この雨を虹にしてくれた君へ

 「危ないから入るな!」
 消防隊員の声が飛ぶ。それでも、足は止まらなかった。人の腕を振り払って、火の粉の舞う玄関へと走った。
 熱い。息を吸うだけで喉が焼ける。焦げた木の匂いと、煙の苦さが胸を締めつける。視界は灰のような煙で白く濁り、何も見えない。
 それでも―――。
 「瑠衣くんっ!!」
 声が割れた。返事はない。天井の木が崩れる音がして、床が震える。
 ここにいるはず、という胸の奥の直感だけを頼りに、足を踏み出す。靴底が焦げて、溶けそうな音を立てた。
 階段を上がる。手すりは焼けて熱く、皮膚が焼けたように痛い。息が苦しい。目が滲む。それでも、名前を呼び続けた。
 「瑠衣くんっ……どこ……!」
 そのとき、かすかに声が聞こえた。
 「……ゆ、き……?」
 幻聴じゃない。その方向に顔を向け、叫ぶ。
 「瑠衣くん!いるの!?どこ…?」
 「……ここだ……!」
 扉の向こうから、弱々しい声がする。勢いよくノブを回したが、熱で溶けかかっていた。思わず袖で包み、力いっぱい押し開ける。炎が一瞬、顔の横を通り抜ける。
 部屋の中で床に倒れていた瑠衣くんが、咳き込みながらこちらを見た。
 「……なんで、お前が……!」
 「いいから、立って!」
 袖で口元を押さえながら、彼の腕を引く。身体が重い。熱気で足がふらつく。壁が音を立てて崩れた。火の粉が髪に降りかかる。それでも離さなかった。
 「早くっ、行こうっ……!」
 「夢姫、危ない……」
 「いいの! 行くの!」
 彼の肩を支えて、必死にドアへと向かう。
 階段に差しかかった瞬間、轟音が響いた。炎の柱が天井を貫き、火花が散った。
 もう、降りるルートがない。咄嗟に廊下の端の窓を見つける。
 「ここから、外に出られるかもしれない!」
 窓のガラスを近くの割れた瓦礫で叩き割る。冷たい夜気と雨水が流れこんだ。煙の中に光が差す。
 「瑠衣くん、手、つないで!」
 指と指が強く握られる。
 次の瞬間、二人はその窓枠を乗り越え、外に飛び出した。

 夜風。
 ようやく息が吸えた。冷たさが肌に焼けるほど痛い。後ろを振り向くと、部屋はすでに炎に吞まれていた。
 「……助、かった……」
 そう言った瑠衣くんの声がかすれている。顔も手も煤で真っ黒だった。それでも笑っていた。涙がこぼれた。
 「……無事で、よかった……。ほんと、に……」
 言葉の途中で、視界が歪んだ。痛みも熱も、遠のいていく。力が抜けたように膝が崩れた。
 最後に感じたのは、瑠衣くんの手のぬくもりと、雨の冷たさだけだった。