──夕暮れ、校舎の屋上。


冷たい風に揺れるフェンスの前で、私は立ち尽くしていた。

夕陽が沈みかけた空は、赤と藍が溶け合うように滲んでいた。

校庭のざわめきも遠く、世界から音が消えたみたいに静か。

胸の奥では、何かがゆっくりと鳴っていた。

風に髪がほどけて頬に触れるたび、緊張で指先が冷たくなる。


(どうして、私……ここにいるんだろう)


ただ、その背中を追うように歩いてきた。

けれど、今はもう逃げられない気がした。

突然「来い」と強引に手を引かれ、結城先輩にここまで連れてこられたのだ。


「……結城先輩、どうして――」


問いかけるより先に、振り返った結城先輩の瞳がまっすぐに私を射抜く。


「……お前、最近なんで避けんの?」


低く落とされた声。

胸がぎゅっと縮む。

言葉が喉の奥でつかえる。

心臓の音が、耳のすぐそばで鳴っているみたい。

視線を合わせるだけで、息が苦しい。


(本当は、避けたかったんじゃない。怖かっただけ――)


近づけば近づくほど、この想いがもう隠せなくなる気がして。


「そ、そんなことないです」


必死に笑顔を作ろうとする。

けれど、声は震えていた。

結城先輩は一歩、距離を詰める。


「……俺はずっと、お前のことだけ見てた」

「だから……お前の言葉で聞きたい。俺のこと、どう思ってるか」


その真剣な表情に、もう誤魔化せなかった。

胸の奥に溜め込んでいた気持ちが限界を超えて、涙がこぼれる。


「……私だって……ずっと……結城先輩のこと……」


涙が頬を伝う感覚だけが、やけに鮮明だった。

言葉にした瞬間、胸の奥に張りつめていた糸がぷつんと切れる音がした気がした。

結城先輩は何も言わずに、ただその涙を見ていた。


(もう、隠さなくていいんだ……)


風の音と、夕陽の匂いだけが二人を包んでいた。

声にならないほど震えていたけれど、もう逃げなかった。

──そんな私を見つめながら、結城先輩がふっと口元を緩める。

泣き顔を和ませるように、少しだけ軽口を混ぜて。


「……お前、これから大変だな」

「俺、お前のこと好きすぎて離せねぇから」


思わず涙の中で笑ってしまう。

その瞬間、温かな手が頬を包んだ。

沈みゆく光と夜の境目の空の下、二人の距離は自然にゼロになる。

唇が触れ合ったとき、胸の奥でずっと苦しかった気持ちが、ようやく解き放たれていった。


──世界が止まったみたいに、ただ結城先輩だけが近くにいた。

どれくらいの時間が経ったのかわからない。

風が少し強く吹いて、制服の裾が揺れる。

遠くでチャイムの音が聞こえた。

世界が動き出したのを感じて、私たちはゆっくりと顔を離した。

その瞳の奥に映る自分が、少しだけ笑っていた。

もう、逃げない。


──