悪魔公爵から私と婚約したいという申し出を受け、父と執事が応接間で声をひそめて話していた。


「悪魔公爵からソフィアに婚約の申し込みがあった」


 そんな声が聞こえ、偶然廊下を通りがかった私は思わず扉の近くで足を止めて彼らの話に耳をすませた。
 しばらく考えこむようにしてから、父は言った。

「おそらく悪魔は、アンジェラの聖女の力の噂を聞きつけて、アンジェラを手に入れようと婚約を申し込んだのだろう。
だが、アンジェラとソフィアは背格好だけならよく似ている。
聖女の力を持っているのが、ソフィアだと勘違いしたのだろうな」


 執事がうろたえた様子で問う。

「しかし、いくら何でも悪魔の元へソフィア様を差し出すのは……。断ることはできないのですか?」

 執事の提言に対し、父は冷たく払いのけた。

「悪魔に逆らうことなどできるわけがないだろう。王家の騎士すら敵わないのだ。
それに、悪魔といえど公爵は公爵だ。悪魔公爵は広大な領地と莫大な資産を持っていると聞く。
こちらからしても、悪い話ではない」


 その言葉を聞いた私は、ショックで身動きができなくなった。
 悪魔たちが人間を殺めるという噂を知っているなら、普通の親は自分の娘との結婚など許さないはずだ。

 だがお父様は、悪魔公爵の財産目当てに娘を売り渡すことを決めたのだ。
 決して愛されているとは思っていなかったが、実の父親からそれほどまでに疎まれているとは思わなかった。


 父は最後に笑顔でこう続けた。

「婚約を申し込まれたのが、アンジェラでなくてよかった」

 私は踵を返し、自分の部屋へと逃げ込んだ。


 婚約の話はすぐに家の使用人たちに広がり、侍女たちが噂話をする声も漏れ聞こえた。



「いくらなんでも、娘を悪魔公爵の元へ捧げるなんてひどい話だわ」

「街の人からは『氷の乙女』と呼ばれているけれど、ソフィア様は表情が表に出ないだけで、お優しい方なのに」

「しっ、そんなことをアンジェラ様に聞かれでもしたら大変よ。クビになりたいの?」


 この家で、聖女の力を持つアンジェラの発言は絶対だ。
 アンジェラが気に入らないと言えば、私を庇う侍女を解雇するくらい簡単なことだ。

 私は自室で膝を抱え、深いため息をついた。

「私、悪魔に殺されるのかしら……」

 こんな時ですら、涙の一滴も出ない自分を残念に思う。
 私の心は、とっくに凍り付いているようだ。


 私は悪魔との婚約の話を受け入れるしかなかった。