──昼休み、中庭。


ベンチに並んで、俺は翠ちゃんとパンを食べていた。

他愛のない会話を交わしながら過ごすこの時間が、最近はやけに心地いい。

昼下がりの陽射しが、木の葉を透かして揺れていた。

中庭の空気は柔らかく、風が吹くたびに髪が少しだけ揺れる。

その横顔を見ているだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。

何を話しても、どんな沈黙があっても、居心地が悪くない。


(こんなふうに誰かと並んで笑うの、いつ以来だろう)


バスケの仲間といるときとは違う、穏やかで優しい時間。

それが、少しだけ特別に感じてしまう自分がいた。


「このパン、思ったより美味しいね」


翠ちゃんが笑ってそう言う。

その笑顔に、胸の奥が温かくなる。


(……ずっと、この時間が続けばいいのに)


そう思った瞬間だった。

翠ちゃんの手がふと止まり、視線が遠くへ向かう。

その先には、友達とふざけ合う結城さんの姿。

ほんの一瞬。

翠ちゃんの横顔が、柔らかく揺れた。

ほんの数秒のことなのに、その表情が頭から離れなかった。

光を見つめるみたいに、少しだけ遠くを見ていた。


(あんな顔、俺には向けたことないな)


心のどこかでわかっていたはずなのに、いざ目の前で見ると、息が詰まりそうになる。

声をかけようとして、結局やめた。

この笑顔を壊したくなかったから。

見たことのない、特別な光。

──胸が締めつけられる。


(……やっぱり、結城さんなんだな)


気づきたくなかった答えが、静かに胸に落ちた。

でも、口には出さない。

「このパン、当たりだな」なんて笑ってみせる。

翠ちゃんは不思議そうにこっちを見て、少し笑ってくれた。

その笑顔が、いつもより少しだけ遠く感じた。

まるで、心のどこかがもう別の場所にあるみたいに。


(……いいよ、それでも)


笑っていられるうちは、俺も笑っていよう。

翠ちゃんが誰を見ていても、俺にできるのは、その隣で変わらずいられることだけだ。

それが、今の俺の精一杯。

わかっていた現実を、ようやく受け止められた気がした。

手のひらの中にあるこの穏やかな時間を、握りしめようとすればするほど、指の隙間からこぼれていく気がした。

きっと、俺がどれだけ想っても、彼女の心に触れることはできない。

でもそれでいい。

想いを伝えることだけが恋じゃない。

誰かを想い続ける強さだって、ちゃんと恋の形なんだ。


(――だからもう、大丈夫)


そう自分に言い聞かせながら、胸の奥にあった痛みを、静かに抱きしめた。

俺がどんなに隣にいても、翠ちゃんの視線はあの人を追ってる。

それでも、今だけは。

この小さな幸せを、手放したくなかった。

中庭に吹く風が、二人のあいだを静かに通り抜けていく。

陽の光が揺れて、彼女の髪を照らした。

その瞬間、もう少しだけ――この時間が続いてほしいと願った。

届かなくてもいい。

ただ、彼女が笑っていられるなら。

それだけで十分だった。


――