ヴルスト王国の公爵令嬢である、ローザ・ヴェレーノとファラーシャ・ヴェレーノは仲睦まじい姉妹として有名だった。

 妹のファラーシャは、誰にでも平等で優しく、慈悲深い聖女のような乙女だった。令嬢としての所作は未熟だったが、可憐で愛らしい蝶のようなファラーシャは、誰からも愛されていた。
 ふんわりとした金髪にタレ目がちな幼い顔立ち。淡い色のドレスが良く似合っていた。

 姉のローザは、賢くて気が強く、ハッキリと意見を述べる逞しい令嬢だった。知識も所作も男に引けを取らない、彼女はまさに完璧な淑女だ。
 豪華な宝石が似合う煌びやかな金髪にツリ目がちの気の強そうな顔立ち。薔薇のような赤色のドレスがよく似合っていた。

 そんな正反対な姉妹はとても仲が良く、見目麗しいヴェレーノ公爵令嬢達は社交界でも憧れの的だ。

 そんなローザにとって、ファラーシャは何よりも大切で守るべき、かけがえのない存在だった。

 ――そう、あの瞬間までは。

 姉であるローザがヴルスト王国のハンス王子の婚約者になったあの日から、内側からゆっくりと毒がまわるようにおかしくなっていった。



 ◇ ◇ ◇



 ローザがハンス王子の婚約者に決まった日を境に、ファラーシャの周りでおかしなことが起こり始めた。

「お姉様……私、最近妙な視線を感じるの」

「妙な視線? ファラーシャがとても可愛らしいからじゃないかしら」

「違うの……もっと嫌な感じの……。お姉様、私怖いわ」

 弱々しく涙をにじませるファラーシャの手をローザは握って力強く言った。

「大丈夫よ! 私が何とかするわ! ファラーシャの気のせいかもしれないし……誰かが何かしようとしていても、貴女は私が守るわ。貴女の為なら何でも出来る、たった一人の大切な妹ですもの」

「……ありがとう、お姉様」

 抱きついてきたファラーシャをローザが抱きしめる。その姿をファラーシャの専属メイドは、苦々しい表情で見つめていた。



 ◇ ◇ ◇



「私のネックレスがないわ!」

 ローザが嫌な視線の正体を探っている間にも、ファラーシャの私物が盗まれ、ファラーシャが大切に育てていたガーデンが荒らされたりと被害は拡大していた。

 そんなある日、ヴェレーノの屋敷でハンス王子とローザの婚約発表のパーティが開かれた。
 婚約と言っても政略結婚でしかなく、ハンス王子もローザも顔を合わせるのはこれで数回目だ。

「聡明な君が婚約者で嬉しいよ。これから、王妃となり、私とともにこの国をより良くしていってくれ」

「心得ておりますわ。殿下、お父様からお聞きしたのですけれど、フカレスの街の領主が変わり、民が困窮しているそうですわね」

「凄いな、君は社交界だけでなく外にも目を向けているのか」

「女性が前に出るのが好まれないことは分かっています。けれど、私に出来ることがあるのなら、そこが何処だろうとこの目で見てまわりたいのです」

「確かに君の言う通り、好まれないだろう。だが、私は王妃がともに悩んでくれるのなら、存外悪くはないと思っているよ」

 恋愛関係のような甘い空気は一切ない。けれど、お互いを尊敬し合う距離が心地よく、ローザとハンス王子の婚約は順調だった。

「お姉様っ! ……っ、殿下。この度はご婚約おめでとうございます」

「ありがとう。君はファラーシャ、だったか。ははっ、噂どおり姉気味とは正反対のようだね」

「申し訳ありません……。お姉様は完璧な淑女の鏡ですもの、私はお姉様のようには出来ませんわ」

「だが、民を気にかけ、慈愛に満ちた人柄だと聞き及んでいる。君は私の妹にもなる、気兼ねなく接してくれ」

「ありがとうございます、殿下」

「ところで、急いでいたようだが……何かあったのか?」

「それは…………」

 ファラーシャは、おずおずとローザとハンス王子の表情を伺うと、身体を縮こませて小さな声で言った。

「お姉様……今日はとても大切な日なのに、ごめんなさい。でも……私怖くて……また、嫌な視線を感じるの……」

「殿下、ファラーシャが話があるようなので、少しだけ失礼しますわ」

 王子に聞かせることでは無いと判断して、ローザは足早にファラーシャを連れて人目を避けるように裏庭へと向かった。

「お姉様……? どうして、このような人目のつかないところに……?」

「今日は殿下との婚約発表パーティよ。そんな場で、貴女の身に起きている事件について話すわけにはいかないわ」

「そう、ですわね。その……」

 ファラーシャが震える声で話そうとした瞬間。

 ガシャン!

 ファラーシャのすぐ近くに、陶器の壺が落ちてきた。

「キャアアア……ッ!」

 悲鳴をあげて座り込んだファラーシャに駆け寄ろうとすると、二人の様子を疑問に感じて追いかけてきていたハンス王子が慌てて駆け寄ってきた。

「大丈夫か……っ!?」

 ローザを押し退けるように、ファラーシャに手を差し伸べるハンス王子。その手を取るのを一瞬躊躇ったファラーシャだったが、王子に大丈夫かと尋ねられると嬉しそうにその手を取った。

「ありがとうございます。とても怖かったんですけど、ハンス王子が来てくれて安心しましたわ」

 その答えを聞いて、ハンス王子は訝しげにローザに向き直る。

「ところで、ローザ。君はどうしてこんなに人気のない場所にファラーシャを連れてきたんだ?」

「それは、どういった意味ですの?」

「聡明な君なら分かるだろう。婚約発表という、めでたい席で妹を人気のない場所に誘導して、ファラーシャの頭上に壺が落ちてきた。私が君たちの態度に疑問を持って追いかけてこなければ、この場に助けは来なかっただろう」

 ハンス王子はローザを疑っているのだ。

「ローザ、君がやったんじゃないのか?」

 何を勝手なことを、とローザが反論するより早く、ファラーシャがローザの前に出て、庇うよう両手を広げた。

「待ってください、殿下! お姉様は私が最近危ない目にあっているのを知っていて、一緒に犯人を探してくれていたんです! お姉様が犯人のはずありませんわ!」

 ファラーシャの大きな声に、ハンス王子は目を丸くすると、まだ少し納得出来ない素振りをみせながらも、ローザに向き直った。

「すまない、ローザ。私も気が動転していたようだ。妹を気にかけている君がそんなことをするわけが無いのに、酷いことを言ってすまなかった」

「いいえ、私が殿下の立場でも同じことを考えますわ。私は気にしていませんから、パーティに戻りましょう」

 事件は内々に処理され、参加者は事件のことなど知ることもなく、婚約発表パーティは成功した。

 ファラーシャは驚いた拍子に足を捻ったようで、それまでの経緯を知った両親と兄に大事をとるようにと言われて、暫く部屋から出てこなかった。

 ハンス王子は目撃してしまった事件を気にかけてくれたようで、様子見にヴェレーノの屋敷を訪ねてきた。そして、ファラーシャの怪我を知ったハンス王子は、ファラーシャのお見舞いにファラーシャの部屋へと入った。

 この日以来、何かとファラーシャを気にかけるようになったハンス王子がヴェレーノの屋敷を訪れる機会が増えた。
 けれど、領地の管理を任されているローザは屋敷に居ないことも多かったので、自然とファラーシャと過ごすことが多くなった。

 それを見たメイド達の間で、ファラーシャとハンス王子の恋物語が話題になるのはあっという間のことだった。

「ハンス王子もファラーシャも悪気は無いと思うのだけれど……流石に、放っておけないわね」

 噂に釘を指す為に、ローザがファラーシャを呼び出すと、何故かファラーシャは不自然なくらい怯えた様子だった。

「ファラーシャ、ハンス王子は私と婚約しているのよ。貴女と二人で過ごしていると良くない噂が立ってしまうの。誰の為にもならないのだから、今後は少し距離を…………ファラーシャ?」

 ローザの中では優しくたしなめたつもりだったのだが、ファラーシャがぶるぶると握った両手を震わせて、絞り出すように小さな声で言った。

「…………お姉様、だったの……?」

「え?」

「……私に壺を落としたのも、虫の入った箱を私の部屋の前に置いたのも、ハンス王子に頂いた私のドレスを破いたのも、ハンス王子に頂いたアクセサリーを盗んだのも、全部全部お姉様だったの……っ!?」

 部屋の外まで響く大きな声に、メイド達がざわつく声が聞こえる。

「ファラーシャ、何を言っているの。私がそんなことをするわけがないでしょう。ハンス王子からプレゼントを頂いていたことも私は知らないわ。私は貴女と一緒に犯人を探して……」

「お姉様はハンス王子からプレゼントを貰ったことがないから、だから、私に嫉妬してこんなことをしたんですか!? 私の味方のフリをして……一緒に犯人を探すなんていいながら、本当はお姉様が犯人だったんでしょう!」

「違うわ! 私ではないわ! ハンス王子は婚約者だけれど、私達の間に愛はいらないもの。信じて、ファラーシャ……ッ!」

「嘘よ、嘘っ! 私のこと、騙していたのね……! お姉様のこと、信じていたのに……酷いっ!」

 何を言っても聞く耳を持とうとしないファラーシャに、落ち着く時間が必要だと考えて、ローザは自室へ帰した。

 その後もファラーシャは目を合わせようとはせず、ローザが誤解を解くことは叶わなかった。
 そして、それを聞きつけたのか、ハンス王子から一通の手紙が届いた。

「君は聡明で妹思いの人だと信じていた。それなのに、自分を信じる妹を騙して嫌がらせを繰り返していたなんて……、そんな心の醜い人に王妃を任せられない。君達の父上に正式に婚約者変更の申し立てをした。君は王妃に相応しくない」

 誰もローザの話を信じてはくれなかった。
 婚約は破棄されて、妹のファラーシャがハンス王子の新たな婚約者に決まった。
 仲が良かったはずの妹も、いつでも力になると言ってくれていた兄も、平等に愛してくれていた優しい父と母も、これまでの記憶をなくしてしまったかのように、ローザのことを信じない。

 彼らから向けられる冷たい視線が、ローザは耐えられなかった。

「全く、お前には失望したよ。ファラーシャとローザ、どちらも愛していたのに……何が不満だったんだ」

 うんざりした父の言葉に、メイド達が噂していた内容がローザの頭によぎる。

 愛らしく可憐な容姿で誰からも好かれるファラーシャ。一方、気が強くて男性から煙たがられていたローザ。優しく慈愛に満ちて、ハンス王子から愛されるファラーシャを妬んだ犯行だと、まるで事実のように語られていた。

「お父様! 信じてください。私は何もしていません、ファラーシャを妬んだこともありません。全ては濡れ衣なのです!」

「言うに事欠いて、ファラーシャが嘘をついていると言うのか!」

「そうではありません。誰かが私を陥れようとしているのです。私とファラーシャの不仲を煽るようにして……真犯人に騙されているのよ……」

 誰も聞く耳を持たなかった。
 これまでに築いてきた信頼が、ガラガラと音を立てて崩れていく。

「お父様……お母様……お兄様……、今まで私に良くしてくださったのは嘘だったの……? こんな簡単に信じて貰えなくなるの……? ねぇ、ファラーシャ……ッ!」

 ファラーシャの名前を叫んでも、彼らの影に隠れるばかりで返事はなかった。


「婚約破棄に未練は無いわ。けれど、真犯人が野放しでは、ファラーシャがいつ危険な目に合うかわからないわ。このままでは駄目……。私が一人で真犯人を捕まえなければいけないわ」

 ローザは一人、戦う決意をその胸に宿らせた。
 最愛の妹を守るために。



 ◇ ◇ ◇



 それから、ファラーシャとハンス王子の婚約してから初めてのお披露目パーティが決まった。パーティの前日だというのに、ローザは真犯人の足取り一つ見つけることが出来ずに酷く焦っていた。

「ハンス王子がお披露目パーティの為にドレスを送ってくださったの! とっても嬉しいわ!」

 そんなローザの気持ちも知らずに、ファラーシャは無邪気にプレゼントのことを、メイド達に自慢してまわっていた。

「ファラーシャったら……あんな話をあちこちでしていたら、真犯人に嫌がらせられるに決まっているわ。……そうよ、私がもしも犯人だとしたら……取り返しのつかないタイミングでドレスを着られないようにするわ」

 今は屋敷の使用人も、パーティの準備に出払っている。こっそりドレスに何かをするなら絶好の機会。ローザは(きびす)を返して、ファラーシャの部屋へと急いで向かった。



 ガタン。

 誰もいないはずのファラーシャの部屋の中から物音がする。ローザは隠れることなく、部屋のドアを開け放った。

「そこに居るのは誰……っ!?」

 ファラーシャに良く似合う淡いピンク色に刺繍と煌びやかな装飾のドレスが、部屋の中央に置かれていた。
 ローザに気づいていなかったのか、それをズタズタにナイフで切り裂く影があった。

「貴女……、ファラーシャの専属メイドのエリーじゃない……っ! 貴女が真犯人だったのね。いつも一番あの子のそばに居たのにどうして……っ!」

 ローザが声を荒立てる。
 エリーは無言でドレスを切り裂くのを辞めた。そして、反論することもなく、不気味に微笑んでローザを見つめていた。

「良いから、ナイフを起きなさいっ!」

 襲いかかってくる素振りも、逃げようともしないエリーを不思議に思いつつも、簡単に近づくことも出来ずに遠くから声をかけ続けた。
 ローザの声を聞き付けて、近くにいたメイドがファラーシャの部屋へ駆けつけた。

「ローザ様!? どうして、ファラーシャ様のお部屋に……」

「私の無実を証明するために来たのです。今すぐ、ファラーシャを呼びなさい!」

 部屋の中の惨状とローザの剣幕に、メイドは慌ててファラーシャを呼びに駆けていく。そして、部屋に残されたエリーとローザは向かい合ったまま硬直していた。

「お姉様……っ! どうなさったんですか……? キャアアアッ! プレゼントして頂いた私のドレスが……っ!」

「これは何事だ……っ!」

 ファラーシャはハンス王子とともに居たようで、メイドに連れられて二人が部屋へとやってきた。

「真犯人を見つけましたわ! 殿下、このエリーがファラーシャが殿下から頂いたドレスを切り裂いていたのです! ファラーシャ、今までのとこは貴女のメイドのエリーが仕組んでいたの!」

 やっと、これで濡れ衣が晴れる。
 そう、安堵したローザは気丈に振る舞いながらも、震える拳を握りしめていた。

「それは……っ」

「あぁぁ……っ、酷い……、ここまでするなんて……っ」

 殿下が口を開こうとした瞬間、ファラーシャが泣崩れた。すると、それまで黙っていたエリーが迫真の演技でファラーシャに告げる。

「ファラーシャお嬢様っ! 騙されないで下さい! ドレスを切り裂いていたのは、ローザお嬢様です。私がファラーシャお嬢様に言われて、ドレスを確認しに来たら……ローザお嬢様がこのナイフで……っ! このナイフは、私がローザお嬢様から奪ったのです!」

「この……っ、メイド風情が私を謀るつもり……っ!? ナイフを持っているのは、エリーなのよ……っ!」

「嘘をついているのはローザお嬢様じゃないですか!」

「この……っ! 公爵令嬢のこの私よりメイドの言葉を信じると思っているの……っ!? そのナイフを渡しなさい……っ!」

 公爵令嬢とメイド。
 どちらの言い分を信じるかなんて明白だ。
 追い詰められたエリーが何をするか分からない。そう思ったローザは、一瞬の隙をついてナイフを奪い取った。風向きもローザに向いてくる、はずだった。

「私はファラーシャお嬢様のメイドです。お嬢様に言いつけられて部屋の様子を確認しに来たのです。何も不自然なことは無いでしょう! ……ここはファラーシャお嬢様の部屋、皆が出払ったこの部屋に、ローザお嬢様が居る事の方がおかしいと思いませんか!?」

 ローザがファラーシャにした嫌がらせの噂、婚約破棄以降からの不仲説、そして、公爵家の人々のローザへの態度。
 それがエリーの言葉に説得力を持たせた。エリーの弁解に、集まってきた使用人がざわざわとローザに冷たい視線を注いだ。

「……メイドの言い分は尤もだ。ファラーシャ、このメイドに言いつけたと言うのは本当かい?」

「…………ファラーシャ……?」

 愛らしかった幼少期のファラーシャの姿がローザの脳裏をよぎる。ファラーシャならば、信じてくれるに違いない。それなのに、ファラーシャの視線はローザと交わることはなかった。

「殿下……。エリーの言うことは本当ですわ。殿下と婚約して初めてのパーティですもの。その……本当に似合っているのか心配で、もう一度だけ着たいと我儘を言ったのです。それで、エリーが準備を整えるために私の部屋に…………」

 うるうると子犬のように瞳を濡らして、よろけるファラーシャをハンス王子が抱きとめた。

「…………お姉様、こんなに酷いことをなさるくらい、私がお嫌いだったのですか?」

 ファラーシャの言葉に、ローザの顔面が蒼白になる。

「ファラーシャ、お姉様を信じてくれないの……? 私よりも、メイドのことを信じるというの……?」

 縋り付くように、ふらふらとファラーシャに近寄るローザをハンス王子が警戒すると、それをたしなめて、ファラーシャがゆっくりとローザに近寄った。

「お姉様……私も、信じたかったわ。でも、エリーを信じるしかないじゃない」

 ファラーシャは可憐な表情で涙を流した。
 そして、慈愛の表情で優しくローザを抱きしめて、ファラーシャは耳元で囁いた。

「だって…………、エリーにドレスを破くように命令したのは私だもの」

「…………え?」

「お姉様がなんと言おうと、お姉様が犯人よ。……だってそう、私が仕組んでいるんですもの。…………何も知らないお姉様。ふふっ、ずっと貴女が邪魔だったの。お願い……消えて……?」

 自作自演。
 その言葉を思いつくと同時に、頭に血が上ったローザが手に持っていたナイフで、ファラーシャへと襲いかかった。

「ファラーシャァァアア……ッ!」

「キャアア……ッ!」

 可愛らしい悲鳴を上げたファラーシャをハンス王子が庇う。我に返ったローザが慌てて振りかぶった腕を止めようとするも、ナイフがハンス王子の腕をかすめていた。

「殿下……っ!」

「……っ、捕らえろ……っ!」

 ハンス王子の護衛騎士が、乱暴にローザを床に押さえつけた。
 髪を振り乱してローザがファラーシャを見上げると、手で隠した口元が嬉しそうに微笑んでいた。

(やら、れた……っ、公爵令嬢がただ妹に掴みかかってもそこまで大事には出来ない。私にも弁解のチャンスはあったはずだわ……。そうなれば、どこから真相が発覚するか分からない。けれど、殺傷沙汰とあればそうもいかないわ。私が逆上するのを見越して……わざとナイフを奪わせたんだわ……っ)

 実の妹にナイフを向けた。王族を傷つけたとあれば、処刑も免れないだろう。ハンス王子が庇って怪我を負ったことは、ファラーシャにとっても嬉しい誤算だっただろう。

「ファラーシャ……ッ! 貴女はどこまで……っ! 私は貴女のことを、何より大切に……愛していたのに……っ。殿下……っ、殿下を傷つけるつもりはなかったのです! 妹は……その女は、魔女ですわ……っ! そばに置けばきっと不幸になる……。お願い……どうか、騙されないで……っ!」

 叫んでも、叫んでも、冷たい視線が注がれる。
 誰も、ローザの言うことなど信じていない。

「ファラーシャは、罪深くも妹に嫌がらせをしていたお前を最後まで信じようとしていた。変わってしまったお前を信じ、またいつか仲睦まじい姉妹に戻れると……大切な姉だと言っていたのだぞ……っ! それを、お前は裏切ったのだ……っ!」

「お姉様……ごめんなさい。殺そうとする程、恨まれていただなんて、信じたくなかったの……」

 涙で視界が歪む。ローザは、息を飲んだ。

(……それは、私の……セリフだわ……)

 その言葉に、ローザは抵抗するのをやめた。気力を失ってしまった。

(誰も……信じてくれない……。……疲れた。……もう、どうでもいいわ……)

「やっと、大人しくなったか。全く、一時でも君と婚約していただなんて、ぞっとする。お前達、ローザを地下牢へ連行しろ! …………魔女は、お前のほうだろう」

「殿下……どうか、お姉様に慈悲をお与え下さい」

「……ファラーシャ、君はどこまで……。君はもう気にしなくて良い。私に任せなさい」

 殿下に連れられて、弱々しい演技をするファラーシャが部屋を後にする。
 ローザはただ、そんな二人の姿を這いつくばって、見上げていた。

 バタン。

 無慈悲に、扉が閉まる音がした。



 ◇ ◇ ◇



 ローザは薄暗くジメジメとした地下牢で自身の処刑日を待った。
 自暴自棄となり、抵抗する気力も失って、食事もろくに手をつけなかった。

(こんなもの、食べたところで意味なんてないわ。私はもうすぐ死ぬのだから……。最愛の妹に嵌められて……)

 あっという間に処刑の日がやって来て、ローザは絞首台に立たされた。
 ハンス王子の隣には涙ぐむファラーシャの姿があった。

(ファラーシャ……、どうして私を殺したいほど憎んでいたの……? 大切に想っていたのは私だけだったの……? 仲が良かったことも、大好きと言ってくれたことも、全部、貴女はずっと私に嘘をついていたの……?)

 問いかけたくても、食事もまともに取っていなかったローザの身体は、ローザから声すらも奪っていた。

(あぁ……、もしも……。もしも、やり直せるのなら、貴女の演技に気づかなかった愚かな私の、目を覚まさせてあげたいわ……)


 ――ガタン。


 その音ともに足場を失ったローザは、首にかけられた縄が締まって息絶えた。



 ◇ ◇ ◇



「……っは、……っはぁ……っあ!」

 首に衝撃を感じた直後、ローザの目の前に青い空が広がった。

「………………え?」

 理解が追いつかずに呆然としているローザの耳に、懐かしく、憎らしく、可愛らしい声が響いた。

「お姉様、大丈夫……? 酷くうなされていましたわ」

「……ファ、ラーシャ…………?」

「ふふっ、お姉様ったら。まだ寝ぼけていらっしゃるの?」

 ファラーシャは膝枕をしていたローザの顔を心配そうに覗き込んだ。その姿は、幼少期の懐かしい姿だった。

(どういうこと……? 私は処刑されて……他でもない、ファラーシャに……。まさか、過去に時間が戻っているの…………?)

 ローザは信じられない気持ちで、ゆっくりと身体を起こした。
 心配そうに見つめる今のファラーシャから、悪意は感じられない。

(……こんなに純粋なファラーシャが、あんな事をするなんて信じられないわ……。だけど、前の私もファラーシャの悪意に気づくことが出来なかったわ。もしかして、この頃から仲が良いと思っていたのは私だけで……実は既に私を憎んでいたの……?)

 ローザは自身の想像に、処刑の瞬間を思い出して身震いした。

(…………ファラーシャが怖い。その笑顔は本物……? 
 それとも、私に消えて欲しいと願っているの?)

「ねぇ、お姉様。私、お姉様のことが大好きよ」

 ローザは無邪気に握られた手を、咄嗟に払いのけそうになるのを我慢した。

「えぇ……。私も貴女が大好きよ」

「うふふっ、嬉しいっ! ずーっと一緒に居ましょうね!」

 あの出来事は悪い夢だと思いたい。
 この幸せな現実が居場所だと信じたかった。
 けれど、裏切られ、陥れられた生々しい記憶があれは現実だったとローザを引き戻す。

(この幸せな日々の先に、あの辛い出来事が待ち受けているのなら……、今度はやられたままでは居られないわ。貴女がそのつもりなら、守ると決めた妹がいたことは忘れるわ)



 ねぇ、ファラーシャ。
 貴女がどういうつもりなのかは分からない。けれど、私が悪者になることを望んでいるのなら、最高の悪役令嬢になってあげるわ。

 ――最愛の妹の願いだもの。お姉様は貴女のお願いごとを、断ったことはなかったでしょう?