ダンタリアン様のお城で暮らすようになってから、数日が経った。

 私はこの城で、毎日身の毛がよだつような恐ろしい目にあっている――ということは、まったくなかった。


 ダンタリアン様のお城での暮らしは、快適だった。
 どうやら悪魔の生活する領域では太陽が完全にのぼらないせいか、常に薄暗くはあったけれど、気になるのはそれくらいだ。


 彼が私を食べようとする気配は、一向にない。
 いつ私を食べるのだろう。
 そもそも、考えてみればおかしな話だ。

 彼は「泣いたりわめいたりできるようになれ。その時お主を食べることにする」
 と言ったが、そんなことを私に教える必要はないのだ。
 いつでも彼が望む時に、私を食べればよいのだから。

 その日、私は城内を箒で掃除していた。
ダンタリアン様はそんなことをしなくてもいいと言うし、実際お城の中は綺麗なのだけれど、何もしないと手持無沙汰なので掃除させてほしいと頼んだのだ。

 私は椅子に座って眠そうにしているダンタリアン様に問いかけた。

「ダンタリアン様は、ずっと一人でここで暮らしているのですか?」

「そうじゃのう。もう何百年か前からここにいるぞ」

「さみしくないですか?」

 するとダンタリアン様は少し考えこむように首を傾げた。

「あまりにも長い間ここにいて、忘れてしまったが。退屈ではあるかもしれんのう」


 それから、昔を思い出すように目を細める。

「そういえば、もう何十年も前のことになるが」

「はい」

「一時期、黒猫がこの城で暮らしていたことがあるのじゃ」

「猫、ですか」

 私の声が明るい響きになったのに気づいたのか、彼は薄く微笑んだ。

「動物は好きか?」

「はい。好きです」

「我輩も、その猫にミネットという名をつけ、かわいがっておったのじゃが」


 私は彼の言葉の続きを察した。

 何十年も前のことだと言っていた。
 おそらく、寿命で死んでしまったのだろう。

「ダンタリアン様……」

 悲しいことを思い出させてしまった。
 反省した私が、彼を励まそうとしたその時だった。ダンタリアン様の後ろから、にゃあという鳴き声が聞こえた。

「あ、あの、ダンタリアン様。今、気のせいかもしれませんが猫の鳴き声が……」

「うむ。これがミネットじゃ」

 彼の肩に、半分身体が透けている黒猫が飛び乗った。

 私は驚いてその黒猫をまじまじと見つめる。


「猫の……幽霊? ですか」

「うむ。最初は普通の猫だったんじゃが。
この土地の瘴気にあてられたのか、寿命で死んだ後、気がついたら幽霊になって戻ってきた。
それ以来、ずっとここに住んでおる」

 私は嬉しくなり、ミネットに挨拶をした。

「初めまして、ミネット」


 私の言葉が分かるのか、ミネットはにゃあと返事をしてどこかに歩いて行った。
 ダンタリアン様は、興味深そうにこちらを眺めていた。

「どうなさいましたか?」

「いや。数日前より、ほんの少しだけじゃが……お主の表情がやわらかくなったと思ったのじゃ」

 私は自分では気づかなかった変化に驚いた。

「そうでしょうか?」

「さっきの話じゃが、お主は寂しいと思ったことはあるか?」

 私は両親や妹のことを思い出しながら答える。


「私が今まで暮らしていた場所には、たくさんの人がいました。両親と、妹と、侍女と執事と。
だけど……その中に私を大切に思ってくれる人は、誰一人としていませんでした。
周囲にたくさんの人がいても、一人きりだと寂しいです」


 そう言って目を伏せた私に、ダンタリアン様は言った。

「ふむ。今はどうじゃ?」

「今は……」


 私は彼の真紅の瞳を見つめながら言った。


「ダンタリアン様は、私を見てくれますから。さみしくないです」


 そう答えると、ダンタリアン様はにこりと微笑んだ。

「そうか。それならよかった」