Dr.BEM~ペドフィリアは狂気なのか

6.その言葉を聞いて、リエがマコトを思いっ切りぶん殴った

 「先生。お疲れ様です」
 11:00からの1回目の相談コーナーを終え、バックヤードでコーヒーを飲みながら休憩するマコトに、三室が声を掛けてきた。
 昨夜のリエのアドバイスが効いたのか、今日はバックヤードに居るスタッフたちと性善説で接していたので、リラックスした彼に声を掛けやすい雰囲気になっていたのだろう。
「先生、2回目は13:00からですから、どうです?ここのフードコートでブラックラーメン……ご一緒に昼食でもいきませんか?」
 リエにブラックラーメンを奪われて、枕を涙で濡らした昨夜を思うと魅力的な誘いではあったが、他人と食事をとることが苦手なマコトの口から出る答えはいつも同じだ。
「ええ、ありがとうございます。でも……自分はそんなにお腹すいていないので……」
 そう答えたものの、だったらなぜリエの誘いは断ることができないのか。
「そうですか……」
 一方、誘った三室は接待経費で昼食代が出せる機会を失って残念そうだった。
「市原先生。13:00の回ですが整理券は12:30から配布を始めます。もう配布カウンターで人が並んでますよ」
 安田がバックヤードにやってくるとマコトに次回の段取りを説明する。
「相談コーナーはいつも盛況で、このイベントの鉄板コンテンツだね」
 三室の言葉に安田がうなずきながらがマコトに問いかけた。
「日報に記入するんですが、今日はどんな相談が多いですか?」
「ここが痛い、あそこが痛いって自分の身体のことがほとんどですよ。ロコモ予防の啓発というよりは自分の診療所で診察しているようで思わず看護師を呼びそうになりました」
「次回からは若い女性の看護師さんでもつけましょうかね」
 下ネタに近い三室の返事に安田も笑い出したが、すぐに医療従事者には笑えない冗談だと気ずき、あわてて口を噤んだ。バックヤードに気まずい空気が流れたが、すぐに吉岡がバックヤードに入ってきて彼らを救ってくれた。吉岡は不満顔で安田に報告を始める。
「さっき施設の担当が来て無理難題押しつけ帰っていきましたよ。担当が言うには……」
「ちょっと待て。先生の前で細かい話は失礼だろ。場所を変えて……」
 営業らしい三室の指摘に、マコトが笑顔で答える。
「いやいや、続けてください。モールで買いたいものがあるのでちょっと席を外します……」
「どうもすみません」
 三室達からの言葉を受けながら、マコトは席を立ち財布を探すフリをして彼らの会話に耳をそばだてた。
「で、どうしたの?」
 安田の問いに吉岡が口をへの字にして答える。
「明日の撤収時間ですけど、次の催事の準備があるので、23:00までに終わらせてくれって」
「おいおい、撤収開始できるのが21:00からだから2時間で終わらせろってこと?」
 三室が声を荒げるが、実際のところ三室は営業でイベントが終わり次第帰京するので撤収にはかかわらない。まさに第三者の偽善的な憤慨というやつだが、吉岡と安田に関して言えばそうはいかない。彼らは撤収の最後まで作業をするのだから当事者として困惑するのは当然のことだった。
 バックヤードを出ながら背中越しに聞こえる三人の話しに、マコトは単にイベントの仕事と言っても、いろんなことに対応が必要なんだなぁとこのスタッフたちに同情せざるを得なかった。
「とりあえず、東濃運輸の牧さんに連絡して段取りを考えてもらおうか……」
 ふいにマコトの知らない人物の名前が安田の口から聞こえた。彼の足が思わず止まる。マコトは踵を返すとものすごい形相で安田に詰め寄った。
「ち、ちょっと安田さん!その東濃運輸の牧さんというのは誰?」
「えっ?……」
 安田は何かまずいことを言ってしまったのだろうかと逡巡した。
「だから、東濃運輸の牧さんってのは、このイベントにどうかかわっているのですか?」
 マコトの勢いに戸惑って声が出ない安田に替わって三室が答えた。
「東濃運輸はこのイベントの展示セットや什器、展示コンテツの保管と運送を担当していて……各地では運送とともに設営や撤去を手伝ってもらってるんですよ」
「このイベントを実施する時はいつも東濃運輸が携わっているのですか?」
 続けざまなマコトの問いに安田が落ち着きを取り戻して答える。
「ええ、東濃運輸の牧さんとアシスタントの荒川くんがいつも担当してくれてます」
「設営が終わったら彼らはどうしてるの?一度帰京するの?」
「いやそんな不効率的なことはしませんよ。木曜の夜設営が終わったら、トラックを近くに留めて撤収の日曜の夜までこのあたりに滞在して待機してるんです」
「その人たちの滞在先は?」
 安田が付箋にホテル名を書くと、マコトはそれをひったくるように奪い取った。
「東農運輸に用があるなら今すぐ牧さんに連絡できますよ」
 スマホを取り出す安田を見ながらマコトは考えた。もし彼が犯人だったとしたら、拙速な直接連絡は逮捕の障害になりかねないのでは……。
「ありがとう……結構です!」
 マコトはそう言い残すとバックヤードから飛び出していった。
 バックヤードに残された3人はあきれたように顔を見合わせる。
「あの勢いは、ちょっと買い物して帰ってくるって感じじゃないよな?」
 誰に尋ねるでもなく三室が言った。
「次の回の整理券を配るの……どうしよう……」
 安田のつぶやきを合図に、残された3人はそれぞれの顔を見合わせるしかなかった。
 
 マコトに急にモールのタクシー乗り場に呼び出されたリエ。タクシーに乗り込みながらリエが言った。
「どういうこと、マコト先生?」
「僕たちがマークしていた人物に漏れがあったのです」
 マコトは先ほど知った情報をリエに説明した。
「彼らなら昨日下見をして今日犯行に及び時間的余裕はたっぷりある。もし彼らのどちらかが犯人なら、他の地域での犯行パターンを考えると、時間的に言ってすでに狩りに出ている可能性が高いです」
「つまりそのホテルにいないで所在の不明な人間が犯人ってことなの?」
「断定はできませんが……こちらに監視要員を回せませんか?」
 リエが高岡に連絡をした。電話口で何度か頷くと、いったんスマホを切ってLINEの電話に切りかえてスピーカにした。LINEの画面に高岡の顔が映っていた。
『市原先生、状況はわかりました。しかし現状の少ない情報では他の容疑者の監視を解くわけにはいきません。それに市内へ泊まっていた石津が朝から車を借りて市外へ移動していて、そのマークに人員を使っています。だから今そちらに回せる要員がいないのです。今の状況で他の監視を剥がして、賭けに出るわけにはいかないのです』
「……ってことだから、マコト先生と私で行くしかないわね。チーム長、このLINE回線は切らないのでSNS上で同行してください」
『わかった……しかし同行する市原先生の安全確保は頼むぜ』
「大丈夫ですよ。そのために銃を持たせてくれたんでしょ、チーム長」
 リエが嬉しそうに背中の右側下部あたりをたたく。
 リエたちのタクシーが目的地に到着した。ホテルは古びた旅館風なビジネスホテル。確かに前の広い駐車場に東農運輸の大型トラックが留まっていた。
 リエは早速ホテルのフロントに飛び込むと東農運輸のチェックインを確認した。東農運輸はツインの部屋にチェックインしていて、鍵はフロントに戻っていないという。つまり現在部屋にいるということだ。
『と言うことは……もし二人とも部屋に居たら犯人の可能性は薄いってことになるな』
 LINEの高岡の言葉にマコトが反応する。
「逆に、どちらかが不在だったらそいつが……」
「すぐ確認しましょう!」
 せっかちなリエを制止する高岡。
『待て!二人とも共犯って可能性もある。下手に確認したら、不在の方に連絡が行ってしまい動きが変わってしまう可能性があるぞ』
 高岡の指摘にしばし口を閉ざすふたり。しかし、ここはやはり考えるより行動派のリエ。おもむろにフロントの電話を取るとその部屋に電話を掛ける。
 『はい』
 中年の男性の声が聞こえてきた。
「お休みのところ申し訳ございません。フロントでございます。只今フロントにスマートフォンのお忘れ物が届いておりまして、お客様に確認させていただいております」
『スマホ?……』
 電話口で何かを探す音がしていた。
『ああ、あった……自分のはあります』
「左様ですか、お休みのところ失礼いたしました。ちなみにご同室のお方はいかがでしょうか?」
『今外出しているのでわからないなぁ』
 リエの身体が硬直し、傍で耳を寄せて聞くマコトの膝が震え始めた。
「そうですか……ではあらためてご連絡させていただきます。失礼ですがお電話に出ていただきましたお客様は……」
『牧です』
「ありがとうございました」

 電話を切ったリエ。傍で聞いていたマコトがホテルから飛び出ようとするのを、リエが慌てて止めた。
「どこ行くの?マコト先生!」
「どこって、外出してるやつを探しへ行くにきまってるじゃないか!もう狩りは始まってるんだ!」
「でも……探すって言ったって、どうやって?」
 その時、LINEの高岡の声がする。
『今、石津を追っている部下から連絡があった。石津の行き先は郊外のゴルフ場だった。出張の時間を盗んでゴルフを楽しもうって腹のようだ』
「何だよ、間際らしい!」
 マコトの叫び声の傍ら、リエが冷静に応答する。
「高岡さん。こっちの捜索に人員をよこしてもらえますよね」
 冷静なリエに反しマコトの叫びは終わらない。
「だめだよ、応援が来てから探し始めるんじゃ、犯人のお楽しみは終わってしまうじゃないか……」
「そんなこと言っても、行き先がわからないのでは県警からの応援を待って広域捜査するしかないじゃない」
『たしかにな……』
 高岡の返事に、しばらく腕組をしていたマコトだが途方に暮れるリエを見つめて言った。
「リエさん、しばらくLINEの回線切ってもらえます」
 リエはマコトの突然の申し出に驚きながらも、彼の思いつめた様子に押され言うがままに従った。
 『えっ?どうし……』
 驚く高岡の声も半ばで切れた。

 マコトは戸惑うリエの腕を取ると、危険なくらい顔を近づける。そしてその口元に薄笑いを浮かべながら彼女に語り掛けた。
「今頃犯人は小さな子供の姿をとらえてよだれを流しているでしょうね。いや、もうすでに新鮮な素肌に触れて悦にいっているかもしれない」
 リエはマコトの瞳を見つめた。彼の突然の変貌。その瞳には狂気のガスが徐々に充満していくようだった。
「今、このあたりで子どもを捉えている犯人が怪物だとしたら、実は僕も怪物であることは、リエさんもご存知ですよね?……」
「なによ、いきなり!」
 マコトから発せられる尋常ならざる闇のオーラから、リエは身をもがいて逃れようとした。しかしこんな力がどこにあったのだろう。マコトはリエを離そうとしなかった。
「そんな怪物、つまり自分の前に突然、リエさん、あなたが現れた……」
「ちょっと待ってよ……マコト先生、どうしちゃったの……」
「あなたは……自分の怪物を覆い隠すことに自分の人生の大半を費やしてきた僕に、自分の怪物性をあらわにしろと迫った。そして僕に……同類を追って狩ることで、自分の人間性を取り戻すことができるのではないかと信じ込ませた」
「そんなこと……してないわよ!」
「正直に言えば……そんな僕にとっては、今犯人が捕らえているこどものことなんか興味はないんです。ただ、自分は少しでも普通の人間に近づきたい。つまり、子どもを捕えている化け物の首を獲ることしか頭にない。それがいまはっきりとわかったんです」
 追い込まれたこの男はついに狂気に溺れたのか。マコトの暴力的なエネルギーを止めなくては……。リエは利き手の拳を固めた。
「リエさん。犯人が子どもを捕えることを楽しんでいるなら、僕は怪物狩りを楽しみたい。応援なんか待ってられませんよ」
 マコトの口角の上がった口元から一滴のよだれが光った。いよいよ狂気にかられたマコトの顎に拳をぶち込もうと腹筋に力を込めたリエ。しかし突然閃いた考えでその拳を解いた。
「わかったわ……あなたは……どうやって犯人を狩るつもり?」
 リエの問いにマコトは瞼を閉じた。そして再びゆっくりと開くと、驚いたことに彼のひとみの色が褐色に変わっていた。マコトは絞り出すように声を出し始めた。それは未だかってリエの聞いたことがないような声色だった。ついにマコトの怪物性が完全解放されたのだ。
「怪物を狩るには、そのルーティーンを推理すれば簡単に追える」
「ルーティーン?」
「ああ、犯人はことを始める前には、まず一番必要なものを手に入れる」
 口角を挙げてゆがんだ笑顔で答えるマコト。リエはその表情に野獣の匂いを感じて眉をしかめる。だがしかし、彼の暴力的な狩りを止めるどころか、けしかけているのは自分だ。自分が彼の狂気を増長させている。マコトが我に返った時、怪物を解放してしまった彼を襲う後悔と苦悩はリエの想像をはるかに越えるものとなるに違いない。その時は彼の傍にいて、自分はどんな罰でも受けると心の中で手を合わせた。
「一番必要なものってなんなの?」
「わからないの?……子どもを求めて走り回り、発見したら捕獲して、いたぶり尽くしたら、足がつかぬようにその残骸を遠くに遺棄する。それには広範囲な機動性が不可欠だ。一番必要なものは……車だよ」
「車?レンタカーで借りるの?」
「ばかな、怪物はね、自分が特定されるようなことは当然避けるでしょう。レンタカーでは借りる時に営業所で自分の顔がわれてしまう」
「だったら……」
「シェアカーだよ。シェアカーなら顔も見られず好きな時間に借りたり返却したりできる」
「そうか……だったら、シェアカー会社に犯人の登録を問い合わせて、借りた車をGPSで追えば居場所が……」
 そのリエの言葉に怪物マコトが高らかに笑い声を立てた。
「怪物が本名で登録すると思うか?シェアカーの利用登録は偽造した免許証と他人名義のクレジットカードで簡単にできるんだよ」
 なるほど……だが、そうすると結局、今すぐに犯人の足取りを追う術はなくなる。リエは絶望の海に沈みそうだった。
「それじゃ結局犯人を追えないじゃない!」
 叫ぶリエを怪物マコトは見下したような目で見ながら言葉を続ける。
「でも……狩は難しいほど楽しさがますってもんだ。せっかくの獲物を僕が逃すわけないだろう」
 怪物マコトはリエの身体を離しながら自慢げに語りはじめた。それが、彼に一瞬のスキを作ることになる。そんなことを忘れるほどマコトは有頂天になっていたのだ。
「いいか。このエリアで今シェアカーを借りている中から、県外の免許で登録している者を調べさせろ。名前は偽造でも犯行に合わせて免許の登録住所を変えるなんて暇な怪物はいない。そいつをGPSで追っかけて、人まばらな郊外にいる車。それがそいつの居場所なんだよ」
 その言葉を聞いて、リエがマコトを思いっ切りぶん殴った。怪物マコトは地面にたたきつけられて気絶する。リエはそんな彼に構わずLINEを復活させて高岡に調査の依頼をした。結果はすぐに帰ってきた。幸いにも該当する車は1台だ。リエはホテルの車を借りると、今だ気絶しているマコトを抱え込んで車に乗り込んだ。