「助けて」
私は差し伸べられた手を掴んだ。
「痛い、怖い」
すすり泣く小さな影に、屈んで手を差し伸ばす。
「死にたくない」
血を欲して貪欲に光るナイフを持つ人影を、そっと抱きしめる。
私はいつも誰かの震える手を支えた。優しく両手で握った。そっと隣に寄り添った。
でも、運命は残酷だった。
「余計なことすんなよ!」
突き飛ばされた衝撃。擦りむいた膝の痛みよりも、助けたはずのあの子の、憎しみに満ちた目が痛かった。
良かれと思って差し伸べた手は、いつだって私の首を絞める。関われば関わるほど、未来は穢れ、歪んでゆく。
私の成す事は、ただの自己満足だ。
自己満足と引き換えに不幸を受け入れる、いわゆる等価交換の原則。
そんな身に余る能力で私は、普通に幸せになるはずだった未来を溝に捨てた。
「セーンパイ」
(あれ……、誰かの声が)
「起きてくださいよ、センパイ」
どこか心が落ち着く声音。凛としてるのに、私を呼ぶそれは、とても慈しみに満ちていて。
さっきまで胸が苦しかったのに、今は不思議暖かい。
肌寒い春に、温かい太陽の光が指したようだ。
「センパーイ、起きないと頭わしゃわしゃ撫でますよー」
うーん、太陽に髪を梳かされるなら、なんか気持ちよさそう……。
「いいよー……、私のこと撫でて」
「へあっ? センパイがおかしくなっちまった、なんてこったい」
寝言交じりに、むにゃむにゃ力なく声を漏らす私は、ふと声の主が誰なのか気になった。
現在進行系のこの状況、私は今なにをしている?
ぼんやりと虚ろを漂っていた私の意識は、やった形を成そうともがきだした。
(あ、あれ? 私なにしてたんだっけ?)
やっと状況というものを理解し始めた私の脳みそは、エンジンをふかしはじめ、温まってきた思考でついに覚醒に近づく。
口元がよだれで濡れていたことに気付いて、じゅるりとすすりながら、朧げな眼で上体を起こした。
(夕暮れ、教室の机で寝ていたのか)
気付けば、橙の夕日が教室をオレンジに染め上げ、日暮れが近づいていることを告げていた。
学校で居眠りなんて久しぶりだ。日直の人は起こしてくれなかったのだろうか。
いや、この前いきなり叫びちらしたやつに声はかけないよな。
そんなくだらない逡巡をして、刹那。
「センパイ」
「わっ」
天井から男性の声が降ってきた。トーンが明るめの、物腰優しそうな柔らかい声だ。
思わず声を上げて、天を仰げば、そこには憎たらしそうな男子生徒の顔が浮かんでいるではないか。
「ケイくん、いたの?」
「いたの? だなんて失礼ねー、俺はずーっと居ましたよ」
むすっ、と頬を膨らませて、こちらを見下ろす、生意気な後輩。
「でもでも、センパイの可愛い寝顔がずっと拝めたから、幸せでしたけどね」
「うわきも」
彼の言葉に間髪入れず、率直な感想を述べて、へらへらしたその変質者を睨めつける。
「まったく、いるなら早く声かけてよ」
「えー? ずっと声かけてましたよ。センパイ、あなたの眠りを覚ます王子様が来ましたよって」
「かーっ、気持ち悪い、ナルシストかよ」
「えへへ」
なんか嬉しそうにしてるこの本物の変質者に目もくれず、私はカバンを持って机から立ち上がった。
「じゃあ、私帰るから。またね」
「え、一緒に帰るんじゃないんすか?」
「なんで一緒が前提なのよ……」
彼のあまりのストーキングぶりに、思わず感嘆の声が漏れる。いや、ため息が漏れるの間違いだ。
「そろそろ暗くなるでしょ、センパイ送っていきますよ」
昇降口で上履きからローファーに履き替えてる時、彼は隣に寄り添いながら、私を待っていた。
履き潰して踵のすり減ったローファーに足を突っ込んで、横に並ぶズボンを履いてる足を肘で小突いた。
「いいっていってるでしょ、気持ち悪い」
「もう、そんな所が可愛いんだから、いけず」
吐き気を催すぐらい、ある意味技巧な言葉のセンスに呆れながら、私は立ち上がった。
「分かった、少しだけね」
「やったー!」
子どもみたいにはしゃぐ彼を横目に見ながら、私は何故か、胸が暖かくなっていて。
表情にも現れた慣れない緩みを隠すように私は、彼からそっぽを向いて歩き出した。
「あれ? センパイ笑ってる? なんで笑ってるんですかー? ねぇなんでなんでー」
「う、うるさい!」
私は我が子を叱りつけるように、ぴしゃりと怒鳴り、そして、ほがらかな笑みをこぼした。
私は差し伸べられた手を掴んだ。
「痛い、怖い」
すすり泣く小さな影に、屈んで手を差し伸ばす。
「死にたくない」
血を欲して貪欲に光るナイフを持つ人影を、そっと抱きしめる。
私はいつも誰かの震える手を支えた。優しく両手で握った。そっと隣に寄り添った。
でも、運命は残酷だった。
「余計なことすんなよ!」
突き飛ばされた衝撃。擦りむいた膝の痛みよりも、助けたはずのあの子の、憎しみに満ちた目が痛かった。
良かれと思って差し伸べた手は、いつだって私の首を絞める。関われば関わるほど、未来は穢れ、歪んでゆく。
私の成す事は、ただの自己満足だ。
自己満足と引き換えに不幸を受け入れる、いわゆる等価交換の原則。
そんな身に余る能力で私は、普通に幸せになるはずだった未来を溝に捨てた。
「セーンパイ」
(あれ……、誰かの声が)
「起きてくださいよ、センパイ」
どこか心が落ち着く声音。凛としてるのに、私を呼ぶそれは、とても慈しみに満ちていて。
さっきまで胸が苦しかったのに、今は不思議暖かい。
肌寒い春に、温かい太陽の光が指したようだ。
「センパーイ、起きないと頭わしゃわしゃ撫でますよー」
うーん、太陽に髪を梳かされるなら、なんか気持ちよさそう……。
「いいよー……、私のこと撫でて」
「へあっ? センパイがおかしくなっちまった、なんてこったい」
寝言交じりに、むにゃむにゃ力なく声を漏らす私は、ふと声の主が誰なのか気になった。
現在進行系のこの状況、私は今なにをしている?
ぼんやりと虚ろを漂っていた私の意識は、やった形を成そうともがきだした。
(あ、あれ? 私なにしてたんだっけ?)
やっと状況というものを理解し始めた私の脳みそは、エンジンをふかしはじめ、温まってきた思考でついに覚醒に近づく。
口元がよだれで濡れていたことに気付いて、じゅるりとすすりながら、朧げな眼で上体を起こした。
(夕暮れ、教室の机で寝ていたのか)
気付けば、橙の夕日が教室をオレンジに染め上げ、日暮れが近づいていることを告げていた。
学校で居眠りなんて久しぶりだ。日直の人は起こしてくれなかったのだろうか。
いや、この前いきなり叫びちらしたやつに声はかけないよな。
そんなくだらない逡巡をして、刹那。
「センパイ」
「わっ」
天井から男性の声が降ってきた。トーンが明るめの、物腰優しそうな柔らかい声だ。
思わず声を上げて、天を仰げば、そこには憎たらしそうな男子生徒の顔が浮かんでいるではないか。
「ケイくん、いたの?」
「いたの? だなんて失礼ねー、俺はずーっと居ましたよ」
むすっ、と頬を膨らませて、こちらを見下ろす、生意気な後輩。
「でもでも、センパイの可愛い寝顔がずっと拝めたから、幸せでしたけどね」
「うわきも」
彼の言葉に間髪入れず、率直な感想を述べて、へらへらしたその変質者を睨めつける。
「まったく、いるなら早く声かけてよ」
「えー? ずっと声かけてましたよ。センパイ、あなたの眠りを覚ます王子様が来ましたよって」
「かーっ、気持ち悪い、ナルシストかよ」
「えへへ」
なんか嬉しそうにしてるこの本物の変質者に目もくれず、私はカバンを持って机から立ち上がった。
「じゃあ、私帰るから。またね」
「え、一緒に帰るんじゃないんすか?」
「なんで一緒が前提なのよ……」
彼のあまりのストーキングぶりに、思わず感嘆の声が漏れる。いや、ため息が漏れるの間違いだ。
「そろそろ暗くなるでしょ、センパイ送っていきますよ」
昇降口で上履きからローファーに履き替えてる時、彼は隣に寄り添いながら、私を待っていた。
履き潰して踵のすり減ったローファーに足を突っ込んで、横に並ぶズボンを履いてる足を肘で小突いた。
「いいっていってるでしょ、気持ち悪い」
「もう、そんな所が可愛いんだから、いけず」
吐き気を催すぐらい、ある意味技巧な言葉のセンスに呆れながら、私は立ち上がった。
「分かった、少しだけね」
「やったー!」
子どもみたいにはしゃぐ彼を横目に見ながら、私は何故か、胸が暖かくなっていて。
表情にも現れた慣れない緩みを隠すように私は、彼からそっぽを向いて歩き出した。
「あれ? センパイ笑ってる? なんで笑ってるんですかー? ねぇなんでなんでー」
「う、うるさい!」
私は我が子を叱りつけるように、ぴしゃりと怒鳴り、そして、ほがらかな笑みをこぼした。
