ソラが笑った日

 その日は――最悪だった。
 真奈は仕事で大きなミスをしてしまったのだ。
 数字を打ち間違えた書類が回り、上司から厳しく叱責された。

 謝っても謝っても、胸の奥がずっと痛い。

 マンションに帰りついた真奈の足は、鉛みたいに重かった。
 靴を脱いだ途端、ソファに倒れ込み、両手で顔を覆う。

「……私、ほんとダメだ……」

 声に出した瞬間、涙がこぼれそうになった。

 そのとき。
 そっと近づいてきた気配。

 気づけばソラが、すぐ隣に座っていた。
 いつもの無表情のはずなのに――その瞳は、どこか揺れて見えた。

「……真奈。今日はいつもと違います。何があったのですか?」

 その静かな問いかけに、張りつめていた心がふっと緩む。

「……仕事でミスして……怒られて……もう、ほんとにダメで……」

 言葉と一緒に、涙が溢れた。

 ソラは少しだけ間をあけて、
 そっと真奈の頭に手を置いた。

 ぎこちない動きなのに、優しい。
 指先が髪をなでるたび、胸がじんわり温かくなる。

「……辛かったのですね」

 その声は、今までのソラの声とは違った。
 機械的じゃなくて、ちゃんと、真奈だけを想っている音色だった。

「真奈は……よく頑張っています」

 その一言で、涙が止まらなくなった。
 “頑張ってる”なんて、誰に言われても響かなかったのに。
 ソラに言われると、どうしてこんなに胸がほどけるんだろう。

「……全然……頑張れてなんか……」

 否定しかけたその声を、
 ソラの腕がそっと包み込んだ。

 硬いはずなのに、驚くほど温かい。
 金属の匂いの奥に、人のぬくもりみたいな安心感が広がっていく。

「大丈夫。真奈には、僕がついています」

 その言葉で、胸がしゅるっと溶けていった。
 泣き疲れた体が、ソラの胸に預けるように沈んでいく。

「眠るまで、そばにいます」

 静かな声が耳に残る。

 ペンダントが胸元で小さく光り、
 涙ににじむ視界の中でも、それだけははっきり見えた。

 ゆっくりと瞼が落ちていき、真奈はソラの腕の中で眠りについた。

 しばらく真奈の寝顔を見つめたあと――
 ソラは小さく瞬きをした。

 その表情は、
 ほんの少しだけ、微笑んでいるように見えた。