麻酔と記憶

 *桃色の桜が咲く春。
春風が頬がな出るのを貴方はくすぐったそうにしていた。
もう一度、見れたなら。


 桃の並木道。
貴方と歩くなら、いつだって此処だった。
河川敷から出る冷気を感じながら歩いて、その先のベンチに座って休みながら、貴方が好きな珈琲を飲む。
それまで、一連の出来事を、いつでも想像することが出来るぐらいに貴方とこの道を歩いた。
上を見上げれば、桜の花弁がはらりと地に落ちていく。
その花弁の先に貴方の後姿。

「綺麗だね」

突然、後ろを向いて貴方が微笑む。
綺麗なもの、美しいもの、生命溢れるものを見た時にする表情。
愛おしそうに命を見る貴方の瞳と微かな笑み。
そんな姿を幾度として見てきた。
貴方がどれだけ命を大切にしているかが、其の度にわかって心がずしりと重くなる。
まるで、貴方のもほうに縛られたように。

「宙、綺麗だね」

「うん、綺麗だね」

貴方は空を見上げた。
貴方の頬に一枚の花弁が落ちる。
貴方はそれを拾い上げて、太陽にかざして満足そうにはにかんだ。
その姿を見て、なんだか涙が溢れそうになる。
理由は分からない。
今ある幸せへの涙か、無くす事への恐怖か。
幸せを無くすのが怖い。

「本当に、綺麗だね」

って、道端に咲く菫を見て微笑む貴方をずっと見ていたかった。変わらない心と記憶で。
いつか「ありがとう」が「ごめん」に変わる日がどうしても来てしまう。
あの時は、思わなかった。
当たり前に貴方と笑い合える日が明日も来ることを信じていたのに。
運命というのは、時に酷く残酷だ。
お互いの記憶だったものが、孤独の記憶になって・・・。
そんな運命を抱えているはずなのに、貴方は悲しそうな、悔しそうな表情を一切見せずにいつも笑っている。

「ねぇ」

貴方の澄んだ、純粋無垢の瞳。
目が合うと恥ずかしそうに頬を赤めてすぐ目を逸らす癖。
いつか、貴方と目を合わせて話したい。

 ベンチに座って、二人で空を見上げた。
ふわりと春風が吹いていて、桜木のせせらぎが微かに聞こえて、心を和ませてくれる。

ふと、貴方を見た。

はらりと宙に舞う花弁、葉桜の揺れる音、頬を撫でて去っていく春風、春の匂い。
鞄の中からカメラを取り出す。
一年ほど前に買って使わずにいたカメラ。
少々古びているけれど、機能面ではなんの問題もない。
残された方が悲しく、寂しくならないようにと写真を残そうと二人で決めた。
貴方が春を感じて微笑んでいるところを撮る。
すると、貴方は目を開けて此方を向いた。

「えー、どうせなら二人で撮ろうよ」

駄々を捏ねる貴方を横目に撮った写真を眺める。
また一つ記憶が増えた。
そう思おうと、なんだか嬉しくて頬が綻ぶ。
すると突然、腕を引かれた。
驚いていると、カメラのシャッターが押され、また一枚写真が増える。

「二人の思い出でしょ?」

貴方はそう言って闇夜の月よりも、一等星よりも輝いている笑顔を見せた。
撮れた写真を二人で見る。
驚いて目を見開いている表情が面白くてしばらく二人で笑った。


 桃色の桜が咲く春。
そんな春の中で、撮った写真は二人分。
嬉しさも、悲しさも全部二人分だから。