Dr.BEM~ペドフィリアは狂気なのか

エピローグ/リエのブラホック

 マコトの部屋。肩の傷から回復して帰宅したものの、彼の部屋には明かりが灯らない。そんな日が何日過ぎただろうか。もはや墓の中の様に淀んだ空気が充満した彼の部屋。しかしそんな日の夜、けたたましく錠が明けられる音がして空気をかき乱す人物が現れる。ベッドにうずくまっていたマコトが驚いて飛び起きた。乱暴にともされた室内の電灯に目を瞬きながら相手を見ると、その人物は大きなカバンを持ったリエだった。
「リエさん……」
「マコト先生。肩の怪我も治ったのに、この1か月間休診ってどういうわけ?」
「鍵が閉まってるのに……どうやって?」
「以前、事件の調査でマコト先生の部屋に出入りしている時に念のため合鍵を作っておいたのよ」
「念の為って……」
「とはいっても……」
 リエは大きなカバンを遠慮もなくドカッとフロアに転がした。
「マコト先生に誤射して懲戒処分やマコト先生への接近禁止命令もあって……ようやくそれも解けてドアにカギを差し込めたってわけ」
 リエは胡坐をかいて図々しく荷物を解き始めた。
「リエさん……いったい何してるんです!?」
「ところで、なんでマコト先生は撃たれてから1か月もくすぶってるわけ?子どもを救った英雄なのに……」
 リエはマコトの問いに構わず、荷物を解く手を休めない。仕方なくマコトはため息をつきながら重い口を開いた。
「英雄?そんなもんじゃないのは、リエさんよくご存じでしょう……だけど……あの時の高揚感は半端じゃなかった……気を失った女の子を抱き上げた時の感触……犯人の首を絞め彼の命が徐々に冷えあがっていく手ごたえ……」
 マコトは再びベッドに飛び込むと毛布をかぶった。
「どうしたの?」
「怖いんですよ」
「何が?」
「怪我の治療で入院中でもそうだったんですが、時々あの時の高揚感を渇望する断片が現れて……」
 実はリエは彼がこうなることはわかっていた。わかっていたのにも関わらず、あの時彼の狂気を解放させたのだ。毛布をかぶって震えるマコトを見つめながら、そんな自分の無責任な行為の代償を払う為に今ここに来ているのよと心の中で手を合わせていた。
 やがてマコトが毛布の中でつぶやいた。
「なぜあの時……肩なんかじゃなくて……犯人とともに僕の心臓を撃ち抜いてくれなかったんですか?」
 リエがマコトの被っている毛布をはぎ取って自分に正対させた。
「マコト先生の高揚感なんて知ったこっちゃないわよ。ただあの時は、マコト先生の鋭い推理で犯人を追いつめ、暴れた犯人に向けて撃った球が間違って先生にあたった。これがすべて!」
 目を背けようとするマコトの頬を両手で挟んで、リエは彼の視線を鷲掴みにした。
「ねえ、覚えている?前にマコト先生と喧嘩になったわよね。ペドフィリアは『独特な性癖』なのか狂気なのか」
「確かにそんなことが……」
「あらためてマコト先生に言うわ。ペドフィリアは狂気でもなんでもない!『独特な性癖』よ。そして『独特な性癖』ならコントロールできる」
「またその話か……」
「いいえ聞いて!ペドフィリア(思春期前の児童に対して性的に惹かれるセクシュアリティ/小児性愛)へのコントロールを失えばパラフィリア(性的興奮を得るための方法が、他者に苦痛・屈辱を与える)いわゆる狂気へと進化していくのは当然」
「だから、コントロールできないから苦しんでいるんだろう!」
「だけど、『独特な性癖』を狂気として忌み嫌うことなく、あなたが人間でありたいと思い続けるのであれば、確実にコントロールできるはず。『独特な性癖』に高揚感の渇望なんて偉ぶった表現は似合わない。」
 マコトは、必死に訴えるリエの瞳から逃れることができなかった。もう以前のように喧嘩する気も起きない。犯人捜査を通じてリエと様々ことを経験し共有しあった。性癖であろうが狂気であろうが、リエの語る理屈そのものよりも、自分の本質を知って受け入れてくれている人を今目の前にして、何を抗うことができようか。
「だから、私はここへ来たのよ」
「どういうこと?……」
 リエはマコトの不可解な表情にも無頓着に、今度は部屋着に着替えを始めた。
「あのねリエさん!前にも言おうと思ったんですけどね、僕は確かにペドフィリアだけど、成人女性に性的興奮しないというわけではないんですよ」
「あらそうなの」
 リエは着替えをやめようとしない。
「もし我慢できなくなってリエさんに迫ったらどうするんです?」
「気分が乗ればセックスすればいいじゃない」
「そんな……もし子供ができたらどうするんです」
「結婚して子どもを育てればいいじゃない」
 マコトが到底無理だと思っていた家庭という言葉が瞬間脳裏に浮かんだ。
「でも……もしその子どもに……」
「私たちのこどもに、父親以外の感情で近づいたら……そん時は間違いなく撃ち殺すわ」
 下着姿のリエが振返ってマコトを睨みつける。
 つまりリエは自分に人間として生きる環境を与えながら、自分が人間でありたいと思い続けるように見守る、いや監視するためにここへやってきたのか……。
 リエが下着姿でマコトのベッドに滑り込んだ。驚くマコト。
「ここんとこ満足に寝れていないの……少しここで寝かせて」
 リエは撃ち抜いた肩とは反対の彼の腕を自分の首に巻き付けて、彼の胸に顔をうずめた。マコトはそんな図々しく可愛いリエを受け入れながら彼女の顔を見つめていた。彼女は気持ちよさそうに口をムニュムニュしながら瞳を閉じている。
「ちょっと胸が苦しいわ。ブラのホック外してくれない?」
「えっ!?」
「大丈夫よ。殴らないから……」
 寝言とも独り言とも思えるような彼女のつぶやきを聴きながら、マコトはリエの言葉を信じたいと思った。たとえ殴られたとしても、それが彼の夢にまで見た普通の生活の始まりになるのだと。