ロタ・レイドン子爵は何年も前からミフォンに思いを寄せていた。初めて彼女を見たのは、シンと一緒にいる時で愛らしい笑顔に一目ぼれだった。昔の引っ込み思案で平民に対しても強く言えなかった彼は、上位貴族に物怖じしない彼女に憧れた。
ミフォンにはディルという婚約者がいたため、諦めようと思いつつも、シンから彼女の良いところを聞かされたりすることもあって、気がつけば20歳になった。その頃、病に臥せっていた父の死を悟ったロタは、爵位を自分に譲るように話したところ、結婚しない限り家督は譲らないと言われた。ロタの父は彼の気持ちに気づいており、ミフォンではない別の人と結婚させたかった。
ロタが結婚するよりも先に父は亡くなったが、結婚していないロタに家督は譲られず、母が代理をしていたため、子爵の家督がほしかったロタは仕方なく相手を探した。
相手は言いなりになってくれるような女性なら誰でも良かったが、簡単には見つからなかった。
だから作った。悪徳の医者を雇い、未婚で婚約者のいない令嬢の家に目を付け、治療費を払うことで金に困るようにさせた。治療費を出して負い目を感じさせ、自分の言うことを聞く、操り人形の妻を作った。
そんな妻ももう用なしだった。家督は手に入り、うるさかった母ももういない。それだけでなく、手に入らないと思っていた宝石が手に入る。そう思うだけで心が躍った。
まだ、結婚しているため、ミフォンを抱くことはできない。妻が職務を放棄し契約違反をしたからという理由で離婚をするまでは、世間的には浮気になってしまうからだ。
「浮気は契約違反にはならないのですか?」
唯一残った付き人が離婚の書類を作成しながら尋ねた。
「浮気はしていない。ずっと僕は彼女だけを愛している」
「そうでしたね。でも、ミフォン様は特定の誰とは決まっていませんが、中年の男性に嫁がされると聞いていたんですけど、それはどうなったんですか?」
「平民になっただけでなく、犯罪者の娘だからね。しかも生娘じゃないという理由で罰は免除された。一人ぼっちで生きていけるはずがないから野垂れ死ぬだろうと放置するつもりだったんだ。酷い話だ」
ロタはこのことを確認してから、ミフォンを迎えに行っていた。
「王家は野垂れ死んでも良いと判断するくらいの人でしょう? 奥様よりもそんな人のほうが大事なのですか?」
「当たり前だ。僕はずっと彼女を思い続けてきた。彼女に婚約者がいなくなったということは僕の出番だろう」
きっぱりと答えたロタから視線を移し、付き人は思う。
(ロタ様はずっと一人の女性が好きだった一途な男をアピールしたいんだろうが、結婚しといてそれはないだろ。ミフォンとかいう女が来てから、この家はめちゃくちゃだ。エイト卿にこの人の悪事を報告しまくって、当面暮らしていけるお金をもらい、任務が達成出来たら新しい職場探しをしよう)
気合いを入れて、付き人が書類作成を続けようとした時、屋敷内に数人しかいないロタの味方の一人である執事が、慌てた様子で執務室にやって来た。
「た、大変です! ジーコ先生が騎士隊に捕まりました!」
「なんだって?」
「どうやら、ノルスコット子爵家が手を回したようです!」
「くそっ!」
ジーコは依頼人の話を口にすることはないため、ロタが罪に問われることはない。気にしなければ良い話なのだが、彼は現在の妻がお金に困り、離婚をしたくないと泣きつかせたかった。それなのに、病状が嘘だったとわかれば彼女はすんなりと離婚を認めてしまう。妻が自分に「離婚しないでほしい」と縋り付く姿をミフォンに見せたかっただけに、ロタは苛立ちを抑えることができなかった。
「リリス・ノルスコットめ! 絶対に許さない!」
「ロタ様はジーコとかいう人と関係があったのですか?」
付き人に尋ねられ、彼には何も話していないことを思い出したロタは焦る。
「え? あ、いや、ジーコというのは知り合いの医者なんだが、医者を嵌めるなんて許せないと思っただけだ」
「そうでしたか。書類の作成ももう少しでできますし、休憩がてらどんなことになっているか確認してきましょうか?」
「そ、そうだな。頼む」
悪事は全て執事に頼んできたロタだったが、下手に否定するのも怪しまれる気がして素直に頷いた。
付き人は執務室を出る際に、閉めるふりをしてほんの少しだけ扉を開けておいた。そして、兵士に目配せをして、彼はディルに先ほどのロタの発言を伝えに向かったのだった。
******
その次の日、リリスはディル、ステラ、ファラスと共に城下町にいた。というのも、ステラが二人の婚約を祝って、王族や公爵家もしくはその推薦がなければ利用できないというレストランを予約したからだ。
「本当にめでたい! ディル、お前はこれから私のことをお義姉さまと呼べ!」
「どうしてそうなるんですか」
ディルが呆れた顔をして尋ねると、ステラは豊満な胸を張って答える。
「お前はリリスと結婚するんだろう?」
「はい」
「私とファラスも結婚するからだ!」
「しません」
ディルではなくファラスが躊躇うことなく否定したが、そんなことはいつものことなので、ステラは気にしない。
「お前が誰かに恋をするまでは、私は諦めないからな!」
「うう。くそ。あの時、ディルが学園を休まなければ……、いや、暴漢を入学させた学園のセキュリティの甘さを訴えたい」
マナー違反だというのに、テーブルに肘を置き頭を抱える兄を見て、リリスは苦笑する。
(たしか、ディル様が休みの日を狙って隠れ反王家派の生徒がステラ様を襲おうとしたのよね)
他にも護衛はいたが、素早く動き賊を取り押さえたのがファラスだった。ステラはその時に恋に落ちてしまったのだ。
「当たり前のことをしただけなのに」
ブツブツ言っているファラスに、ステラは頬を染めて言う。
「そういうところが好きなんだよ」
「僕のことは忘れて、もっと素敵な人と幸せになってください」
「そういう謙遜するところも好きだ」
「謙遜ではありません!」
何も知らない人間からすれば微笑ましい光景かもしれないが、リリスとディルは何とも言えない顔で二人を見守っていた。食前酒が運ばれて来たところでディルがリリスに話しかける。
「ミホンから何か連絡はあったか?」
「いいえ。ただ、レイドン子爵からミフォンについて話がしたいと連絡がありました」
「彼は医者が捕まったことをリリスのせいだと思ってるんだろ?」
「そうみたいですね」
実際、ジーコの悪事を暴くことになったのはリリスが動いたからではあるが、元々、騎士隊もマークをしていた。多くの貴族はそれを知っていたため、ジーコに頼むことがあっても彼が捕まらないように手を打ってから仕事を頼んでいた。そのため、騎士隊も余計に尻尾を掴めない状態になっていたのだ。今回の件は、ロタが何も手を打っていなかったこともあり罪に問うことができた。騎士隊は現在、余罪を追及しているところだが、本人が口を割らないため難航している様子だった。
「報告ではレイドン子爵自らがリリスを誘惑するつもりでいるらしい。ミホンにお願いされたこともあるが、リリスを自分に夢中にさせることで俺に勝ったと思いたいという気持ちもありそうだ」
「本当に面倒な人たちですね」
「そういえば、レイドン子爵夫人はどうするつもりなんだ?」
「今頃は、離婚の書類と共に私がジョード卿に伝えた言葉をレイドン子爵に手紙を送っているはずですよ」
「伝えた言葉?」
不思議そうにするディルに、リリスは苦笑する。
「そんなにも彼女が大事なら、私からあなたを捨てて差し上げますね、という言葉です。私から話を聞いて、自分も使ってみたいと思ったそうですよ」
「自分から捨ててやると思っていたようだから、それを見て激怒しているだろうな」
「ええ。きっと私を逆恨みするでしょう」
「君を本気で落とそうとしてくるんじゃないか?」
「私にとってディル様のほうが素敵ですから、レイドン子爵に落ちることは絶対にありません」
リリスは正直な気持ちを伝えただけだったのだが、女性に褒められる免疫のないディルは照れくさそうに微笑んだ。
そして、同時刻のレイドン子爵邸では、送られてきた離婚の書類と手紙を握り締めたロタが、怒りに打ち震えていた。
ミフォンにはディルという婚約者がいたため、諦めようと思いつつも、シンから彼女の良いところを聞かされたりすることもあって、気がつけば20歳になった。その頃、病に臥せっていた父の死を悟ったロタは、爵位を自分に譲るように話したところ、結婚しない限り家督は譲らないと言われた。ロタの父は彼の気持ちに気づいており、ミフォンではない別の人と結婚させたかった。
ロタが結婚するよりも先に父は亡くなったが、結婚していないロタに家督は譲られず、母が代理をしていたため、子爵の家督がほしかったロタは仕方なく相手を探した。
相手は言いなりになってくれるような女性なら誰でも良かったが、簡単には見つからなかった。
だから作った。悪徳の医者を雇い、未婚で婚約者のいない令嬢の家に目を付け、治療費を払うことで金に困るようにさせた。治療費を出して負い目を感じさせ、自分の言うことを聞く、操り人形の妻を作った。
そんな妻ももう用なしだった。家督は手に入り、うるさかった母ももういない。それだけでなく、手に入らないと思っていた宝石が手に入る。そう思うだけで心が躍った。
まだ、結婚しているため、ミフォンを抱くことはできない。妻が職務を放棄し契約違反をしたからという理由で離婚をするまでは、世間的には浮気になってしまうからだ。
「浮気は契約違反にはならないのですか?」
唯一残った付き人が離婚の書類を作成しながら尋ねた。
「浮気はしていない。ずっと僕は彼女だけを愛している」
「そうでしたね。でも、ミフォン様は特定の誰とは決まっていませんが、中年の男性に嫁がされると聞いていたんですけど、それはどうなったんですか?」
「平民になっただけでなく、犯罪者の娘だからね。しかも生娘じゃないという理由で罰は免除された。一人ぼっちで生きていけるはずがないから野垂れ死ぬだろうと放置するつもりだったんだ。酷い話だ」
ロタはこのことを確認してから、ミフォンを迎えに行っていた。
「王家は野垂れ死んでも良いと判断するくらいの人でしょう? 奥様よりもそんな人のほうが大事なのですか?」
「当たり前だ。僕はずっと彼女を思い続けてきた。彼女に婚約者がいなくなったということは僕の出番だろう」
きっぱりと答えたロタから視線を移し、付き人は思う。
(ロタ様はずっと一人の女性が好きだった一途な男をアピールしたいんだろうが、結婚しといてそれはないだろ。ミフォンとかいう女が来てから、この家はめちゃくちゃだ。エイト卿にこの人の悪事を報告しまくって、当面暮らしていけるお金をもらい、任務が達成出来たら新しい職場探しをしよう)
気合いを入れて、付き人が書類作成を続けようとした時、屋敷内に数人しかいないロタの味方の一人である執事が、慌てた様子で執務室にやって来た。
「た、大変です! ジーコ先生が騎士隊に捕まりました!」
「なんだって?」
「どうやら、ノルスコット子爵家が手を回したようです!」
「くそっ!」
ジーコは依頼人の話を口にすることはないため、ロタが罪に問われることはない。気にしなければ良い話なのだが、彼は現在の妻がお金に困り、離婚をしたくないと泣きつかせたかった。それなのに、病状が嘘だったとわかれば彼女はすんなりと離婚を認めてしまう。妻が自分に「離婚しないでほしい」と縋り付く姿をミフォンに見せたかっただけに、ロタは苛立ちを抑えることができなかった。
「リリス・ノルスコットめ! 絶対に許さない!」
「ロタ様はジーコとかいう人と関係があったのですか?」
付き人に尋ねられ、彼には何も話していないことを思い出したロタは焦る。
「え? あ、いや、ジーコというのは知り合いの医者なんだが、医者を嵌めるなんて許せないと思っただけだ」
「そうでしたか。書類の作成ももう少しでできますし、休憩がてらどんなことになっているか確認してきましょうか?」
「そ、そうだな。頼む」
悪事は全て執事に頼んできたロタだったが、下手に否定するのも怪しまれる気がして素直に頷いた。
付き人は執務室を出る際に、閉めるふりをしてほんの少しだけ扉を開けておいた。そして、兵士に目配せをして、彼はディルに先ほどのロタの発言を伝えに向かったのだった。
******
その次の日、リリスはディル、ステラ、ファラスと共に城下町にいた。というのも、ステラが二人の婚約を祝って、王族や公爵家もしくはその推薦がなければ利用できないというレストランを予約したからだ。
「本当にめでたい! ディル、お前はこれから私のことをお義姉さまと呼べ!」
「どうしてそうなるんですか」
ディルが呆れた顔をして尋ねると、ステラは豊満な胸を張って答える。
「お前はリリスと結婚するんだろう?」
「はい」
「私とファラスも結婚するからだ!」
「しません」
ディルではなくファラスが躊躇うことなく否定したが、そんなことはいつものことなので、ステラは気にしない。
「お前が誰かに恋をするまでは、私は諦めないからな!」
「うう。くそ。あの時、ディルが学園を休まなければ……、いや、暴漢を入学させた学園のセキュリティの甘さを訴えたい」
マナー違反だというのに、テーブルに肘を置き頭を抱える兄を見て、リリスは苦笑する。
(たしか、ディル様が休みの日を狙って隠れ反王家派の生徒がステラ様を襲おうとしたのよね)
他にも護衛はいたが、素早く動き賊を取り押さえたのがファラスだった。ステラはその時に恋に落ちてしまったのだ。
「当たり前のことをしただけなのに」
ブツブツ言っているファラスに、ステラは頬を染めて言う。
「そういうところが好きなんだよ」
「僕のことは忘れて、もっと素敵な人と幸せになってください」
「そういう謙遜するところも好きだ」
「謙遜ではありません!」
何も知らない人間からすれば微笑ましい光景かもしれないが、リリスとディルは何とも言えない顔で二人を見守っていた。食前酒が運ばれて来たところでディルがリリスに話しかける。
「ミホンから何か連絡はあったか?」
「いいえ。ただ、レイドン子爵からミフォンについて話がしたいと連絡がありました」
「彼は医者が捕まったことをリリスのせいだと思ってるんだろ?」
「そうみたいですね」
実際、ジーコの悪事を暴くことになったのはリリスが動いたからではあるが、元々、騎士隊もマークをしていた。多くの貴族はそれを知っていたため、ジーコに頼むことがあっても彼が捕まらないように手を打ってから仕事を頼んでいた。そのため、騎士隊も余計に尻尾を掴めない状態になっていたのだ。今回の件は、ロタが何も手を打っていなかったこともあり罪に問うことができた。騎士隊は現在、余罪を追及しているところだが、本人が口を割らないため難航している様子だった。
「報告ではレイドン子爵自らがリリスを誘惑するつもりでいるらしい。ミホンにお願いされたこともあるが、リリスを自分に夢中にさせることで俺に勝ったと思いたいという気持ちもありそうだ」
「本当に面倒な人たちですね」
「そういえば、レイドン子爵夫人はどうするつもりなんだ?」
「今頃は、離婚の書類と共に私がジョード卿に伝えた言葉をレイドン子爵に手紙を送っているはずですよ」
「伝えた言葉?」
不思議そうにするディルに、リリスは苦笑する。
「そんなにも彼女が大事なら、私からあなたを捨てて差し上げますね、という言葉です。私から話を聞いて、自分も使ってみたいと思ったそうですよ」
「自分から捨ててやると思っていたようだから、それを見て激怒しているだろうな」
「ええ。きっと私を逆恨みするでしょう」
「君を本気で落とそうとしてくるんじゃないか?」
「私にとってディル様のほうが素敵ですから、レイドン子爵に落ちることは絶対にありません」
リリスは正直な気持ちを伝えただけだったのだが、女性に褒められる免疫のないディルは照れくさそうに微笑んだ。
そして、同時刻のレイドン子爵邸では、送られてきた離婚の書類と手紙を握り締めたロタが、怒りに打ち震えていた。


