この雨を虹にしてくれた君へ

 次の日も雨だった。傘の骨がきしむ音が、やけに耳に残る。
 靴の中はもうびしょびしょで、足元が冷たい。だけど、そんなことに気を取られる余裕もない。学校に着く前から、胃の奥がきゅっと痛むから。
 「おはよー!」
 昇降口のほうから、御心さんの弾む声が聞こえた。あの明るさが、まるで作り物みたいに聞こえる。私の下駄箱には、今日も何かが入っていた。泥の混じった落ち葉と破いたノートの切れ端。
“黙っていれば済むと思うな”――赤いペンでそう書かれていた。
 手が震える。
 でも、すぐに気づかなかったふりをして、そのまま教室へ向かった。
 心臓が速く打つ音を、誰にも気づかれたくなかった。

 一時間目、ただ授業を聞き流し、何も変わらないまま時間だけが過ぎていく。
 その時、誰かが先生の目を盗んで、紙を私の机の端に滑らせた。
 小さく折りたたんだメモ。
 【夢姫へ
  放課後、屋上で話せないかな?
            天寧より】
と書かれていた。
 その言葉が、胸の奥でやさしく光った。でも同時に、何かがざわついた。
 “屋上”―――久しく行っていない場所。なのに、なぜだろう。そこに行ったら、もう戻れないような気がした。

 放課後に、教室に残っていたのは、私と御心さんたちだけだった。
 誰かが、「あんた、行かなくていいの?」と笑う。
 机を片づけながら、私は目を合わせないようにした。見たら、泣いてしまうから。見たら、きっと声が出せなくなるから。
 「屋上、来て。」
 声がした。背中で聞こえた、低いトーンの声。顔を上げなくてもわかる。御心さんだ。天寧の文字で書かれたメモが偽物だと、ようやく気づいた。
 階段の先、鉄のドアの前。
 呼吸がうまくできない。怖い。でも、逃げ出す勇気もない。
 結局、私は階段を上る足を止められなかった。雨音のなかで、自分の足音だけが響く。

 屋上へ出ると、風が冷たかった。
 目の前に立っていたのは、御心さんひとり。制服の袖が濡れていて、髪が風に揺れている。その姿が、ほんの一瞬だけ、きれいだと思ってしまった。
「どうして、あんたはそんなに、私の嫌がることをするわけ?」
 低い声。雨粒が頬を打つたびに、その言葉が刺さってくるようだった。
 「ごめん、なさい……」
 それしか言えなかった。それは、私の台詞だ、と言いたかった。言えなかった。
「ねえ。なんでいつも“かわいそうな子”みたいな顔するの?」
 御心さんは笑いながら言った。その笑みが、雨の光を反射して、少し滲んで見えた。
 風が強い。コンクリートの床に打たれる雨が、鼓動と同じリズムで響く。足が震える。ひとつ、後ろに下がったら落ちてしまうほどの距離。
 そういえば、屋上は落ちると危ないから、普段は鍵をかけてあるんだということを思い出した。どうせ職員室から盗んできたんだろうと、くだらないことを考える。
 「やめて……もう、やめて……!」
 声が震えた。涙が混じって、言葉がうまく形にならない。
直感で感じた。もう終わりだ、と。