「ねえ、高野さん」
急に声を掛けられて、驚いて顔を上げた。少しぼうっとしていたらしい。そろそろ仮眠したほうがよさそうだ。モニタを見続けていたせいで、目がチカチカしている。
「どうした、工藤」
返事をすると、工藤は言った。
「本当に家に帰らなくていいんですか?例の件、もう公式発表から二週間経ちますよ。ちゃんと娘さんに連絡しました?あれから、まだ一回も家に帰ってないでしょ」
「ああ、もう二週間も過ぎたのか。早いもんだな」
「早いな、じゃないですよ。その様子じゃ、まだ連絡してませんね?娘さん、一人で寂しいんじゃないですか。まだ高校一年生でしょ。そんなのまだまだ子どもじゃないですか」
「そうだよなあ」
工藤がサンドイッチの封を切った。マヨネーズの匂いが室内に漂う。
既に深夜三時を過ぎた。もう何時間モニターを見つめていたかもわからない。時間の感覚がおかしくなっている。夜食なのか朝食なのか、工藤はふたつめのサンドイッチを手に取りながら、話を続けた。
「それと、例の件、本当ですか?」
例の件、と言われ思わず周囲を見渡した。この部屋で働いているのは五人だが、あとのメンバーは仮眠にでも行ったのか姿が見えない。よく考えれば、部署内では別に隠すような話ではなかった。
私は作業の手を止め、カップに入れたコーヒーに口を付けた。このコーヒーは、いつ入れたものだったろう。すでにミルクが白く固まっていて、どことなく埃っぽい味がする。飲み込んでみたが、不快な味だった。
「本気だよ。シェルターに入る権利は娘に譲ろうと思っている。健康状態がよくて犯罪に加担していない家族に譲るぶんには、全く問題ないってことだった。俺は別に、もういいよ。でも瑞穂には、まだまだ生きて欲しいんだ」
そう言うと、工藤はうーんと唸った。
「そんなもんですかねー。俺は独身だから、まだちょっとそういう感覚はわからないかな」
「まあ人にもよるだろうが、そんなもんだろ」
「うーん、うちは親が強烈だったから、ちょっとピンと来ないんですね。親子の愛情みたいなものが」
「そうか」
「シェルターに入れるって聞いて、初めてココ入社して良かったなあって思いましたよ。だから、その権利を譲るって、すごいなあって」
「人って、まあ他人に譲るのとは違うよ。工藤はまだ独身なんだし、別にそこは気にするところじゃないさ。そんなことより、権利剥奪されないように、外での発言には気をつけろよ」
そう言うと、工藤は少し笑った。
「何を言ってるんですか、高野さん。俺ね、高野さんと同じくらいの日数を、会社に泊まり込んでるんですよ。外部の人間なんて、しばらく姿も見たことない。高野さんも、同じでしょ」
「それもそうだな」
外部の人間と最後に会ったのは、いつだったろうか?家に帰ったのは?最後に瑞穂と連絡を取ったのは?ときどきメールをしようかと思い立ちはするのだが、そんなときに限って夜中で、送りそびれる。
「シェルターか。ちょっと想像つかないんですけど、どんな感じなんですかね」
「さあ、どうなんだろうな。建設自体は始まってるらしいが、詳細は知らないな」
きっと建設関係の人間にも、この件は早めに周知されていたのだろう。この会社も、そうだった。「人類が滅亡する」と知って、ずいぶん経つ。ごく一部の人間には準備のために通告されていたのだ。それ以来、誰にも口外することなく、身を粉にして働いてきた。自社の扱う薬が、このさき重要になると聞かされているからだ。
いずれ必要になるであろう薬を、政府に提示された数だけ用意する。その代わり、私たちはシェルターに優先的に入れる権利を得られることになっていた。と言っても、契約書類があるわけではない。いまの段階では、ただの口約束だ。
急に声を掛けられて、驚いて顔を上げた。少しぼうっとしていたらしい。そろそろ仮眠したほうがよさそうだ。モニタを見続けていたせいで、目がチカチカしている。
「どうした、工藤」
返事をすると、工藤は言った。
「本当に家に帰らなくていいんですか?例の件、もう公式発表から二週間経ちますよ。ちゃんと娘さんに連絡しました?あれから、まだ一回も家に帰ってないでしょ」
「ああ、もう二週間も過ぎたのか。早いもんだな」
「早いな、じゃないですよ。その様子じゃ、まだ連絡してませんね?娘さん、一人で寂しいんじゃないですか。まだ高校一年生でしょ。そんなのまだまだ子どもじゃないですか」
「そうだよなあ」
工藤がサンドイッチの封を切った。マヨネーズの匂いが室内に漂う。
既に深夜三時を過ぎた。もう何時間モニターを見つめていたかもわからない。時間の感覚がおかしくなっている。夜食なのか朝食なのか、工藤はふたつめのサンドイッチを手に取りながら、話を続けた。
「それと、例の件、本当ですか?」
例の件、と言われ思わず周囲を見渡した。この部屋で働いているのは五人だが、あとのメンバーは仮眠にでも行ったのか姿が見えない。よく考えれば、部署内では別に隠すような話ではなかった。
私は作業の手を止め、カップに入れたコーヒーに口を付けた。このコーヒーは、いつ入れたものだったろう。すでにミルクが白く固まっていて、どことなく埃っぽい味がする。飲み込んでみたが、不快な味だった。
「本気だよ。シェルターに入る権利は娘に譲ろうと思っている。健康状態がよくて犯罪に加担していない家族に譲るぶんには、全く問題ないってことだった。俺は別に、もういいよ。でも瑞穂には、まだまだ生きて欲しいんだ」
そう言うと、工藤はうーんと唸った。
「そんなもんですかねー。俺は独身だから、まだちょっとそういう感覚はわからないかな」
「まあ人にもよるだろうが、そんなもんだろ」
「うーん、うちは親が強烈だったから、ちょっとピンと来ないんですね。親子の愛情みたいなものが」
「そうか」
「シェルターに入れるって聞いて、初めてココ入社して良かったなあって思いましたよ。だから、その権利を譲るって、すごいなあって」
「人って、まあ他人に譲るのとは違うよ。工藤はまだ独身なんだし、別にそこは気にするところじゃないさ。そんなことより、権利剥奪されないように、外での発言には気をつけろよ」
そう言うと、工藤は少し笑った。
「何を言ってるんですか、高野さん。俺ね、高野さんと同じくらいの日数を、会社に泊まり込んでるんですよ。外部の人間なんて、しばらく姿も見たことない。高野さんも、同じでしょ」
「それもそうだな」
外部の人間と最後に会ったのは、いつだったろうか?家に帰ったのは?最後に瑞穂と連絡を取ったのは?ときどきメールをしようかと思い立ちはするのだが、そんなときに限って夜中で、送りそびれる。
「シェルターか。ちょっと想像つかないんですけど、どんな感じなんですかね」
「さあ、どうなんだろうな。建設自体は始まってるらしいが、詳細は知らないな」
きっと建設関係の人間にも、この件は早めに周知されていたのだろう。この会社も、そうだった。「人類が滅亡する」と知って、ずいぶん経つ。ごく一部の人間には準備のために通告されていたのだ。それ以来、誰にも口外することなく、身を粉にして働いてきた。自社の扱う薬が、このさき重要になると聞かされているからだ。
いずれ必要になるであろう薬を、政府に提示された数だけ用意する。その代わり、私たちはシェルターに優先的に入れる権利を得られることになっていた。と言っても、契約書類があるわけではない。いまの段階では、ただの口約束だ。

