土曜日の午前中、滞在中の福岡市内のホテルから歩が足を伸ばしたのは、中心部から電車を乗り継いで五十分ほどのところにある街である。観光地でもないこの場所にやってきたのはただの思いつきだ。
昔住んでいたある街が、日帰りで行ける距離だと知り、休みを利用して来てみた。
電車を降りるとコンビニと喫茶店が並ぶロータリーにタクシーが一台停まっている。人は少なく閑散としている。
ここにいたのは小学校四年生から五年にかけての一年足らずだと記憶している。
長い方ではなかったけれど他の街より鮮明に思い出せるのは、過ぎ去っていった友人の中で忘れられない人と出会った街だったからだ。
街は歩の記憶とさほど変わっていないように思えた。
肩に下げたデイパックをかけ直して、歩は駅前商店街を自宅があった方向へ歩き出した。
昨夜は夜遅くまで、ホテルの部屋で自分自身のことについて考えを巡らせていた。
諍いも波風もたたない穏やかな人間関係を求めた自分の、その気持ちがどこからくるものかなのか。
辿り着いた答えが、繰り返した転校と、ある苦い記憶だった。
この街にいた頃、歩には親友と呼べる友達がいた。今の自分の周りにいる上辺だけの付き合いではない、心から信頼していた相手だ。
貴文という同い年のその子は、同じバスケーチームに所属していた。
家が近所でバスケが好きだったことがあり、引っ越してきてすぐに仲良くなったのだ。
貴文とはよく喧嘩もした。殴り合う寸前までいったこともあるけれどそれで友情が途切れることはなく、ふたりはいつも一緒にいた。
『大きくなったらプロバスケットボール選手をめざそうぜ』
そう誓い合い、練習に励んだ。
けれど、無常にも再び父親が転勤になった。
あの時ほど泣いたことはない。
『手紙書くからな、絶対に約束忘れんな』
『お前こそ、練習サボんなよ!』
けれど、引っ越し先に落ち着いて一カ月後に書いた手紙への返事はこなかった……。
——思えば歩はあの時に、諦めの気持ちを知ったのだ。
どんなに硬い絆を結んだと思っても、距離ができれば人はすぐに忘れてしまう。
だから本当の友情を結んでも意味がない。ただその時その時を楽しく過ごせればそれでいい。
商店街を抜けるとアーケードの影がなくなる。途端に厳しい日差しに晒される。
目を細めてアスファルトを見つめながらだからなんだ、と心の中で毒づいた。
今更ここへ来たところでなにが変わるわけでもないのに。
ピー!っという笛の音にハッとして歩は顔を上げる。いつのまにか小学校の近くまで来ていた。歩が通っていた学校だ。
フェンスの向こうバスケットコートに十数人の小学生とコーチと思しき若い男性がいる。練習着に印字されたチーム名は、自分が所属していたミニバスケットボールチームのものだ。
「練習は終わり、暑くなる前に帰れー!」
懐かしくて立ち止まりフェンス越しに眺めていると、コーチが歩に気がついて歩み寄ってくる。
「こんにちは、保護者の方ですか?」
にこやかな笑みを浮かべてはいるけれど、フェンス越しに見ていたのを不審がられたのかもしれない。
適当に誤魔化しては、さらに不審を買うことになりかねないと思い、歩は正直に言うことにする。
「いえ、たまたま通りかかっただけです。僕も昔このチームに所属していたので、懐かしくなってしまって」
するとコーチは驚いたように眉を上げた。対面してみると思ったよりも若い。歩と同じくらいだろうか。
「……この学校の卒業生の方ですか?」
チーム自体は学校とは関係ない団体が運営している。けれど所属しているのはほとんどがこの小学校の児童だ。
「はい……あ、厳密には違うか。卒業はしてなくて、五年の時に転校したので」
するとそこでコーチの目が見開かれる。こちらに歩み寄りフェンス越しに歩の顔をまじまじと見た。
「あの……?」
「——もしかして、歩? 加藤歩?」
「え⁉︎」
いきなりフルネームを呼ばれて混乱する。が、その通りなので頷いた。
「そう、ですけど」
「うわー! マジで⁉︎ 俺だよ、貴文。敷島貴文! このチームで一緒だった!」
「え……? た、貴文?」
ガシッとフェンスを掴んで満面の笑みを浮かべる相手の顔を歩もじっと見る。
少し太い眉に切れ長の目が記憶の中の彼と繋がった。
「マジで? 貴文?」
信じられなかった。たった今ぼんやりと思い出していた本人が目の前に現れるなんて。
「わー! なんだよ。めっちゃびっくり。時間ある? ちょっと待ってて! すぐに行くから!」
あたふたと、子供たちに帰るように指示して、校門のところで再び会う。
お互いに時間があることを確認して、すぐそばの喫茶店に入ることになった。
「まさかと思ったけどマジかー、めっちゃ久しぶり。引っ越して以来だよな?」
「ああ、うん」
テンションが高い貴文に引き換え歩は戸惑っていた。いきなりの展開にまだ頭がついていかない。この街に彼がいるのはまったく不思議でないのだけど、まさか会うとは思わなかったから。
「こっちに帰ってきてたのかよ?」
「いや、出張で近くに来てて、懐かしくて来てみた」
「マジか、ラッキーだったな」
「貴文は?」
柄にもなく緊張してしまう。
昔の自分に戻ったみたいな居心地の悪さを感じるのは、言うまでもなく手紙の件が引っかかっているからだ。
「去年からあの小学校で教師をしてるんだ。で、バスケチームのコーチも引き受けた」
「そうなんだ。バスケまだやってたんだな」
「あたりまえだろ? 歩は?」
「俺も、社会人サークルで、まぁ気楽な感じだけど」
話をするうちに、緊張は解けていく。
ふいに貴文が声を落とした。
「あのさ、歩。手紙、返せなくて、ごめんな」
「え……?」
「絶対に返事書くって言ったのに」
「いや、それは、べつに」と口ごもる。胸が嫌なふうに疼いた。
「昔の話だろ、小学生なんだから忘れるの仕方がな……」
「違うんだ」
貴文が首を横に振った。
「歩が引っ越してすぐ俺の親も転勤になったんだ。すぐにタイに引っ越したんだよ」
「え、そうだったの?」
「うん。あっちに行ってすぐにそのことも手紙に書いたんだけどさ、タイ国内でも結構田舎の方だったから、エアメールが返って来ちゃって……。それで二年くらいで帰国して、もう一度手紙書いたんだけど宛名不明で戻ってきた」
「それはたぶん、俺の方が引っ越してたんだと思う」
意外な事実に驚きながら答えた。
「他のやつに聞いても歩の連絡先を知ってるやついなくて、あの時は泣いたなー」
心底残念そうに言う貴文に、歩の胸はじわじわとあたたかくなっていく。
「ほんっとごめん! ずっと気になってて」
「いや、貴文は悪くないじゃん。仕方がなかったんだし。でも、そうか……」
嬉しい気持ちが込み上げて、不覚にも泣きそうになってしまう。
もうとっくに忘れられていると思っていた。けれどそうではなかったのだ。
「いや〜嬉しい。でも歩あんまり変わってないな。まさかと思ったけど言ってよかったよ」
「俺も、会えてよかった。ずっと貴文に忘れられたのかと思ってたから」
歩の言葉に、貴文が噴き出した。
「忘れるわけないじゃん、お前みたいな熱苦しくて口うるさいやつ!」
「え? そ、そう……だっけ?」
「そうだよ! 覚えてないのかよ? 俺が六年と揉めて練習に行けなくなった時、毎日毎日家に来てさ『一緒に戦ってやるからバスケ止めんな!』って喚いてさ。俺がバスケ続けてるのは歩のおかげだよ」
貴文が懐かしそうに目を細めた。
「遊びの帰りに、あっちの坂道でペットボトルをその辺に捨てた時もめっちゃ怒られた。ちゃんとゴミ箱に捨てろーって。親友なんだからこのくらい見逃してくれてもいいだろ?って言ったら、『親友だから言ってるんだ!』ってさらに怒ってさ」
どちらもうっすら記憶にある。改めて聞くと、確かに熱くて口うるさい。歩は苦笑いした。
「なんか、ごめん」
「いや俺は嬉しかったよ。……うん。俺、歩に大切に思われてるなーって思ったもん。今、教師やってるじゃん? 今はいろいろうるさいし、児童にあれこれ説教するのは、自分としては面倒くさいんだよ。だけど、やっぱり近くにいられる大人の責任を果たすべきなんだよなとも思う。あの時の歩を思い出して、言うべきことはちゃんと言うことにしてる」
頬杖をついて貴文はにっと笑った。
その話を聞きながら、歩は思い出していた。
そうだった。
昔の自分は、親友がずるいことをするのが許せない熱いやつだった。
親友がいじめられて好きなバスケができなくなるのが許せなくて、六年に立ち向かっていったのだ。
自分の気持ちに正直で、嫌なことは嫌だとはっきり口に出していたのだ。まだ子供だったけれど、そうやって本音で付き合えば本当の友達になれると信じていた。
「今も相変わらずか?」
「いや、どうかな……」
環境がそうさせたというのは言い訳に過ぎない。
改めて今の自分との違いを突きつけられて自己嫌悪に陥るが、それでももうマイナスには捉えなかった。
それどころか、目の前が開けたように感じていた。
大切だった親友が自分のことを覚えていてくれたから。
「なー連絡先おしえろよ? 俺午後また学校に戻らないとダメなんだけど、もっとゆっくり話をしたい。いつまでこっちにいるの?」
「来週火曜には帰る。でも明日は予定がないから会える」
「おっし! じゃ飲みに行こうぜ。こっちのうまいもん出す店に連れてってやるよ」
お互いにスマホを出して連絡先を交換する。スマホに新たな連絡先が増えることなど、歩にとってはよくあること。幾度となく繰り返したことだけれど、今はとても大切に思えた。
次の日の予定をざっくりと確認してから喫茶店の前で別れた。
頭上に広がる雲ひとつない空のように心も晴れ晴れとしている。
現金なものでついさっきまではよそよそしく思っていたこの街が、自分にとって大切な懐かしい場所だと感じる。
今のこの気持ちを誰かに聞いてほしいと思った時、思い浮かぶのはやはり一華だった。
新しい一歩を踏み出し歩きはじめた彼女を追いかけて、自分もひとつ殻を破った。それを知ってほしい。
今日のことを、周囲に話せばだからなんだと言われるかもしれない。昔の友達が自分のことを覚えていてくれていた。大切な親友として思い出してくれていた、ただそれだけのことじゃないかと。
でも彼女なら、真剣に聞いてくれるだろう。歩の思いを汲み取って"よかったね"と一緒に喜んでくれるだろう。
なにより、今日ここへ来る気になったのは、彼女の姿勢をすぐそばで見ていたからたのだ。
——伝えたい。
胸にその思いが湧いてきた。彼女を知って自分に起きた変化を。それがどれだけ嬉しかったかを。そして彼女が自分にとってどれだけ大切なのかを。
驚かせ、戸惑わせてしまうだろう。
けれど、きちんと話をすれば彼女はきっとわかってくれる。少なくとも裏切りなどとは思わないはずだ。
そういえばさっき、貴文が言っていた坂はここから歩いていける場所にある。久しぶりに歩いてみよう。
そう思い軽い足取りで歩き出した。
昔住んでいたある街が、日帰りで行ける距離だと知り、休みを利用して来てみた。
電車を降りるとコンビニと喫茶店が並ぶロータリーにタクシーが一台停まっている。人は少なく閑散としている。
ここにいたのは小学校四年生から五年にかけての一年足らずだと記憶している。
長い方ではなかったけれど他の街より鮮明に思い出せるのは、過ぎ去っていった友人の中で忘れられない人と出会った街だったからだ。
街は歩の記憶とさほど変わっていないように思えた。
肩に下げたデイパックをかけ直して、歩は駅前商店街を自宅があった方向へ歩き出した。
昨夜は夜遅くまで、ホテルの部屋で自分自身のことについて考えを巡らせていた。
諍いも波風もたたない穏やかな人間関係を求めた自分の、その気持ちがどこからくるものかなのか。
辿り着いた答えが、繰り返した転校と、ある苦い記憶だった。
この街にいた頃、歩には親友と呼べる友達がいた。今の自分の周りにいる上辺だけの付き合いではない、心から信頼していた相手だ。
貴文という同い年のその子は、同じバスケーチームに所属していた。
家が近所でバスケが好きだったことがあり、引っ越してきてすぐに仲良くなったのだ。
貴文とはよく喧嘩もした。殴り合う寸前までいったこともあるけれどそれで友情が途切れることはなく、ふたりはいつも一緒にいた。
『大きくなったらプロバスケットボール選手をめざそうぜ』
そう誓い合い、練習に励んだ。
けれど、無常にも再び父親が転勤になった。
あの時ほど泣いたことはない。
『手紙書くからな、絶対に約束忘れんな』
『お前こそ、練習サボんなよ!』
けれど、引っ越し先に落ち着いて一カ月後に書いた手紙への返事はこなかった……。
——思えば歩はあの時に、諦めの気持ちを知ったのだ。
どんなに硬い絆を結んだと思っても、距離ができれば人はすぐに忘れてしまう。
だから本当の友情を結んでも意味がない。ただその時その時を楽しく過ごせればそれでいい。
商店街を抜けるとアーケードの影がなくなる。途端に厳しい日差しに晒される。
目を細めてアスファルトを見つめながらだからなんだ、と心の中で毒づいた。
今更ここへ来たところでなにが変わるわけでもないのに。
ピー!っという笛の音にハッとして歩は顔を上げる。いつのまにか小学校の近くまで来ていた。歩が通っていた学校だ。
フェンスの向こうバスケットコートに十数人の小学生とコーチと思しき若い男性がいる。練習着に印字されたチーム名は、自分が所属していたミニバスケットボールチームのものだ。
「練習は終わり、暑くなる前に帰れー!」
懐かしくて立ち止まりフェンス越しに眺めていると、コーチが歩に気がついて歩み寄ってくる。
「こんにちは、保護者の方ですか?」
にこやかな笑みを浮かべてはいるけれど、フェンス越しに見ていたのを不審がられたのかもしれない。
適当に誤魔化しては、さらに不審を買うことになりかねないと思い、歩は正直に言うことにする。
「いえ、たまたま通りかかっただけです。僕も昔このチームに所属していたので、懐かしくなってしまって」
するとコーチは驚いたように眉を上げた。対面してみると思ったよりも若い。歩と同じくらいだろうか。
「……この学校の卒業生の方ですか?」
チーム自体は学校とは関係ない団体が運営している。けれど所属しているのはほとんどがこの小学校の児童だ。
「はい……あ、厳密には違うか。卒業はしてなくて、五年の時に転校したので」
するとそこでコーチの目が見開かれる。こちらに歩み寄りフェンス越しに歩の顔をまじまじと見た。
「あの……?」
「——もしかして、歩? 加藤歩?」
「え⁉︎」
いきなりフルネームを呼ばれて混乱する。が、その通りなので頷いた。
「そう、ですけど」
「うわー! マジで⁉︎ 俺だよ、貴文。敷島貴文! このチームで一緒だった!」
「え……? た、貴文?」
ガシッとフェンスを掴んで満面の笑みを浮かべる相手の顔を歩もじっと見る。
少し太い眉に切れ長の目が記憶の中の彼と繋がった。
「マジで? 貴文?」
信じられなかった。たった今ぼんやりと思い出していた本人が目の前に現れるなんて。
「わー! なんだよ。めっちゃびっくり。時間ある? ちょっと待ってて! すぐに行くから!」
あたふたと、子供たちに帰るように指示して、校門のところで再び会う。
お互いに時間があることを確認して、すぐそばの喫茶店に入ることになった。
「まさかと思ったけどマジかー、めっちゃ久しぶり。引っ越して以来だよな?」
「ああ、うん」
テンションが高い貴文に引き換え歩は戸惑っていた。いきなりの展開にまだ頭がついていかない。この街に彼がいるのはまったく不思議でないのだけど、まさか会うとは思わなかったから。
「こっちに帰ってきてたのかよ?」
「いや、出張で近くに来てて、懐かしくて来てみた」
「マジか、ラッキーだったな」
「貴文は?」
柄にもなく緊張してしまう。
昔の自分に戻ったみたいな居心地の悪さを感じるのは、言うまでもなく手紙の件が引っかかっているからだ。
「去年からあの小学校で教師をしてるんだ。で、バスケチームのコーチも引き受けた」
「そうなんだ。バスケまだやってたんだな」
「あたりまえだろ? 歩は?」
「俺も、社会人サークルで、まぁ気楽な感じだけど」
話をするうちに、緊張は解けていく。
ふいに貴文が声を落とした。
「あのさ、歩。手紙、返せなくて、ごめんな」
「え……?」
「絶対に返事書くって言ったのに」
「いや、それは、べつに」と口ごもる。胸が嫌なふうに疼いた。
「昔の話だろ、小学生なんだから忘れるの仕方がな……」
「違うんだ」
貴文が首を横に振った。
「歩が引っ越してすぐ俺の親も転勤になったんだ。すぐにタイに引っ越したんだよ」
「え、そうだったの?」
「うん。あっちに行ってすぐにそのことも手紙に書いたんだけどさ、タイ国内でも結構田舎の方だったから、エアメールが返って来ちゃって……。それで二年くらいで帰国して、もう一度手紙書いたんだけど宛名不明で戻ってきた」
「それはたぶん、俺の方が引っ越してたんだと思う」
意外な事実に驚きながら答えた。
「他のやつに聞いても歩の連絡先を知ってるやついなくて、あの時は泣いたなー」
心底残念そうに言う貴文に、歩の胸はじわじわとあたたかくなっていく。
「ほんっとごめん! ずっと気になってて」
「いや、貴文は悪くないじゃん。仕方がなかったんだし。でも、そうか……」
嬉しい気持ちが込み上げて、不覚にも泣きそうになってしまう。
もうとっくに忘れられていると思っていた。けれどそうではなかったのだ。
「いや〜嬉しい。でも歩あんまり変わってないな。まさかと思ったけど言ってよかったよ」
「俺も、会えてよかった。ずっと貴文に忘れられたのかと思ってたから」
歩の言葉に、貴文が噴き出した。
「忘れるわけないじゃん、お前みたいな熱苦しくて口うるさいやつ!」
「え? そ、そう……だっけ?」
「そうだよ! 覚えてないのかよ? 俺が六年と揉めて練習に行けなくなった時、毎日毎日家に来てさ『一緒に戦ってやるからバスケ止めんな!』って喚いてさ。俺がバスケ続けてるのは歩のおかげだよ」
貴文が懐かしそうに目を細めた。
「遊びの帰りに、あっちの坂道でペットボトルをその辺に捨てた時もめっちゃ怒られた。ちゃんとゴミ箱に捨てろーって。親友なんだからこのくらい見逃してくれてもいいだろ?って言ったら、『親友だから言ってるんだ!』ってさらに怒ってさ」
どちらもうっすら記憶にある。改めて聞くと、確かに熱くて口うるさい。歩は苦笑いした。
「なんか、ごめん」
「いや俺は嬉しかったよ。……うん。俺、歩に大切に思われてるなーって思ったもん。今、教師やってるじゃん? 今はいろいろうるさいし、児童にあれこれ説教するのは、自分としては面倒くさいんだよ。だけど、やっぱり近くにいられる大人の責任を果たすべきなんだよなとも思う。あの時の歩を思い出して、言うべきことはちゃんと言うことにしてる」
頬杖をついて貴文はにっと笑った。
その話を聞きながら、歩は思い出していた。
そうだった。
昔の自分は、親友がずるいことをするのが許せない熱いやつだった。
親友がいじめられて好きなバスケができなくなるのが許せなくて、六年に立ち向かっていったのだ。
自分の気持ちに正直で、嫌なことは嫌だとはっきり口に出していたのだ。まだ子供だったけれど、そうやって本音で付き合えば本当の友達になれると信じていた。
「今も相変わらずか?」
「いや、どうかな……」
環境がそうさせたというのは言い訳に過ぎない。
改めて今の自分との違いを突きつけられて自己嫌悪に陥るが、それでももうマイナスには捉えなかった。
それどころか、目の前が開けたように感じていた。
大切だった親友が自分のことを覚えていてくれたから。
「なー連絡先おしえろよ? 俺午後また学校に戻らないとダメなんだけど、もっとゆっくり話をしたい。いつまでこっちにいるの?」
「来週火曜には帰る。でも明日は予定がないから会える」
「おっし! じゃ飲みに行こうぜ。こっちのうまいもん出す店に連れてってやるよ」
お互いにスマホを出して連絡先を交換する。スマホに新たな連絡先が増えることなど、歩にとってはよくあること。幾度となく繰り返したことだけれど、今はとても大切に思えた。
次の日の予定をざっくりと確認してから喫茶店の前で別れた。
頭上に広がる雲ひとつない空のように心も晴れ晴れとしている。
現金なものでついさっきまではよそよそしく思っていたこの街が、自分にとって大切な懐かしい場所だと感じる。
今のこの気持ちを誰かに聞いてほしいと思った時、思い浮かぶのはやはり一華だった。
新しい一歩を踏み出し歩きはじめた彼女を追いかけて、自分もひとつ殻を破った。それを知ってほしい。
今日のことを、周囲に話せばだからなんだと言われるかもしれない。昔の友達が自分のことを覚えていてくれていた。大切な親友として思い出してくれていた、ただそれだけのことじゃないかと。
でも彼女なら、真剣に聞いてくれるだろう。歩の思いを汲み取って"よかったね"と一緒に喜んでくれるだろう。
なにより、今日ここへ来る気になったのは、彼女の姿勢をすぐそばで見ていたからたのだ。
——伝えたい。
胸にその思いが湧いてきた。彼女を知って自分に起きた変化を。それがどれだけ嬉しかったかを。そして彼女が自分にとってどれだけ大切なのかを。
驚かせ、戸惑わせてしまうだろう。
けれど、きちんと話をすれば彼女はきっとわかってくれる。少なくとも裏切りなどとは思わないはずだ。
そういえばさっき、貴文が言っていた坂はここから歩いていける場所にある。久しぶりに歩いてみよう。
そう思い軽い足取りで歩き出した。



