わたしは知っている、君の最期を。

「いやはや、申し訳ないです。センパイ」

 救急車で運ばれた彼は緊急入院になった。検査も合わせて経過観察で、安静になった今、面会ができている。

「心配したんだよ! そんな軽いノリにしないで!」

 頭の裏をわしわし掻いていたケイくんは手を止め、ベッドから起き上がった膝元に置いた。

「……」

 なぜ、そんな顔してるの? なぜそんな、

「安心した顔、しないでよ……」

 悲痛な、消え入るような声で呟き、自然に涙が出る。

 頬を伝う熱いそれ。次第に涼しくなる。そう感じたら、彼は口を開けた。

「ありがとう、センパイ」

 何……それ。何……それ。

 彼は嬉しそうに優しく笑っていて。

 そんな顔がむかついて。

 つい、言おうと思っていなかったのに口走った。

「ケイくん……!? 死なないよね!? ……死なないよね!?」

 でも思ってた言葉ではなく、勝手に求めてる言葉ではなく。

 彼の口からは、
「そう、オレは死にます」

 それからは彼を問い詰めた。

 冗談だよね、じゃあなぜ死ぬの、って。

 彼ははぐらかすばかりでただへらへらしてて。

 ふざけんな。お前は死ぬんだぞ。

 ひたすら腹が立って。

 彼の肩を掴んで、少し乱暴にしても「センパイ、どうしたんすか? 変ですよ?」と相手にもしてくれなくて。

 気づけば面会時間が終わり、帰るしかなかった。

 悔しい。悔しい悔しい。

 まだ時間はあるはず。焦るな。あの子を助けるんだ。

 焦らないようにしても、焦燥感に駆られ、彼の寿命が残り少ないことで頭がいっぱい。

 大丈夫だ、私のこの能力がある。
 等価交換のようなルールなら、きっと相手を不幸にすることで、私に幸運が何かしらの形で宿るはず。

 前だって、幼い頃にできた友達を助けようとして、空回りして傷付けて、自分も勝手に傷付いた。

 そうだ、前にもあったじゃないか。

 つばきちゃんを生きながらえさせた事例が。 

 彼女との絆は壊れたけど、結果彼女は死なずに済んだ。

 あの後も私が知る限りでは生きていたんだ。
 ならば、人との関係が壊れて、人生がねじ曲がるぐらいの事象が今回もあればいいんじゃないか?

 彼女も私も、不幸な形で別れてしまったけど。

 人との関係さえ無くなるくらい、代償の大きい不幸があればいいんだ。

 きっと、私も、誰もかも含めた物事の変化が、彼の死因にも繋がるはず。

 彼の死因がなんであれ、現在の世界線を変えるぐらいでなければ、身近の変化は起きない。

 私と彼との運命を変えたければ、それに匹敵する近辺の変化が必要だ。

 起きるはずなかった未来が、身の回りで起きれば、きっと私の視た未来は変化するはず。

 それが、彼の生存という幸運に繋がれば……。

 そうだ、この理論に頼るしかない。
 今はこれ以外方法はないし、考えられない。

 やるしか、ない。



 次の日、部活も補習もないのに学校に登校した。

「きゃー!」
「あんた、なによ!」

 私は練習中の吹奏楽部を襲い、ただひたすらに物を壊した。
 譜面台をなぎ倒し、光り輝く金管楽器を奪い取る。

「やめて!」

 女の子の悲鳴が聞こえる。

 やめて、やめて。

 私だってやめたい。
 でも、ここでやめたら、ケイくんが死ぬ。

 やるしかないんだ。

「ぁぁああああ!!」

 自分でも驚くぐらい、喉が裂けてしまいそうな激しい咆哮が迸った。

 私という、女子高生の形をしただけの獣は、悲鳴のような咆哮と共に重い楽器振り回す。

 思うようには打ち振る事はできず、ガシャン、と鈍い音と共に、誰かの「痛い!」という短い悲鳴。

 視線を向ければ、女の子が額から血を流してうずくまっていた。

「あ……」

 怪我をさせてしまった。

 事実を確認して、心がしんと静まる。

 罪悪感がのしかかるはずなのに、それよりも焦燥感がじわじわと溢れ出て、早くしろとせがんでくる。

 ……足りない。

 まだ能力の前兆すら感じないんだ。

 この子の怪我くらいじゃ、あの子の命の重さと釣り合わない。

 もっと、もっと重い罪を。

 神様が目を背けたくなるような、決定的な「悪」にならなきゃ。

 私が地獄に落ちる代わりに、あの子を三途の川から引きずり戻すんだ。

 思考は冷え切っていた。目の前の吹奏楽部の生徒たちが、人間ではなく、ただの「天秤の重り」に見えた。

「……ごめんなさい」

 謝罪は口をついて出たけれど、足は止まらなかった。

 場所なんてどこでもいい。

 一番近くの、罪を犯しやすいところだ。

 廊下を練り歩く私は、嗚咽も漏らさず、ただ静かに瞳から涙を流していた。

 感情の壊れた表情筋を伝って、顎下を乱雑に揺れる水滴は、ぽつりぽつりと淋しそうにこぼれる。

 私が辿ったあとは、まるで涙でできた悲劇への花道のよう。

 ガシャン、ゴシャ。

「な、なんだお前! みんな、作品を守れ!」

 手頃な場所に美術室があったから、作業中の部員に近付いた。

 彫刻を薙ぎ倒し、掴んで投げる。

 ガラリと壊れて、破壊音に倣うように、私の心もガラリと音をたてる。

(苦しい、なんでこんなに人を陥れているのに……)

 思って気付いた。

 そうだ、一線を踏み越えてないんだ。

 ふと視界に黄色いカッターが横切る。

 これしかない。

 手にしたカッターの刃を押し出す。カチ、カチリ、という乾いた音が、私の人生の終わる音に聞こえた。

 誰でもいい。誰かを傷つけて、私が「加害者」になれば。

 その代償として、奇跡は起きるはずだ。

 私だけが、悪魔になればいい。

「い、いや、たすけて」

 ふらり、ふらりとにじり寄る私に、女子生徒は壁際に追い詰められて咄嗟に顔を隠す。

(逃げて……!)
 心で叫びちらかすもう一人の私を押し殺し、身体は殺意の形を模倣していく。

 震える手を、確かに支えて。反論する私を抑え込むように。

 目の前の女の子は無様に泣き喚いている。
 私の手も無様に泣き震えている。

 あと一歩踏み込むだけなのに、身体が凍りついたように動かせない。

 やめて、私の前で泣かないで。
 まだ人間をやめられなくなる。そんな顔みたら弱くなってしまう。

 あの子のために強くなれない。

 あの子が生きるなら、私は人殺しでいいんだから。

 さあ、手を振り上げ……

「やめなさい!」

 すんでのところで、教師の叫び声が耳に入った。
 ビクッと肩が跳ねて、極限まで張り詰めていた糸が切れる。

 カラン。

 手に持ったカッターが、あっけなく床に落ちた。
 頭をかき乱す目まぐるしい感情の刹那、ホッとしている自分がいた。最低な自分に、安堵している馬鹿がいた。

「何してるんだ、人を殺す気か!」

 先生が私を取り押さえる。床の冷たさが頬に触れる。
 そうじゃない。そうだけど、違う。私は、ただあの子を助けたくて。

「とりあえずこの事は、保護者に連絡するからな! 職員室に来なさい」

 無抵抗になった私を、強引に職員室に連れて行った教師は、しばらく私を叱って、母を学校に呼んだ。

「柊さんの今回の問題はうちで処理します。今日の事は精神状態もありますので、しばらく停学というのは……」

「すみません、うちの娘が……」

 何も変わらなかった。

 ただ、大好きな母を困らせただけだった。

 残ったのは両親の失望と学校の停学処分。

 私は、このぽっかりと胸に空いた穴を埋める方法が分からず、気付けばいつの間にか嗚咽を漏らし、頬を濡らしていた。



 彼の運命を変えられなかった。