そんなにも彼女が大事なら、私から捨てて差し上げますね~親友と婚約者に裏切られた不遇令嬢の幸せな結末~

 報告書には二人の会話の内容や行為などが詳しく書かれていた。
 酒場で落ち合った二人は、軽い食事をしただけで、酒を飲むことはなく、国が管理している馬車で自然公園に向かった。
 馬車の中での会話は分からないが、馬車から降りた二人は寄り添いながら、目立たない場所を探してことに及んだ。
 情事を終えた二人はこんな会話をしていた。

『リリスにわたしたちの関係を伝えてもいいのかしら?』
『駄目だよ。僕たちの関係を誰かに知られたら大変なことになる。ディル様は君を愛しているんだろう? 君とこんなことになったなんて知られたら、僕は殺されるかもしれない』
『わたし、リリスに内緒にするなんて無理だわ。リリスには他の人には言わないでってお願いするから言ってもいい?』
『それも駄目だ。そんなことをしたら、僕の気を引きたい彼女が、また婚約を解消するなんて、馬鹿なことを言い始めるんだ』
『本当にリリスはあなたのことが好きなのね』
『そうだよ。君もそう言っていたじゃないか。それに、僕の両親はリリスとの結婚を望んでいる。彼女はある人物にとても可愛がられているからね』

 会話文を読んだリリスは、ある人物というのは、兄に片思いしている人物のことだろうと思った。彼女はリリスたちよりもかなり上の身分の人間だ。それなのに、同い年であるファラスを愛し、何度断られてもアタックし続けている。そして、彼女はファラスと同じようにリリスを可愛がっていた。
 彼女に頼めば婚約は破棄できるかもしれない。だが、それに見合う対価を返せない。リリスはファラスたち二人が幸せになる結末を望んでいる。自分の婚約破棄のせいで、兄を犠牲にしなければならない可能性があると思うと、口に出すことはできなかった。
 報告書に意識を戻すと、ふざけた会話が続き、リリスは怒りで報告書を丸めて投げつけてやりたくなったが、我慢して読み進める。

『ねえ、シン。私と一つになったこと、後悔してる?』
『いいや。幸せすぎておかしくなりそうだ。君ともっとこうしていたい。柔らかなベッドの上で君を抱きたい。いつかリリスを抱くことになっても、この時のことを思いながら抱くよ』

 読めば読むほどに、リリスの胸には嫉妬とは違う、黒い感情が生まれていくのがわかった。

(これが殺意というものなの?)

「……大丈夫か?」

 リリスの手が震えていることに気がついたディルが声をかけると、彼女は報告書から目を上げた。目が合った瞬間、ディルは彼女の珍しい瞳の色ことを思い出し『綺麗だな』と場違いなことを考えたが、すぐにそんな考えを頭から追いやった。

「お気遣いいただきありがとうございます。私は大丈夫です」
「報告書を読ませておいて言うのもなんだが、無理はすんなよ」
「ディル様はお優しいのですね」
「普通だよ」
「そうでしょうか。ディル様も私と同じ立場ですのに、毅然としておられますし、今だって私を気遣ってくださいましたよね。そんなことができるのは、強くて優しい方だと私は思います」

 リリスは素直な気持ちを吐き出すと、ミフォンたちのことを考えた。
 ミフォンはリリスよりも優位に立つことで高揚感を得ている。リリスを無意識の内に見下し、これからもリリスを悲しませて、自分を満足させるつもりだ。

(もう限界だわ)

「婚約破棄をするにはどうしたら良いのでしょうか。私がこの家から逃げても、お父様たちに迷惑がかかるのでしょう?」

 リリスは目の前にあるテーブルを睨みつけて、二人に尋ねた。

「家出してもあの女のことだ。追いかけてくるぞ」
「……ですよね」

 ディルの言葉に頷き、隣に座る兄に目を向けた。すると、報告書を握りしめたまま、兄が微動だにしていないことに気がついた。

「お、お兄様、どうされました?」

 慌ててリリスが兄の腕に触れると、ハッとした顔になって口を開く。

「すまない。思考の中で色ボケコンビを斬り刻んでやる妄想をしていた」
「おい。気持ちはわからんでもないが、騎士の前で犯罪の話をすんな。犯罪者予備軍を放置するわけにはいかねぇだろ」
「心配かけてすまないな。では、どうしたら合法的にあいつらを抹殺できるか相談したい」
「うるせぇ。殺しに合法なんてあるか。それ以外で排除する方法を探せ」
「なんだと? ディル、お前もあの3歩歩けば言われたことを忘れる獣が好きだと言い出すんじゃないだろうな」
「ありえねぇだろ。たとえお祖母様に死ぬまで俺の顔を見たくないと言われることになっても、婚約は破棄する」

(ディル様とミフォンが婚約していることと、彼のお祖母様が何か関係あるのかしら)

 今までのリリスは、ディルとミフォンが婚約している理由を詳しく知りたいと思うことはなかった。ミフォンから、ディルが彼女に一目惚れして決まった縁談だと聞いていたからでもある。
 だが、今のディルの様子を見ると、明らかにそうだとは思えない。理由を聞いても良いものかと悩んでいると、向かい側に座っていたディルが、彼女の様子がおかしいことに気づく。

「おい、お前の可愛い妹が困ってるぞ」
「なんだって!?」

 焦った顔でファラスはリリスのほうに振り返ったが、すぐに安堵の表情に変わる。

「大丈夫だ。これは困っていない。呆れているんだ」
「偉そうに言うな」

 二人が軽口を叩いている今なら、話が聞けそうな気がして、リリスは思い切って口を開く。

「失礼でなければお聞かせ願いたいのですが、ディル様とミフォンが婚約したきっかけは何だったのでしょうか」
「話してなかったのか」 

 ディルが驚いた顔でファラスを見た。

「知らなくても生きていけるだろう」
「まあ、そう言われればそうだな」

 ディルは納得して頷くと、リリスに目を向ける。

「結論から言うと、俺の父方の祖母が、男爵令嬢の祖母と勝手に決めた縁談だ」
「勝手に、ですか?」
「ああ。俺の父が母と結婚する前の話なんだけどな」

 そう言って、ディルは自分とミフォンが婚約しなければならなくなった理由を話し始めたのだった。