朝、7時40分━━━━━。
暦は5月初旬。
桜は散り落ち、校門辺りはピンクの絨毯が広がっている。
山田穂乃果はそんなものには目も向けず、足早に2年1組の教室に入って重たいカバンを机に置き、椅子に座った。
「はぁ〜。」と何かから開放されたようにため息をつき、ペンとクロッキー帳をカバンから取り出した。そして、大好きな絵を描き始めた。
昔から絵を描くことが大好きだった私は、学校生活のストレス発散のために、いつからかこうして朝早くに登校し絵を書き始めるようになった。
小学6年生の頃、アニメのキャラクターの模写をしていると、ある男子が「え、めっちゃすごいっ!!」と私の絵を見て言ってきた。
それにつられた周りの子たちは、一斉に私の方へ駆け寄り、「穂乃果ちゃんすごいね!」「絵上手だねっ!」と褒めた。
今まで注目の的になることがなかったため、恥ずかしいと顔を赤くしたが、内心は嬉しい気持ちでいっぱいだった。
そんなある日の昼休み、トイレから戻り教室に入ると、引き出しに入れておいたはずの自由帳が机の上に置いてあるのが見えた。不思議に思って自由帳を開くと、全てのページがビリビリに破かれていた。
後ろにはくすくすと笑う女子たちがいた。
この瞬間、私は失望したような冷めた気持ちになった。
その日から、私は人に絵を見られないよう、誰もいない朝の教室で絵を描くのが私の至福の時間となっていった。
そうして自分だけの世界に没頭していると、次第に学校では一人でいることが多くなり、高校生になった今でもぼっち生活を送っている。
別に友達が欲しくないわけではない。ただ、人と話すことが苦手な上に周りに関心がなく、流行りやノリについていけないのだ。
そう言い訳のように心の中でつぶやきながらペンを走らせていると、窓の外から「おはよー。」と生徒同士が眠そうに言葉を交わしているのが聞こえてきた。
8時10分を過ぎると、ぞろぞろと電車通学の生徒たちが登校して来る。この挨拶はその集団の訪れを知らせてくれる合図となり、私はいつもその合図と同時に図書室へ向かう。
(そういえば今日は新しい本が出る日だったな...。)
図書室の本は三週間に一度新しい本が追加される。追加される本は、生徒がリクエストした中から選ばれ、20冊ほどが毎回追加されている。どの高校も同じシステムかは分からないが、それを知った穂乃果は「高校ってすごい...。」と感動した。
ワクワクしながら図書室へ入ると、本の追加コーナーに見覚えのある本があった。その本は私がリクエストした本だった。
私は小声で「やった!」と声を弾ませ、すぐに借りる手続きをした。その本は、たまたま本屋で見つけた恋愛小説で、いつも表紙のイラストを見て興味を引かれる本を読んでいる私は、その本の表紙がまさに大好きな絵柄だったのだ。
すぐに読もうと近くの空いている席を探している時、奥の席に座っていた男子と目が合った。まさか生徒がいるとは思わず心臓が飛び跳ねたと同時に、それが誰なのかすぐにわかった。
(...橘くん!?)
そこに居たのは、私のクラスメイトで隣の席の橘くんだった。クラス替えをして1ヶ月経っても未だに顔と名前が覚えられない私が唯一、すぐに覚えることのできた人物だ。
それもそのはず、2年生になって初めての始業式の日、彼は遅刻をして来たのだ。式を終えて教室で先生の話を聞いていると、「おはようございまーす。」と言いながら彼が扉を開け入ってきた。さらに、遅刻の理由を聞く先生を横目に「寝坊しましたー。」と面倒くさそうに答えて隣の席に着いた。
小学生の頃から一度も遅刻欠席をしたことが無い私にとっては衝撃的で、彼の態度からあまり近づかない方がいいと察した。
しかし隣の席である上に、男子はどうもこういう人に興味が湧くようで、休み時間になればすっかり彼の周りには人で溢れていた。おかげで私の左横は騒々しくなり、静かな学校生活を送るという未来が絶たれてしまった。
気づけば女子も混ざるようになり、「イケメンだよね〜!」という声も聞こえてくるようになった。確かに彼は、スラッとした背で、サラサラな黒髪が白い肌を際立たせ、おまけに女の子のような長いまつ毛まで持ち合わせており、女子からモテるには十分のビジュアルだった。
そんな高嶺の花のような存在が今、図書室にいるという事実。学校生活が1ヶ月経った今でも遅刻癖が治らない彼がなぜここにいるのか、私は彼に背を向ける形でなるべく離れた席に座りながら考えた。
勉強や本を読んでいるのならまだしも、彼はテーブルの上にカバンを置き、その上に顎を乗せて眠たそうに目をゆっくりを瞬かせながらこちらを見ていたのだ。
考えても答えは出るはずもなく、何故か変な汗まで出てきた私は、本を読んでいるフリをして心拍数を落ち着かせることに集中した。
そうしているうちに、時間は刻々と過ぎていき、朝のホームルームが始まる10分前になった。振り返ると橘くんの姿はなく、変に緊張していたこの時間を返して欲しいと心の中で橘くんに怒った。
教室に戻ると橘くんの姿が見えた。相変わらず人気者で逆に羨ましく思ってしまった。
しばらくして、チャイムの音と同時に先生が入って来た。
「はーい。ホームルーム始めるぞー。」
立っていた生徒たちは一斉に自分の席に着き、先生の方を見た。
「来月体育祭あるから、今日は種目別に誰が出るか決めてくぞー。」
毎年6月に行われる体育祭。それは運動神経が皆無な私にとっては苦手な行事である。
しかし周りの生徒たち、主に男子のボルテージは上がり、絶対優勝するぞという雰囲気が漂っている。
「おっしゃ!俺絶対、騎馬戦出たい!」
「リレー誰出る?」
「あたし、チアやりたい!」
クラス全体が体育祭の話題で盛り上がり、私は無関係だというスタンスで静観していた。
「はいじゃあ後はクラス委員の人、前に出て仕切ってくれ。」
先生はそう言って端の椅子に腰掛けた。
クラス委員誰だっけ?とクラスメイトたちが考えていると、可愛らしい声が聞こえた。
「あっ!私かっ!」
声の方を見ると、そうだったという顔で女子が席を立っていた。
「あー、そういえば志保じゃん!」
「もう!忘れんなよー!笑」
ごめーん忘れてたー!と言いながら前に出て来た彼女の名は、和泉志保ちゃん。クラスのムードメーカー的な存在である。一年生の頃から同じクラスで、私たちの学年の中で一番顔が可愛いと有名だ。先輩から告白されたことがあるらしく、学校内での知名度は高かった。さらに内面まで素晴らしく、誰に対しても分け隔てなく優しい態度で接してくれる完璧な女の子である。
(今日も可愛いなー。生まれ変わったらあの顔になりたい。)
そう叶わぬような夢を語りながら彼女を見つめた。
その後、男子のクラス委員も出て話し合いは進んだ。
「よし、最後は...体育祭のプログラムの表紙を描く人だね。誰か絵が上手い人はいるかな?」
和泉さんの問いかけにクラスは静まり、立候補者の申し出を待った。
毎年、プログラムの表紙のイラストを描く人は、ランダムで決まったクラスの中から選ばれることになっている。
今年はうちのクラスが選ばれたらしく、私は描いてみたいなという気持ちを抑えて誰がいくのか見守った。
「んー、どうしよう。私絵下手だしなー。」
「じゃあ、俺描こうかな!下手だけど!笑」
そうクラス委員の二人がじゃれ合っていると、一人が手を挙げた。
「おっ!橘やる?」
手を挙げたのは橘くんだった。私は驚いて彼を見つめていると橘くんが口を開いた。
「山田さんとかどう?」
...はっ???私???
私はさらに驚いて目を丸くした。
「俺、山田さんが絵上手いの知ってる。」
「そーなんだ!知らなかった!じゃあ、山田さんお願いできるかな?」
突然の出来事に困惑する。
「嫌なら、全然断っても良いからね!」
和泉さんがそう言って気を使ってくれたが、この状況で断れるわけが無い。
「あっ....えっと....」
みんなの視線が刺さって上手く話せない。
「....じゃあ、私やります....。」
「ホントに!?ありがとう!」
明るくお礼をした和泉さんの言葉すら頭に入っていない。
(意味がわからない....。何で橘くんは私を...。それにイラスト描いてるって何で知ってるの?)
不安と疑問で頭はいっぱい。
ふと横を見ると彼はうつ伏せて腕枕で寝ていたため、なぜ私を推薦したのか、理由を聞こうにも聞けなかった。
何なんだこの人は!新手のイジメか!?と心の中で彼にツッコミを入れて睨んだ。
放課後、和泉さんが教室にいた私に体育祭のプログラムのイラスト案の紙を持ってきてくれた。
「山田さん!はい、これ。イラスト案の紙あげるね!来週までに私のとこに持ってきてくれたら、本紙渡すね!」
「あ、わかった。ありがとう。」
「山田さん絵上手だったんだね!知らなかった!いつも描いてるの?」
「いや、そんなに描いてないかも。」
嘘をついた。小学校の時のトラウマと同じようなことが起きる気がしたから。
「え!そうなの?じゃあ何で橘くんは知ってたんだろう?」
私も本当にそう思う。知ってたとしても推薦まではしないで欲しかった。
そう言うと和泉さんを困らせてしまうかもしれないから言わないでおいた。
部活があるからと和泉さんは私に手を振って教室を後にした。
ほとんど生徒は部活動に行き、教室には私一人だった。私も美術部に所属しているが、活動という堅苦しいものはなく、生徒がやりたいことをするというほぼ自由な部活動のため、私は遠慮なく幽霊部員として帰宅することを選んだ。
とは言っても、たまに水彩画やデッサンなど描くことはある。しかし最近は気が乗らず、イラストを描くことに夢中になっている。
私は、少し学校に残ってイラスト案を考えようとペンとクロッキー帳を取り出した。
(運動会だからやっぱりバトンを渡しながら走ってる構図がいいかな?でも、生徒同士が喜びあってる絵もいいなー。)
私はポツポツと頭に浮かんできたものをクロッキー帳に書き出し、みんなの期待に応えなきゃと必死に考えた。
ある程度、案を出し切った私はそろそろ帰ろうとシャーペンを閉まった時だった。
「すご。」
突然後ろから聞き覚えのある声が聞こえ、驚いて声が出てしまった。
「きゃあっ!...橘くん!?」
「あ、ごめん。びっくりした?」
振り返ると橘くんがこちらを覗いており、あまりにも距離が近かかったため、顔を机に戻した。
「...うん、びっくり...した。」
「はははっ!」
私が驚いたからか橘くんは私を見て笑った。
そんな、橘くんのクシャッとした笑顔を横目で見て思わずドキッとした。
「これ、運動会のイラストだよね。やっぱめっちゃすごいね。」
その言葉にハッとし、今がチャンスだと思い切って聞いてみた。
「ねぇ、何で私が絵が上手いって思ったの?」
「んー。去年さ写生大会あったじゃん?それで飾ってあった山田さんの絵見たんだよね。普通はさ、体育館とか教室とか描くじゃん?でも、山田さんは窓の外から見えるグラウンドとか周りの家とか描いてたよね。それが、枠に囚われないって感じでめっちゃ感動したんだよねー。」
橘くんは普段と変わらず緩いトーンでそう語った。
私はそういうことかと納得した。まさか、写生大会の絵を見て感動する人がいるとは思わなかったが、褒められて悪い気はしなかった。
写生大会は一年生の時のみ校内で行われるが、友達がいなかった私は、一人寂しく教室で描いていた。他の生徒もいたが、黒板や机など学校にまつわるものを描いており、被っても面白くないだろうと思った私は、あえて窓枠を作りそこから見える景色を写生した。
描かれた絵はすべて教室の外に張り出され、みんなが描いたのを見ることができた。感動する絵は目が合いやすい。そう感じている私は、橘くんはきっとこの出会いをしたんだなと思った。
「ありがとう。別に上手くはないけど、褒められると思わなかったから...嬉しい。」
そう笑顔で素直に答えると橘くんが言った。
「俺はよくわからんけど、絵って上手い下手関係ないって思ってるんだよね。絵柄がその人の個性的な?」
そんなの考えたことがなかった。よりリアルに美しいものにするほど上手いと思っていた。しかし、昔の画家であるピカソの絵もリアルと言うよりかは幾何学的な絵でそれが彼の個性といえる。
橘くんの言ったことに謎に納得し、「まぁ、確かに。」と答えた。
暦は5月初旬。
桜は散り落ち、校門辺りはピンクの絨毯が広がっている。
山田穂乃果はそんなものには目も向けず、足早に2年1組の教室に入って重たいカバンを机に置き、椅子に座った。
「はぁ〜。」と何かから開放されたようにため息をつき、ペンとクロッキー帳をカバンから取り出した。そして、大好きな絵を描き始めた。
昔から絵を描くことが大好きだった私は、学校生活のストレス発散のために、いつからかこうして朝早くに登校し絵を書き始めるようになった。
小学6年生の頃、アニメのキャラクターの模写をしていると、ある男子が「え、めっちゃすごいっ!!」と私の絵を見て言ってきた。
それにつられた周りの子たちは、一斉に私の方へ駆け寄り、「穂乃果ちゃんすごいね!」「絵上手だねっ!」と褒めた。
今まで注目の的になることがなかったため、恥ずかしいと顔を赤くしたが、内心は嬉しい気持ちでいっぱいだった。
そんなある日の昼休み、トイレから戻り教室に入ると、引き出しに入れておいたはずの自由帳が机の上に置いてあるのが見えた。不思議に思って自由帳を開くと、全てのページがビリビリに破かれていた。
後ろにはくすくすと笑う女子たちがいた。
この瞬間、私は失望したような冷めた気持ちになった。
その日から、私は人に絵を見られないよう、誰もいない朝の教室で絵を描くのが私の至福の時間となっていった。
そうして自分だけの世界に没頭していると、次第に学校では一人でいることが多くなり、高校生になった今でもぼっち生活を送っている。
別に友達が欲しくないわけではない。ただ、人と話すことが苦手な上に周りに関心がなく、流行りやノリについていけないのだ。
そう言い訳のように心の中でつぶやきながらペンを走らせていると、窓の外から「おはよー。」と生徒同士が眠そうに言葉を交わしているのが聞こえてきた。
8時10分を過ぎると、ぞろぞろと電車通学の生徒たちが登校して来る。この挨拶はその集団の訪れを知らせてくれる合図となり、私はいつもその合図と同時に図書室へ向かう。
(そういえば今日は新しい本が出る日だったな...。)
図書室の本は三週間に一度新しい本が追加される。追加される本は、生徒がリクエストした中から選ばれ、20冊ほどが毎回追加されている。どの高校も同じシステムかは分からないが、それを知った穂乃果は「高校ってすごい...。」と感動した。
ワクワクしながら図書室へ入ると、本の追加コーナーに見覚えのある本があった。その本は私がリクエストした本だった。
私は小声で「やった!」と声を弾ませ、すぐに借りる手続きをした。その本は、たまたま本屋で見つけた恋愛小説で、いつも表紙のイラストを見て興味を引かれる本を読んでいる私は、その本の表紙がまさに大好きな絵柄だったのだ。
すぐに読もうと近くの空いている席を探している時、奥の席に座っていた男子と目が合った。まさか生徒がいるとは思わず心臓が飛び跳ねたと同時に、それが誰なのかすぐにわかった。
(...橘くん!?)
そこに居たのは、私のクラスメイトで隣の席の橘くんだった。クラス替えをして1ヶ月経っても未だに顔と名前が覚えられない私が唯一、すぐに覚えることのできた人物だ。
それもそのはず、2年生になって初めての始業式の日、彼は遅刻をして来たのだ。式を終えて教室で先生の話を聞いていると、「おはようございまーす。」と言いながら彼が扉を開け入ってきた。さらに、遅刻の理由を聞く先生を横目に「寝坊しましたー。」と面倒くさそうに答えて隣の席に着いた。
小学生の頃から一度も遅刻欠席をしたことが無い私にとっては衝撃的で、彼の態度からあまり近づかない方がいいと察した。
しかし隣の席である上に、男子はどうもこういう人に興味が湧くようで、休み時間になればすっかり彼の周りには人で溢れていた。おかげで私の左横は騒々しくなり、静かな学校生活を送るという未来が絶たれてしまった。
気づけば女子も混ざるようになり、「イケメンだよね〜!」という声も聞こえてくるようになった。確かに彼は、スラッとした背で、サラサラな黒髪が白い肌を際立たせ、おまけに女の子のような長いまつ毛まで持ち合わせており、女子からモテるには十分のビジュアルだった。
そんな高嶺の花のような存在が今、図書室にいるという事実。学校生活が1ヶ月経った今でも遅刻癖が治らない彼がなぜここにいるのか、私は彼に背を向ける形でなるべく離れた席に座りながら考えた。
勉強や本を読んでいるのならまだしも、彼はテーブルの上にカバンを置き、その上に顎を乗せて眠たそうに目をゆっくりを瞬かせながらこちらを見ていたのだ。
考えても答えは出るはずもなく、何故か変な汗まで出てきた私は、本を読んでいるフリをして心拍数を落ち着かせることに集中した。
そうしているうちに、時間は刻々と過ぎていき、朝のホームルームが始まる10分前になった。振り返ると橘くんの姿はなく、変に緊張していたこの時間を返して欲しいと心の中で橘くんに怒った。
教室に戻ると橘くんの姿が見えた。相変わらず人気者で逆に羨ましく思ってしまった。
しばらくして、チャイムの音と同時に先生が入って来た。
「はーい。ホームルーム始めるぞー。」
立っていた生徒たちは一斉に自分の席に着き、先生の方を見た。
「来月体育祭あるから、今日は種目別に誰が出るか決めてくぞー。」
毎年6月に行われる体育祭。それは運動神経が皆無な私にとっては苦手な行事である。
しかし周りの生徒たち、主に男子のボルテージは上がり、絶対優勝するぞという雰囲気が漂っている。
「おっしゃ!俺絶対、騎馬戦出たい!」
「リレー誰出る?」
「あたし、チアやりたい!」
クラス全体が体育祭の話題で盛り上がり、私は無関係だというスタンスで静観していた。
「はいじゃあ後はクラス委員の人、前に出て仕切ってくれ。」
先生はそう言って端の椅子に腰掛けた。
クラス委員誰だっけ?とクラスメイトたちが考えていると、可愛らしい声が聞こえた。
「あっ!私かっ!」
声の方を見ると、そうだったという顔で女子が席を立っていた。
「あー、そういえば志保じゃん!」
「もう!忘れんなよー!笑」
ごめーん忘れてたー!と言いながら前に出て来た彼女の名は、和泉志保ちゃん。クラスのムードメーカー的な存在である。一年生の頃から同じクラスで、私たちの学年の中で一番顔が可愛いと有名だ。先輩から告白されたことがあるらしく、学校内での知名度は高かった。さらに内面まで素晴らしく、誰に対しても分け隔てなく優しい態度で接してくれる完璧な女の子である。
(今日も可愛いなー。生まれ変わったらあの顔になりたい。)
そう叶わぬような夢を語りながら彼女を見つめた。
その後、男子のクラス委員も出て話し合いは進んだ。
「よし、最後は...体育祭のプログラムの表紙を描く人だね。誰か絵が上手い人はいるかな?」
和泉さんの問いかけにクラスは静まり、立候補者の申し出を待った。
毎年、プログラムの表紙のイラストを描く人は、ランダムで決まったクラスの中から選ばれることになっている。
今年はうちのクラスが選ばれたらしく、私は描いてみたいなという気持ちを抑えて誰がいくのか見守った。
「んー、どうしよう。私絵下手だしなー。」
「じゃあ、俺描こうかな!下手だけど!笑」
そうクラス委員の二人がじゃれ合っていると、一人が手を挙げた。
「おっ!橘やる?」
手を挙げたのは橘くんだった。私は驚いて彼を見つめていると橘くんが口を開いた。
「山田さんとかどう?」
...はっ???私???
私はさらに驚いて目を丸くした。
「俺、山田さんが絵上手いの知ってる。」
「そーなんだ!知らなかった!じゃあ、山田さんお願いできるかな?」
突然の出来事に困惑する。
「嫌なら、全然断っても良いからね!」
和泉さんがそう言って気を使ってくれたが、この状況で断れるわけが無い。
「あっ....えっと....」
みんなの視線が刺さって上手く話せない。
「....じゃあ、私やります....。」
「ホントに!?ありがとう!」
明るくお礼をした和泉さんの言葉すら頭に入っていない。
(意味がわからない....。何で橘くんは私を...。それにイラスト描いてるって何で知ってるの?)
不安と疑問で頭はいっぱい。
ふと横を見ると彼はうつ伏せて腕枕で寝ていたため、なぜ私を推薦したのか、理由を聞こうにも聞けなかった。
何なんだこの人は!新手のイジメか!?と心の中で彼にツッコミを入れて睨んだ。
放課後、和泉さんが教室にいた私に体育祭のプログラムのイラスト案の紙を持ってきてくれた。
「山田さん!はい、これ。イラスト案の紙あげるね!来週までに私のとこに持ってきてくれたら、本紙渡すね!」
「あ、わかった。ありがとう。」
「山田さん絵上手だったんだね!知らなかった!いつも描いてるの?」
「いや、そんなに描いてないかも。」
嘘をついた。小学校の時のトラウマと同じようなことが起きる気がしたから。
「え!そうなの?じゃあ何で橘くんは知ってたんだろう?」
私も本当にそう思う。知ってたとしても推薦まではしないで欲しかった。
そう言うと和泉さんを困らせてしまうかもしれないから言わないでおいた。
部活があるからと和泉さんは私に手を振って教室を後にした。
ほとんど生徒は部活動に行き、教室には私一人だった。私も美術部に所属しているが、活動という堅苦しいものはなく、生徒がやりたいことをするというほぼ自由な部活動のため、私は遠慮なく幽霊部員として帰宅することを選んだ。
とは言っても、たまに水彩画やデッサンなど描くことはある。しかし最近は気が乗らず、イラストを描くことに夢中になっている。
私は、少し学校に残ってイラスト案を考えようとペンとクロッキー帳を取り出した。
(運動会だからやっぱりバトンを渡しながら走ってる構図がいいかな?でも、生徒同士が喜びあってる絵もいいなー。)
私はポツポツと頭に浮かんできたものをクロッキー帳に書き出し、みんなの期待に応えなきゃと必死に考えた。
ある程度、案を出し切った私はそろそろ帰ろうとシャーペンを閉まった時だった。
「すご。」
突然後ろから聞き覚えのある声が聞こえ、驚いて声が出てしまった。
「きゃあっ!...橘くん!?」
「あ、ごめん。びっくりした?」
振り返ると橘くんがこちらを覗いており、あまりにも距離が近かかったため、顔を机に戻した。
「...うん、びっくり...した。」
「はははっ!」
私が驚いたからか橘くんは私を見て笑った。
そんな、橘くんのクシャッとした笑顔を横目で見て思わずドキッとした。
「これ、運動会のイラストだよね。やっぱめっちゃすごいね。」
その言葉にハッとし、今がチャンスだと思い切って聞いてみた。
「ねぇ、何で私が絵が上手いって思ったの?」
「んー。去年さ写生大会あったじゃん?それで飾ってあった山田さんの絵見たんだよね。普通はさ、体育館とか教室とか描くじゃん?でも、山田さんは窓の外から見えるグラウンドとか周りの家とか描いてたよね。それが、枠に囚われないって感じでめっちゃ感動したんだよねー。」
橘くんは普段と変わらず緩いトーンでそう語った。
私はそういうことかと納得した。まさか、写生大会の絵を見て感動する人がいるとは思わなかったが、褒められて悪い気はしなかった。
写生大会は一年生の時のみ校内で行われるが、友達がいなかった私は、一人寂しく教室で描いていた。他の生徒もいたが、黒板や机など学校にまつわるものを描いており、被っても面白くないだろうと思った私は、あえて窓枠を作りそこから見える景色を写生した。
描かれた絵はすべて教室の外に張り出され、みんなが描いたのを見ることができた。感動する絵は目が合いやすい。そう感じている私は、橘くんはきっとこの出会いをしたんだなと思った。
「ありがとう。別に上手くはないけど、褒められると思わなかったから...嬉しい。」
そう笑顔で素直に答えると橘くんが言った。
「俺はよくわからんけど、絵って上手い下手関係ないって思ってるんだよね。絵柄がその人の個性的な?」
そんなの考えたことがなかった。よりリアルに美しいものにするほど上手いと思っていた。しかし、昔の画家であるピカソの絵もリアルと言うよりかは幾何学的な絵でそれが彼の個性といえる。
橘くんの言ったことに謎に納得し、「まぁ、確かに。」と答えた。
