朝の顔のウラの顔






虚勢、建前、真実を取り繕って。



大人なら、他人に見せない顔のひとつやふたつ、誰にでも存在するだろう。



それは、28歳の若さで朝の人気情報番組『あさがお』のメインキャスターを務める朝賀碧央(あさかあお)においても例外ではなかった。







『おはようございます。10月5日木曜日の『あさがお』です』


秋雨前線が停滞し、ぐずついた天気が続くこの日だって、朝の情報番組『あさがお』のメインキャスター、朝賀碧央(あさかあお)、通称"朝顔アナ"の笑顔は爽やかだった。

秀麗な顔立ちにスラリと細身のスーツを着こなすバランスのいい体格。

ドラマの番宣で出演した二枚目俳優と並べたって見劣りしないほどの容姿を持った彼だが、そのことをひけらかさない圧倒的な"爽やかさ"が『好きなアナウンサーランキング』で5連覇を果たす所以だろう。

日光毎日テレビ(NKM)の午前6時から8時帯の情報番組として20年の歴史を持つ『あさがお』のメインキャスターを拝命したのは今から5年前。

当時は入社2年目の新人をメインキャスター据えるだなんて異例中の異例でかなり話題になったものだが、あれから5年経過した朝賀碧央の司会ぶりは安定しており、番組はタイムテーブルに寸分の狂いもなく着々と進行されていく。


『6時40分になりました。続いてはあさスポのお時間です』


毎日恒例、7時前のスポーツコーナー。しかし、この日はプロ野球のクライマックスシーズン直前スペシャルということで、通常とは異なる編成で行われることになっていた。

『おはようございます!10月下旬から開始されるクライマックスシリーズに向けて、本日は、『Night News』の久米波音(くめはお)が出張インタビューにまいりました!』


晴れやかな笑みで画面に映し出される彼女は、同局アナウンサーの久米波音。

彼女がメインキャスターを務める深夜帯のニュース番組『Night News』ではスポーツニュースに力を入れており、選手により密着した取材が行いやすいということで、此度『あさがお』とのコラボが実現した。


『それでは早速、先日史上6人目のシーズン50本塁打の記録を達成した清貫翔洋(きよぬきしょうよう)選手にインタビューさせていただきます』


ふわりとスカートを翻し、小走りで清貫選手に近寄った久米に『よろしくお願いします』とにこやかに笑う清貫選手。

久米は元々155センチという比較的小柄な体格だが、身長190センチ近くある野球選手の隣に並べば、その体の小ささはさらに強調され、さながらグリズビーとうさぎといった様相である。


『嬉しいな、俺、久米アナのファンなんです』

『え?嘘、そうなんですか?嬉しいです』

『あれ、言ってもらっていいですか?』

『ええ〜、あれですか?』


清貫選手に促され、照れたように笑う久米はわざとらしく一度深呼吸をして、次の瞬間、清貫選手に向き直る。


『今日の終わりに良い夢を。おやすみなさい』


『Night News』のエンディングでお馴染みのセリフを吐けば、『うわぁ、本物だ。可愛い…』と顔を緩ませる清貫選手。画面上にはピンク縁のテロップが表示され、あげく小さなハートまで飛ぶ始末。

『いや、やめてください!恥ずかしいです』と本気の照れを見せる久米だが、そういう仕草もまた男心をくすぐるのを本人は理解していない。

そんな天然さが……——


(俺のはおちゃんの可愛い顔が、全国の男の目に……)


この男のウラの顔を加速させるのである。






「ただいまぁ」


木曜深夜、『Night News』の生放送を終えて自宅に帰宅すると、リビングの常夜灯が点いていた。

消し忘れたのだろうか?と寝室のドアを開けてみたが、布団は捲れ上がっているようなので、彼がリビングにいることは間違いない。

……なんで常夜灯?電気つければいいのに。

そんな考えが頭に浮かんですぐ、今日が木曜日であることを思い出した。数日前に撮影を終えたものだったからすっかり忘れていたが、そういえば今朝は清貫選手へのインタビューが『あさがお』で放映される日だ。

まずい……、と苦笑いを浮かべつつ、恐る恐る床に目を向ければ、玄関から洗面所まで連なる彼の抜け殻。いつもはきっちり家事をこなしてくれる彼がこれを片付ける気力もないとなれば……、私は覚悟を決めなければならない。

もしかしたら、寝ているかもしれないから……と、恐る恐るリビングの扉を開ければ、ソファーの肘掛け部分からニョキっと伸びる小さな頭。


「……」

「あ、碧央くん、ただいまぁ」

「……はお」

「碧央くん、おかえりは?」

「……」


保護猫の如くこちらを警戒する碧央くんに「やっぱり」とため息。テーブルに乗ったカップラーメンを落ちる恐れのないところまで押しやってから、彼がくるまっていたブランケットをばさっと奪い取った。


「なんで取るの、返して」

「だって、じめじめしてるんだもん。このままじゃ碧央くんにキノコ生える」

「……生えたら美味しく食べてね」

「やだよ、今の碧央くんに生えるキノコは絶対毒キノコだもん」


ブランケットを綺麗に畳みながら言えば、いじけたように下唇を尖らせた28歳幼児が潤んだ瞳でこちらを見上げた。


「だって、波音が……野球選手といちゃいちゃ……」

「してないよ。一生懸命お仕事しました!」

「うん、その一生懸命お仕事してる可愛い姿を全国民に見られたからイヤ」

「全国民が『あさがお』見てると思ったら大間違いだよ」


じめじめと文句を言う碧央くんの隣に座って、彼の背中をよしよしと優しく撫でてあげれば、萎れた花にお水をあげたみたいに少しずつ背筋が伸びてくる。


「野球選手、格好良かった?」

「んーん、碧央くんの方が格好いいよ」

「本当に?」

「ほんと」


答えが分かっていながらの確認作業。好きな人だから許せる。

「はおー」と縋るようにお腹に巻きついてくる腕も、まだヤキモチを消化できていないらしい複雑そうな表情も……可愛いって思うの、本当に恋の病だと思う。


「碧央くん、会社ではあんなにしっかりしてるのにね」

「嫌い?」

「ふふ、嫌い?から入るのやめてよ。本当、家での碧央くんはダメだなぁ」

「じゃあ、好き?」

「好きだよ」


ニコッと笑って頭を撫でる。それによって「よかった」と緩められた表情が恐ろしく美しい。

普段、テレビ用に整えられている髪は無造作におでこを隠し、どんな時間帯のテレビに出てもぱっちりの二重瞼は眠そうに私を見つめている。


「碧央くん、寝ないと。もう少しで出勤でしょ?あと数時間しか寝られないよ?」

「んー……」

「本番中、欠伸でない?」

「スイッチ入ったら欠伸は出ないかな」


瞳を閉じてぎゅーっと私を腕の中に収めながら、低い声で呟いた碧央くんに「さすが、NKMのエースアナ」と心の中で称賛したにも関わらず。


「でも、波音が野球選手に食われそうになってるブイ見た後は顔引き攣りまくったけどね」


棘のある言い方に苦笑い。この人まだご機嫌斜めらしい。




「朝賀さん、公私混同はダメなんじゃないですか?」


碧央くんの頬を両手で潰して、ただの先輩後輩時代の呼び方で注意してみる。

でも、きょとんと目を丸めた碧央くんはすぐにフッと微笑んで、こちらが瞬きをした隙にあっという間に私の両手首を片手でまとめてしまった。


「……久米の方こそ、もう少し共演者とは線引かないと。厄介事に巻き込まれるよ?」

「……っ、」


今の今まで甘えた全開だったくせに。私の真似をして、恋人になる前の先輩口調で吐き捨てる。

低くよく響く落ち着いた声は完璧な滑舌で、耳にするりと馴染んで溶けて。

ずるい、……こういうギャップがいつも私を翻弄する。

頼れる先輩、尊敬する先輩。でも、家では甘えん坊で構ってちゃんな可愛い年上彼氏。

どっちも好きな私は成す術なし。落ちて落ちて、彼の魅力に陶酔するしかないのだ。


「波音、俺は心配なんだよ。俺のいない現場でそんなに可愛くて……今までどうやって生きてきたの?心配すぎて俺、全部の現場着いて行きそう」

「碧央くんは私のこと買い被りすぎだよ」

「そんなことないよ?清貫だって、確実に波音のこと狙ってるから。グリズリーの捕食対象だよ、確実に」

「グリズリー……」


いきなり出てきた熊の名前に一瞬理解が遅れたが、先日会った清貫さんのガッチリした体格を思い出して、「中々いい比喩だな」とちょっと笑ってしまった。



「絶対、ぜ……ったい、次仕事であっても線引きちゃんとしてね。仕事上の関係だってアピールして」

「せ、線って、別に必要以上に仲良くしてるつもりないもん。お仕事だから普通に愛想は良くしておかなきゃって」

「言い訳無用」

「わっ……!」


ニヤリと笑った碧央くんは私に覆い被さり、ソファーに押し倒す。ソファーの肘掛けで頭を打たないよう、ちゃんと手を差し込んでくれるあたりは流石だ。

ふわりと香るシャンプーの香りに心拍数が上がる。

伏し目がちに私を見つめる彼は、あまりの刺激の強さに目を逸らしたくなるほど艶麗。この数時間後、全国の視聴者に笑顔で『おはようございます』を届けるとは到底思えない。


「……碧央くん、寝なくていいの?」

「今日のVTRが頭に残って、もう寝られない」

「疲れない?」

「寧ろ回復すると思うけど」


ゆったりと弧を描いた唇が近づいてくる。目を閉じてそれを受け入れれば、耳を指先でフニフニと撫でて。唇より先に、耳に落ちるリップ音。


「……はーお、俺を妬かせた責任とって?」

「っん、」


聞き取りやすい美しい声。私が彼の声に弱いことを自覚していて、耳から先に説得するなんて至極性格が悪い。

お風呂入ってないよ、とか。碧央くん寝ないと朝の生放送辛いんじゃない?、とか。

拒否しなければいけない理由など、挙げればキリがないほどなのに、朝と夜ですれ違った平日の時間を取り戻したくなる。

もう……あと1日したら土曜日なのに。平日はお仕事頑張って、二人とも帯の生放送がない土曜日だけは一緒にゆったりと過ごそうねって約束なのに。


「……もう、碧央くんの嘘つき」

「たまにはタイムテーブルも崩さなきゃ、つまらないでしょ?」


 



爽やか晴れやか朝の顔。


そのウラの顔は……




「波音、可愛い。閉じ込めちゃいたい」

「……んぅ、」

「本当は俺だけに『おやすみ』って言って欲しいな」




爽やかさとは程遠い、久米波音過激派、愛が重たい系彼氏なのです。








01.朝の顔の素顔
ーendー