第一話【朗報】中間テスト爆死で不甲斐ないわたしのために、かわいくて賢い妹が最高にかわいい手作り教材をプレゼントしてくれました
……やっばーい。智実(さとみ)から絶対お説教されちゃう。今日はおウチに帰りたくないよぉー。
五月下旬のある水曜日。北摂のとあるそれなりの府立進学校、豊中丘高校一年三組の教室にて利川智果(としかわ さとか)は眺めた途端にしょんぼりした。
本日帰りのSHRで今しがた、クラス担任から一学期中間テスト個人成績表が配布されたのだ。
中学の頃はずっと学年上位一割付近だったけど、この高校じゃ平均未満かぁ。まあわたし、高校入ってからソシャゲとかにも嵌っちゃって勉強怠け気味だったから自業自得だよね。
智果は己の不甲斐なさ至らなさをひしひしと痛感する。彼女の総合得点学年順位は全八クラス三一六人中、一九五位だった。そんなわけで放課後、夕方六時頃。智果は数少ない親友と本屋などに寄り道して別れたあと、独りで重い足取りで、憂鬱な気分で閑静な高級住宅街に佇む自宅への帰り道を歩き進んでいくのだった。
そんな智果は、背丈は一五一センチくらい。丸っこいお顔、くりくりした目、ほんのり栗色なおかっぱ頭をいつもメロンなどのチャーム付きダブルリボンで飾り、小学生に間違えられても、いやむしろ女子高生に見られる方がもっと不思議なくらいあどけない風貌なのだ。
☆
「おかえり智果お姉さん、個人成績表配られた?」
「……うん」
「ほなはよ見せて」
「分かった、分かった」
帰宅後、智果は個人成績表をリビングでソファーに腰掛け、夕方アニメを観ながらくつろいでいた先週十一歳になったばかりの妹、智実にしぶしぶ恐る恐る見せてあげると、
「智果お姉さん、順位低過ぎっ! もっと本気で勉強しなきゃ、ダメでしょっ!」
案の定、ぷんぷん顔で説教されてしまった。彼女の妹は姉思いなのだ。
「智実、まだ下に百二十人以上もいるし、そんなに低くはないでしょ?」
「智果お姉さんはうち似で体育とか音楽とかの実技系が超苦手なんやから、ペーパーテストくらいはもっともっと良い成績取らなきゃダメなのっ! いい成績とって京大以上の大学入らなきゃ、高田ふー〇んにディスられるよ」
「智実、Wa〇atte.TVに影響され過ぎ」
「私文なんかに行ってもいいのは、大学ブランドに頼らなくても輝かしい人生を歩めるきらきらした陽キャだけなんだよ。智果お姉さんやうちみたいな地味な子は大学ブランドが必要なんよ」
「そんなもんかなぁ?」
「そんなもんだよ。ところで智果お姉さん、うちとの約束は覚えていますか?」
「えっ、なんか約束してたっけ?」
「とぼけたって無駄やで。証拠はちゃぁんと残しとるんやから」
智実はにやけ顔でそう告げたあと、マイスマホを智果の眼前にかざすと同時に音声データの再生アイコンをタップする。
『智史お姉さん、今度の中間の総合順位、もし真ん中以下やったら、お仕置きとして、お尻叩きをさせて下さい』
『分かった。好きなだけ叩かせてあげるよ。まあ、さすがに真ん中以下になることは、まずないと思うけどね』
こんな音声が流れたあと、
「このことだよー♪」
智実はニカッと微笑みかけてくる。
「……録音、してたんだ。いつの間に……」
智果の顔は引き攣った。彼女はあのやり取りをしっかりと覚えていたのだ。
「ふふふ、言い逃れ出来ひんようにこれくらい対策済みよ」
智実は得意げにウィンクした。そんな彼女は学校で “まんがクラブ”に所属し、サブカル趣味にのめり込みながらも学業はずっと優秀で、彼女の通う名門私立女子小学校、箕面聖母国際女学院小学部においても成績上位層だ。
小学五年生ながら高校過程も自力で先取り学習し、もうずいぶん前から智果を凌ぐ学力水準である。智果の真似ばかりしたがって、お勉強も智果の真似をしているうちにやがて追い抜いてしまったという経緯だ。就学前からすでに小学校で公に習う学習内容は大方マスターしていた。背丈は一四〇センチあるかないか。黒髪お団子結び、丸顔丸眼鏡、一文字眉ぱっちり垂れ目な見た目は地味系眼鏡っ娘って感じの幼顔だ。
幼児期からの趣味の絵もかなり上手く、将来の夢は漫画家。他にイラストレーター、声優、ラノベ作家にもなりたいなぁっとも思い描いてるみたい。
「智実、中学の時とは〝母集団〟が違うでしょ。わたしが通ってる高校、勉強出来る子ばかりが集まって来てるんだから、わたしの順位が相対的に落ちるのは当たり前でしょ」
「見苦しい言い訳ね。中学の頃は智果お姉さんとそんなに大きくは成績変わらんかった伸英(のぶえ)お姉さんは、今回は智果お姉さんよりずっとええ点取ってたから学年順位もけっこう上位やろ?」
焦り顔で弱々しく反論する智果に、智実は得意げな表情で反論し返す。
「確かに。総合二十一位だったし。でも伸英ちゃんも、智実と同じでわたしとは地頭が違うから、難易度が中学の時とはわけが違う高校のテストでは、大きく差がついたのは仕方ないことだと思うんだけど……」
智果は迷惑そうに言い訳した。
伸英ちゃん、フルネームは延山(のぶやま)伸英。智果のおウチのすぐ近所、三軒隣に住む同い年の幼馴染だ。学校も幼小中高ずっと同じ。お互い同じ高校を選んだのは、家から一番近いそれなりの進学校だからというのが最たる理由だった。
「伸英お姉さんは周りが勉強出来る子ばかりで授業の進度も速いから、落ちこぼれないように頑張らなきゃ。智果お姉さんは進学校だから順位が落ちるのは仕方ないこと。その考え方の違いが今回の結果を招いたんよ。恥を知りなさい」
「はい、はい」
「では、今から叩くので、四つん這いのポーズをお願いします」
「智実、優しくしてね」
智果は苦笑いを浮かべ、言われたとおりにしてあげる。
「じゃあ、叩きますよ」
智実は智果のスカートを捲り、手のひらをパーにして、かわいらしいフルーツ柄のショーツ越しに、
ペチンッ!
「ひゃっ!」
ペチンッ!
「ひっ!」
ペチンッ!
「んっ!」
と計三発叩いた。
叩く度に智果は思わず悲鳴。
「これにてお仕置き終了です♪」
「思ったよりは、優しくしてくれてありがとう」
「思いっ切り叩くとうちも痛いからね。智果お姉さん、もし、期末テストも順位が百位以下だったら……」
「だったらどうするつもりなの?」
「あの……ちょっと言いにくいんだけど……」
「何かな? 何でも遠慮せずに言ってね」
「その……ヌードモデルに、なって下さい!」
「……そっ、それはさすがにダメだよ。恥ずかしいし」
智果はてへへっと笑う。
「うち、智果お姉さんの裸が描きたいの。智果お姉さんの裸をいっぱい描いて、もっともっと絵が上手くなりたいの」
頬をほんのり赤らめた智実にうるうるとした瞳でお願いされ、
「分かった、分かった」
智果はついつい条件を飲んでしまった。
「やったぁ、約束だよ♪ でも、出来ればそうならないように、智果お姉さんには頑張って欲しいな♪」
智実はにこーっと微笑む。
「うっ、うん」
智果は苦笑い。
そんな時、
ピンポーン♪
と玄関チャイム音が。
「伸英お姉さんかな? 智果お姉さん、うちが出るね」
智実はそう言い残してリビングを出て、玄関先へ向かっていった。
「こんばんはー、智実ちゃん」
訪れて来たのは、智実の予想通り伸英だった。面長ぱっちり垂れ目、細長八の字眉。ほんのり栗色な髪を小さく巻いて、フルーツのチャーム付きシュシュで二つ結びにしているのがいつものヘアスタイル。背丈は一五五センチくらいで、おっとりのんびりとした雰囲気の子なのだ。学校がある日は毎朝八時頃に智果を迎えに来てくれる。つまり登校もいっしょにしてくれているのだ。さらに芸術選択で共に書道を選んだのが功を奏したか、クラスも今は同じである。
「こんばんは伸英お姉さん、困った顔してどうかしたのかな?」
「あのっ、智実ちゃん。智果ちゃんに酷い成績を取らせちゃってごめんね。私の教え方が悪かったみたいで」
「伸英お姉さんは全然気にせんでええんよ。テスト前でもメリハリつけんとラノベやマンガやアニメ雑誌ばっかり読んで、深夜アニメの録画もがっつり観て勉強サボった智果お姉さんが悪いんやから」
自責の念に駆られていた伸英を、智実は爽やか笑顔で慰めてあげる。
伸英はとても心優しい子なのだ。
……智実、別にそういうことまでは伝えなくていいでしょ。
二人の会話が自然に耳に飛び込んで来た智果は、やや呆れ顔。
「その誘惑に負けちゃうのは、仕方ないことだと思うけどなぁ」
「伸英お姉さんは甘いよ」
「そうかなぁ。それじゃ智実ちゃん、ではまた」
「ばいばい伸英お姉さん」
これにて別れを告げて、智実は再びリビングへ。
「伸英ちゃんのためにも、わたし、期末は頑張るよ」
「智果お姉さん、頑張ってね。じつはうちね、不甲斐ない智果お姉さんのために、丹精込めて最適なかわいい学習教材を作ってあげたよ」
「そうなんだ! どんな教材なのか楽しみだなぁ」
こうして、智果は智実の自室に招かれることに。フローリング仕様で広さは七帖。窓際の学習机の上は学用品、おしゃれなデザインのノートパソコンが勉強しやすいようきれいに整理整頓され几帳面さが窺えた。机棚にはチョコやケーキ、ドーナッツなどを模ったスクイーズやシロクマ、ウサギ、リス、ネコ、オオサンショウウオといった可愛らしい動物のぬいぐるみもたくさん飾られ、机備えの本立てには教科書・副読本類の他、絵本や児童書が並べられていて普通の女の子らしいお部屋だなぁ。と思われるだろう。だが、机以外の場所に目を移すとアニヲタ趣味を窺わせるグッズが所狭しと。
本棚には計三百冊を越える少年・少女・青年コミックやラノベ、アニメ・マンガ・声優雑誌に加え、先輩から譲って貰ったのか18禁含む男の娘・百合同人誌まで。
アニソンCDやアニメブルーレイもいくつか所有し、専用の収納ケースに並べられていた。クローゼットの中には普段着の他、猫耳メイド・巫女・魔法少女・ナース・チアガールなどのコスプレ衣装やゴスロリ衣装も揃えられ、本棚上や収納ケース上には美少女系ガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみがバリエーション豊富に飾られてある。さらに壁全面と天井を覆うように人気女性声優や、美少女系アニメのポスターが多数貼られてあるのだ。男性キャラがメインのアニメはさほど好きではないらしい。ロリ美少女キャラの抱き枕まであった。今はベッド横に立てられていた。
「この中にしまってあるよ」
智実はどや顔で学習机の引出を開けた。
「じゃ~ん♪ うちお手製の美少女キャライラスト付き高校生の家庭学習用テキスト、芸術スポーツ系以外のどんな大学にも対応出来る五教科全部揃えとるで」
取り出すと得意げにかざしてくる。国、英、数、社、理。五教科分のテキスト、それぞれ一冊ずつの計五冊。どの教科もサイズは同じでB5用紙くらい。厚みは三センチほどだった。
「確かに美少女教材だね」
智果は強く興味を示す。全教科、表紙がかわいらしい女の子達のアニメ風イラストで彩られていたのだ。
「表紙に描かれてるこの五人の女の子達が学習内容を詳しく解説してくれる仕様になってるの。セリフ考えたんはうちやけどね。キャラ名も教科に関する用語を元に命名したよ。一部3Dイラストになっとるで。智果お姉さんが一年生の今からこれを使って授業の予習復習を日々コツコツ真面目にこなせば、三年生になる頃には阪大どころか東大・京大にだって通用する学力が身に付いちゃうよ」
智実は自信満々な様子でやや興奮気味に伝えてくる。
「かわいい女の子の絵が描かれてる教材使ったくらいで成績上がったら苦労しないって」
「まあまあ智果お姉さん、騙されたと思って使ってみぃ」
「一応、中だけは確認してあげるね」
智果は教材を受け取ると、この部屋から出て行き自室へ。智実のお部屋の斜め向かいで同じ広さ。学習机の上は教科書・参考書類やノート、筆記用具、プリント類、携帯型ゲーム機&対応ソフトなどが乱雑に散りばめられていて、勉強する環境には相応しくない有様となっている。けれども机棚に置かれた十数体の美少女系ガチャポンはわりときれいに飾られてあった。彼女も智実とよく似た系統のアニメグッズを部屋に飾っているのだ。智実にはインパクトで遥かに劣るものの。
さてと、智実作の教材じっくり見てあげよっと。
一段ベッドに腰掛けた智果は、最初に英語のテキストを捲ってみた。
「わっ! すごいっ!」
思わず感激の声を上げる。一ページ目に、英語に対応するキャラクターの全身カラーイラストと、簡単なプロフィールが載せられていたのだ。
この栗巣モニカって名前の女の子が解説してくれるってわけか。
わくわくしながら次以降のページをパラパラ捲ってみた。
智実が授業や自習でまとめた学習用ノートを元に作ったみたいだね。カラフルでめっちゃ分かりやすく書かれてるし。紙質も良いし、これはかなり期待出来そうだ。智実、わたしのためにこんなの作ってくれるなんて……。
妹のことをちょっと見直してしまった智果は、続いて社会科のテキストもパラパラ捲って確認してみる。
こっちの子もエスニック風でなかなかかわいいね。世界の料理とか、農作物とか、家畜とか、民族衣装のイラストもやっぱ上手いなぁ。
感心気味に眺めていると、予期せぬ出来事が――。
「Hey!」
どこからか、聞きなれぬ女の子の声が聞こえて来たのだ。
「何? 今の声」
智果は不思議に思い、周囲をきょろきょろ見渡す。
耳元で聞こえた気がするんだけど、誰もいないよね?
少しドキッとしながらそう思った直後、
「うっ、うわわわわわぁ!」
智果はあっと驚き、口を縦に大きく開けて絶叫した。弾みで手に持っていた社会科のテキストも床に放り投げてしまう。
突如、英語のテキストの中から、飛び出して来たのだ。
服装は『Let‘s enjoy studying with little sister♪』とホワイトロゴプリントされたオレンジ色チュニックにデニムのホットパンツ、水色ニーソックスという組み合わせ。マロン色なセミロングウェーブヘアは胸の辺りまで伸びていて、つぶらなグレーの瞳ですらりとした体つき、背はやや高めで一六〇センチ台半ばくらいあるように見えた女の子が――。
イラストの一つと全く同じ格好だった。紙上に描かれた人間の女の子が飛び出してくるという、物理現象を完全無視した出来事が今しがた智果の目の前で起こったというわけだ。
「グッイーブニン、ナイストゥーミートゥ。ワタシ、サトカちゃんに英語を指導することになった、栗巣モニカだよ。アイムフロムインジィイングリッシュテキスト、リトゥンバイユアリトルシスター、トシカワサトミ。サトカちゃんと同じ、十年生だよ。アイムフィフティーンイヤーズオールド。マイファザーがアメリカン、マイマザーがジャパニーズなハーフなの。いっしょにスタディー頑張ろうね♪」
その女の子はモニカと名乗りぺこりと頭を下げ、微妙な発音の英語も交えて挨拶した。そのあと智果の手を握り締めて来た。
「……………………」
智果の口は、顎が外れそうなくらいパカリと開かれていた。
「Oh,サトカちゃん、a(ア)を発音する上でベストな口の形だね。Very good!」
そんな彼女を見て、モニカは嬉しそうににこにこ微笑む。
続いて、国語のテキストが自動的に開かれた。そしてまた中から女の子が――。
「こんばんは。わらわ達の作者、利川智実さんの姉君の智果さん。この度は飛び出す美少女教材高校生の家庭学習用をご利用下さり、誠にありがとうございました。わらわは現国と古典を担当させていただく、新玉葉月(あらたま はづき)と申します。中学二年生です。今後、末永くよろしくお願い致します」
江戸時代の町人娘を思わせる地味な着物姿だった。黒縁の丸眼鏡をかけ、濡れ羽色の髪を撫子の花簪で飾り、背丈は一五〇センチをちょっと超えるくらい。智果に向かって丁重に深々と頭を下げ、おっとりとした口調で挨拶して来た。
さらにもう一冊、社会科のテキストからも。
「はじめまして智果お嬢様。わたくし、社会科担当の長宗我部・エリザベス・露古湖(ろここ)。高校二年生、グレゴリオ暦換算で十七歳よ。分からないことや悩み事があったら、遠慮せずに何でも相談してね」
この子の背丈は一六〇センチくらい。小麦色の肌、面長でつぶらな鳶色の瞳、ほんのり栗色な髪をポニーテールに束ね、色鮮やかなインドの民族衣装サリーを身に纏っていた。
「えっ、あっ、どっ、どうも。わっ、わたし、とうとうアニメの世界と現実の世界との区別が付かなくなっちゃったのかな?」
智果は当然のように戸惑う。
「夢じゃないよ。現実なのだ」
「実数の世界だよ」
背後からまた聞きなれぬ二人の女の子の声がした。
「アタシ、理科担当の原子化能蒸(げんし げのむ)でーす。物理・化学・生物・地学、どの選択科目でもアタシにお任せあれ。中学一年生、十二歳。よろしくね♪ サトカルシウム」
この子は紫色の髪を螺旋状にしていた。四角顔でネコのように縦長な瞳、背丈は一五〇センチあるかないか。ソテツの葉っぱで胸と恥部を覆っただけの非常に露出度の高い姿だった。
「数学担当の、四分一理密図(しぶんいち りみっと)です。小学四年生、九歳です。これからよろしくね、智果お姉ちゃん」
こちらの子はおかっぱ頭にしたみかん色の髪を、松ぼっくりとパイナップルとひまわりの花、合わせて三つのチャームを付けたサイコロ模様のダブルりぼんで飾り付けていた。丸っこいお顔とくりくりしたつぶらな瞳。背丈は一三五センチくらい。なんと、全裸だった。
「あらら、すっぽんぽん」
振り返った智果はそんな二人のあられもない身なりを目にし、苦笑い。
「こらこらっ、化能蒸ちゃん、理密図ちゃん。そんなはしたない格好で現れちゃダメでしょっ! えっと、あっ、ちょうど都合良くいいのがあったわ」
露古湖が注意した。そして彼女は、学習机の本立てに並べられてあった、智果が学校で使用している地図帳を手に取りパラッと捲る。続いて開かれたページに手を添えると、なんと波打つ水面のように揺らいだのだ。
三秒ほどのち、露古湖は何かを掴み上げた。
「これを着なさい」
「分かった。裸子植物風に登場してみたけど、被子植物風になるよ」
「きれいな模様だね。この部分の面積はどれくらいかな?」
それを化能蒸と理密図に投げ渡す。この二人は素直に従った。
露古湖が先ほど取り出した物の正体は、ベトナムの民族衣装アオザイだった。色は純白で花柄の刺繍も施されていた。
なっ、なんでこんなことが、起こってるの?
智果は目の前で次々と起こった超常現象にただただ唖然とするばかり。
「絶対、夢だよね?」
とりあえず右手をゆっくりと自分のほっぺたへ動かし、ぎゅーっと強くつねってみる。
「いったぁっ!」
痛かった。
現実……だったらしい。
「嘘でしょ?」
まだ智果は、この状況を信じられなかった。
「どないしたん智果お姉さん? すごい大声出して」
ガチャリと部屋の扉が開かれる。智実が入って来たわけだ。
「さっ、さっ、智実。さっ、さっき、この智実が作ったテキストの中から、おっ、女の子が、五人、飛び出して、来たの。あのイラストの。ほらここにっ! ……あっ、あれ?」
智果は強張った表情で声をやや震わせながら伝えたものの、
「誰もおらへんやん」
智実にきょとんとした表情で突っ込まれてしまう。
「いや、さっきいたんだけど、おっかしいな」
智果は訝しげな表情を浮かべた。
「智果お姉さんったら、紙に描かれた絵が飛び出てくるなんてマジあり得んし。アニメの世界と現実の世界との区別はちゃんと付けなきゃダメだよー。うち、智果お姉さんより遥かにアニメの世界にどっぷり嵌っとるけど現実の世界との区別はちゃーんとついとるで」
智実はくすくす笑ってくる。
「いや、わたしもちゃんとついてるんだけど」
智果が困惑顔でこう言った直後、
「智果ぁー、智実ぃー、夕飯出来たでー」
階段下から母の叫び声が聞こえてくる。
「今行くぅー。智果お姉さんもはよおいでよ」
智実はすぐにこの部屋から出て、ダイニングの方へ向かっていった。
「やっぱ、気のせい、だよね?」
智果はこう呟いてアハハッと笑う。
次の瞬間、
「気のせいではありませんよ、智果さん」
国語のテキストから、葉月がぴょこっとお顔を出した。
「うわぁっ!」
智果は反射的に仰け反る。
「また驚かせて申し訳ありません。というか、こんなに驚くとは思いませんでした」
葉月はてへりと笑ったのち、全身を出して直立姿勢になった。
「驚くに決まってるでしょ」
智果はごもっともな意見を述べた。
他の四人もまた飛び出してくる。
「お部屋の様子を見て、サトカちゃんは本当にかわいい女の子達が活躍する系のアニメが大好きな女の子なんだなぁって、judgmentしたの。これならワタシ達がテキストから飛び出して、三次元化する。というphenomenonを起こしてもごく普通に受け入れてくれるかなぁと思って♪」
モニカはにこにこ顔で伝えた。
「智果さんの妹君は、妄想空想癖は酷いようですが一応常識的なお方のようですし、わらわ達の姿を見たら腰を抜かすかと思いまして、とっさに隠れました」
葉月はゆったりとした口調で語る。
「わたしだって相当驚いたよ」
「サトミちゃんから、3Dイラストにもなってるって説明されたでしょ?」
モニカは爽やか笑顔で問いかける。
「いや、それって、特殊な眼鏡をかけて、最近では裸眼でも見えるやつもあるけど、実際は平面上にある映像や絵が立体的に見えるやつのことでしょ?」
「智果さん、それは前世紀的な発想ですよ。今や3Dというのは、二次元平面上に描かれたイラストが質感と触感と重量感と香りを伴って、実際に飛び出してくるものなのです。智果さんお若いのにお年寄り風な考え方ですね」
江戸時代風な格好をした葉月がくすくす微笑みながら指摘してくる。
「わたしの考えは、間違ってないと思うんだけど……」
智果は困惑顔になる。
「まあまあサトカルシウム、素粒子の世界では、日常生活では起り得ない現象がしょっちゅう起きてるんだし、素直に受け入れなよ」
「智果お姉ちゃん、二次元が三次元になることは、Z軸座標が増えたってことだよ」
化能蒸と理密図はにこにこ笑いながら言った。
「受け入れろと言われても……」
「ワタシ達みんなファミリーネームは違うけど、五人姉妹だってデザイナーのサトミちゃんは設定してくれたよ」
モニカはにこにこ顔で語る。
「……それにしても、二次元キャラが三次元化するって、現代の科学技術的にあり得ないでしょ」
「それが出来てしまったんだから、そう突っ込まれると反応に困っちゃうな」
露古湖はちょっぴり困惑気味だ。
「まだ現実とは思えないよ」
智果は半信半疑な面持ちで呟く。
「サトカちゃん、これは現実、リアリティなんだよ」
モニカはにこっと微笑む。
「あの、モニカちゃん、わたし、これが現実だってこと実感したいから、体、触ってもいいかな?」
「オーケイだけど、breastは変な気持ちになっちゃうからNo way! だよ」
「分かった。頭にするよ」
智果が恐る恐る、モニカの髪の毛に手を触れようとしたら、
「智果ぁー、いい加減夕飯食べやぁー。冷めてまうやろっ!」
母に扉を開けられた。
「わっ、分かったよ」
智果はビクッと反応し、周囲を見渡す。
またもみんな姿を消していた。
やっぱ、夢だよね?
智果は首をかしげながら電気を消して部屋を出て、ダイニングへと向かっていった。
「智果、智実の描いた3Dイラストの迫力に圧倒させられたみたいだな」
高校理科教師を務める父は楽しそうに微笑む。
「うん、まあ。かなりリアルだったし」
智果は苦笑いで答え、
絶対わたしの見間違えだ。
心の中でこう確信して椅子に腰掛けた。
「うちの作った教材、智果お姉さんにウケてくれたみたいでうち、めっちゃ嬉しかったわ~♪」
隣に座る智実は上機嫌でかぼちゃコロッケを頬張っていたのだった。
「その教材を上手く活用すれば、智果も父さんみたいに現役で阪大受かるかもな」
父は上機嫌で高野豆腐を頬張りながらそんな期待を抱く。智実の趣味も男性アイドルなんかに嵌るよりは健全だろうってことで快く容認してくれている寛容で心優しいお方なのだ。自身も学生時代、アニメや声優に嵌っていたらしい。
……やっばーい。智実(さとみ)から絶対お説教されちゃう。今日はおウチに帰りたくないよぉー。
五月下旬のある水曜日。北摂のとあるそれなりの府立進学校、豊中丘高校一年三組の教室にて利川智果(としかわ さとか)は眺めた途端にしょんぼりした。
本日帰りのSHRで今しがた、クラス担任から一学期中間テスト個人成績表が配布されたのだ。
中学の頃はずっと学年上位一割付近だったけど、この高校じゃ平均未満かぁ。まあわたし、高校入ってからソシャゲとかにも嵌っちゃって勉強怠け気味だったから自業自得だよね。
智果は己の不甲斐なさ至らなさをひしひしと痛感する。彼女の総合得点学年順位は全八クラス三一六人中、一九五位だった。そんなわけで放課後、夕方六時頃。智果は数少ない親友と本屋などに寄り道して別れたあと、独りで重い足取りで、憂鬱な気分で閑静な高級住宅街に佇む自宅への帰り道を歩き進んでいくのだった。
そんな智果は、背丈は一五一センチくらい。丸っこいお顔、くりくりした目、ほんのり栗色なおかっぱ頭をいつもメロンなどのチャーム付きダブルリボンで飾り、小学生に間違えられても、いやむしろ女子高生に見られる方がもっと不思議なくらいあどけない風貌なのだ。
☆
「おかえり智果お姉さん、個人成績表配られた?」
「……うん」
「ほなはよ見せて」
「分かった、分かった」
帰宅後、智果は個人成績表をリビングでソファーに腰掛け、夕方アニメを観ながらくつろいでいた先週十一歳になったばかりの妹、智実にしぶしぶ恐る恐る見せてあげると、
「智果お姉さん、順位低過ぎっ! もっと本気で勉強しなきゃ、ダメでしょっ!」
案の定、ぷんぷん顔で説教されてしまった。彼女の妹は姉思いなのだ。
「智実、まだ下に百二十人以上もいるし、そんなに低くはないでしょ?」
「智果お姉さんはうち似で体育とか音楽とかの実技系が超苦手なんやから、ペーパーテストくらいはもっともっと良い成績取らなきゃダメなのっ! いい成績とって京大以上の大学入らなきゃ、高田ふー〇んにディスられるよ」
「智実、Wa〇atte.TVに影響され過ぎ」
「私文なんかに行ってもいいのは、大学ブランドに頼らなくても輝かしい人生を歩めるきらきらした陽キャだけなんだよ。智果お姉さんやうちみたいな地味な子は大学ブランドが必要なんよ」
「そんなもんかなぁ?」
「そんなもんだよ。ところで智果お姉さん、うちとの約束は覚えていますか?」
「えっ、なんか約束してたっけ?」
「とぼけたって無駄やで。証拠はちゃぁんと残しとるんやから」
智実はにやけ顔でそう告げたあと、マイスマホを智果の眼前にかざすと同時に音声データの再生アイコンをタップする。
『智史お姉さん、今度の中間の総合順位、もし真ん中以下やったら、お仕置きとして、お尻叩きをさせて下さい』
『分かった。好きなだけ叩かせてあげるよ。まあ、さすがに真ん中以下になることは、まずないと思うけどね』
こんな音声が流れたあと、
「このことだよー♪」
智実はニカッと微笑みかけてくる。
「……録音、してたんだ。いつの間に……」
智果の顔は引き攣った。彼女はあのやり取りをしっかりと覚えていたのだ。
「ふふふ、言い逃れ出来ひんようにこれくらい対策済みよ」
智実は得意げにウィンクした。そんな彼女は学校で “まんがクラブ”に所属し、サブカル趣味にのめり込みながらも学業はずっと優秀で、彼女の通う名門私立女子小学校、箕面聖母国際女学院小学部においても成績上位層だ。
小学五年生ながら高校過程も自力で先取り学習し、もうずいぶん前から智果を凌ぐ学力水準である。智果の真似ばかりしたがって、お勉強も智果の真似をしているうちにやがて追い抜いてしまったという経緯だ。就学前からすでに小学校で公に習う学習内容は大方マスターしていた。背丈は一四〇センチあるかないか。黒髪お団子結び、丸顔丸眼鏡、一文字眉ぱっちり垂れ目な見た目は地味系眼鏡っ娘って感じの幼顔だ。
幼児期からの趣味の絵もかなり上手く、将来の夢は漫画家。他にイラストレーター、声優、ラノベ作家にもなりたいなぁっとも思い描いてるみたい。
「智実、中学の時とは〝母集団〟が違うでしょ。わたしが通ってる高校、勉強出来る子ばかりが集まって来てるんだから、わたしの順位が相対的に落ちるのは当たり前でしょ」
「見苦しい言い訳ね。中学の頃は智果お姉さんとそんなに大きくは成績変わらんかった伸英(のぶえ)お姉さんは、今回は智果お姉さんよりずっとええ点取ってたから学年順位もけっこう上位やろ?」
焦り顔で弱々しく反論する智果に、智実は得意げな表情で反論し返す。
「確かに。総合二十一位だったし。でも伸英ちゃんも、智実と同じでわたしとは地頭が違うから、難易度が中学の時とはわけが違う高校のテストでは、大きく差がついたのは仕方ないことだと思うんだけど……」
智果は迷惑そうに言い訳した。
伸英ちゃん、フルネームは延山(のぶやま)伸英。智果のおウチのすぐ近所、三軒隣に住む同い年の幼馴染だ。学校も幼小中高ずっと同じ。お互い同じ高校を選んだのは、家から一番近いそれなりの進学校だからというのが最たる理由だった。
「伸英お姉さんは周りが勉強出来る子ばかりで授業の進度も速いから、落ちこぼれないように頑張らなきゃ。智果お姉さんは進学校だから順位が落ちるのは仕方ないこと。その考え方の違いが今回の結果を招いたんよ。恥を知りなさい」
「はい、はい」
「では、今から叩くので、四つん這いのポーズをお願いします」
「智実、優しくしてね」
智果は苦笑いを浮かべ、言われたとおりにしてあげる。
「じゃあ、叩きますよ」
智実は智果のスカートを捲り、手のひらをパーにして、かわいらしいフルーツ柄のショーツ越しに、
ペチンッ!
「ひゃっ!」
ペチンッ!
「ひっ!」
ペチンッ!
「んっ!」
と計三発叩いた。
叩く度に智果は思わず悲鳴。
「これにてお仕置き終了です♪」
「思ったよりは、優しくしてくれてありがとう」
「思いっ切り叩くとうちも痛いからね。智果お姉さん、もし、期末テストも順位が百位以下だったら……」
「だったらどうするつもりなの?」
「あの……ちょっと言いにくいんだけど……」
「何かな? 何でも遠慮せずに言ってね」
「その……ヌードモデルに、なって下さい!」
「……そっ、それはさすがにダメだよ。恥ずかしいし」
智果はてへへっと笑う。
「うち、智果お姉さんの裸が描きたいの。智果お姉さんの裸をいっぱい描いて、もっともっと絵が上手くなりたいの」
頬をほんのり赤らめた智実にうるうるとした瞳でお願いされ、
「分かった、分かった」
智果はついつい条件を飲んでしまった。
「やったぁ、約束だよ♪ でも、出来ればそうならないように、智果お姉さんには頑張って欲しいな♪」
智実はにこーっと微笑む。
「うっ、うん」
智果は苦笑い。
そんな時、
ピンポーン♪
と玄関チャイム音が。
「伸英お姉さんかな? 智果お姉さん、うちが出るね」
智実はそう言い残してリビングを出て、玄関先へ向かっていった。
「こんばんはー、智実ちゃん」
訪れて来たのは、智実の予想通り伸英だった。面長ぱっちり垂れ目、細長八の字眉。ほんのり栗色な髪を小さく巻いて、フルーツのチャーム付きシュシュで二つ結びにしているのがいつものヘアスタイル。背丈は一五五センチくらいで、おっとりのんびりとした雰囲気の子なのだ。学校がある日は毎朝八時頃に智果を迎えに来てくれる。つまり登校もいっしょにしてくれているのだ。さらに芸術選択で共に書道を選んだのが功を奏したか、クラスも今は同じである。
「こんばんは伸英お姉さん、困った顔してどうかしたのかな?」
「あのっ、智実ちゃん。智果ちゃんに酷い成績を取らせちゃってごめんね。私の教え方が悪かったみたいで」
「伸英お姉さんは全然気にせんでええんよ。テスト前でもメリハリつけんとラノベやマンガやアニメ雑誌ばっかり読んで、深夜アニメの録画もがっつり観て勉強サボった智果お姉さんが悪いんやから」
自責の念に駆られていた伸英を、智実は爽やか笑顔で慰めてあげる。
伸英はとても心優しい子なのだ。
……智実、別にそういうことまでは伝えなくていいでしょ。
二人の会話が自然に耳に飛び込んで来た智果は、やや呆れ顔。
「その誘惑に負けちゃうのは、仕方ないことだと思うけどなぁ」
「伸英お姉さんは甘いよ」
「そうかなぁ。それじゃ智実ちゃん、ではまた」
「ばいばい伸英お姉さん」
これにて別れを告げて、智実は再びリビングへ。
「伸英ちゃんのためにも、わたし、期末は頑張るよ」
「智果お姉さん、頑張ってね。じつはうちね、不甲斐ない智果お姉さんのために、丹精込めて最適なかわいい学習教材を作ってあげたよ」
「そうなんだ! どんな教材なのか楽しみだなぁ」
こうして、智果は智実の自室に招かれることに。フローリング仕様で広さは七帖。窓際の学習机の上は学用品、おしゃれなデザインのノートパソコンが勉強しやすいようきれいに整理整頓され几帳面さが窺えた。机棚にはチョコやケーキ、ドーナッツなどを模ったスクイーズやシロクマ、ウサギ、リス、ネコ、オオサンショウウオといった可愛らしい動物のぬいぐるみもたくさん飾られ、机備えの本立てには教科書・副読本類の他、絵本や児童書が並べられていて普通の女の子らしいお部屋だなぁ。と思われるだろう。だが、机以外の場所に目を移すとアニヲタ趣味を窺わせるグッズが所狭しと。
本棚には計三百冊を越える少年・少女・青年コミックやラノベ、アニメ・マンガ・声優雑誌に加え、先輩から譲って貰ったのか18禁含む男の娘・百合同人誌まで。
アニソンCDやアニメブルーレイもいくつか所有し、専用の収納ケースに並べられていた。クローゼットの中には普段着の他、猫耳メイド・巫女・魔法少女・ナース・チアガールなどのコスプレ衣装やゴスロリ衣装も揃えられ、本棚上や収納ケース上には美少女系ガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみがバリエーション豊富に飾られてある。さらに壁全面と天井を覆うように人気女性声優や、美少女系アニメのポスターが多数貼られてあるのだ。男性キャラがメインのアニメはさほど好きではないらしい。ロリ美少女キャラの抱き枕まであった。今はベッド横に立てられていた。
「この中にしまってあるよ」
智実はどや顔で学習机の引出を開けた。
「じゃ~ん♪ うちお手製の美少女キャライラスト付き高校生の家庭学習用テキスト、芸術スポーツ系以外のどんな大学にも対応出来る五教科全部揃えとるで」
取り出すと得意げにかざしてくる。国、英、数、社、理。五教科分のテキスト、それぞれ一冊ずつの計五冊。どの教科もサイズは同じでB5用紙くらい。厚みは三センチほどだった。
「確かに美少女教材だね」
智果は強く興味を示す。全教科、表紙がかわいらしい女の子達のアニメ風イラストで彩られていたのだ。
「表紙に描かれてるこの五人の女の子達が学習内容を詳しく解説してくれる仕様になってるの。セリフ考えたんはうちやけどね。キャラ名も教科に関する用語を元に命名したよ。一部3Dイラストになっとるで。智果お姉さんが一年生の今からこれを使って授業の予習復習を日々コツコツ真面目にこなせば、三年生になる頃には阪大どころか東大・京大にだって通用する学力が身に付いちゃうよ」
智実は自信満々な様子でやや興奮気味に伝えてくる。
「かわいい女の子の絵が描かれてる教材使ったくらいで成績上がったら苦労しないって」
「まあまあ智果お姉さん、騙されたと思って使ってみぃ」
「一応、中だけは確認してあげるね」
智果は教材を受け取ると、この部屋から出て行き自室へ。智実のお部屋の斜め向かいで同じ広さ。学習机の上は教科書・参考書類やノート、筆記用具、プリント類、携帯型ゲーム機&対応ソフトなどが乱雑に散りばめられていて、勉強する環境には相応しくない有様となっている。けれども机棚に置かれた十数体の美少女系ガチャポンはわりときれいに飾られてあった。彼女も智実とよく似た系統のアニメグッズを部屋に飾っているのだ。智実にはインパクトで遥かに劣るものの。
さてと、智実作の教材じっくり見てあげよっと。
一段ベッドに腰掛けた智果は、最初に英語のテキストを捲ってみた。
「わっ! すごいっ!」
思わず感激の声を上げる。一ページ目に、英語に対応するキャラクターの全身カラーイラストと、簡単なプロフィールが載せられていたのだ。
この栗巣モニカって名前の女の子が解説してくれるってわけか。
わくわくしながら次以降のページをパラパラ捲ってみた。
智実が授業や自習でまとめた学習用ノートを元に作ったみたいだね。カラフルでめっちゃ分かりやすく書かれてるし。紙質も良いし、これはかなり期待出来そうだ。智実、わたしのためにこんなの作ってくれるなんて……。
妹のことをちょっと見直してしまった智果は、続いて社会科のテキストもパラパラ捲って確認してみる。
こっちの子もエスニック風でなかなかかわいいね。世界の料理とか、農作物とか、家畜とか、民族衣装のイラストもやっぱ上手いなぁ。
感心気味に眺めていると、予期せぬ出来事が――。
「Hey!」
どこからか、聞きなれぬ女の子の声が聞こえて来たのだ。
「何? 今の声」
智果は不思議に思い、周囲をきょろきょろ見渡す。
耳元で聞こえた気がするんだけど、誰もいないよね?
少しドキッとしながらそう思った直後、
「うっ、うわわわわわぁ!」
智果はあっと驚き、口を縦に大きく開けて絶叫した。弾みで手に持っていた社会科のテキストも床に放り投げてしまう。
突如、英語のテキストの中から、飛び出して来たのだ。
服装は『Let‘s enjoy studying with little sister♪』とホワイトロゴプリントされたオレンジ色チュニックにデニムのホットパンツ、水色ニーソックスという組み合わせ。マロン色なセミロングウェーブヘアは胸の辺りまで伸びていて、つぶらなグレーの瞳ですらりとした体つき、背はやや高めで一六〇センチ台半ばくらいあるように見えた女の子が――。
イラストの一つと全く同じ格好だった。紙上に描かれた人間の女の子が飛び出してくるという、物理現象を完全無視した出来事が今しがた智果の目の前で起こったというわけだ。
「グッイーブニン、ナイストゥーミートゥ。ワタシ、サトカちゃんに英語を指導することになった、栗巣モニカだよ。アイムフロムインジィイングリッシュテキスト、リトゥンバイユアリトルシスター、トシカワサトミ。サトカちゃんと同じ、十年生だよ。アイムフィフティーンイヤーズオールド。マイファザーがアメリカン、マイマザーがジャパニーズなハーフなの。いっしょにスタディー頑張ろうね♪」
その女の子はモニカと名乗りぺこりと頭を下げ、微妙な発音の英語も交えて挨拶した。そのあと智果の手を握り締めて来た。
「……………………」
智果の口は、顎が外れそうなくらいパカリと開かれていた。
「Oh,サトカちゃん、a(ア)を発音する上でベストな口の形だね。Very good!」
そんな彼女を見て、モニカは嬉しそうににこにこ微笑む。
続いて、国語のテキストが自動的に開かれた。そしてまた中から女の子が――。
「こんばんは。わらわ達の作者、利川智実さんの姉君の智果さん。この度は飛び出す美少女教材高校生の家庭学習用をご利用下さり、誠にありがとうございました。わらわは現国と古典を担当させていただく、新玉葉月(あらたま はづき)と申します。中学二年生です。今後、末永くよろしくお願い致します」
江戸時代の町人娘を思わせる地味な着物姿だった。黒縁の丸眼鏡をかけ、濡れ羽色の髪を撫子の花簪で飾り、背丈は一五〇センチをちょっと超えるくらい。智果に向かって丁重に深々と頭を下げ、おっとりとした口調で挨拶して来た。
さらにもう一冊、社会科のテキストからも。
「はじめまして智果お嬢様。わたくし、社会科担当の長宗我部・エリザベス・露古湖(ろここ)。高校二年生、グレゴリオ暦換算で十七歳よ。分からないことや悩み事があったら、遠慮せずに何でも相談してね」
この子の背丈は一六〇センチくらい。小麦色の肌、面長でつぶらな鳶色の瞳、ほんのり栗色な髪をポニーテールに束ね、色鮮やかなインドの民族衣装サリーを身に纏っていた。
「えっ、あっ、どっ、どうも。わっ、わたし、とうとうアニメの世界と現実の世界との区別が付かなくなっちゃったのかな?」
智果は当然のように戸惑う。
「夢じゃないよ。現実なのだ」
「実数の世界だよ」
背後からまた聞きなれぬ二人の女の子の声がした。
「アタシ、理科担当の原子化能蒸(げんし げのむ)でーす。物理・化学・生物・地学、どの選択科目でもアタシにお任せあれ。中学一年生、十二歳。よろしくね♪ サトカルシウム」
この子は紫色の髪を螺旋状にしていた。四角顔でネコのように縦長な瞳、背丈は一五〇センチあるかないか。ソテツの葉っぱで胸と恥部を覆っただけの非常に露出度の高い姿だった。
「数学担当の、四分一理密図(しぶんいち りみっと)です。小学四年生、九歳です。これからよろしくね、智果お姉ちゃん」
こちらの子はおかっぱ頭にしたみかん色の髪を、松ぼっくりとパイナップルとひまわりの花、合わせて三つのチャームを付けたサイコロ模様のダブルりぼんで飾り付けていた。丸っこいお顔とくりくりしたつぶらな瞳。背丈は一三五センチくらい。なんと、全裸だった。
「あらら、すっぽんぽん」
振り返った智果はそんな二人のあられもない身なりを目にし、苦笑い。
「こらこらっ、化能蒸ちゃん、理密図ちゃん。そんなはしたない格好で現れちゃダメでしょっ! えっと、あっ、ちょうど都合良くいいのがあったわ」
露古湖が注意した。そして彼女は、学習机の本立てに並べられてあった、智果が学校で使用している地図帳を手に取りパラッと捲る。続いて開かれたページに手を添えると、なんと波打つ水面のように揺らいだのだ。
三秒ほどのち、露古湖は何かを掴み上げた。
「これを着なさい」
「分かった。裸子植物風に登場してみたけど、被子植物風になるよ」
「きれいな模様だね。この部分の面積はどれくらいかな?」
それを化能蒸と理密図に投げ渡す。この二人は素直に従った。
露古湖が先ほど取り出した物の正体は、ベトナムの民族衣装アオザイだった。色は純白で花柄の刺繍も施されていた。
なっ、なんでこんなことが、起こってるの?
智果は目の前で次々と起こった超常現象にただただ唖然とするばかり。
「絶対、夢だよね?」
とりあえず右手をゆっくりと自分のほっぺたへ動かし、ぎゅーっと強くつねってみる。
「いったぁっ!」
痛かった。
現実……だったらしい。
「嘘でしょ?」
まだ智果は、この状況を信じられなかった。
「どないしたん智果お姉さん? すごい大声出して」
ガチャリと部屋の扉が開かれる。智実が入って来たわけだ。
「さっ、さっ、智実。さっ、さっき、この智実が作ったテキストの中から、おっ、女の子が、五人、飛び出して、来たの。あのイラストの。ほらここにっ! ……あっ、あれ?」
智果は強張った表情で声をやや震わせながら伝えたものの、
「誰もおらへんやん」
智実にきょとんとした表情で突っ込まれてしまう。
「いや、さっきいたんだけど、おっかしいな」
智果は訝しげな表情を浮かべた。
「智果お姉さんったら、紙に描かれた絵が飛び出てくるなんてマジあり得んし。アニメの世界と現実の世界との区別はちゃんと付けなきゃダメだよー。うち、智果お姉さんより遥かにアニメの世界にどっぷり嵌っとるけど現実の世界との区別はちゃーんとついとるで」
智実はくすくす笑ってくる。
「いや、わたしもちゃんとついてるんだけど」
智果が困惑顔でこう言った直後、
「智果ぁー、智実ぃー、夕飯出来たでー」
階段下から母の叫び声が聞こえてくる。
「今行くぅー。智果お姉さんもはよおいでよ」
智実はすぐにこの部屋から出て、ダイニングの方へ向かっていった。
「やっぱ、気のせい、だよね?」
智果はこう呟いてアハハッと笑う。
次の瞬間、
「気のせいではありませんよ、智果さん」
国語のテキストから、葉月がぴょこっとお顔を出した。
「うわぁっ!」
智果は反射的に仰け反る。
「また驚かせて申し訳ありません。というか、こんなに驚くとは思いませんでした」
葉月はてへりと笑ったのち、全身を出して直立姿勢になった。
「驚くに決まってるでしょ」
智果はごもっともな意見を述べた。
他の四人もまた飛び出してくる。
「お部屋の様子を見て、サトカちゃんは本当にかわいい女の子達が活躍する系のアニメが大好きな女の子なんだなぁって、judgmentしたの。これならワタシ達がテキストから飛び出して、三次元化する。というphenomenonを起こしてもごく普通に受け入れてくれるかなぁと思って♪」
モニカはにこにこ顔で伝えた。
「智果さんの妹君は、妄想空想癖は酷いようですが一応常識的なお方のようですし、わらわ達の姿を見たら腰を抜かすかと思いまして、とっさに隠れました」
葉月はゆったりとした口調で語る。
「わたしだって相当驚いたよ」
「サトミちゃんから、3Dイラストにもなってるって説明されたでしょ?」
モニカは爽やか笑顔で問いかける。
「いや、それって、特殊な眼鏡をかけて、最近では裸眼でも見えるやつもあるけど、実際は平面上にある映像や絵が立体的に見えるやつのことでしょ?」
「智果さん、それは前世紀的な発想ですよ。今や3Dというのは、二次元平面上に描かれたイラストが質感と触感と重量感と香りを伴って、実際に飛び出してくるものなのです。智果さんお若いのにお年寄り風な考え方ですね」
江戸時代風な格好をした葉月がくすくす微笑みながら指摘してくる。
「わたしの考えは、間違ってないと思うんだけど……」
智果は困惑顔になる。
「まあまあサトカルシウム、素粒子の世界では、日常生活では起り得ない現象がしょっちゅう起きてるんだし、素直に受け入れなよ」
「智果お姉ちゃん、二次元が三次元になることは、Z軸座標が増えたってことだよ」
化能蒸と理密図はにこにこ笑いながら言った。
「受け入れろと言われても……」
「ワタシ達みんなファミリーネームは違うけど、五人姉妹だってデザイナーのサトミちゃんは設定してくれたよ」
モニカはにこにこ顔で語る。
「……それにしても、二次元キャラが三次元化するって、現代の科学技術的にあり得ないでしょ」
「それが出来てしまったんだから、そう突っ込まれると反応に困っちゃうな」
露古湖はちょっぴり困惑気味だ。
「まだ現実とは思えないよ」
智果は半信半疑な面持ちで呟く。
「サトカちゃん、これは現実、リアリティなんだよ」
モニカはにこっと微笑む。
「あの、モニカちゃん、わたし、これが現実だってこと実感したいから、体、触ってもいいかな?」
「オーケイだけど、breastは変な気持ちになっちゃうからNo way! だよ」
「分かった。頭にするよ」
智果が恐る恐る、モニカの髪の毛に手を触れようとしたら、
「智果ぁー、いい加減夕飯食べやぁー。冷めてまうやろっ!」
母に扉を開けられた。
「わっ、分かったよ」
智果はビクッと反応し、周囲を見渡す。
またもみんな姿を消していた。
やっぱ、夢だよね?
智果は首をかしげながら電気を消して部屋を出て、ダイニングへと向かっていった。
「智果、智実の描いた3Dイラストの迫力に圧倒させられたみたいだな」
高校理科教師を務める父は楽しそうに微笑む。
「うん、まあ。かなりリアルだったし」
智果は苦笑いで答え、
絶対わたしの見間違えだ。
心の中でこう確信して椅子に腰掛けた。
「うちの作った教材、智果お姉さんにウケてくれたみたいでうち、めっちゃ嬉しかったわ~♪」
隣に座る智実は上機嫌でかぼちゃコロッケを頬張っていたのだった。
「その教材を上手く活用すれば、智果も父さんみたいに現役で阪大受かるかもな」
父は上機嫌で高野豆腐を頬張りながらそんな期待を抱く。智実の趣味も男性アイドルなんかに嵌るよりは健全だろうってことで快く容認してくれている寛容で心優しいお方なのだ。自身も学生時代、アニメや声優に嵌っていたらしい。



