白い光。
リディアは、その中にいた。
体がない。
重さがない。
ただ、意識だけがある。
リディアは、浮いている。
上も、下も、わからない。
時間も、わからない。
ただ、白い光だけが、全てを包んでいる。
リディアは、何も感じなかった。
痛みも、苦しみも、何もない。
ただ、静寂だけがある。
ここは、どこだろう。
リディアは、考えた。
死んだのだろうか。
そうだ。
リディアは、荒野で死んだ。
毒を飲まされて、死んだ。
では、ここは——。
死後の世界。
記憶が、蘇った。
前世の、記憶。
製薬会社の、研究室。
白衣を着た、リディア。
報告書を、破られた記憶。
上司の、冷たい言葉。
「君の研究は、会社の利益を損なう」
孤立。
左遷。
誰も、信じてくれなかった。
そして、今世の記憶。
王宮の、薬房。
セレナの、嘲笑。
アルヴィンの、裏切り。
国王の、昏睡。
追放。
石を、投げられた記憶。
「毒殺者!」
そして、毒を飲まされた。
荒野で、死んだ。
また、失敗した。
リディアは、自責の念に苛まれた。
前世でも、今世でも、何も変えられなかった。
真実を訴えても、誰も信じてくれなかった。
患者を救おうとしても、救えなかった。
リディアは、無力だった。
ただ、一人で死んだ。
何も、成し遂げられなかった。
リディアは、心の中で泣いた。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
誰にも、何も、してあげられなかった。
その時。
声が、聞こえた。
「お前は、諦めるのか」
リディアは、震えた。
誰だ? 
声は、どこからともなく響いている。
男性でも、女性でもない。
ただ、声だけがある。
「誰……ですか……」
リディアは、問いかけた。
だが、声は答えなかった。
ただ、再び問いかけてきた。
「お前は、諦めるのか」
リディアは、唇を噛んだ。
諦める……? 
「私には……力がない……」
リディアは、小さく答えた。
「前世でも、今世でも、何もできなかった……」
「誰も……信じてくれない……」
リディアの声が、震える。
「真実を訴えても……誰も聞いてくれない……」
「私は……無力です……」
リディアは、泣いた。
光の中で、声もなく泣いた。
「もう……疲れました……」
「何も……したくない……」
リディアは、諦めようとしていた。
もう、戦いたくない。
もう、傷つきたくない。
ただ、このまま消えてしまいたい。
リディアは、光の中で、小さくなった。
光が、揺らいだ。
そして、声が再び響いた。
「それでも、戦うか?」
リディアは、息を呑んだ。
「戦う……?」
「そうだ。お前は、また戦うのか?」
リディアは、震えた。
戦う。
また、あの苦しみを味わうのか。
また、裏切られるのか。
また、一人きりになるのか。
リディアは、恐怖した。
「私には……もう……」
「お前には、何がある?」
声が、問いかける。
リディアは、黙った。
私には、何がある? 
リディアは、考えた。
力も、ない。
味方も、いない。
証拠も、ない。
何も、ない。
「……何も、ありません……」
リディアは、小さく答えた。
「ならば、何故お前は生きていた?」
リディアは、息を呑んだ。
何故……? 
「わかりません……」
「お前は、何を望んでいた?」
リディアは、震えた。
何を、望んでいた? 
リディアは、記憶を辿った。
前世で、何を望んでいたのか。
今世で、何を望んでいたのか。
そして——。
リディアは、思い出した。
「人を……救いたかった……」
小さな、声。
「薬害で、苦しむ人たちを……救いたかった……」
リディアの声が、震える。
「真実を……証明したかった……」
「誰かを……守りたかった……」
リディアは、泣いた。
それが、リディアの望みだった。
前世でも、今世でも。
ただ、人を救いたかった。
それだけだった。
光が、また揺らいだ。
そして、声が響いた。
「それでも、戦うか?」
光の中。
リディアは、浮遊していた。
声は、もう聞こえない。
ただ、静寂だけがある。
リディアは、考えた。
戦う。
また、戦うのか。
リディアは、震えた。
戦うのは、苦しい。
傷つくのは、痛い。
裏切られるのは、辛い。
このまま、消えた方が楽ではないか。
リディアは、その誘惑に引き寄せられた。
そうだ。
このまま、光の中で消えてしまえばいい。
もう、何も考えなくていい。
もう、何も感じなくていい。
ただ、楽になれる。
リディアは、目を閉じた。
光が、優しく包んでくれる。
このまま、眠ってしまおう。
永遠に。
だが——。
記憶が、蘇った。
前世の、孤独。
製薬会社の、廊下。
リディアは、一人で歩いていた。
同僚たちは、リディアを避ける。
誰も、リディアに話しかけない。
リディアは、透明人間だった。
存在しないかのように、扱われた。
上司は、リディアを左遷した。
地方の支社へ。
誰も知らない場所へ。
リディアは、そこで孤独に働いた。
毎日、毎日、誰とも話さず。
ただ、書類を整理するだけ。
リディアの研究は、無駄になった。
リディアの告発は、無視された。
患者たちは、苦しみ続けた。
リディアは、何もできなかった。
そして、孤独のまま、死んだ。
今世の、屈辱。
王宮の、謁見の間。
リディアは、民衆の前に晒された。
石を、投げられた。
「毒殺者!」
「許せない!」
罵声が、リディアを包んだ。
リディアは、血を流した。
だが、誰も助けてくれなかった。
アルヴィンは、婚約を破棄した。
セレナは、嘲笑った。
侍医長は、目を逸らした。
リディアは、追放された。
そして、毒を飲まされた。
荒野で、一人で死んだ。
二度も。
二度も、裏切られた。
二度も、孤独だった。
二度も、何もできなかった。
リディアは、痛みを感じた。
心が、引き裂かれるような痛み。
もう、嫌だ。
もう、疲れた。
リディアは、項垂れた。
光の中で、小さくなった。
「もう……疲れた……」
リディアは、呟いた。
「誰も……私を必要としていない……」
リディアの声が、震える。
「前世でも……今世でも……私は一人きりだった……」
「誰も……信じてくれなかった……」
「誰も……助けてくれなかった……」
リディアは、泣いた。
光の中で、声もなく泣いた。
「もう……いい……」
「このまま……消えてしまいたい……」
リディアは、諦めようとしていた。
戦うのを、やめようとしていた。
ただ、光の中で消えてしまおうとしていた。
だが——。
その時。
リディアの脳裏に、何かが浮かんだ。
ノート。
薬学ノート。
革表紙の、古びたノート。
リディアは、それを思い出した。
あのノートに、何を書いていたのか。
前世の、化学式。
今世の、薬草の記録。
そして——。
最後のページに、書いた言葉。
「いつか、人を救える日が来る」
リディアは、その文字を思い出した。
自分の、手書きの文字。
震える手で、書いた文字。
「人を、救いたい」
それが、リディアの願いだった。
前世でも。
今世でも。
ずっと、変わらない願い。
リディアは、息を呑んだ。
まだ。
まだ、終わっていない。
リディアは、誰も救えていない。
患者たちは、まだ苦しんでいる。
セレナは、まだ人を欺いている。
国王は、まだ昏睡状態だ。
リディアが諦めたら、誰が彼らを救うのか。
リディアは、震えた。
心の奥に、小さな火が灯った。
小さな、小さな火。
だが、確かに灯っている。
リディアは、顔を上げた。
光の中で、小さく呟いた。
「まだ……終わりたくない……」
その声は、小さい。
だが、確かにあった。
リディアの、意志。
リディアの、願い。
火が、少しだけ大きくなった。
リディアは、拳を握った。
体はない。
だが、リディアは拳を握った気がした。
「まだ……戦える……」
リディアは、呟いた。
「まだ……諦めない……」
光が、揺らいだ。
まるで、リディアの言葉に反応したかのように。
リディアは、光の中で立ち上がった。
体はない。
だが、リディアは立ち上がった気がした。
心の中の、小さな火。
それが、リディアを支えていた。
リディアは、光を見つめた。
眩い、白い光。
リディアは、その光に向かって、叫んだ。
「もう一度!」
リディアの声が、光の中に響いた。
「もう一度、チャンスをください!」
リディアは、叫び続けた。
「今度こそ、戦います!」
「今度こそ、諦めません!」
「今度こそ、真実を証明します!」
リディアの声が、だんだん大きくなる。
「患者たちを、救います!」
「セレナを、止めます!」
「もう、逃げません!」
リディアは、全てを込めて、叫んだ。
「お願いです! もう一度だけ!」
光が、揺れた。
そして——。
爆発した。
眩い、眩い光。
リディアは、その光に包まれた。
光が、爆発的に広がる。
リディアの意識が、引っ張られる。
どこかへ。
どこか遠くへ。
リディアは、抵抗しなかった。
ただ、光に身を任せた。
光が、リディアを包む。
温かい。
だが、眩しい。
リディアは、目を閉じた。
光が、だんだん遠くなる。
そして——。
音が、聞こえた。
耳鳴り。
キーンという、高い音。
リディアは、顔をしかめた。
痛い。
頭が、痛い。
リディアは、手を頭に当てようとした。
そして、気づいた。
手がある。
体がある。
リディアは、目を開けた。
眩暈。
視界が、ぐるぐると回る。
リディアは、何かに横たわっている。
柔らかい。
ベッドだ。
リディアは、必死に焦点を合わせた。
視界が、だんだんはっきりしてくる。
そして——。
天井が、見えた。
白い、天井。
木の梁が、走っている。
リディアは、その天井を見つめた。
見覚えがある。
この天井は——。
リディアは、飛び起きた。
体が、重い。
だが、動く。
リディアは、周囲を見回した。
狭い部屋。
石造りの壁。
質素な木製のベッド。
古びた机と、椅子。
そして、壁にかけられた小さな鏡。
リディアは、その部屋を見つめた。
知っている。
この部屋は、リディアの部屋だ。
王宮の、侍女部屋。
リディアは、震えた。
何故? 
リディアは、荒野で死んだはずだ。
毒を飲まされて、死んだはずだ。
では、何故ここにいるのか? 
リディアは、ベッドから降りた。
足が、ふらつく。
だが、なんとか立った。
そして、鏡の方へ歩いた。
鏡の前に、立つ。
リディアは、鏡を見た。
そして——。
息を呑んだ。
鏡に映っているのは、リディアだ。
だが——。
若い。
頬の傷が、ない。
額の血も、ない。
石で打たれた痕も、ない。
リディアは、自分の顔を触った。
滑らかだ。
傷が、ない。
リディアは、手を見た。
手錠の痕も、ない。
綺麗な、白い肌。
リディアは、震えた。
これは——。
リディアは、鏡の中の自分を見つめた。
若返っている。
いや、違う。
これは、3年前のリディアだ。
追放される前の、リディアだ。
リディアは、息を呑んだ。
「死に、戻った……?」
リディアは、小さく呟いた。
鏡の中の自分が、同じように唇を動かしている。
リディアは、自分の頬を強くつねった。
痛い。
これは、夢ではない。
リディアは、本当にここにいる。
3年前の、自分の部屋に。
リディアは、震える手で、机を見た。
机の上に、革表紙のノートがある。
リディアは、それを手に取った。
開く。
そこには、前世の化学式と、薬草の記録が書かれていた。
リディアの、筆跡。
リディアは、ノートを抱きしめた。
本当だ。
本当に、戻ってきた。
リディアは、涙が溢れるのを感じた。
だが、今は嬉し涙だ。
リディアは、ノートを机に置いた。
そして、鏡の前に戻った。
鏡の中の自分を、見つめる。
3年前の、リディア。
これから、全てが始まる。
セレナの陰謀。
アルヴィンの裏切り。
国王の毒殺。
追放。
だが、今度は違う。
リディアは、全てを知っている。
何が起こるのか。
誰が敵なのか。
どうすれば勝てるのか。
リディアは、拳を握った。
鏡の中の自分も、拳を握っている。
リディアは、小さく呟いた。
「今度こそ、戦う」
その声は、決意に満ちていた。