修学旅行が終わったその夜、美羽はなぜだか胸がざわざわして眠れなかった。
旅館の布団の匂いから自分の部屋の匂いに戻ったはずなのに、まだ心がどこか旅路に置き去りになっているようだった。
そっと窓を開けてベランダへ出ると、秋の夜気がしんと澄んでいた。
頬にあたる風すら、旅先の京都の空気の続きのようで、余韻をそっと撫でていった。
美羽は胸の前で手を組んでみる。
その左手の薬指には――椿とお揃いの指輪が光っていた。
(……ほんとに、夢じゃないんだ)
そんなふうに指輪を眺めていたとき、スマホがブルッと震えた。
画面には「椿」の名前。
美羽の心臓は、秋の星みたいに一瞬で瞬いた。
「もしもし?」
『――あぁ。美羽か。』
聞き慣れているのに、どこか低くて甘い。
電話越しなのに距離が近く感じる声だった。
「いまね、星を見てたの。椿くんも、家から見える?」
美羽は夜空を見上げながら、胸の内がそわそわと緩むのを感じていた。
少し間があってから、
『……見てる。こっちも綺麗だ。
……お前と同じの見てるって思うと、不思議だな。』
言葉の最後が照れたように沈む。
その小さな変化が、美羽の胸をじんわり満たした。
「椿くん……ありがとう。
あの夜のこと、私、きっと忘れないよ。」
指輪が、星の光を拾って淡く瞬く。
それは椿がくれた“約束”みたいで、胸が熱くなった。
『……風邪ひくぞ。
いいから早くあったまって寝ろ。』
「優しいね、椿くん。」
『別に優しさじゃねぇよ。
……お前がいないと俺が困るんだよ。』
唐突で、ぶっきらぼうで。
なのに、全部が優しかった。
美羽は頬がふわりと熱くなるのを感じながら、
「うん……おやすみ、椿くん。」
『あぁ。また明日。』
通話が切れる。
でも、耳の奥にはまだ椿の声が残っていた。
星空に浮かぶ指輪を見つめながら、美羽はただそっと笑った。
---
◆ 翌朝、秋の風の中で
翌朝――。
「やばっ、遅刻する!!」
目覚ましの止め忘れで起きるのが少し遅れた美羽は、バタバタと身支度を整えて階段を駆け下りた。
ママがキッチンから顔を出す。
「はい、美羽。お弁当忘れちゃだめよ?」
「ありがとう、ママ!」
ママは美羽の手元の指輪に視線を落とし、
ふふっと含み笑いをした。
「椿くん、待ってるんでしょ?
高校生活、悔いのないよう楽しみなさいね。」
「う、うん!」
テーブルの端では――
「美羽が……美羽が……!
彼氏なんて……うぅ……」
パパが新聞紙をびしょびしょに濡らして泣いていた。
「パパも早くご飯食べなさぁい」
ママがため息をついて背中をさすっている。
美羽は苦笑しつつ靴を履き、玄関へ。
「いってきまーす!!」
外へ飛び出すと、そこには清々しい秋の空気が広がっていた。
道沿いの木々が鮮やかな紅葉を揺らし、落ち葉が朝の風に乗ってひらひら踊る。
(……今日もいい日になりそう)
美羽は心の中でふと思った。
胸の奥が、今日もなにか始まるような予感でいっぱいだった。
*
駅に着くと――相変わらず先に着いていた椿が、壁にもたれかかって立っていた。
朝日を受けて、黒髪がさらりと光り、制服の上からかけたコートが妙に似合っている。
駅のざわめきの中で、彼だけがゆっくり時間を過ごしているようだった。
「椿くん!おはよ!」
駆け寄った美羽に、椿がふっと目を細める。
「美羽、遅せぇぞ。」
口では文句を言っているけれど、目が笑っている。
それがたまらなく愛しくて、美羽は胸がきゅっとした。
「ごめんね。寝坊しちゃって。」
「……まぁ、いいけど。」
その言い方があまりにも照れ隠しで、美羽は思わずくすっと笑ってしまった。
「寝癖ついてんぞ。」
「ぇえ!うそ!!」
「手鏡で見てちゃんと直したのに~!」
「はは、冗談だよ。」
「え、なにそれ!もう!椿くん~!?」
自然とふたりは手をつなぐ。
その瞬間、椿がちらりと美羽の左手を見た。
そこには、秋の修学旅行でのホテルの部屋で交わした特別なペアリングが光っている。
「……似合ってる。」
ぽつりと落ちたその言葉に、美羽の心臓が跳ねた。
「椿くんも……今日もかっこいい。大好きっ…。」
椿は少し照れたように目をそらし、
「知ってる」
と小さく呟いた。
美羽は吹き出してしまい、椿がさらにむくれた顔をする。
ふたりはそのまま学校に向かって歩き出した。
手をつないだまま、秋の朝日がリングに反射してきらきら光る。
風が通るたび、木々の葉が舞い、世界が静かに祝福してくれている気がした。
この道を、これから何度もいっしょに歩いていくんだろう。
そんな未来の匂いがして、美羽の胸はまたあたたかく満たされる。
学校までの道を、ふたりは並んで歩いた。
手をつないでいるだけなのに、世界の色が少し鮮やかに見える。
朝の光が紅葉を照らし、ふわりと落ち葉が舞う。
その中で、椿が歩幅を美羽に合わせてゆっくり歩くのがわかる。
胸がくすぐったくて、美羽はそっと椿を見上げた。
「ねぇ、椿くん。」
「なんだ。」
「ふふ、なんか……幸せだね。」
言った瞬間、風がそよぎ、椿の涼しい横顔がゆっくりとほころんだ。
椿は立ち止まって、美羽の頭をくしゃりと撫でる。
「今さら気づいたのか。
……これからもっと幸せにしてやるよ。」
その言葉が胸の奥深くに落ちて、熱く広がる。
「……っ、椿くん。」
名前を呼ぶだけで声が震える。
椿は照れ隠しのように目をそらし、手を握りなおした。
ふたりはまた歩き出す。
朝日が差し込み、足元にふたつ並んだ影が伸びていく。
指を絡めた左手に、ふたりの指輪がきらきらと光った。
どこか遠くまで届いてしまいそうなほど綺麗に、幸福の色をまとって。
その光は、これから続いていくふたりの未来を、静かに約束していた。
旅館の布団の匂いから自分の部屋の匂いに戻ったはずなのに、まだ心がどこか旅路に置き去りになっているようだった。
そっと窓を開けてベランダへ出ると、秋の夜気がしんと澄んでいた。
頬にあたる風すら、旅先の京都の空気の続きのようで、余韻をそっと撫でていった。
美羽は胸の前で手を組んでみる。
その左手の薬指には――椿とお揃いの指輪が光っていた。
(……ほんとに、夢じゃないんだ)
そんなふうに指輪を眺めていたとき、スマホがブルッと震えた。
画面には「椿」の名前。
美羽の心臓は、秋の星みたいに一瞬で瞬いた。
「もしもし?」
『――あぁ。美羽か。』
聞き慣れているのに、どこか低くて甘い。
電話越しなのに距離が近く感じる声だった。
「いまね、星を見てたの。椿くんも、家から見える?」
美羽は夜空を見上げながら、胸の内がそわそわと緩むのを感じていた。
少し間があってから、
『……見てる。こっちも綺麗だ。
……お前と同じの見てるって思うと、不思議だな。』
言葉の最後が照れたように沈む。
その小さな変化が、美羽の胸をじんわり満たした。
「椿くん……ありがとう。
あの夜のこと、私、きっと忘れないよ。」
指輪が、星の光を拾って淡く瞬く。
それは椿がくれた“約束”みたいで、胸が熱くなった。
『……風邪ひくぞ。
いいから早くあったまって寝ろ。』
「優しいね、椿くん。」
『別に優しさじゃねぇよ。
……お前がいないと俺が困るんだよ。』
唐突で、ぶっきらぼうで。
なのに、全部が優しかった。
美羽は頬がふわりと熱くなるのを感じながら、
「うん……おやすみ、椿くん。」
『あぁ。また明日。』
通話が切れる。
でも、耳の奥にはまだ椿の声が残っていた。
星空に浮かぶ指輪を見つめながら、美羽はただそっと笑った。
---
◆ 翌朝、秋の風の中で
翌朝――。
「やばっ、遅刻する!!」
目覚ましの止め忘れで起きるのが少し遅れた美羽は、バタバタと身支度を整えて階段を駆け下りた。
ママがキッチンから顔を出す。
「はい、美羽。お弁当忘れちゃだめよ?」
「ありがとう、ママ!」
ママは美羽の手元の指輪に視線を落とし、
ふふっと含み笑いをした。
「椿くん、待ってるんでしょ?
高校生活、悔いのないよう楽しみなさいね。」
「う、うん!」
テーブルの端では――
「美羽が……美羽が……!
彼氏なんて……うぅ……」
パパが新聞紙をびしょびしょに濡らして泣いていた。
「パパも早くご飯食べなさぁい」
ママがため息をついて背中をさすっている。
美羽は苦笑しつつ靴を履き、玄関へ。
「いってきまーす!!」
外へ飛び出すと、そこには清々しい秋の空気が広がっていた。
道沿いの木々が鮮やかな紅葉を揺らし、落ち葉が朝の風に乗ってひらひら踊る。
(……今日もいい日になりそう)
美羽は心の中でふと思った。
胸の奥が、今日もなにか始まるような予感でいっぱいだった。
*
駅に着くと――相変わらず先に着いていた椿が、壁にもたれかかって立っていた。
朝日を受けて、黒髪がさらりと光り、制服の上からかけたコートが妙に似合っている。
駅のざわめきの中で、彼だけがゆっくり時間を過ごしているようだった。
「椿くん!おはよ!」
駆け寄った美羽に、椿がふっと目を細める。
「美羽、遅せぇぞ。」
口では文句を言っているけれど、目が笑っている。
それがたまらなく愛しくて、美羽は胸がきゅっとした。
「ごめんね。寝坊しちゃって。」
「……まぁ、いいけど。」
その言い方があまりにも照れ隠しで、美羽は思わずくすっと笑ってしまった。
「寝癖ついてんぞ。」
「ぇえ!うそ!!」
「手鏡で見てちゃんと直したのに~!」
「はは、冗談だよ。」
「え、なにそれ!もう!椿くん~!?」
自然とふたりは手をつなぐ。
その瞬間、椿がちらりと美羽の左手を見た。
そこには、秋の修学旅行でのホテルの部屋で交わした特別なペアリングが光っている。
「……似合ってる。」
ぽつりと落ちたその言葉に、美羽の心臓が跳ねた。
「椿くんも……今日もかっこいい。大好きっ…。」
椿は少し照れたように目をそらし、
「知ってる」
と小さく呟いた。
美羽は吹き出してしまい、椿がさらにむくれた顔をする。
ふたりはそのまま学校に向かって歩き出した。
手をつないだまま、秋の朝日がリングに反射してきらきら光る。
風が通るたび、木々の葉が舞い、世界が静かに祝福してくれている気がした。
この道を、これから何度もいっしょに歩いていくんだろう。
そんな未来の匂いがして、美羽の胸はまたあたたかく満たされる。
学校までの道を、ふたりは並んで歩いた。
手をつないでいるだけなのに、世界の色が少し鮮やかに見える。
朝の光が紅葉を照らし、ふわりと落ち葉が舞う。
その中で、椿が歩幅を美羽に合わせてゆっくり歩くのがわかる。
胸がくすぐったくて、美羽はそっと椿を見上げた。
「ねぇ、椿くん。」
「なんだ。」
「ふふ、なんか……幸せだね。」
言った瞬間、風がそよぎ、椿の涼しい横顔がゆっくりとほころんだ。
椿は立ち止まって、美羽の頭をくしゃりと撫でる。
「今さら気づいたのか。
……これからもっと幸せにしてやるよ。」
その言葉が胸の奥深くに落ちて、熱く広がる。
「……っ、椿くん。」
名前を呼ぶだけで声が震える。
椿は照れ隠しのように目をそらし、手を握りなおした。
ふたりはまた歩き出す。
朝日が差し込み、足元にふたつ並んだ影が伸びていく。
指を絡めた左手に、ふたりの指輪がきらきらと光った。
どこか遠くまで届いてしまいそうなほど綺麗に、幸福の色をまとって。
その光は、これから続いていくふたりの未来を、静かに約束していた。



