その後、由樹子は飲み会に誘われなくなった。
あの夜あの場にいた6人以外の「よく会うメンツ」も、何となく彼女を避けるようになった。
特に男子からは忌避されているのが肌で感じられるレベルだった。
文也を初めとする男子組から、「アイツはヤバいから絡むな」程度の話は出回っているのかもしない。
佐恵や可南美はランチを一緒に食べたり、休日に遊んだりすることはあったが、由樹子抜きの飲み会に行っているようだ。
***
後で分かったことだが、文也の父親が、まさにそういう冤罪の犠牲者になったことがある。
父親に横恋慕していたが相手にされなかった若い事務員が、それこそ由樹子の妄想のようなことを実行したのだ。
父親は「俺は何もしていない!」と身の潔白を訴えたが、女性が一言「やられた」といえば、それだけが動かぬ証拠のように扱われた。昔の話だが、こういった事情は今でも――令和の世になっても、あまり変わらないかもしれない。
事務員の「大ごとにしたくない」という、よく考えると意味の分からない“温情”により、警察沙汰にこそならなかったが、父親は会社内で針のむしろ状態になり、家庭では母親の自殺未遂騒動もあった。
結局、父親を心の底から信じられなかった母親が去っていき、文也は訳が分からないまま、小学校5年生のときから父と二人暮らしになった。
精神的に不安定になった母親に、子供を連れて出るという選択肢はなかったようだ。
最初のうちは、「どうしてお母さんいなくなっちゃったの?」と父親に尋ねていたが、困った顔をして「そのうち話す」と言うだけだった。
母がいない寂しさはあったものの、幸いもともと関係のよかった父親との生活は、そう悪いものではなかった。
文也が高校生になったタイミングで、父が母との離婚の真相を話してくれた。
文也はそれこそ一方的に父の言葉を信じたので、事務員の女を憎み、父を信じて支えなかった母を恨んだ。
といっても、それをもって女性全体に嫌悪を抱くほどにはならなかった。
しかし、虫も殺さないような顔をした由樹子が、そう罪悪感もなさそうに冤罪計画を語る様子を見て、トラウマスイッチが押されてしまったというか、歯止めが利かないほどの怒りを覚えた。
その瞬間、顔を見たこともない事務員や、自分を捨てて家を出た母親のことを思い出したのかもしれない。
***
由樹子はその後、自分の軽率さを反省、というより後悔した。
それでも、「私は万引きも料金ごまかしも、売春(未遂)も生き物殺し(過失)もしてないのに……」と、どこかひっかかるものを捨てきれない。
まず、心の中で何を考えようと罰せられない。
いわゆる「内心の自由」は、日本国憲法第19条で「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」という形で保障されている。
これは「他人の内心に踏み込んではいけない」という意味であり、実際に胸の内を口にすることや、それに対して「不愉快だ」「許せない」と言う自由もまた、憲法第21条で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」とされている。
ただし、言った人間に対して危害を加えたり、人格攻撃をしたりすれば、それはまた別の被害・加害関係が発生するだけである。
文也が由樹子に言い放った「自殺しろ」的な発言はまさにそれだし、実際彼も後悔はした。
しかし発言は汗と一緒で、一度外に出てしまったら、もう引っ込めることはできない。
最近、こんな「当たり前」を分かっていない人々が、SNSなどで盛大にやらかしているなあと感じるのは、筆者だけではないと思う。
【了】



