わたしは知っている、君の最期を。

「いてて、また鼻血でた」

 俺は、大好きなあの人のために、鏡を見つめていた。

 鏡なんかを見つめるだなんてナルシストかもしれないが、俺は俺自身を見てるんじゃない。
 俺の瞳を通して見れる未来の光景を覗き込んでいた。

「明日は、柊センパイの家に行く日だ」

 俺の能力は、俺個人か一番近くにいる親しい人の未来しか見れないから、彼女がちゃんと幸せに生きられるか見ていた。

 神さま、これぐらいはいいよね、彼女がちゃんと前を向いてるかだけ見たかったんだ。
 代償があるなら、俺につけといていいからさ。
 地獄行きになるでもなんでも受け入れるよ。

「けいー? 明日、友達の家に行くんでしょー? 早く寝たらー」

 母が声高にしわがれた中年女性の声を響かせながら、廊下をぎしぎしと鳴らせて近付いてくる。

「母さん、あんまり過保護にしなくたっていいって言ってるでしょ、仕事で疲れてんだから早く寝なよ」

「そうは言ってもね。お母さん、久々にあんたが友達の家に行くっていうから、なんか心配なんだよ」

「むー」

 俺は母にもふてくされてるのが分かるように、わざとらしく頬を膨らませる。

「お母さん、ちょっちしつこいですよ」

「あらあら、ちょっちしつこくても分かるんですよ? その感じ、あんた女の子の家行くんでしょ」

「うげ」

 なぜ分かるんだ。あまり、浮かれたような言動や行動は出していないはずだ。
 このばばあ、プライベートを見透かして、あんなことやこんなことも知ってるのか?
 プライバシー侵害だな。

「なんで分かるの」

「分かるわよ、時々ニタニタ笑って気持ち悪いんですもの。私と交際を始めた時のパパみたいだわ」

 うわー、親って怖えー。プライバシー侵害どころか、俺の性癖さえ知ってるんじゃないか?
 俺が持ってるこの能力よりも怖いわ。

「分かったよ、分かったから。早く寝るから、母さんも休んで」

「ぬふふ、あんまり羽目外さないのよー? そうだ、あんたの歳じゃ買いづらいだろうからコンドームでも調達しようか?」

「も、もう! いいって言ってるでしょ! 息子の性事情にも関わるな! 早く寝ろ!」

「はいはい、分かったわよ。でも、ちゃんと楽しんでね。責任の伴う事はちゃんと考えること」

「あいあい、分かってる分かってる」

 母親が言いたいことは分かってる。なんとなく察するし、親の心配もありがたい。
 だからこそ面倒で、分かってるから、しっしと猫を追い払うように手で退くように手を振る。

 でも。

「あとね、これだけ言っておきたいの」

「なに」

 母からこんな言葉が出るなんて思わなかった。

「ちゃんと納得できる人生にするんだよ」

 俺がもうすぐ死ぬのが、勘づいてるのかは分からない。

 でも、俺はちゃんと答えたい。答えなくちゃいけない。

「分かってるよ、母さん。最期まで、ああ生きててよかった、て思えるように生きてみせるさ」

「ふふ、そう」

 母はくすり、笑って振り返り、いつものようにほがらかな声で、「おやすみ」で挨拶してくれた。

「うん、おやすみ」

 ガチャン、と母が寝室に入る音が聞こえてから、俺は洗面所をあとにした。

 途中、寝室を通る時に鼻をすすって嗚咽を漏らす声がしたような気がしたけど、部屋の前で立ち止まってはいけない気がして、気の所為にした。

「かあさん、ごめん」

 俺は、自室に入って机の日記帳を手に取る。
 ぎしり、と音を立てて勉強机の席について、俺は一つの鉛筆を手に取った。

 きっと、これが最期だ。

 一通り見た彼女の行動は、一部の未来で過激化していた。

 俺が死ぬのを諦めきれずに日々を過ごせば、彼女は人を傷つけたり、終いには人を殺してしまっていた。

 俺はその現実を受け入れられないけど、でも、未来が外れたことはない。

 きっと、いや、絶対実現する。

 彼女の狂気は本物だ。俺がこの後入院するルートがあるが、そこでは夏休みにもかかわらず帰宅部の先輩は学校に登校して大勢の人を傷付ける。

 この時に人を殺しかけるのを見たが、殺人に踏み込んでしまうのはもう少し先だ。

 彼女を犯罪者にしたくない。
 俺のせいで、彼女をおかしくしたくない。

 どうせ、病気やら交通事故で死ぬんだ。自分で死を選ぶぐらい、少し早まっただけなんだからどうってことないじゃないか。

「あれ」

 彼女に残すあとがきを日記帳に書いてる時だ。
 手が震えてきて、文字が書きづらい。

 今さら、死が怖いのか?
 何度もあの感覚を味わったろう。痛みさえも感じない熱感に、あるいは、深海に沈みこんでゆくような静かな暗闇の瀬戸際を。

 大丈夫だ、俺は大丈夫。

 彼女だって、未来を見る能力があるなら、同じように死の感覚を味わってるはずだ。
 だから、元は明るい彼女もああなってしまった。
 俺が大丈夫じゃなければ、彼女に大丈夫って言っても全然伝わらない。

 俺はもう大丈夫だ。彼女に、この日記帳のあとがきで伝えるんだから。

 俺は、……俺は。


 私は彼が死を覚悟したときの事を、しっかり、看取っていた。

 今までの私は『高木柊』だけど、先ほど観測した彼の過去を視ていた時、私は彼と身体を合わせているようだった。

 まるであの時身体を重ねたみたいに、身体の芯から熱くて、深く暗い感情を持ちながらも、どこか清々しい。

 彼とひとつになれたようで、かとても心地よくて。ずっと余韻に浸っていたい。

 でも、今は『高木柊』ではない。

 彼の意思を看取り、継いだ、一人の『私』なんだ。 

 私はいつの間にか止まっていた涙を拭いきって、ようやく、彼の日記帳に触れた。

 まるで、彼の魂に触れているようだった。

 しっかりと、でも握り潰さないよう日記帳を持って、そっとページを開いた。

 これから読むのは、彼の最期の言葉。
 あとがきだ。

『センパイへ』
 
『センパイ、夏休み前の連休に遊園地行きましたよね。その時、俺の名前、下の漢字はどう書くのかって訊かれたとき、恥ずかしくて言えなかったけど。俺の名前、恵と書いてケイと読むんです。母が自分の名前に由来する所から付けたかったみたいで、恵美から取って恵って。でも女の子みたい、変なのって言われそうだから言えなかったんですよね』

 そんなの、馬鹿にしないよ。可愛いし、素敵な名前だよ。
 お母さんの名前からもらった名前なんて、とっても素敵だ。

 でもごめんね、今まできつく当たりすぎて、そう思わせたんだよね。
 それに君を助けられなかった、ごめんなさい。
 
『それと、最期に。オレはこういう道しか辿れなかったけど、センパイは大丈夫。謝らないで、きっとあなたは今オレにごめんなさいって謝罪してるんでしょ? 罪悪感を感じてるんでしょ? 大丈夫、センパイは悪くない。みんな悪くないよ。そうなっちゃっただけ。だから前を見て。空を見上げて。あなたの未来だけは一通り見れたんだ。どんな未来もみんな幸せな人生を歩けてるからさ。心配しないでよ。もう謝らないで。』

 もう、ひどい人。私の未来を勝手に見透かして、心まで読んで。勝手に先に逝くなんて。

 ごめんなさい、もうケイくんに謝るのはやめる。でも、その代わり、あなたにはこれからずっとありがとうって、お礼を言わせて。

『センパイ。もうあなたなら大丈夫。きっとあなたが想像する幸せな人生を歩めるよ。だから、オレから最期に質問させて。今のセンパイはどんなセンパイですか? オレが見てきた暗かったセンパイですか? オレが未来を視て安心した、明るくて優しいセンパイですか? きっと、もう答えは決まってますよね。オレがんばりましたから。今のあなたなら大丈夫。これからを幸せに生きられる。やれる。やれる。やれるはずさ。オレが保証しますよ。あなたが死んだ先で不幸だったよー、うわーんなんて言うのならオレが叱りますから。そうなる前にオレが支えて、見届けますから。』

 ……ありがとう。春野恵くん。

『がんばれ!!!』

 最後のページででっかくそう走り書きされていて。

 これから生きるということは、彼がいない世界を歩き続けることだ。それはどんな地獄よりも辛いかもしれない。
 でも、だからといって君が命を賭して守ったこの未来を、私は捨てることができない。
 あの子が必死に書き残してくれた日記の最後のページ。彼らしい汚い字で書かれた「がんばれ」の一言が、鎖のように私をこの世界に繋ぎ止めてくれる。
 
「……うん、大丈夫だよ、ケイくん」

 私は日記をぎゅっと抱きしめ、誰もいないこの部屋で、そっとこぼれるように力を抜いて笑う。
 頬を伝う涙は冷たいけれど、胸の奥の呪いだけが、焼き付くように熱かった。

 今の私なら大丈夫。

 私は知っている、君の最期を。
 私は知っている、君の全てを。

 もう、大丈夫。自分にそう言い聞かせて。

 あの子が残した傷跡が、顔をあげさせて前へと歩かせてくれる。

 きっと。いや、絶対。

 もし、この景色を視てるもう一人の『私(あなた)』がいるなら、ひとつ問いたい。

 君はこんな残酷な未来でも生きれるか?

 私は絶対、この先も生きて見せる。

 彼がしたように、君に勇気を与えるために。
 どんな未来でも、ちゃんと生きてほしいから。