『もういいかい』


 『まだだよ』

 
 小学生の時、大好きだった遊びがあった。

 掛け声を聞けば、知らない人はいないあの遊び。

 そう、かくれんぼ。

 ベンチの後ろや植木の影に小さくなって身を潜め、鬼が近くに来てドキドキする、そのスリルが好きだった。

 でも、もう出来ない。

 だってみんな、ゲームに夢中なんだもん。

 寂しさを抱えながら公園でブランコを漕いでいたとき、高校生くらいのお兄さんが私に声をかけた。

 『どうした?』

 夕日にキラキラ輝く艶のいい髪と、口元に一つ、小さなホクロが印象的な、テレビに出てきそうなほどかっこいい人。

 『…私、寂しいの。だってみんな、一緒にかくれんぼしてくれないんだもん』

 私が答えると、お兄さんは驚いた表情をした。

 きっとこのお兄さんは、みんなみたいにゲームをしないなんて珍しいとか思っているんだろう
 
 なんだか余計にさみしくなって、俯いた。

 すると、お兄さんはしゃがんで私と目線を合わせた。

 『寂しいなら、俺とこれでかくれんぼしようか』

 お兄さんは肩掛けの鞄から花柄の便箋と封筒を取り出した。

 意味がわからなくて、私は首を傾げる。

 『俺がこれで居場所のヒントをここに書いてブランコのところに置いておくから、君が俺を探して。それでいつか、君が俺の事を見つけたとき、君の勝ちだよ』

 そう言ってお兄さんは笑った。

 『ここで遊ばないの?』

 『うん、俺はずっと一緒には居られないから』

 『なんで?』

 『内緒』

 人さし指を口にあてていたずらっ子のような表情をしたお兄さんはなんだか幼く見えた。

 『うん!分かった!』

 私は隠れるほうが好きだけど、なんだか面白そうで、大きく頷いた。

 名前も知らない、笑顔が綺麗なお兄さん。

 きっとすごくモテるんだろうなと子供ながらに思った。

 『それから、このことは誰にも内緒ね』

 『内緒?なんで?』

 『二人だけの秘密、な?』

 お兄さんはここでも内緒と言った。

 気になるけど、かくれんぼしてくれるなら私には何でもよかったし、二人だけの秘密ってところに惹かれた。

 『うん!わかった!』

 お兄さんは私の頭を優しく撫でた。

 『もういいかーい!』

 私が大きな声でいう。

 『まーだだよ』

 優しい声でお兄さんがいう。

 公園でお兄さんに手をふってルンルン気分で家への道を歩き始める。

 これが私たち二人だけの、世界で一番長い、かくれんぼの始まりだった。
 
✡✡✡✡✡


 「みーつけた!」

 私、朱雀星羅(すざくせいら)は街を一望できる天文台で叫んだ。

 「みーつけた!」

 もう一度叫んで辺りを見回す。

 けれど、誰も見当たらない。

 耳を研ぎ澄ましてみても、風で木々が揺れる音がするだけで、足音などの音は聞こえてこない。

 「あーあ、今日も失敗か」

 道に迷いそうになりながら必死に山の中を進んできたというのに空振りだった。

 天文台は遠くの海まで見えるほど高いところにあって、そこからは息を呑むほどの絶景が広がっている。

 これを大切な人と見られたらどんなに素敵で、心動かされるだろうかと想像してしまう。

 でも、生憎私は一人ぼっちだ。


 私は溜息をつき、制服のスカートについた落ち葉を払うと、手元にある花柄の便箋に視線を落とした。

 【星羅、綺麗な景色が見えるよ。すごく高いし、全部見える。どこだかわかるかな?もういいよ】

 形の整った丁寧な文字で書かれたそれは、もう何枚目か分からない。

 「もういいよって、まーだだよの間違いでしょ」

 小学生のときから始まったこのやりとりは、高校一年生になった今でも続いている。

 何年経っても、見つけることはできない。

 そもそも本当に隠れているのかもわからない。

 「老けててわからないだけだったりして」

 私は苦笑して、近くにあったベンチに腰を下ろし、背負っていたリュックをおろした。

 本気で老けてるだろうなんて思っていない。

 あれから約十年、当時高校生くらいだった彼は、二十代後半といったところだと思う。

 そこまで容姿は変わるわけがない。

 せいぜい大人びたなくらいで終わってしまうはず。

 だから、ただの嫌味でしかない。

 「また返事書かないと」

 始めは向こうからしかこなかった手紙だけど、小学校を卒業するタイミングから私からも返事を出すようになった。

 「そういえば、まだ裏見てなかった」

 手紙の裏には、かくれんぼのヒントとは別に、私が返した手紙の返信が書いてあった。

 【大丈夫大丈夫、また次頑張ればそれでいい。俺は星羅の頑張り、ちゃんと分かってるよ】

 前回テストの点が悪くて落ち込んでいると書いたものの返事だ。

 たったそれだけの返信だけど、それだけで、私の心は軽くなった。

 名前も知らない彼に、今まで何度も救われてきた。

 この手紙を読む時間が一番大切だと思うほど、彼の考え方、言葉が好きだった。

 私はリュックから筆箱と、昨日新しく買った猫の便箋を取り出して、手紙の返事を書き始める。

 【ありがとう、次は絶対いい点とるから】

 まずは慰めてもらったお礼。

 そして本題。

 【あなたのヒントが悪いんじゃないの?私、ちゃんと探してるんだけどほんとに隠れてる?明日こそ見つけるから、覚悟しててね。もういいかい?】

 生意気にもとれる私の文面。

 年上の人にこんな言葉遣いが良いとは思わないけど、今さら敬語にする仲ではないと思っている。

 それなのに、私は彼の事を“あなた”としか書けない。

 一度聞いたことがあったけど教えてもらえなかった。

 「よし、明日こそ最後にするんだから!」

 見つけたら手紙で出来ない話たくさんして、絶対名前聞き出すんだから。

 私は勢いよく立ち上がると、書いたばかりの手紙を持って、公園へと駆け出した。



✡✡✡✡✡


 公園の木の陰、見つめる先にはポニーテールの髪を揺らす高校生がいた。

 二つあるブランコのうち、右側のブランコに封筒を置いて、少し名残惜しそうにしながら帰っていくのをそっと見守る。

 はたから見たら不審者かストーカーといったところだろうか。

 けれど、どちらも違う。

 彼女が公園から出ていくのを確認して、そっとその封筒に近づく。

 可愛らしい猫がプリントされた封筒。

 俺は花で彼女は猫。

 絵柄は変わるものの、何年もやりとりをしていく上で自然とそうなった。

 封筒が破れてしまわないようにそっと封を開ける。

 彼女の手紙を見るときは、柄にもなくいつも頬が緩みそうになってしまう。

 まるっこい可愛らしい字が便箋に並ぶ。

 「明日こそは見つける…か…」

 彼女はいつも詰めが甘い。

 もう少し考えればわかるだろうに。

 俺は静かに微笑んだ。

 もう彼女も高校生だ。

 まさかここまで続くとは思っていなかった。

 諦めの悪い、負けず嫌いの彼女だ。

 きっとこれからも俺を探し続けるだろう。

 流石に高校を卒業したらどうなるかはわからないけど、それまではここに来てくれるはずだと勝手に思っている。

 「どうか、これから先、彼女が寿命を迎えるその時まで、俺を見つけることがありせんように」

 俺の願いは、かくれんぼが終わるのが寂しいとか、彼女との関わりが終わってほしくないとか、そんなやさしいものじゃない。