政略妻はもう終わりにするはずが、冷酷外科医は永久溺愛で離さない

「そう、ですか。……それならよかった」

 ボソッと囁いた彼の言葉に耳を疑う。だって今、『よかった』って言ったよね? いや、ただ単に私に迷惑に思われていなくてよかったって意味だ。変に勘違いしたらだめ。

 現に三浦先生の表情は変わらず、その後は会話も続かなかった。お互い食べたり飲んだりするだけで、時間だけが過ぎていく。
 話したいことはたくさんあったのに、自分から話しかける勇気が出なくて、ただ彼の様子を窺うばかり。

 それでも目の前で食事をする貴重な姿が見られただけで嬉しくなる。少し経つと、三浦先生の些細な表情の変化にも気づけるようになった。

 甘いものが好きなのか、ほかのものより噛みしめて食べている。その姿が不覚にも可愛いと思ってしまった。

 こんな意外な一面を知ることができただけで満足かもしれない。なによりふたりっきりで食事をしている。それだけですごいことだ。

 きっと彼は、院長に頼まれて仕方なく私と会っただけだと思うが、拒否することなく来てくれて嬉しかった。おかげで幸せなひと時を過ごすことができたのだから。

 夢のような時間はあっという間に過ぎていき、ラウンジを後にして、肩を並べる。

  そろそろ夢から醒める時間だ。明日からは必要最低限の言葉しか交わさない同僚に戻る。当然のことなのに、幸せな時間を過ごしてしまったからか寂しく感じてしまう。

 玄関を抜けた先にタクシーが数台待機しているのが見えたから、足を止めて彼に向かって頭を下げた。

「今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。……父には私のほうから話しておきます」

 三浦先生は私との将来などまったく考えていないだろう。噂にすぎないけれど、竹藤先生とは特別な関係のように見受けられる。

 たとえ竹藤先生と恋人ではないとしても、彼に見合う相手は決して私ではない。

 とはいえ、院長が言い出したことだし、彼から断るより私から断ったほうがいいはず。その思いで言ったところ、三浦先生は深く頷いた。

「俺も父に今日はとても楽しかったので、今後もこうやってふたりで過ごす時間を過ごしていきたいと伝えておきます」

「えっ?」

 楽しかった? 今後もふたりで過ごす? 思いがけない言葉に目を瞬かせてしまう。
 いや、ただの社交辞令なのかもしれない。私が断りを入れたらいいだけの話だ。

 そう自分に言い聞かせて、「わかりました。では、ここで失礼します」と言って足早にタクシーへと向かう。

 そのまま振り返り彼を見ることなく、タクシーに乗り込んだ。