それでは旦那様、私と賭けをいたしましょう


 熱気の漂う部屋で、男女の乱れた吐息と、ベッドの軋む音だけが響いている。
 窓もカーテンも閉められ、明かりもわずかまで落とされた室内では、視覚以外の五感のほうが鋭くなっていた。
 これまでのミレッラの人生の中で、男にベッドに押し倒される経験は初めてのことだ。
 自分も、自分に覆い被さる男も、ふたりとも肌に汗を滲ませ、何かをこらえるように眉根を寄せている。
 男の緑の瞳に映る自分は、自分ですら初めて知るような熱を橙色の瞳に滲ませていて、それだけでも目を逸らしたくなったのに、男の表情があまりにも色っぽく、見惚(みと)れてしまいそうになる悔しさも併せて顔を横に背けた。
 その視線の先で、自分のものとは似ても似つかない節くれ立った手が映る。反対側にも男のもう片方の手が伸びており、まるで男によってつくられた檻の中に閉じ込められているみたいだった。
 すると、眺めていた男の手が動き、突然ミレッラの頬を掴んで彼の方へと向けさせられる。

「随分と、余裕そうじゃないか」

 片手で無造作に掴まれているせいで、唇が意図せず尖る。そこに男の柔らかい唇が重ねられた。
 まるで自分を味わわれるような激しいキスなんて初めてのミレッラには、男のキスにどう応えればいいのかわからなくて戸惑う。へたくそ、と意地悪く笑う男にムッとしたのはつい先ほどのことで、そんなに早くうまくなれるわけがなかった。
 男もそれがわかっているのか、ミレッラなどお構いなしに好き勝手に口内を蹂躙していく。
 ――ふっ、と彼が笑う。
 この夜で幾度も目にしてきた、挑発的な微笑みだ。
 普段は仮面の下に隠されているこの顔を、いったいどれだけの人間が知っているのだろう。
 薄桃色の髪をひと房すくわれ、彼がそこに唇を寄せる。

「キスをして睨まれるなんて、考えたこともなかったな」
「じゃあこれからは頭の中に刻んでくださる? 私、キスで機嫌を取ったり物事をうやむやにしたりする男って、大嫌いなの」
「へえ?」
「特に、それで女を思い通りにしようとする男が一番、ね」
「なるほど。肝に銘じよう」

 だが、と彼が続ける。

「あなたも心に刻むといい。ベッドの上で他の男の話をするのが、どれだけ危険な行為かを」

 これまで手加減されていたのかと思うほど、男の動きが激しくなった。それにまた目を鋭くして彼を睨む。
 初めて与えられる感覚にもう白旗を上げたくなったミレッラは、それでも奥歯を噛んで気を持ち直した。
 なぜなら。

(絶対に、負けるわけにはいかないのよ)

 こうして知り合ったばかりの男に身を委ねなければならなくなったのは、全て復讐のためだ。
 目の前の男を利用して、成し遂げたい目的がある。いや、成し遂げなければならない役目が。
 やがて腹の中に、男の熱が流れ込んでくる。
 互いに上がった呼吸を整えていたら、額に貼りついて邪魔な前髪を、存外優しい手つきで男が流してくれた。

「これで、後戻りはできないぞ」

 男が耳元で囁く。

「望むところよ。せいぜい私を利用するといいわ。私はあなたにも、負ける気はしないから」

 男が少しだけ身を起こすと、重なった視線でどちらからともなく笑い合う。
 それは、恋愛結婚したばかりのふたりが浮かべるには物騒で、政略結婚したふたりが浮かべるには、どこか親しげなものだった。