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今日、私は初めてわざと終電を逃した。
そしてコンビニで缶ビールではなく、意外にもヒットした缶の炭酸りんごジュースを2本買い、公園へと向かった。
個人的な連絡もとっていないし、仕事上で関わる機会は何度かあったもののあの夜のことをお互いが口に出すこともなく、もはや夢だったんじゃないかと思うほど。だから、はっきりさせたかった。
いなかったら、夢だったと思うことにしよう。そう決意して終電を逃したわけで。
「いるわ…」
丸っこい背中が見えた瞬間そう口からもれた。項垂れるように頭が下に向いている。
私はため息をついてゆっくりと木のベンチへと向かった。
私に気づいていないのか、寝ているのか、影に落ちた表情を確認することができず、私は袋から缶ジュースを取り出して男の頬にあてた。
「わっ」
予期せぬ冷たさに跳ね上がるように顔をあげた男は、やはり八神だった。
私を視界に入れて、「冴島さん!」と名を呼ぶ。この場で名前を呼ばれることが不思議な気がした。
「お疲れ様です、八神さん」
仰々しくそう言えば、八神は苦笑いを浮かべて私が差し出している炭酸リンゴジュースを手に取った。
「お疲れ様です、冴島さん」
そして1人分あけるように少し体をスライドさせた八神。
「ヒット商品になりましたね、これ」
私は八神の隣に腰掛けながら、コンビニの袋からまた一本取り出して軽く揺らす。
「まあ、それのおかげで綿貫が天狗に拍車がかかってますけど」
うわあ、想像つく。
「私へのハニートラップも成功でしたね」
挑発するようにそう言えば、八神は慌てたように私の方を見て手と頭を全力で横に振った。
「違う!あれは偶然です!本当に!」
「のくせに、仕事場で会った時驚きもしてなかった」
「びっくりしてましたよ、でも仕事なので必死に抑えたんです」
「ヘエ、ソウデスカ」
「棒読み…」
クスクスと笑いながら私は缶のプルトップを開けて、ジュースを飲む。隣からもぷしゅっという炭酸の音が聞こえてきた。
口を離して、私は缶の表面を見た。変な顔のりんごは変わることなく私を見つめている。そしてくるりと表面を回す。どうせ、ハートがないことは知っていた。
「ハート型、何千個に1個みたいな確率ですか?買うたびに探してるんですけど」
そう言うと、八神は「ああ」と小さく声をもらす。
「あれはボツになったんです」
「え?」
「なかなかいい案だと思ったんですけどね」
膝に肘を乗せてふうっと息を吐いた八神。なんだ、そうだったんだ、と私は少しの残念な気持ちを抱えてもう一口飲む。じゃああの日にもらった缶、とっておけば良かったな、なんて。いや、取っておいて何になるんだって話なんだけど。
「『私たちは、このりんごたちのように歪な小石みたいなものです』だっけ」
揶揄うような口調で八神にそう言うと、むっとした表情で私の方を見てくる。
「やめてくださいよ、揶揄うの」
「本当にそんなこと考えて作ったの」
「んなわけないじゃないですか」
投げやりな笑みを浮かべて前を見た八神が、一気に炭酸リンゴジュースを飲み干して缶を握りつぶす。
「あれから、綿貫から連絡とかいってませんか」
「なんで?」
「冴島さんのこと気になってたみたいだから」
まあ確かにちょいちょい仕事とは関係のない連絡がきていたがすべて無視している。天狗のおぼっちゃまとどうこうなりたいなんて微塵も思わない。
「連絡きてないですよ」
「…良かった」
この『良かった』は後輩が仕事先の人に迷惑をかけてなくて良かった、なのか、別の意味も含まれてるいるのか正直なところ胸ぐらを掴んで問いただしたい衝動に駆られているがぐっと抑えた。
「冴島さん」
「はい」
八神は地面に視線を落としたまま、言葉を続けた。
「ペンギンって小石でプロポーズするらしいです」
「はい?」
何を言い出したんだ、この人。と、首を傾げていると八神は靴の先で暗闇の中の小石をこつんと軽く小突いた。
「俺は、あの夜から冴島さんのこと忘れらんなくてモヤモヤして、こうやって夜の公園で1人で冴島さんを待ってて、でも来なくて、仕事場で奇跡的に会えたけど、仕事になるとそこまで踏み入れることできないし、連絡するのもキモいかもなってずっと悩んでたんですよ」
「…酔ってます?」
「炭酸リンゴジュースで酔えませんよ」
ですよね。と、へらりと笑う。
「綿貫はずっと冴島さん冴島さん言ってるし、それが異常に腹立つし、あのクソ坊ちゃんめ、いつかぶっ殺してやるからな」
私への告白云々より綿貫への恨みつらみが優ったような言葉が吐き出された後、八神は顔をあげて私の方を見た。
「…なんで俺たち、キスしたんですか」
そう問われて、すぐには答えられず言葉を迷うように瞳を揺らす。この人とキスをしたいと思ったからキスをして、それは自分の直感みたいなもので、仕事で会っても、私の興味はこの男から離れなかった。
つまり、そういうことだ。
簡単に言ってしまえば、恋をしはじめているのかもしれないって。言える?そんなこと。
八神は立ち上がって「もういいです」なんて歩き始めたものだから、私は地面に転がっている小石をその背中に投げつけた。
八神は背中にぶつかった微々たる衝撃に気づいてこちらを振り返る。
「ペンギンって、小石でプロポーズするんですよね。なので小石、投げてみました」
八神は地面に一度顔を向けたあと、照れくさそうに私の方を見た。再度近づいてきた八神が私を引きよせて抱きしめる。
「…分かりづら」
耳元でそう言われて私は笑った。
「お互い様でしょ」
2回目のキスは微かなりんごの味がした。
【君に小石を投げつける】
完

