『本日未明、○○町の××通りで通り魔による殺傷事件が起こりました。刺されたのは二十代の女性で救急車に運ばれましたが意識はなく___』
「××通りって近くじゃん…!怖……」
朝ご飯を食べながら、ニュースで報道された事件に耳を傾ける。
箸でつまんでいた目玉焼きがずるりとお皿の上に落ちて黄身が流れだした。
「ねぇ桃ちゃん、お母さんやっぱり今日、学校まで送ってあげようか?」
お母さんが皿洗いで濡れた手をエプロンで拭きながら私に声を掛けた。
この○○町で連日のように報道されている通り魔事件。
人通りの少ない場所で犯行は行われていて、目撃者も少ない。
その犯人は未だ捕まる素振りも見せず、段々と私達の住む町へと近づいてきていた。
「うん…でも、お母さん仕事でしょ?」
お母さんは看護師をしていて、毎日朝早くから夜遅くまで働いている。
仕事場も家から車で一時間の場所にある、大きな病院だから、中抜けして私を送り迎えなんて難しいだろう。
「私を送ってたら仕事に遅れちゃうよ。私は大丈夫だから気にしないで!」
___大丈夫、通り魔になんて遭遇しないよ。
私の言葉にお母さんは「そう…ごめんね」と心配そうに呟く。
「もう、気にしないでってば」
お茶碗に残った白米を口にほおばり、席を立つ。
そろそろ家を出ないと、学校に遅れてしまう。
私が制服の可愛さで選んだ高校は、家から歩いて三十分という場所にあった。
だから他の人より早く向かわないと遅刻決定だ。
玄関で靴を履き、見送るお母さんに手を振る。
「じゃあ、行ってきます」
***
「桃~、おはよ!今日も無事に会えた~!!」
私の席がある1-Bの教室。
登校するなり友達の楓さんが抱き付いてきた。
通り魔事件が学校全体の話題になってからというもの、楓さんはよくこうやって私を抱き締める。
きっと、不安なのだろう。
ぎゅうと抱き付くその背中をぽんぽんと優しく叩く。
「楓さんおはよう、私は大丈夫だよ~。ほら、生きてるでしょ?」
「生きててくれなきゃ困りますー!ってかニュース見た?通り魔事件、段々こっちに近づいてきてるじゃん」
「うん、見た…怖いよね」
自然と耳に入ってくるクラスメイト達の話し声。
その内容も通り魔関連のものが多かった。
皆、未だに捕まらない通り魔を怖がっている。
「…ねえ、知ってる?」
楓さんが私に顔を寄せてきて、そっと耳打ちした。
「うちの学校でも、ついに呼びかけるらしいよ…“集団登下校”」
「え、嘘…意味あるのかな?」
「先生達も生徒になんかあったらって気が気じゃないみたいだよ…仕方ないよね」
高校生にもなって集団登下校なんて…。
そう思ったけど、確かにその方が安心なのかも。
だけど。
私にはほぼ無関係な話だろう。
「桃は皆の帰る方角と逆方向だよね?どうするの?」
そう。
この学校に通う人達の多くは、学校近くの集合住宅地に家があるか、寮に入っている人が多いためそもそも登下校に時間をかける人は少ない。
ましてや私みたいに三十分かける人なんて…。
いたとしても通り魔事件が騒ぎになっている今、家族の誰かに送り迎えしてもらう人が圧倒的に多いはずだ。
うちは母子家庭だからそれもできない。
「まぁ、私はなんとかなるよ…大丈夫」
私の呑気な答えに楓さんが眉をひそめる。
「私が先生に言ってあげようか?そしたら先生達の誰かが家まで送ってくれるかも」
「あはは、そこまでしなくても…通り魔なんてすぐ捕まるよ___」
そのとき、教室の引き戸が開いた。
担任の市原先生が手を叩いて指示を出す。
「ほら皆ー、席について!」
市原先生の声に生徒達が全員席につく。
先生はコホンと咳払いをしたあと、話しを切り出した。
「皆さんも知ってる通り、例の通り魔事件の影響を踏まえて集団登下校を行うことになりました。皆さん、家が近くの人同士で固まって行動してね」
「先生!桃の家は離れてて集団登下校できません」
楓さんがピシッと手を挙げて口を開いた。
先生とクラスの皆の視線が私に注がれる。
「そうよね…篠塚さん、ご家族に送り迎えしてもらうのは厳しいかしら?」
先生の言葉に、私は首を振る。
「母は仕事があるので…でも私、大丈夫です!なるべく人の多いところ歩くようにするので」
「…そう?もし必要なときは遠慮せず言ってね。私が責任を持って送り迎えするわ」
「はい、ありがとうございます」
そのあとは変わりなく授業が始まり、いつも通りに時間が過ぎていった。
お昼休みには楓さんとご飯を食べて、午後の授業を受けて…。
そして下校の時間になった。
「通り魔に会ったらどうしよう…」
「私、武器になるかなって傘持ってきちゃった」
「家に帰るまで安心できないよな」
皆が不安そうに下校の支度をする。
いつどこで通り魔に会うか分からないのだから、当然かもしれない。
実を言うと…私だって本当は怖い。
だけど、人の手を借りるのは申し訳なかった。
「桃、私が途中まで一緒に行こうか?」
楓さんが張り詰めた顔でそう言った。
「いいよ!楓さん私と逆方向でしょ?楓さんのが危なくなっちゃう」
___私はパパパーっと帰るから大丈夫。
そう言って鞄を持ち、席を立った。
「それじゃあ楓さん、また明日ね!」
私が手を振ると、楓さんは控えめに手を振り返してくれた。
***
夕暮れに私の影が伸びていく。
一人、人通りのまばらな帰り道を急いだ。
家のある方角に進むにつれて、街灯も少なくなってくる。
近くにあまり住宅もないような、薄暗い道。
こうしている間にも、物陰から通り魔は私を狙っているかもしれない。
そう思うと自然と足が速度を速めた。
あと少しで家に帰ることができる。
塀に囲まれた十字路を曲がろうとしたときだ。
「きゃっ___!?」
前から走ってきた誰かに、強くぶつかられて体勢を崩す。
その場に倒れる私。
謝りもせず去って行く後ろ姿は、私とそう変わらない体格をしていた。
たぶん、女の人だろう。
もしかして通り魔___刺されたの!?
そう思って焦るけど、どこも痛みなどはない。
本当にただぶつかられただけらしい。
安堵して、ふと気づいた。
足元に何かが落ちていることに。
「…さっきの人の落とし物…かな?」
気になってそれを拾い上げた。
小さく丸まったそれを広げると、私は小さく悲鳴を上げた。
「ひぃ___!?」
血だ。
白いエコバッグの端が、真っ赤に染まっている。
まだ新しいのか、指で触れた箇所に付着し、指紋を浮き上がらせていた。
ツンと鼻を突く錆びた臭いが、これは誰かの血液なんだと証明している。
そして…私はこのエコバッグに見覚えがあった。
それは入学記念に学校で配られた、校章入りのもの。
確か、大手のショッピングモールができたときにコラボしたんじゃなかったっけ…?
なんでも、そのショッピングモールのオーナーの子供が入学する記念らしいと楓さんが言っていたような気がする。
…………。
なんで、これがここに……?
これを持っていたということは、あの人はうちの生徒___?
そのとき、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!!?」
その場から立ち上がり、声が聞こえた方へ弾かれたように走り出す。
嫌な考えが頭をよぎった。
そして。
その考えは、的中する。
「………嘘………」
目に飛び込んできたのは赤だった。
血だまりの中に、女性が倒れている。
女性は白い顔で、ピクリとも動かない。
その少し離れた場所には、私とは違う制服を着た女の子達が三人。
右側のおかっぱの子は腰を抜かしたのかその場に座り込んでいて、それを真ん中の金髪の子が支えようとしている。
「あの、すみません、そこの人!」
左にいた三つ編みの女の子が、声をかける。
「えっ……わ、私……?」
「はい、あなたです!すみませんが、救急車を呼んでいただけますか?」
その言葉で、我に返ったようにハッとした。
急いで鞄からスマホを出して119の番号を押す。
私は目の前で起こってしまった悲劇をたどたどしく説明する。
それからすぐに救急車は到着した。
***
「それじゃあ、あなた達が見つけたときにはもう、被害者は何者かに刺されたあとだったのね?」
刑事さんだというその女の人は、金上さんというらしい。
救急車を呼んだ際に、事件性が高いと判断されたのか、その後警察もやってきた。
私と女の子達三人が頷くのを見て、金上さんは安心させるかのように少し笑った。
「ごめんね、怖かったわよね。でも、調査のためにあと少しだけお話させてちょうだい」
「あの…これって例の通り魔事件と関係ありますか?」
三つ編みの女の子の言葉に、金上さんは首を振った。
「いえ…まだ分からないの。だからあなた達に色々聞きたいのよ、教えてくれる?」
そう言って私達に真剣な眼差しを送る金上さん。
仕事ができるって感じの、カッコいい女の人がそこにいた。
「他に、怪しい人とか、物とかを見つけた人はいないかしら?証拠になるかもしれないわ」
その言葉に私が反応する。
女性が走ってきた方向から逃げてきた人影。
さっきの血の付いたエコバッグ。
「あの、私___」
言いかけたその瞬間。
「金上刑事、少しいいですか?こちらなんですけど___」
「ちょっとごめんなさいね___今いくわ」
金上さんが呼ばれて行ってしまった。
…帰ってきてから話せばいいかな。
「あの、すみません」
トントン。
肩を叩かれ振り向くと、三つ編みの女の子が小声で話しかけてきた。
「さっき…証拠品の話しのとき、何か言いかけてましたよね?私にも聞かせてもらえませんか?」
「え?…えっと……」
金上さんより先に教えてもいいのだろうか。
そう思ったけど、どちらにしても、この子達もいる空間で話すことになるだろうし…別にいいか。
私は先程起こったことを三つ編みの女の子に話す。
「このこと…やっぱり金上さんに教えた方がいいよね…」
私の言葉に、女の子は少しの間考えるように目を瞑った。
「うーん…しかし…」
そして、そのあと再び私にこんなことを耳打ちした。
「言わないでおきましょう」
「……えっ?」
「このことは、私達だけの秘密にしましょう」
「えっ……えっ!?」
私はパニックだ。
なんでそんなことになるの…?
教えた方が早く事件解決に繋がるはずなのに。
三つ編みの女の子は、私を落ち着かせるようにこう言い聞かせた。
「あなた、言いましたよね?証拠品はあなたの学校の入学記念品で、犯人と思わしき人物の背格好はあなたとそう変わらない…と」
「…うん、言った……けど…」
「それって、最悪あなたも容疑者ルートに入っちゃいますよ」
「え…!?」
女の子の言葉に、私は絶句する。
彼女は三つ編みを揺らしながらこう続けた。
「だって、あなたの証言を立証できる人はいないのでしょう?全てあなたの自作自演かもしれない、あなたこそが“通り魔”かもしれない」
「このまま真実を話しても…私が真っ先に疑われるっていうこと…?」
「ええ、そうです…もしくは犯人が捕まるまで容疑者の候補には入れられるかと」
困ったように眉を八の字にして笑う女の子。
あり得なくはない未来に、私も困り果てたようにうつむいた。
確かに身の潔白を証明することはできないけど…。
「このエコバッグを持ったままっていうのも…なんか怖いよ」
その言葉に女の子が鞄から一枚の袋を取り出して、私に差し出した。
口がチャックになっている密封袋だ。
「ならばその証拠品、私が預かります」
「……え、なんであなたが…?」
「私は“探偵のタマゴ”なので」
…探偵の…タマゴ?
私が首をひねると、女の子は袋を広げた。
…エコバッグを入れろということらしい。
「それじゃあ、そっちはよろしくね___」
金上さんが帰ってくる気配がして、私は思わず袋の中に丸めたエコバッグを投げ入れた。
女の子は素早く袋の口を閉じて、鞄にしまう。
早技だった。
なんだか手慣れているような…?
「ごめんなさいね、お待たせしちゃって…それでさっきのお話だけど___どうかしら?何か見つけた物はある?」
私は首を振り、三人も首を振った。
…これでもう後戻りできない。
これで実はさっき…なんて言ったらまず私が疑わしいだろう。
「あの、そろそろ家に帰ってもいいですか?お母さん達が心配しちゃうので」
三つ編みの女の子がハキハキとした口調でそう言った。
それに続くようにおかっぱの女の子と、金髪の女の子も帰る意志を口にした。
私もそれに続く。
「私も…早く家に帰りたいです」
その言葉に金上さんはもう一度「そう…ごめんね」と呟いた。
「怖い体験したのに無理をさせちゃったね、分かった。今日は家までパトカーで送るから、少し待っていてちょうだい…手配してくるわ」
そう言ってその場を去る金上さんの背中に、申し訳なさがつのるのを感じる。
「あの、帰る前にあなたのお名前を伺ってもいいですか?」
「あ……桃、だよ」
「桃さん。私は柊と言います…それとこっちのおかっぱ頭が清水で、金髪頭が麻生です」
柊さんに指をさされた二人が、私へと疲れた顔で手を振った。
「私達、学内で探偵クラブという部活動をしていまして……うーん、単刀直入に言いますね」
柊さんは目を輝かせながら続けて口を開いた。
「私達と、この通り魔事件を解決しませんか?」



