そんなにも彼女が大事なら、私から捨てて差し上げますね~親友と婚約者に裏切られた不遇令嬢の幸せな結末~

「ミフォン、自分のためなら誰でも犠牲にできる性格は本当にすごいと思うわ」

 リリスは口にしてからすぐに補足する。

「言っておくけど、尊敬しているんじゃないのよ。呆れているの」
「いちいち言わなくてもいいわよ! それより、わたしがリリスを襲わせようとしたなんて、変な言いがかりをつけないでちょうだい!」

 ミフォンは罪を認めるつもりはなかった。自分が悪いことをしているという自覚がないからだ。ただ、思いついたことを口に出してしまっただけ。悪気はないのだ。

「言いがかりなんかじゃないわ。そうですよね、ディル様」
「ああ。レーヌ男爵令嬢がジョード卿にリリス嬢を襲えと言っているのをはっきりと聞いた」
「待ってよ、ディル! あなたは婚約者じゃなくてリリスの肩を持つの!?」
「肩を持つんじゃない。本当の話を言っているだけだ。まあ、今ここで話をしても、どうせ否定するんだろうけどな」
「当たり前でしょう! ディル! 話を聞いてほしいの!」

 ディルが鼻で笑うと、ミフォンは彼の手を取ろうとしたが、彼はひらりと身をかわした。
 ミフォンの頭の中ではずっと警鐘が鳴り響いていた。このままはまずい。リリスを襲えと言った件は誤魔化せても浮気については、言い逃れをすることは厳しいと感じたのだ。かといって、素直に浮気を認めるわけにはいかない。認めてしまえば、自分とディルとの婚約は破棄されてしまうことを、さすがに理解していた。
 自分の外見に自信を持っているミフォンは、とりあえず愛を伝え、ディルを誘惑してみることにした。

「ねぇ、ディル。おばあさまから話は聞いているでしょう? わたしはずっとあなたが好きだったのよ。それは今も変わらないわ」
「そのわりには他の男と浮気かよ。さっき、リリス嬢が現れる前に、君たちが何をしていたか、俺が知らないと思ってるのか?」
「……べ、別に何もしていないわ」

 シンが余計なことを言い出さないか気になって、ミフォンは彼に目を向けたが、シンは地面に膝をついて大泣きしているだけだった。

「本当に往生際が悪いな。どちらにしたって、ジョード卿は君との浮気を認めているから、俺との婚約は破棄させてもらう」
「そんなの駄目よ!」

 ミフォンは悲鳴を上げて、ディルに抱きつこうとするが、普通の令嬢が騎士の素早さに敵うわけがない。簡単に身をかわされて、ミフォンは近くの木に勢いよくぶつかった。
 彼女は木に縋るように手を突きながら、ディルに訴える。

「痛い。痛いわ、ディル。助けてよ。もしかしてあなた、おばあさまとの約束を破るつもりなの?」
「俺たちの婚約はお祖母様と君の祖母との約束で結ばれたものだ。俺とお祖母様が約束したわけじゃない」

 ディルの話を聞いたリリスの頭の中に、一つだけ気になったことがあった。

(ミフォンのお祖母様は今はどうされているのかしら? 療養中? それとも亡くなってしまった? それによって、また話が変わってきそうね)

「……ディル様」

 騒ぐミフォンを睨みつけていたディルに話しかけたのは、涙と鼻水で顔がグチャグチャになったシンだった。自分は裏切られたのだとわかり、ミフォンを見捨てるのかと思ったが、そうではなかった。

「僕がミフォンに迫っただけです。ミフォンは何も悪くありません」

 ディルを見つめるシンの目には、薄暗い環境でも強い意思が宿っているかのように光って見えた。

「厄介だな」

 それを見たファラスが舌打ちをすると、ディルがシンに尋ねる。

「どうしてそこまで彼女を庇う? もう気持ちは返ってくることはないんだぞ」
「僕は先ほど婚約者に捨てられただけでなく、近いうちに陛下から罰を与えられます。きっと……、もう、ミフォンに会うことはないでしょう」

 シンの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。そんなシンを見て、ミフォンは動揺するどころか笑みを浮かべる。

「ほら、聞いたでしょう? わたしは何も悪くない。ディル、信じてよ!」
「信じられるわけないだろ」
「証拠がないのに浮気だって決めつけないでよ!」
「あなたたちのことだから、そう言うんじゃないかと思ったわ」

 リリスがこれ見よがしにため息を吐くと、ミフォンは不機嫌そうにリリスを見つめる。

「何が言いたいの?」
「答える前にシン様に確認するわ。シン様、あなたはミフォンと肉体関係を持ちましたか?」
「あ……、ああ。僕が無理やり襲ったんだ」

 シンはミフォンを守るつもりのようだが、考えが甘かった。リリスは頷き、今度はミフォンに尋ねる。

「ミフォン、あなたはどこでシン様に襲われたの?」
「え? ……あ、あの、家で」
「家? 違うでしょう? 夜の公園での間違いじゃない?」
「「えっ!?」」

 ミフォンとシンは驚きの声を上げて、リリスを見つめた。

「こんな所でいつまでも話をしていられないわね。あなたとシン様の浮気の話は、私とはこの場で終わりにしましょう。ミフォン、言っておくけれど全てバレているの。あなたとディル様の婚約は破棄されるわ」
「い……、嫌よ! というか駄目よ! わたしとディルが結婚しないと約束が守れないわよ!」

 ミフォンの訴えを聞いたリリスがディルに視線を送ると、彼はミフォンを睨みながら話す。

「お祖母様たちの約束は、君と俺を結婚させることじゃない。君がお金に困ることのない人生を送るようにすることだ」
「………え」

 ミフォンの頭の中では、いつの間にか、ディルと自分の婚約は祖母たちが決めた約束だと思い込むようになっていた。そのことを思い出したミフォンは顔を引きつらせる。

「あの、ディル、わたし」
「言い訳はいらない。君は浮気をしたんだ。お祖母様もさすがに婚約の破棄を許してくれる」
「違う! わたしは浮気なんてしてない!」
「残念でした。もう調べはついているの」

 泣きながらヒステリックに叫ぶミフォンに冷たく言い放つと、リリスは、スライド式の二重底になっているシルバートレイの中から書類を取り出した。
 それはコレットやディルが集めた、二人の浮気の報告書の控えだった。

「もうあきらめなさい。それから、私とあなたは親友なんかじゃない。赤の他人よ」
「そ……、そんな……、嫌よ!」

 ミフォンはヒステリックに叫び、報告書をリリスから奪い取ると、内容を確かめることなく破り始めたのだった。