白衣とエプロン②お医者様は今日も妻に恋わずらい

年末年始休暇もあっという間におわり、仕事始めから数日。

世間的には“ようやく土曜日”といったところだろうけど――。

「あ、今日は可燃物の日?」

「ですです。燃えるゴミの日です。私、今からまとめますね」

「いいよ、僕がやっておくから。千佳さんは支度して」

「ごめんなさい、助かりますっ。秋彦さんの新しいシャツ、あるとこわかりました?」

「うん、大丈夫。ありがとう」

土曜日も出勤するのが通常の私たち。

私こと清水千佳(しみずちか)は耳鼻咽喉科で働く医療事務スタッフ。

そして、一緒に暮らしている“秋彦さん”こと保坂秋彦(ほさかあきひこ)先生は同じカトレア耳鼻咽喉科クリニックで働く耳鼻科医。

ちなみに、私たちが結婚前提にお付き合いしていることや同棲していることは、職場では“基本的に”内緒のこと。


超特急で支度を整え、とりあえず車に乗り込み「ほっ」とする。

こうして彼の車で通勤するのが日課だけれど、曜日によってはふたりの目的地が違う。

「土曜日のカトレアは相変わらず忙しい?」

「ですね。秋彦さんのほうはどうですか?」

「土曜の午後もやってるところって案外少ないみたいで。やっぱり患者さんは多めかな」

現在、彼は週の半分を外勤していて、そういう日は私をカトレアの近くまで送って出勤してくれている。

これはまだ一部の関係者のみに共有されている情報だけど、外勤先のクリニックは年度明けから当法人のクリニックとしてリニューアルオープンが決まっていて、彼はそこの院長に内定しており、私もまた事務スタッフとして異動が決まっている。

車がそろそろ目的地周辺に近づいて、降りる心の準備をする。

(さて、お仕事モードに切り替えないと)

なのに――。

いつもの場所に停車して、私がシートベルトを外したところで彼が一言。

「千佳さん。今夜、時間ある?」

(あっ……)

そう、今日は土曜日。

そして、土曜日といえば明日はお休み。

そしてそして、明日はお休みということは――。

「どうだろうか?」

「ん?」と首をかしげて彼が私に問いかける。

なんだかちょっと甘えた声に聞こえてるのは、私の気のせい?

私はといえば、つとめて平静を装うもやっぱりダメダメで。

「ぜ、ぜんぜん、大丈夫ですよ。はい」

ちょっとドキドキして、気恥ずかしくて頬が熱い。

「よかった。では、今夜」

「では、今夜……」

(もう、朝からこんなことっ)

「じゃあ、いってらっしゃい。気をつけてね」

「いってきますです。秋彦さんも気をつけて、いってらっしゃい」

「うん。いってきます」

車が見えなくなるまで彼を見送り、ふぅと小さく息を吐き、心の中で大きな甘いため息をつく。

(今夜……)

ふたりの間で「今夜、時間ある?」という言葉は特別な意味を持っている。

それは、具体的には「お風呂を上がってから寝るまでの間に時間はありますか?」という意味であり。

もっと具体的にいうと、その……「今夜“そういうこと”をする時間を持ちませんか?」という。

彼がこの台詞を繰り出して(?)くるのは、決まって土曜日。

生真面目な私たちは、翌日に仕事を控えた夜は早めの就寝を心がけ、きっちり睡眠時間を確保するのが暗黙のルールになっている。

そして、もうひとつのルールがこの「今夜、時間ある?」の打診。

今となってはいつからだったか思い出せないけど、ふたりの間に存在する謎システム。

だって、こういう言い方をしては身も蓋もないけれど、これっていわば“致し”の予約システムと言っても過言ではないわけで……。

でも、わたしはこのシステムをかなり気に入っている。

★5つをつけてレビューを書いてもいい(え?)。

理由はまあ、いろいろあるのだけど――。

一つは、いつも臨戦態勢でいなくてよいこと。

同棲しているということは、ぶっちゃけ、いつでも“そういうこと”をしようと思えばできる環境にあるわけで。

だからといって、いつなんどき求められても応えられるようにしているのは正直きつい……。

もちろん、求められたからといってダメなときはダメと言えばいいだけの話、というのが正しいのだけど。

それはそれとして、いつ「しよう?」と言われるかわからないという状況は、やっぱり落ち着かないし、安らげない。

でも、このシステムさえあれば!(何これ、なんの宣伝?)。

打診がないということは「なし」が確定ということ。

そして、NGの場合も前振りに対してお断りするのは気楽なもの。

もっとも、私の彼は「同意を得る」ということを非常に大切に考えているので、いきなり押し倒したり、勢いでとか、なし崩し的にどうにかしようとか、そういうことは皆無なのだけど。

もちろん、好みや価値観は人それぞれ。

だから、ある人たちからすれば、彼と私のやりとりは、ムードがないとか、無粋であるとか、風情がないとか、そんなふうに見られてしまうかも?

でも、私はこのやりとりが嬉しくて、楽しくて、大好きで。

例えば、今朝は出がけにバタバタしてしまって、すっかり抜けてしまっていたけれど。

土曜の朝に「今日、聞かれるかな?」と、夜の時間をたっぷり用意しながら楽しみに待ち構えるのもよき。

或いは、今朝みたいに不意打ちみたいになって、思い切りあわわとなるのも、それはそれでよき。

それに、今みたいに「ああ、今夜……」と思い返して、胸躍らせてドキドキするのもよき。

いってみれば、一粒で何度も美味しい的な?

ちなみに、生理のときなどは「しばらく立て込んでいて。落ち着いたら私から声をかけてもいいですか?」などと言い。

終わったら終わったで「落ち着いたので、次の土曜の夜って時間ありますか?」などと打診をしてみたり。

すると彼が「声かけてくれてありがとう」とすごく喜んでくれたりして。

はたから見れば、ちょっとおかしな人たちかも?

でも、私はこの“ごっこ”のような言葉遊びが楽しめるのを、とても幸せに思っている。

ドキドキしたり、ワクワクしたり、ときにはひっそり甘いため息をつきながら、人知れず夜を待ちわびて昼間をすごす。

もちろん、昼間は昼間のお仕事をしっかりと。

でも、休憩時間にはまるでとっておきの甘いお菓子を少しだけそろりと楽しむように、ちょっぴりときめきを摂取して。

(さーて、お仕事お仕事!)

いつもどおり早く職場についた私は、スタッフルームの空気の入れ替えをして、給茶コーナーの補充もして。

エプロンをつけて気合十分!

足取り軽くウキウキでスタッフルームを出ると――。

「キミ、朝からそんなに何を浮かれているわけ?」

(げっ!)

都合よくすっかり忘れていたけれど……。

「お、おはようございます。貴志(きし)先生」

今日の担当は、院長の麗華(れいか)先生と、もうひとりは私の苦手な貴志先生だった。

「何? なにかいいコトでもあった? ていうか、キミは保坂センセイさえいれば毎日ラッキーパラダイスか」

「なっ……!?」

思わず周りをキョロキョロ確かめる私に、貴志先生が呆れたように溜息をつく。

「誰もいない。ボクひとりだよ」

「き、今日はずいぶんお早いんですね」

「早く来ちゃいけないわけ?」

(うぅ、なんか突っかかるなぁ……)