「どんな人が好みなの?」
誰かに聞かれる度に、
「そうねぇ⋯⋯小さい頃からひとつ屋根の下で育った、弟みたいなアイツかな」
決まってそう答えてきた。
アイツも、誰かに同じことを聞かれたら、
「んー⋯⋯物心つく前からひとつ屋根の下で育った、妹みたいなお嬢様」
そう答えていることは、互いに知っている。
幼い頃も、18になった今も、それは同じ。
まさに、相思相愛。
変わらぬ想い。エヴァーラスティング・ラブ。
妙なのは、同じ日に、同じ病院で生まれたにも関わらず、互いに自分のほうが上だと思っている点ぐらい。
「なーんだ、最初からハッピーエンドじゃない!あ、さては、ハッピーエンドから始まって、どんどん愛が壊れていく物語?そんな悲しい話は嫌だから、ここで読むのをやめるわ」
ちょっと待って!読者の皆さま!
私自身、そんなことになるなんて、絶対に嫌だから!
「痛っ!アリゼちゃん、相変わらず寝相悪すぎ⋯⋯」
「あ、直樹⋯⋯おはよ。ごめん、蹴った?」
「おはよう。思いきり蹴られました」
曇天の週末。
張り替えたばかりの畳は気持ちいいねぇ⋯⋯などと言いながら、和室でゴロゴロしていたら、いつの間にか、二人して眠ってしまっていたらしい。
直樹は、まだ少し寝ぼけ眼のまま、こちらに腕を伸ばす。
「髪、乱れてるよ」
きつめのパーマとハイトーンのカラーで傷んだ私の髪を、遠慮がちな手つきで直してくれる。
「ありがと」
特に意識していないかのように装っているが、本当はかなりドキドキしている。
一体、どういう関係なのかと思われるかもしれないから、少し整理しないとね。
私の名前は、中原アリゼ。漢字は有瀬。完全な当て字。
老舗呉服店の娘で、我が家はなかなかの大所帯。
両親と兄、それ以外にも“家族同然”の人々が、ひとつ屋根の下で暮らしているから。
今、隣で眠っていた“相思相愛のアイツ”は、残間直樹。
記憶こそないけれど、直樹には悲しい過去がある。
もともと、直樹のお父さんは、会社の社長だったのだが、その会社は倒産。
お父さんは、社員とその家族に「死んでお詫び」をしてしまった。
苦渋の決断、などという言葉では足りないほど苦しんだのだろう。
最愛の奥さんと、まだ赤ん坊の一人息子を残して、ひとり旅立ってしまったのだから。
私の母と直樹のお母さんが親友ということもあり、当時から、母子でこの家で暮らしている。
直樹のお母さんは、今や中原呉服店の優秀な社員であり、家族同然。
つまり、直樹も家族同然なのだが、そこがネックになっている気が⋯⋯。
「あ、そうだ。今日から来る新しい使用人、もうじき駅に着くはず。私が車で迎えに行こうかな」
「僕も一緒に行こうか?荷物持ちぐらいにはなれるから」
直樹はまだ自分の車を持っていない。
「じゃあ、お願いするわ」
「ちょっとちょっと!あまりにも左に寄り過ぎだよ!」
ボコボコに凹んだ、昔ながらの33ナンバー車の助手席で、直樹が騒ぐ。
「あー!ぶつかるって!」
「騒がないで!これでも私、無事故無違反なのよ!?」
「でも、自損事故は既に数えきれないよね?あっ!またそんな危ない走り方!」
「文句言うなら直樹が運転してよ!」
「それは無理だよ。本人限定の保険になってるし」
愚にもつかないことを言い合っているうちに、駅の立体駐車場に到着。
バックで駐車する際、何かにガツンとぶつかる音がした。
「⋯⋯まーた、やっちゃったね」
直樹が呆れたように言う。
後ろをチェックしたところ、ぶつかったのはコンクリートで、傷ついたのは車だけなので、大丈夫。
駐車場から、約束していた場所まで二人で向かう。
「どの人だろう⋯⋯?着いたら、携帯に電話くださいって言っておいたんだけど」
大勢の人が行き交う上に、互いに顔を知らない。
「こっちから、かけてあげたら?」
「その人、携帯持ってないの」
「ふーん。じゃあ、アリゼちゃんのレアな仲間だね」
私は自分のスマホを持っておらず、いま持ってきているのは、店の業務用携帯。
「その新しい使用人の名前は知ってるの?」
「えーとね⋯⋯鈴木喜子さん。あ、そうだ!すずきさぁぁぁん!すずきよしこさぁぁん、いらっしゃいますかぁぁ!?中原呉服店です!」
大声で叫ぶと、直樹は慌てて私の口を塞ぐ。
「急に叫んだりしたら、怪しまれるよ!」
「だって、しょうがないじゃない。鈴木さぁぁん!」
「あ、あのう⋯⋯中原さんだすか?」
そんな声に振り向くと、お下げ髪の娘がおずおずと尋ねてくる。
【わたしが・棄てた・女】のミツを思わせる、素朴な雰囲気だ。
「ええ。もしかして、あなたが鈴木喜子さん?」
「はい⋯⋯でも、ほんまに中原さんとこのお嬢様だすか?」
「そうよ。どうして?」
「だ、だって⋯⋯そう見えんかったもんで⋯⋯」
すると、直樹が吹き出した。
「確かに!老舗呉服店のお嬢様が、黒の革ジャンと革パンで迎えに来るとは思わないよね。荷物、重いだろうから持ちますよ」
そう言って直樹は、鈴木さんの大きなボストンを持とうとするが、何故か彼女は怯えた様子。
「お嬢様⋯⋯このおあんさん、誰ながですか?」
「ああ、彼はね、残間直樹くん。国立高専の4年生。色々あって、小さい頃からお母さんと一緒に私の家で一緒に暮らしてるの。ま、弟みたいなものかな」
ずっと、弟みたいなままでは困るんだけどね⋯⋯と、心の中で続ける。
「初めまして。でも、今の紹介はちょっと違うなぁ。僕は、アリゼお嬢様の弟というより、兄貴分ですから。誕生日は一緒だけど、僕のほうが何時間か早くに生まれてるので」
「何を言ってるの!私のほうが姉よ。だって、直樹は予定日よりも早くに生まれてるでしょ?私は遅れたけど。つまり、先に受胎したのは私。それに、小さい頃の直樹は小柄で、いつも私のあとを追いかけてたじゃないの」
今では、20センチ以上の差をつけられてしまったが。
「そうだっけ?姉貴にしては、あまりにも頼りないなぁ」
「私、兄貴は二人もいらないわ」
いつも通りのやり取りをしている私たちのことを、鈴木喜子さんはポカンと口を開けたまま見ていた。
「あ⋯⋯ごめんなさいね。車で来てるから、行きましょ」
「鈴木さんは、運転席の後ろに乗るといいですよ。あと、相当荒い運転だから、シートベルトも必ず⋯⋯」
「直樹!なんか言った!?」
「ん?後部座席の人もシートベルトは着用しないと、って言っただけだよ」
全員、車に乗り、駐車場から左に出ようとした矢先のこと。
「うわっ!」
異口同音に小さく悲鳴を上げる。
外で何かが折れる音がし、何故か車は動かなくなってしまった。
「アリゼちゃん!歩道のポールを巻き込んで折ったよ⋯⋯」
右からの車ばかり見ていたせいで、左折に失敗してしまった。
思えば、教習所でも、巻き込み確認を忘れ、仮免で落とされたのだ。
ポールを折った上に、タイヤが縁石に乗り上げて動かなくなり、後ろからはクラクションの嵐。
「ちょっとあなた!何をしてるんですか!」
少し離れたところに居た交通誘導員が駆けつけてきて、慌てて後続車の誘導をしている。
「直樹⋯⋯110番通報、お願いします」
「了解、お嬢様」
後部座席の鈴木喜子さんは、何も言わないが、明らかに狼狽している様子。
「心配しないで。いつものことだから」
私は笑顔でそう言い、彼女を安心させようとした。
「アリゼちゃんってば!それは事実だけど、余計に不安を煽るよ?」
数分後には警官がやってきて、事情聴取され、写真を撮られ、やっと帰れることに。
賠償費用の請求は後日とのことだが、何万もするので、また父親は怒るだろうな⋯⋯。
今の車も、父のお下がりだが、ぶつける度に修理していては追いつかないので、傷も凹みも放置している。
裕福な人間ほど、お金には細かいものだ。
「初日からごめんなさいね。ええと、鈴木さんじゃ堅苦しいし、よっちゃんって呼んでもいい?」
「はい、お嬢様」
「やだなぁ、お嬢様なんて。よっちゃんはおいくつなの?」
「19だす。年が明けたら成人式で」
「年上だったのね!ごめんね、若く見えたから」
「大丈夫だす、お嬢様」
訛りがなければ、まるでAIのような受け答えだ。
「ふふ⋯⋯アリゼでいいってば」
「はい。アリゼさんて、珍しい名前だすね」
「まあ、あんまりないかも?フランス語で貿易風って意味なの」
「ボウエキフウって何だすか?」
「あら、学校で習わなかった?」
「うち⋯⋯普通の学校じゃなかったから」
「普通じゃないって、商業とか家政とか?」
「いえ⋯⋯」
その時、私は彼女の言わんとしていることを理解した。
最初に会った時から、どことなく、あれ?と感じてはいたのだが。
私は心理学部ではないが、今まさに、大学の一般教養で、心理学の授業を履修中。
だから、彼女がこれから我が家で働く上で、何らかの合理的配慮の必要な人だということは、わかった気がする。
ただ、なんでもかんでも、障害や病気という言葉で片付けてしまうのは、どうなのだろう?
本人がそのほうがいいなら、いいのだけれど⋯⋯。
運転中に携帯電話が鳴り、私が頼む間もなく、直樹がスピーカーにしてくれた。
「ありがと。もしもーし?」
『おい!お前、何処で油売ってるんだ!』
車中に、長男である兄の怒声が響き渡る。
「うるさいな!鈴木さんのお迎えに行って帰る途中だっつの!」
『それに何時間かかってるんだって聞いてるんだ』
「足止め食らってたんだから、仕方ないでしょ!直樹、もう切っちゃって!」
『おい!勝手に⋯⋯』
そこで電話は切れた。
「よっちゃん、ごめんね?今の偉そうな奴、うちの兄なの」
「お兄さん⋯⋯?」
「ええ。ビックリしたかもしれないけど、大丈夫よ。弱い犬ほどよく吠えるのと同じ。実際は軟弱で、私に対して威張り散らしてるだけ」
相変わらず、助手席の直樹にぎゃあぎゃあ言われながら、無事に自宅に到着。
「す、すごいお屋敷だすね⋯⋯!」
よっちゃんは、まるで子供のような表情だ。
「6畳の和室だから狭いけど、よっちゃん専用の部屋もあるから。うちは、みんな家族同然の暮らしだけど、希望があれば部屋に鍵をつけるわ。若い女の子だもんね。一人になりたい時もあるだろうし」
因みに、私や直樹の部屋に鍵はない。
創業の大正元年から、使用人は幾度となく入れ替わっているが、不届きな行為をするものなどは、一切居なかったというから、私は金庫すら使っていない。
「とにかく、今日は疲れてるだろうし、自分の部屋でゆっくりして。明日から、頑張ってもらうことになるけどね」
「はい!」
よっちゃんを和室に案内したあと、私はパソコンに向かった。
「何してるの?」
直樹がパソコンの画面を覗き込んでくる。
「よっちゃん用に、簡単なマニュアルを作ってるの」
「マニュアルって⋯⋯彼女の仕事、家事とか雑用なのに?」
「よっちゃんだけじゃなく、先輩使用人にも必要だわ」
「先輩たちが、丁寧に仕事を教えてくれるんじゃない?」
「⋯⋯直樹、気付かなかった?彼女が仕事をするには、合理的配慮が必要だってこと」
帰宅してから、よっちゃんの履歴書に目を通した。
最終学歴の学校名を検索すると、いわゆる養護学校だった。
多分、そうだろうとは思っていたが。
「気付かなかったよ。アリゼちゃんって、鈍そうに見えて、本当は人一倍、観察力があるんだなぁ。見直した」
「直樹って、ホントに私のことをdisるのが好きよね」
「disったことなんてないよ。褒めたのに」
しかし、私には、本当に観察力や洞察力はあるだろうか?
もし、あったとしたら、もうとっくに恋人のドアを開いていたと思う。
直樹は減らず口を叩いてばかりいるが、私のことを好きなのは確実だとわかっているのに。
ついこの間も、そうだった。
二人で出かけた際に、直樹の友人と出くわした。
私のことを恋人なのかと尋ねられると、照れながらも、そうだと即答していたから。
胸の鼓動が激しくなったが、友人らが去ったあとは、またいつもと同じような姉弟のような雰囲気に戻っただけ。
私は私で、バレンタインに「義理じゃないんやぞ」と言わんばかりの、大きなハート形のチョコをあげた。
直樹は、デレデレと嬉しそうな顔をしていたが、結局、これといって甘い雰囲気になることはなかった。
突然、少し離れたところから、私の大嫌いな怒鳴り声が聞こえてきた。
急いで声のするほうへと向かうと、
「おい!お前はさっきから口もきけないのか!」
兄が、よっちゃんのことを一方的に怒鳴りつけていたのだ。
よっちゃんは、怯えて声が出ないのだろう。
スクエア型の銀縁眼鏡、いわゆるヘビ顔で、見るからに神経質といった雰囲気の兄。
学校の後輩にあたる直樹は、同じ理系でも、パッチリ二重のタレ目、唇はぷっくりして、可愛い顔なのに。
「ちょっと!何を怒鳴り散らしてるの!」
私が言うと、兄は眼鏡越しに睨みつけながら、
「この使用人が、初日から堂々と部屋で寛いでるから、一体どういうつもりなのかと言っているのだ」
「私がゆっくりしてと言ったの!兄貴は口出ししないで」
「ガキのくせして偉そうな口をきくな!」
「いつもいつも、偉そうなのはどっちよ!」
私は、兄の頬を手の甲で、思いっきり引っぱたいた。
すると、兄は私に掴みかかり、取っ組み合いの兄妹喧嘩勃発。
「ちょっと、二人とも落ち着いて!」
いつも通り、直樹が仲裁に入る。
家父長制で偉そうに育った兄と、それに反発してフェミニスト寄りに育った私。
もはや、殴り合いの兄妹喧嘩なんて、昭和のホームドラマみたいなものだが、これも我が家の日常茶飯事。
そのとき、激しい泣き声がして我に返った。
恐怖のあまりなのか、よっちゃんが号泣してしまったのだ。
「ごめんね!怖かった?これもいつものことだから、大丈夫よ。心配しないで」
そう言って、よっちゃんのことを抱きしめた。
「だから⋯⋯いつものことなのは事実でも、それじゃ何の慰めにもならないってば」
後ろから直樹の声がする。
「とにかく、兄貴みたいにデリカシーがない上に、何一つ家事もしないような人は、一切口出ししないで頂戴」
私も、家事は殆どしないのだが、兄ほどではないはず。
よっちゃんが泣いたからか、流石の兄も黙ってその場を去った。
「全く⋯⋯!兄貴のせいで、我が家は粗暴な印象になっちゃったわね!」
直樹に傷の手当をしてもらいながら、ずっと文句を言っていた。
「粗暴なのは⋯⋯まぁ、否定しないけど。お兄さんって、アリゼちゃんが思うほど悪い人ではないよ」
「兄貴って、直樹には横暴な言動しないもんね。もし、本気で直樹と殴り合ったら、兄貴は負けるだろうし。結局、か弱い女を見下してるってことよ。サイテー!」
「そうじゃなくて⋯⋯僕に関しては、憐れんでるんだと思う」
直樹は、淡々と言う。
「そんな悲しいこと言わないでよ⋯⋯」
「悲しくないよ。この家で、僕は幸せに育ったから。今もだけどね。それに、アリゼちゃんと一緒だと退屈しない」
「直樹⋯⋯」
そう言って微笑み合っていると、
「お嬢さーん!直樹さーん!夕飯ができましたよ!」
年配の使用人、ヨネさんの声がした。
「ごはんが冷めないうちに、行こうか」
「ええ。マニュアル作成の続きは、食事が終わってからにするわ」
to be continued
誰かに聞かれる度に、
「そうねぇ⋯⋯小さい頃からひとつ屋根の下で育った、弟みたいなアイツかな」
決まってそう答えてきた。
アイツも、誰かに同じことを聞かれたら、
「んー⋯⋯物心つく前からひとつ屋根の下で育った、妹みたいなお嬢様」
そう答えていることは、互いに知っている。
幼い頃も、18になった今も、それは同じ。
まさに、相思相愛。
変わらぬ想い。エヴァーラスティング・ラブ。
妙なのは、同じ日に、同じ病院で生まれたにも関わらず、互いに自分のほうが上だと思っている点ぐらい。
「なーんだ、最初からハッピーエンドじゃない!あ、さては、ハッピーエンドから始まって、どんどん愛が壊れていく物語?そんな悲しい話は嫌だから、ここで読むのをやめるわ」
ちょっと待って!読者の皆さま!
私自身、そんなことになるなんて、絶対に嫌だから!
「痛っ!アリゼちゃん、相変わらず寝相悪すぎ⋯⋯」
「あ、直樹⋯⋯おはよ。ごめん、蹴った?」
「おはよう。思いきり蹴られました」
曇天の週末。
張り替えたばかりの畳は気持ちいいねぇ⋯⋯などと言いながら、和室でゴロゴロしていたら、いつの間にか、二人して眠ってしまっていたらしい。
直樹は、まだ少し寝ぼけ眼のまま、こちらに腕を伸ばす。
「髪、乱れてるよ」
きつめのパーマとハイトーンのカラーで傷んだ私の髪を、遠慮がちな手つきで直してくれる。
「ありがと」
特に意識していないかのように装っているが、本当はかなりドキドキしている。
一体、どういう関係なのかと思われるかもしれないから、少し整理しないとね。
私の名前は、中原アリゼ。漢字は有瀬。完全な当て字。
老舗呉服店の娘で、我が家はなかなかの大所帯。
両親と兄、それ以外にも“家族同然”の人々が、ひとつ屋根の下で暮らしているから。
今、隣で眠っていた“相思相愛のアイツ”は、残間直樹。
記憶こそないけれど、直樹には悲しい過去がある。
もともと、直樹のお父さんは、会社の社長だったのだが、その会社は倒産。
お父さんは、社員とその家族に「死んでお詫び」をしてしまった。
苦渋の決断、などという言葉では足りないほど苦しんだのだろう。
最愛の奥さんと、まだ赤ん坊の一人息子を残して、ひとり旅立ってしまったのだから。
私の母と直樹のお母さんが親友ということもあり、当時から、母子でこの家で暮らしている。
直樹のお母さんは、今や中原呉服店の優秀な社員であり、家族同然。
つまり、直樹も家族同然なのだが、そこがネックになっている気が⋯⋯。
「あ、そうだ。今日から来る新しい使用人、もうじき駅に着くはず。私が車で迎えに行こうかな」
「僕も一緒に行こうか?荷物持ちぐらいにはなれるから」
直樹はまだ自分の車を持っていない。
「じゃあ、お願いするわ」
「ちょっとちょっと!あまりにも左に寄り過ぎだよ!」
ボコボコに凹んだ、昔ながらの33ナンバー車の助手席で、直樹が騒ぐ。
「あー!ぶつかるって!」
「騒がないで!これでも私、無事故無違反なのよ!?」
「でも、自損事故は既に数えきれないよね?あっ!またそんな危ない走り方!」
「文句言うなら直樹が運転してよ!」
「それは無理だよ。本人限定の保険になってるし」
愚にもつかないことを言い合っているうちに、駅の立体駐車場に到着。
バックで駐車する際、何かにガツンとぶつかる音がした。
「⋯⋯まーた、やっちゃったね」
直樹が呆れたように言う。
後ろをチェックしたところ、ぶつかったのはコンクリートで、傷ついたのは車だけなので、大丈夫。
駐車場から、約束していた場所まで二人で向かう。
「どの人だろう⋯⋯?着いたら、携帯に電話くださいって言っておいたんだけど」
大勢の人が行き交う上に、互いに顔を知らない。
「こっちから、かけてあげたら?」
「その人、携帯持ってないの」
「ふーん。じゃあ、アリゼちゃんのレアな仲間だね」
私は自分のスマホを持っておらず、いま持ってきているのは、店の業務用携帯。
「その新しい使用人の名前は知ってるの?」
「えーとね⋯⋯鈴木喜子さん。あ、そうだ!すずきさぁぁぁん!すずきよしこさぁぁん、いらっしゃいますかぁぁ!?中原呉服店です!」
大声で叫ぶと、直樹は慌てて私の口を塞ぐ。
「急に叫んだりしたら、怪しまれるよ!」
「だって、しょうがないじゃない。鈴木さぁぁん!」
「あ、あのう⋯⋯中原さんだすか?」
そんな声に振り向くと、お下げ髪の娘がおずおずと尋ねてくる。
【わたしが・棄てた・女】のミツを思わせる、素朴な雰囲気だ。
「ええ。もしかして、あなたが鈴木喜子さん?」
「はい⋯⋯でも、ほんまに中原さんとこのお嬢様だすか?」
「そうよ。どうして?」
「だ、だって⋯⋯そう見えんかったもんで⋯⋯」
すると、直樹が吹き出した。
「確かに!老舗呉服店のお嬢様が、黒の革ジャンと革パンで迎えに来るとは思わないよね。荷物、重いだろうから持ちますよ」
そう言って直樹は、鈴木さんの大きなボストンを持とうとするが、何故か彼女は怯えた様子。
「お嬢様⋯⋯このおあんさん、誰ながですか?」
「ああ、彼はね、残間直樹くん。国立高専の4年生。色々あって、小さい頃からお母さんと一緒に私の家で一緒に暮らしてるの。ま、弟みたいなものかな」
ずっと、弟みたいなままでは困るんだけどね⋯⋯と、心の中で続ける。
「初めまして。でも、今の紹介はちょっと違うなぁ。僕は、アリゼお嬢様の弟というより、兄貴分ですから。誕生日は一緒だけど、僕のほうが何時間か早くに生まれてるので」
「何を言ってるの!私のほうが姉よ。だって、直樹は予定日よりも早くに生まれてるでしょ?私は遅れたけど。つまり、先に受胎したのは私。それに、小さい頃の直樹は小柄で、いつも私のあとを追いかけてたじゃないの」
今では、20センチ以上の差をつけられてしまったが。
「そうだっけ?姉貴にしては、あまりにも頼りないなぁ」
「私、兄貴は二人もいらないわ」
いつも通りのやり取りをしている私たちのことを、鈴木喜子さんはポカンと口を開けたまま見ていた。
「あ⋯⋯ごめんなさいね。車で来てるから、行きましょ」
「鈴木さんは、運転席の後ろに乗るといいですよ。あと、相当荒い運転だから、シートベルトも必ず⋯⋯」
「直樹!なんか言った!?」
「ん?後部座席の人もシートベルトは着用しないと、って言っただけだよ」
全員、車に乗り、駐車場から左に出ようとした矢先のこと。
「うわっ!」
異口同音に小さく悲鳴を上げる。
外で何かが折れる音がし、何故か車は動かなくなってしまった。
「アリゼちゃん!歩道のポールを巻き込んで折ったよ⋯⋯」
右からの車ばかり見ていたせいで、左折に失敗してしまった。
思えば、教習所でも、巻き込み確認を忘れ、仮免で落とされたのだ。
ポールを折った上に、タイヤが縁石に乗り上げて動かなくなり、後ろからはクラクションの嵐。
「ちょっとあなた!何をしてるんですか!」
少し離れたところに居た交通誘導員が駆けつけてきて、慌てて後続車の誘導をしている。
「直樹⋯⋯110番通報、お願いします」
「了解、お嬢様」
後部座席の鈴木喜子さんは、何も言わないが、明らかに狼狽している様子。
「心配しないで。いつものことだから」
私は笑顔でそう言い、彼女を安心させようとした。
「アリゼちゃんってば!それは事実だけど、余計に不安を煽るよ?」
数分後には警官がやってきて、事情聴取され、写真を撮られ、やっと帰れることに。
賠償費用の請求は後日とのことだが、何万もするので、また父親は怒るだろうな⋯⋯。
今の車も、父のお下がりだが、ぶつける度に修理していては追いつかないので、傷も凹みも放置している。
裕福な人間ほど、お金には細かいものだ。
「初日からごめんなさいね。ええと、鈴木さんじゃ堅苦しいし、よっちゃんって呼んでもいい?」
「はい、お嬢様」
「やだなぁ、お嬢様なんて。よっちゃんはおいくつなの?」
「19だす。年が明けたら成人式で」
「年上だったのね!ごめんね、若く見えたから」
「大丈夫だす、お嬢様」
訛りがなければ、まるでAIのような受け答えだ。
「ふふ⋯⋯アリゼでいいってば」
「はい。アリゼさんて、珍しい名前だすね」
「まあ、あんまりないかも?フランス語で貿易風って意味なの」
「ボウエキフウって何だすか?」
「あら、学校で習わなかった?」
「うち⋯⋯普通の学校じゃなかったから」
「普通じゃないって、商業とか家政とか?」
「いえ⋯⋯」
その時、私は彼女の言わんとしていることを理解した。
最初に会った時から、どことなく、あれ?と感じてはいたのだが。
私は心理学部ではないが、今まさに、大学の一般教養で、心理学の授業を履修中。
だから、彼女がこれから我が家で働く上で、何らかの合理的配慮の必要な人だということは、わかった気がする。
ただ、なんでもかんでも、障害や病気という言葉で片付けてしまうのは、どうなのだろう?
本人がそのほうがいいなら、いいのだけれど⋯⋯。
運転中に携帯電話が鳴り、私が頼む間もなく、直樹がスピーカーにしてくれた。
「ありがと。もしもーし?」
『おい!お前、何処で油売ってるんだ!』
車中に、長男である兄の怒声が響き渡る。
「うるさいな!鈴木さんのお迎えに行って帰る途中だっつの!」
『それに何時間かかってるんだって聞いてるんだ』
「足止め食らってたんだから、仕方ないでしょ!直樹、もう切っちゃって!」
『おい!勝手に⋯⋯』
そこで電話は切れた。
「よっちゃん、ごめんね?今の偉そうな奴、うちの兄なの」
「お兄さん⋯⋯?」
「ええ。ビックリしたかもしれないけど、大丈夫よ。弱い犬ほどよく吠えるのと同じ。実際は軟弱で、私に対して威張り散らしてるだけ」
相変わらず、助手席の直樹にぎゃあぎゃあ言われながら、無事に自宅に到着。
「す、すごいお屋敷だすね⋯⋯!」
よっちゃんは、まるで子供のような表情だ。
「6畳の和室だから狭いけど、よっちゃん専用の部屋もあるから。うちは、みんな家族同然の暮らしだけど、希望があれば部屋に鍵をつけるわ。若い女の子だもんね。一人になりたい時もあるだろうし」
因みに、私や直樹の部屋に鍵はない。
創業の大正元年から、使用人は幾度となく入れ替わっているが、不届きな行為をするものなどは、一切居なかったというから、私は金庫すら使っていない。
「とにかく、今日は疲れてるだろうし、自分の部屋でゆっくりして。明日から、頑張ってもらうことになるけどね」
「はい!」
よっちゃんを和室に案内したあと、私はパソコンに向かった。
「何してるの?」
直樹がパソコンの画面を覗き込んでくる。
「よっちゃん用に、簡単なマニュアルを作ってるの」
「マニュアルって⋯⋯彼女の仕事、家事とか雑用なのに?」
「よっちゃんだけじゃなく、先輩使用人にも必要だわ」
「先輩たちが、丁寧に仕事を教えてくれるんじゃない?」
「⋯⋯直樹、気付かなかった?彼女が仕事をするには、合理的配慮が必要だってこと」
帰宅してから、よっちゃんの履歴書に目を通した。
最終学歴の学校名を検索すると、いわゆる養護学校だった。
多分、そうだろうとは思っていたが。
「気付かなかったよ。アリゼちゃんって、鈍そうに見えて、本当は人一倍、観察力があるんだなぁ。見直した」
「直樹って、ホントに私のことをdisるのが好きよね」
「disったことなんてないよ。褒めたのに」
しかし、私には、本当に観察力や洞察力はあるだろうか?
もし、あったとしたら、もうとっくに恋人のドアを開いていたと思う。
直樹は減らず口を叩いてばかりいるが、私のことを好きなのは確実だとわかっているのに。
ついこの間も、そうだった。
二人で出かけた際に、直樹の友人と出くわした。
私のことを恋人なのかと尋ねられると、照れながらも、そうだと即答していたから。
胸の鼓動が激しくなったが、友人らが去ったあとは、またいつもと同じような姉弟のような雰囲気に戻っただけ。
私は私で、バレンタインに「義理じゃないんやぞ」と言わんばかりの、大きなハート形のチョコをあげた。
直樹は、デレデレと嬉しそうな顔をしていたが、結局、これといって甘い雰囲気になることはなかった。
突然、少し離れたところから、私の大嫌いな怒鳴り声が聞こえてきた。
急いで声のするほうへと向かうと、
「おい!お前はさっきから口もきけないのか!」
兄が、よっちゃんのことを一方的に怒鳴りつけていたのだ。
よっちゃんは、怯えて声が出ないのだろう。
スクエア型の銀縁眼鏡、いわゆるヘビ顔で、見るからに神経質といった雰囲気の兄。
学校の後輩にあたる直樹は、同じ理系でも、パッチリ二重のタレ目、唇はぷっくりして、可愛い顔なのに。
「ちょっと!何を怒鳴り散らしてるの!」
私が言うと、兄は眼鏡越しに睨みつけながら、
「この使用人が、初日から堂々と部屋で寛いでるから、一体どういうつもりなのかと言っているのだ」
「私がゆっくりしてと言ったの!兄貴は口出ししないで」
「ガキのくせして偉そうな口をきくな!」
「いつもいつも、偉そうなのはどっちよ!」
私は、兄の頬を手の甲で、思いっきり引っぱたいた。
すると、兄は私に掴みかかり、取っ組み合いの兄妹喧嘩勃発。
「ちょっと、二人とも落ち着いて!」
いつも通り、直樹が仲裁に入る。
家父長制で偉そうに育った兄と、それに反発してフェミニスト寄りに育った私。
もはや、殴り合いの兄妹喧嘩なんて、昭和のホームドラマみたいなものだが、これも我が家の日常茶飯事。
そのとき、激しい泣き声がして我に返った。
恐怖のあまりなのか、よっちゃんが号泣してしまったのだ。
「ごめんね!怖かった?これもいつものことだから、大丈夫よ。心配しないで」
そう言って、よっちゃんのことを抱きしめた。
「だから⋯⋯いつものことなのは事実でも、それじゃ何の慰めにもならないってば」
後ろから直樹の声がする。
「とにかく、兄貴みたいにデリカシーがない上に、何一つ家事もしないような人は、一切口出ししないで頂戴」
私も、家事は殆どしないのだが、兄ほどではないはず。
よっちゃんが泣いたからか、流石の兄も黙ってその場を去った。
「全く⋯⋯!兄貴のせいで、我が家は粗暴な印象になっちゃったわね!」
直樹に傷の手当をしてもらいながら、ずっと文句を言っていた。
「粗暴なのは⋯⋯まぁ、否定しないけど。お兄さんって、アリゼちゃんが思うほど悪い人ではないよ」
「兄貴って、直樹には横暴な言動しないもんね。もし、本気で直樹と殴り合ったら、兄貴は負けるだろうし。結局、か弱い女を見下してるってことよ。サイテー!」
「そうじゃなくて⋯⋯僕に関しては、憐れんでるんだと思う」
直樹は、淡々と言う。
「そんな悲しいこと言わないでよ⋯⋯」
「悲しくないよ。この家で、僕は幸せに育ったから。今もだけどね。それに、アリゼちゃんと一緒だと退屈しない」
「直樹⋯⋯」
そう言って微笑み合っていると、
「お嬢さーん!直樹さーん!夕飯ができましたよ!」
年配の使用人、ヨネさんの声がした。
「ごはんが冷めないうちに、行こうか」
「ええ。マニュアル作成の続きは、食事が終わってからにするわ」
to be continued



