控室の空気は、ひどく静かだった。
遠くでモニターがリハ映像を流している音が、まるで別の世界のもののようにかすんでいる。
「……私たち、恋人だったのよ」
璃子の声が静かに落ちた。
低くて、でもまっすぐに胸を貫く。
蓮はピクリと反応し、声のほうを振り返った。
照明に浮かび上がる璃子の姿。
その瞳には、憎しみでも懐かしさでもなく、ただ揺れる感情の色があった。
「覚えてないの……? あの夜、あなた……」
璃子の指先が、そっと蓮の頬に触れた。
その触れ方が、やけに優しくて――怖い。
「泣きそうになって、私の胸に顔を埋めて……」
――その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
視界が揺らぎ、音が遠のく。
冷たい照明が、次第に柔らかな街灯の光へと溶けていった。
夜の公園。ベンチに並ぶふたり。
街灯の光が、どこか寂しく滲んでいる。
「……俺、もう無理かも……」
「何言ってんの。あなたは大丈夫。私がいるから」
「……璃子……俺、甘えていい……?」
「ふふ、ほら……こっち来て」
彼女の手が髪を撫でた。
そのまま胸に顔を埋めると、あたたかい匂いがした。
張りつめていた心が、そこで静かにほどけていく。
――あの夜の匂い。
あのぬくもり。
胸の奥で何かが崩れ落ちる。
同じ温度が、今、頬にあった。
まぶたを開くと、目の前には今の璃子がいた。
触れている指の感触が、過去と現在を曖昧にしていく。
「その目……昔と同じ。甘え方も、逃げ方も、何ひとつ変わってない」
「……やめろ……俺は……」
喉が焼けるようで、言葉が続かない。
「あなたは……蓮でしょ?」
璃子の声が、震えていた。
そのまま頬に手を添え、顔をゆっくり近づけてくる。
唇が数センチの距離まで迫り、吐息が肌を撫でた。
(……やめろ……やめなきゃ……でも……)
蓮の手が、無意識に璃子の肩に触れかける。
触れたら終わる――そう思っても、身体が動かなかった。
呼吸の音だけが響き、世界が静止する。
(こんな……このままじゃ……俺……)
璃子の唇が触れそうになった、その瞬間――
「……やめろっ!!」
蓮は椅子を引き、乱暴に後ろへ飛び退いた。
掠れた声が控室に響き、空気が一瞬で凍る。
璃子は驚いたように目を見開いた。
けれど次の瞬間、ふっと笑う。
その瞳には怒りと哀しみが混じり合い、深い影を落としていた。
「……また逃げるのね」
彼女の声は、ひどく静かだった。
「でもいいわ。私は、待ってるから」
そう言い残して、璃子はゆっくりとドアへ向かった。
ヒールの音が、控室の床に乾いたリズムを刻む。
蓮は立ち尽くしたまま、追いかけることも、声をかけることもできなかった。
拳を握る。指先が白くなるほどに。
(……くそ……なんで、こんなに……
頭から離れないんだよ……
なんで……心が……まだあの温もりを覚えてるんだ……)
ドアが閉まる音が、控室に虚しく響いた。
蓮は目を閉じ、静かに、けれど苦しげに息を吐いた。
遠くでモニターがリハ映像を流している音が、まるで別の世界のもののようにかすんでいる。
「……私たち、恋人だったのよ」
璃子の声が静かに落ちた。
低くて、でもまっすぐに胸を貫く。
蓮はピクリと反応し、声のほうを振り返った。
照明に浮かび上がる璃子の姿。
その瞳には、憎しみでも懐かしさでもなく、ただ揺れる感情の色があった。
「覚えてないの……? あの夜、あなた……」
璃子の指先が、そっと蓮の頬に触れた。
その触れ方が、やけに優しくて――怖い。
「泣きそうになって、私の胸に顔を埋めて……」
――その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
視界が揺らぎ、音が遠のく。
冷たい照明が、次第に柔らかな街灯の光へと溶けていった。
夜の公園。ベンチに並ぶふたり。
街灯の光が、どこか寂しく滲んでいる。
「……俺、もう無理かも……」
「何言ってんの。あなたは大丈夫。私がいるから」
「……璃子……俺、甘えていい……?」
「ふふ、ほら……こっち来て」
彼女の手が髪を撫でた。
そのまま胸に顔を埋めると、あたたかい匂いがした。
張りつめていた心が、そこで静かにほどけていく。
――あの夜の匂い。
あのぬくもり。
胸の奥で何かが崩れ落ちる。
同じ温度が、今、頬にあった。
まぶたを開くと、目の前には今の璃子がいた。
触れている指の感触が、過去と現在を曖昧にしていく。
「その目……昔と同じ。甘え方も、逃げ方も、何ひとつ変わってない」
「……やめろ……俺は……」
喉が焼けるようで、言葉が続かない。
「あなたは……蓮でしょ?」
璃子の声が、震えていた。
そのまま頬に手を添え、顔をゆっくり近づけてくる。
唇が数センチの距離まで迫り、吐息が肌を撫でた。
(……やめろ……やめなきゃ……でも……)
蓮の手が、無意識に璃子の肩に触れかける。
触れたら終わる――そう思っても、身体が動かなかった。
呼吸の音だけが響き、世界が静止する。
(こんな……このままじゃ……俺……)
璃子の唇が触れそうになった、その瞬間――
「……やめろっ!!」
蓮は椅子を引き、乱暴に後ろへ飛び退いた。
掠れた声が控室に響き、空気が一瞬で凍る。
璃子は驚いたように目を見開いた。
けれど次の瞬間、ふっと笑う。
その瞳には怒りと哀しみが混じり合い、深い影を落としていた。
「……また逃げるのね」
彼女の声は、ひどく静かだった。
「でもいいわ。私は、待ってるから」
そう言い残して、璃子はゆっくりとドアへ向かった。
ヒールの音が、控室の床に乾いたリズムを刻む。
蓮は立ち尽くしたまま、追いかけることも、声をかけることもできなかった。
拳を握る。指先が白くなるほどに。
(……くそ……なんで、こんなに……
頭から離れないんだよ……
なんで……心が……まだあの温もりを覚えてるんだ……)
ドアが閉まる音が、控室に虚しく響いた。
蓮は目を閉じ、静かに、けれど苦しげに息を吐いた。


