
彼女の方からクスクスと鈴の音を転がしたような笑い声が聞こえてきたため耳まで熱くなってしまう。
関わってはいけない。それは分かってるけど、
彼女が僕に笑みを浮かべるのはきっと、
気の所為なんかじゃない。
「はぁ、」
僕は本で隠した机の上のスケッチブックに描かれた彼女の姿に、そっと指で触れてこの熱が早く下がりますようにと願った。
結構長引いちゃったな・・・。
放課後になり委員会の集まりを終え僕は特別棟にある第二美術室へと急ぐ。彼女はもう居るんだろうか・・・。
ただでさえ人を不快にさせるんだ。できるだけまともな格好を心掛けないと。
「ふぅ、」
美術室の扉の前で呼吸を整えてから目の前の扉を開ける。
「お待たせしちゃってすみません、─────天宮さん」
窓の外へと向けられていた顔がこちらへ振り返る。その動きだけでうるさい程に脈打つんだから重症だ。
「お疲れ様ー。委員会大変だね?」
くすくす、また彼女はあの笑みで笑うんだ。
平常心だと言い聞かせながら中央にあるキャンパスの元へ足を進める。そんな僕を天宮さんは窓に背を預けながら窓際の棚に腰掛け、見つめる。
正直その視線にはまだ慣れない。・・・僕が何を言ってるんだって話なんだけども。
「ここで自由にしてればいいんだよね?」
「は、はい。構図の指定などがある場合はこちらから声を掛けますので」
「はーい」
視線を外しケーキ屋を営んでいる僕の家から持ってきた焼き菓子に手を伸ばす天宮さん。その口元はほんの少し、緩んでいて喜んでいることが分かる。今回の差し入れも気に入ってくれたみたいで良かった。
僕も視線をキャンパスの方へと移動させる。
そこには視線を落とし綺麗な笑みを浮かべる天宮さんが描かれている。
うん、下描きはもうすぐで出来上がりそうだ。
僕が唯一自慢できること、
それは絵を描くのが好きなこと。
両親から聞けば物心がつく前からおもちゃよりもペンを持つことに喜んでたという。
何年も続けてきた事だからかありがたい事に賞をもらうことも増えてきて、芸術にも力を入れているこの学校には推薦枠で入学することができた。
僕だけが使える美術室があるのもありがたい。
本当に感謝すべき相手は天宮さんなんだけど・・・。
縁あってか僕の我儘に付き合って絵のモデルをしてくれている彼女。
正直引き受けてくれている理由は分からないんだけど、
『なら、差し入れにそのお菓子もっと頂戴?』
・・・そんなに僕の家のお菓子が気に入ったんだろうか。僕も好きだけど。
何はともあれ彼女が描ける今に感謝しないと。
天宮さんのことを考えると次々とイメージが湧いて筆が進むんだ。そして、完成させた絵よりも実物はもっと綺麗で儚げで・・・。
キャンパスに描ききれない悔しさもあるけど、そのおかげで日に日に上達している事が分かる。
前回のコンクールでも短期間での成長速度が素晴らしいという評価まで頂いた。また次へと繋がってるんだ。
そう、彼女は僕にとっての運命の人のような存在なんだ。
アートやデザインなどでインスピレーションを与える特定の人物のことをミューズと呼ぶけど、彼女は正しくそれ。
・・・やっぱりまだ納得できないな。
僕は下描き用の鉛筆を持ち、キャンパスと天宮さんを交互に見つめ修正を入れていく。
夕日の差し込むこの美術室に鉛筆の描き進める音と、時計が時間を刻む音だけが響く。
「─────、─────ん、・・・ぐちくん、・・・関口くん」
「っわ!」
頬にきた感触と自分の名を呼ぶ声にハッとする。
「あ、やっと気付いた~」
横から聞こえる声に視線を向ければ天宮さんが人差し指をこちらに向け首を傾げていた。
・・・頬の感触は天宮さんに突かれたからか。
「集中してるところごめんね?結構暗くなってきたしそろそろ声かけた方がいいかなって」
天宮さんの言葉に慌てて時計を探し現在の時刻を確認する。作業を始めてから数時間は経っており18時を過ぎていた。
「~っ!すみませんこんな時間まで!」
「いいよー今日バイトない日だし、明日は休日だしね」
そうは言ってくれるけど、女性をこんな時間まで僕の事情に付き合わせてしまったことが申し訳ない。
「今回も送ってくれるんでしょ?」
「それはもちろん!」
「ふふ、なら全然問題ないよ。にしてもさ~、気づかないもんなんだね?」
あまりにも自然な動きで前髪に触れるから驚いて肩が跳ねてしまう。
姉からよくもっとシャキッとしろ!と言われるが天宮さんが相手なら仕方ないじゃないか。
天宮さんは気にすることなく僕の伸びた前髪を耳にかける。
視線が開けたせいで彼女の綺麗な顔がよく見えて心臓に痛い。
「休日みたく髪まとめないの?前髪だって邪魔じゃない?」
「学校ではちょっと・・・。ピアスの穴は隠し切れないでしょうし目つきが怖いとよく言われますので・・・」
気を病んでいた時期に何個も耳に開けたピアス。学校では外してるけど近くに寄ればくっきりと穴が見えてしまうし指摘されるようなことがあれば面倒だ。
それ以上に父に似た瞳は昔から怖がられることが多い。特に絵に集中してるときは。
・・・天宮さんにも不快感を与えてはいないだろうか。
「ふーん今は私だけが知ってるんだ?いいねいいね。ふふ、さ、帰ろ?」
何故か上機嫌になった彼女は自分の鞄を持って僕の元へ寄る。
慌てて片付けを済ませ、学校を後にした。
「明日午後からシフト入ってるんだけど、関口くんも来るよね?」
天宮さんが言うのは彼女のバイト先であるカフェの話。放課後の他にもよくお店で描かせていただく事が多い。
僕が天宮と話すようになったきっかけもこのカフェだ。
「はい、お邪魔する予定です。・・・ただその後は」
「ただ?」
「そろそろ色塗りに移るので暫くは行けないかと・・・。息抜きにお邪魔はするかもですが」
「あー、それね店長が言ってたよ。よかったら二階のテラス席でそういった作業もしないかって」
「え?」
「これまでも来れない時期あったでしょ?それって色塗りとかの作業してるからじゃない?」
「そうです・・・」
「だよね。その間の店長、絵が見れなくてすごーく落ち込んでるの!見てるこっちが滅入るレベル!」
店長さんと言えば昔から僕の家のお店とよくしてくれて、何回か僕の絵も買ってくれている馴染みの人。
そこまで気に入ってくれていたなんて・・・。
「基本常連さんしか来ないし一席ぐらい貸せるよ、だって」
落ち着いた雰囲気に美味しいコーヒー、僕だってあのカフェが気に入ってる。
それに、色塗りの段階でも天宮さんが見れればより近い色を再現できる・・・。
「ありがとうございます。明日伺った時にお話を聞いてみようと思います」
「うんうん。そうして?私も君の絵好きだからね。そうなってくれたら嬉しいな」
「っ、」
またこの人は恥ずかしげもなくこう言うことを・・・。
彼女のこういうところはいつまでも慣れそうにない。
すっかり日が落ちた帰り道を歩く。
友達でも、恋人でもない、そんな関係も分からない二人で。
もう少しこの関係が続きますようにと願いながら。
僕は知らない。
絵に集中する僕を、
何時間もの間、
傍でじっと見つめる彼女の姿を。
これは、僕と運命の人の話。
登校時間ぎりぎりに入って来た彼女に向けられた言葉に肩が跳ねた。
「おはよぉ〜」
クラスメイトにバレないようにひっそりと話題の中心人物である彼女、天宮 寧々(あまみや ねね)さんの方へ視線を向ける。
地毛だというミルクティー色のふんわりとした長い髪を揺らし、恐ろしい程に整った顔の頬を桜色に染めながら笑う彼女に異性だけじゃなく、同性である女子達もうっとりしていた。
噂によるとつい最近もモデル事務所からスカウトされたらしい。
相変わらず凄いな・・・。
容姿端麗であり勉強も運動もできてしまう彼女。それを鼻にかけることもせず、本人もお洒落やアニメなど幅広い趣味を持ってるためか誰とでも打ち解けてしまう人柄の良さ。
非の打ち所がないとはまさにこの事。どうやら天は二物を与えずという言葉は天宮さんには当てはまらない様子。
人気者である天宮さんと根暗でコミュ障な地味男だとある意味で目立ってしまっている僕、関口 空(せきぐち そら)は関わってはいけない者同士だと思う。
痛いほどに、自覚してるのに・・・、
(また、放課後ね?)
僕だけに伝わるように口を動かしながら普段周りに見せる天真爛漫な笑顔とは異なる、妖艶な笑みをこちらに向けて来るんだ。
未だに慣れないその笑みに、顔が信じられない勢いで熱を帯びたため慌てて読んでいた本で隠す。
周りにいた数人のクラスメイトは何事かと僕の奇行にドン引きしているんだろうけど仕方ない事だと思う・・・ッ!!
彼女の方からクスクスと鈴の音を転がしたような笑い声が聞こえてきたため耳まで熱くなってしまう。
関わってはいけない。それは分かってるけど、
彼女が僕に笑みを浮かべるのはきっと、
気の所為なんかじゃない。
「はぁ、」
僕は本で隠した机の上のスケッチブックに描かれた彼女の姿に、そっと指で触れてこの熱が早く下がりますようにと願った。
結構長引いちゃったな・・・。
放課後になり委員会の集まりを終え僕は特別棟にある第二美術室へと急ぐ。彼女はもう居るんだろうか・・・。
ただでさえ人を不快にさせるんだ。できるだけまともな格好を心掛けないと。
「ふぅ、」
美術室の扉の前で呼吸を整えてから目の前の扉を開ける。
「お待たせしちゃってすみません、─────天宮さん」
窓の外へと向けられていた顔がこちらへ振り返る。その動きだけでうるさい程に脈打つんだから重症だ。
「お疲れ様ー。委員会大変だね?」
くすくす、また彼女はあの笑みで笑うんだ。
平常心だと言い聞かせながら中央にあるキャンパスの元へ足を進める。そんな僕を天宮さんは窓に背を預けながら窓際の棚に腰掛け、見つめる。
正直その視線にはまだ慣れない。・・・僕が何を言ってるんだって話なんだけども。
「ここで自由にしてればいいんだよね?」
「は、はい。構図の指定などがある場合はこちらから声を掛けますので」
「はーい」
視線を外しケーキ屋を営んでいる僕の家から持ってきた焼き菓子に手を伸ばす天宮さん。その口元はほんの少し、緩んでいて喜んでいることが分かる。今回の差し入れも気に入ってくれたみたいで良かった。
僕も視線をキャンパスの方へと移動させる。
そこには視線を落とし綺麗な笑みを浮かべる天宮さんが描かれている。
うん、下描きはもうすぐで出来上がりそうだ。
僕が唯一自慢できること、
それは絵を描くのが好きなこと。
両親から聞けば物心がつく前からおもちゃよりもペンを持つことに喜んでたという。
何年も続けてきた事だからかありがたい事に賞をもらうことも増えてきて、芸術にも力を入れているこの学校には推薦枠で入学することができた。
僕だけが使える美術室があるのもありがたい。
本当に感謝すべき相手は天宮さんなんだけど・・・。
縁あってか僕の我儘に付き合って絵のモデルをしてくれている彼女。
正直引き受けてくれている理由は分からないんだけど、
『なら、差し入れにそのお菓子もっと頂戴?』
・・・そんなに僕の家のお菓子が気に入ったんだろうか。僕も好きだけど。
何はともあれ彼女が描ける今に感謝しないと。
天宮さんのことを考えると次々とイメージが湧いて筆が進むんだ。そして、完成させた絵よりも実物はもっと綺麗で儚げで・・・。
キャンパスに描ききれない悔しさもあるけど、そのおかげで日に日に上達している事が分かる。
前回のコンクールでも短期間での成長速度が素晴らしいという評価まで頂いた。また次へと繋がってるんだ。
そう、彼女は僕にとっての運命の人のような存在なんだ。
アートやデザインなどでインスピレーションを与える特定の人物のことをミューズと呼ぶけど、彼女は正しくそれ。
・・・やっぱりまだ納得できないな。
僕は下描き用の鉛筆を持ち、キャンパスと天宮さんを交互に見つめ修正を入れていく。
夕日の差し込むこの美術室に鉛筆の描き進める音と、時計が時間を刻む音だけが響く。
「─────、─────ん、・・・ぐちくん、・・・関口くん」
「っわ!」
頬にきた感触と自分の名を呼ぶ声にハッとする。
「あ、やっと気付いた~」
横から聞こえる声に視線を向ければ天宮さんが人差し指をこちらに向け首を傾げていた。
・・・頬の感触は天宮さんに突かれたからか。
「集中してるところごめんね?結構暗くなってきたしそろそろ声かけた方がいいかなって」
天宮さんの言葉に慌てて時計を探し現在の時刻を確認する。作業を始めてから数時間は経っており18時を過ぎていた。
「~っ!すみませんこんな時間まで!」
「いいよー今日バイトない日だし、明日は休日だしね」
そうは言ってくれるけど、女性をこんな時間まで僕の事情に付き合わせてしまったことが申し訳ない。
「今回も送ってくれるんでしょ?」
「それはもちろん!」
「ふふ、なら全然問題ないよ。にしてもさ~、気づかないもんなんだね?」
あまりにも自然な動きで前髪に触れるから驚いて肩が跳ねてしまう。
姉からよくもっとシャキッとしろ!と言われるが天宮さんが相手なら仕方ないじゃないか。
天宮さんは気にすることなく僕の伸びた前髪を耳にかける。
視線が開けたせいで彼女の綺麗な顔がよく見えて心臓に痛い。
「休日みたく髪まとめないの?前髪だって邪魔じゃない?」
「学校ではちょっと・・・。ピアスの穴は隠し切れないでしょうし目つきが怖いとよく言われますので・・・」
気を病んでいた時期に何個も耳に開けたピアス。学校では外してるけど近くに寄ればくっきりと穴が見えてしまうし指摘されるようなことがあれば面倒だ。
それ以上に父に似た瞳は昔から怖がられることが多い。特に絵に集中してるときは。
・・・天宮さんにも不快感を与えてはいないだろうか。
「ふーん今は私だけが知ってるんだ?いいねいいね。ふふ、さ、帰ろ?」
何故か上機嫌になった彼女は自分の鞄を持って僕の元へ寄る。
慌てて片付けを済ませ、学校を後にした。
「明日午後からシフト入ってるんだけど、関口くんも来るよね?」
天宮さんが言うのは彼女のバイト先であるカフェの話。放課後の他にもよくお店で描かせていただく事が多い。
僕が天宮と話すようになったきっかけもこのカフェだ。
「はい、お邪魔する予定です。・・・ただその後は」
「ただ?」
「そろそろ色塗りに移るので暫くは行けないかと・・・。息抜きにお邪魔はするかもですが」
「あー、それね店長が言ってたよ。よかったら二階のテラス席でそういった作業もしないかって」
「え?」
「これまでも来れない時期あったでしょ?それって色塗りとかの作業してるからじゃない?」
「そうです・・・」
「だよね。その間の店長、絵が見れなくてすごーく落ち込んでるの!見てるこっちが滅入るレベル!」
店長さんと言えば昔から僕の家のお店とよくしてくれて、何回か僕の絵も買ってくれている馴染みの人。
そこまで気に入ってくれていたなんて・・・。
「基本常連さんしか来ないし一席ぐらい貸せるよ、だって」
落ち着いた雰囲気に美味しいコーヒー、僕だってあのカフェが気に入ってる。
それに、色塗りの段階でも天宮さんが見れればより近い色を再現できる・・・。
「ありがとうございます。明日伺った時にお話を聞いてみようと思います」
「うんうん。そうして?私も君の絵好きだからね。そうなってくれたら嬉しいな」
「っ、」
またこの人は恥ずかしげもなくこう言うことを・・・。
彼女のこういうところはいつまでも慣れそうにない。
すっかり日が落ちた帰り道を歩く。
友達でも、恋人でもない、そんな関係も分からない二人で。
もう少しこの関係が続きますようにと願いながら。
僕は知らない。
絵に集中する僕を、
何時間もの間、
傍でじっと見つめる彼女の姿を。
これは、僕と運命の人の話。


