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 それから数日が経ち、悪魔公爵の元へ向かう日がやってきた。

 私は逃亡しないように両手を縄で縛られ、馬車にのせられた。
 こんなことをしなくても、最初から逃げるつもりなどないのに。


 馬車は悪魔の住む領域へ向かって走り出した。
 人里を離れてから、どのくらいの時間が経っただろう。

 長時間馬車に揺られているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
 気がつくと、馬車は明らかに異様な地に到着していた。


 周囲は一面闇に覆われ、空には暗い雲がかかっている。
 その中にひときわ目立つ、荘厳な城が聳え立っている。
 立派だが薄暗く古めかしい、いかにもお化けが出そうなお城で、なんとも不気味だ。

 あれが悪魔公爵が住まう城だろうか。


 馬車の御者はその城の前に私を放り出すと、慌てて逃げて行った。
 城の門前に放置された私は、手を縄で縛られたまま石畳の上に座り込んでいた。

 これから、どうしたらいいのだろう。
 そう考えていると、突然びゅうと強い風が吹きすさんだ。

 それまで周囲に人の気配などなかったのに、すぐそばで声が聞こえた。


「おや、レディに対してずいぶん酷い扱いじゃのう」

 目の前に、紫の煙が漂っている。
 そして煙の中から、何かが形を作っていく。

 最初はコウモリのように見えた。 
 だがそれはやがて、長身の男性の姿に変化した。

「こんな場所に人間が来るとは珍しいな。いや、我輩が呼んだ娘か」


 まるで老人のような喋り方だが、それに反していつまでも聞いていたくなるような、優美な声だった。

 男性はこちらを見下ろしている。
 彼の姿を見て、私は言葉を失った。

 恐ろしいほどに美しい人だ。
 陶器のように白い肌。肩につくくらいの長さの、ウェーブのかかった銀色の髪。
 そして何より印象的なのは、血のような真紅の瞳だ。

 彼が羽織っている豪奢な黒い上衣は、まるで闇を纏っているようだ。
 袖口や裾には、金色の繊細な刺繍が施してある。

 夜を統べる者という言葉がぴったりだ。

 本当に、悪魔は存在したのか。

 私はまるで夢でも見ているようだと考えながら、彼に問いかけた。


「あなたが、悪魔公爵ですか」

 彼はにやりと微笑んだ。


「いかにも。我輩が悪魔公爵、ダンタリアン・ヴィレノアールじゃ」