その話を聞いたとき、真っ先に瑞穂のことを考えた。シェルターの権利を家族に譲れないか交渉した。特に問題はないらしく、あっさり許可が出た。ただし、この件を口外したり、犯罪行為に加担したりしなければ、の話だ。口外した場合、権利剥奪どころかシェルター建設に回されるらしいと聞いている。
製薬会社に就職し、二十年以上が過ぎた。もともと忙しい職場ではあったが、この数年は家に帰ることもできない。家庭のことを考える余裕が全くなかったせいで、妻は二年前に男を作って出て行った。しかし、いまでも彼女の選択を責める気にはなれない。きっと寂しかっただろう。なんとか引き止めようとはしたが、彼女は受け入れてくれなかった。もしもすべてをきちんと説明できていれば、防げたことかもしれない。しかし、滅亡やシェルターの件は、家族にも話すことが許されていなかった。明確な理由も説明せず帰宅しなかったら、誰でも不安になるし、嫌な気分にもなるだろう。それでも私は、この仕事を引き受けることを選んだ。だから、すべて私の責任だ。
娘の瑞穂は無事に高校に進学したが、どうしているだろうか。娘のことは、いつでも気にはなっている。帰るべきなのはわかっているが、いまは仕事を優先しなくてはならない。シェルターの権利を瑞穂に譲るためには、必ずこの仕事を成功させる必要があった。一つの不足もなく品物を作り上げなければならない。
「人類滅亡か。想像もできないな」
食事を終えた工藤が大きく伸びをした。工藤は、仕事熱心な性格だ。珍しくだらだら話しているのは気分転換のつもりなのだろう。
「そうだな、漫画か、映画でしか起こらない話だと思ってたよ」
子ども時代は、そういうストーリーも好きだった。さすがに、もう今は見たいとも思わない。憂鬱になるだけなのはわかっている。
「どのくらいの人数がシェルターに入れるんでしょうね」
「わからんよ。しかし、それほど多くはないんじゃないかな。この仕事を受けた製薬会社だってウチだけじゃないらしい、ウチが受注した数だけでも相当の」
そこまで言って、私は口をつぐんだ。
「ですよね。相当の人数が」
小さな声で工藤は言った。
「そうだな。相当の人数が、安楽死する可能性が高い、ということになるな」
彼の言葉を引き継いだ。
寝る間も惜しんで工場を稼働させているのは、そのためだ。シェルターに入れない人間のための薬を作っている。注射器がなくても使えて、苦しまず即効性のある、安楽死用の薬を。そんなものが必要になる状況を考えると、気が遠くなりそうだ。仕事に没頭していなければ、恐怖に押しつぶされそうになる。長年この薬に関わってきたが、まさか医療用以外で使われる日がくるなんて想像もしていなかった。三年後には、きっと私も使うことになるだろう。
しかし娘だけでも、助けたい。
デスクには、高校の制服を着た瑞穂の写真を飾っている。入学式のものだ。瑞穂は機嫌が悪く、写真も、ふてくされたような顔をしている。入学式に行こうとしたのはいいが、高校に到着する直前に工場でトラブルが発生してしまった。そのため、二十分ほどしか会場にいることができず職場に戻った。それで瑞穂は膨れた顔をしているのだ。申し訳ないことをした。普段の瑞穂は、かなり仕事に理解を示してくれている。しかし、あの日だけは、かなり怒っていた。いつのまにか、あれから二ヶ月が過ぎている。
「高野さん。やっぱり、気になるんなら会いに行ったほうがいいですよ。何日か抜けるくらい、俺らが何とかしますから。このさき、まだまだ忙しいことを考えたら、絶対に会ったほうがいいと思いますよ。それに、娘さんのことがなかったとしても、少し高野さん、働きすぎですしね」
私の視線の先にある写真に気付いたらしい工藤が言った。確かに、彼の言うとおりだ。疲れていてもミスがないように気を配ってはいる。しかし、周囲に疲れが見えるようでは良くない。周りに余計な心配をかけるわけにはいかない。
「ありがとう。様子を見て、そのうち帰るとするよ。さて、そろそろ誰か起きてくるだろうから、少し仮眠してくる。お前もあまり無理するなよ」
モニターの電源を落とす。席を立つと軽い眩暈がしたが、すぐに落ち着いた。味の変わったコーヒーを捨て、カップを洗ってから、部屋を出た。日中は大勢の社員で溢れているが、さすがにこの時間は誰とすれ違うこともない。他にもあとふたつ、社内で同じような状態になっている部署があると聞いている。しかし別棟にあるため、まだ出くわしたことはない。
製薬会社に就職し、二十年以上が過ぎた。もともと忙しい職場ではあったが、この数年は家に帰ることもできない。家庭のことを考える余裕が全くなかったせいで、妻は二年前に男を作って出て行った。しかし、いまでも彼女の選択を責める気にはなれない。きっと寂しかっただろう。なんとか引き止めようとはしたが、彼女は受け入れてくれなかった。もしもすべてをきちんと説明できていれば、防げたことかもしれない。しかし、滅亡やシェルターの件は、家族にも話すことが許されていなかった。明確な理由も説明せず帰宅しなかったら、誰でも不安になるし、嫌な気分にもなるだろう。それでも私は、この仕事を引き受けることを選んだ。だから、すべて私の責任だ。
娘の瑞穂は無事に高校に進学したが、どうしているだろうか。娘のことは、いつでも気にはなっている。帰るべきなのはわかっているが、いまは仕事を優先しなくてはならない。シェルターの権利を瑞穂に譲るためには、必ずこの仕事を成功させる必要があった。一つの不足もなく品物を作り上げなければならない。
「人類滅亡か。想像もできないな」
食事を終えた工藤が大きく伸びをした。工藤は、仕事熱心な性格だ。珍しくだらだら話しているのは気分転換のつもりなのだろう。
「そうだな、漫画か、映画でしか起こらない話だと思ってたよ」
子ども時代は、そういうストーリーも好きだった。さすがに、もう今は見たいとも思わない。憂鬱になるだけなのはわかっている。
「どのくらいの人数がシェルターに入れるんでしょうね」
「わからんよ。しかし、それほど多くはないんじゃないかな。この仕事を受けた製薬会社だってウチだけじゃないらしい、ウチが受注した数だけでも相当の」
そこまで言って、私は口をつぐんだ。
「ですよね。相当の人数が」
小さな声で工藤は言った。
「そうだな。相当の人数が、安楽死する可能性が高い、ということになるな」
彼の言葉を引き継いだ。
寝る間も惜しんで工場を稼働させているのは、そのためだ。シェルターに入れない人間のための薬を作っている。注射器がなくても使えて、苦しまず即効性のある、安楽死用の薬を。そんなものが必要になる状況を考えると、気が遠くなりそうだ。仕事に没頭していなければ、恐怖に押しつぶされそうになる。長年この薬に関わってきたが、まさか医療用以外で使われる日がくるなんて想像もしていなかった。三年後には、きっと私も使うことになるだろう。
しかし娘だけでも、助けたい。
デスクには、高校の制服を着た瑞穂の写真を飾っている。入学式のものだ。瑞穂は機嫌が悪く、写真も、ふてくされたような顔をしている。入学式に行こうとしたのはいいが、高校に到着する直前に工場でトラブルが発生してしまった。そのため、二十分ほどしか会場にいることができず職場に戻った。それで瑞穂は膨れた顔をしているのだ。申し訳ないことをした。普段の瑞穂は、かなり仕事に理解を示してくれている。しかし、あの日だけは、かなり怒っていた。いつのまにか、あれから二ヶ月が過ぎている。
「高野さん。やっぱり、気になるんなら会いに行ったほうがいいですよ。何日か抜けるくらい、俺らが何とかしますから。このさき、まだまだ忙しいことを考えたら、絶対に会ったほうがいいと思いますよ。それに、娘さんのことがなかったとしても、少し高野さん、働きすぎですしね」
私の視線の先にある写真に気付いたらしい工藤が言った。確かに、彼の言うとおりだ。疲れていてもミスがないように気を配ってはいる。しかし、周囲に疲れが見えるようでは良くない。周りに余計な心配をかけるわけにはいかない。
「ありがとう。様子を見て、そのうち帰るとするよ。さて、そろそろ誰か起きてくるだろうから、少し仮眠してくる。お前もあまり無理するなよ」
モニターの電源を落とす。席を立つと軽い眩暈がしたが、すぐに落ち着いた。味の変わったコーヒーを捨て、カップを洗ってから、部屋を出た。日中は大勢の社員で溢れているが、さすがにこの時間は誰とすれ違うこともない。他にもあとふたつ、社内で同じような状態になっている部署があると聞いている。しかし別棟にあるため、まだ出くわしたことはない。

