仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

食器の音がやむと、優香はタブレットを手にリビングへ戻った。
ソファには、髪もまだ整えていない蓮が、マグカップを両手で抱えてぼんやりと座っていた。
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋をやわらかく包んでいる。

「はい、今日のスケジュール確認しようか」
優香は蓮の隣に腰を下ろし、画面を向ける。
「午前中はCM撮影。場所はスタジオB、入りは十時半ね」

「……ああ、わかった」

「それが終わったら、午後からドラマのリハーサルと顔合わせが入ってる。台本、あとで車の中で読んでもらうわ」

蓮は画面を覗き込みながら、小さく唇を尖らせた。
「顔合わせ……誰と?」

「主演の君と、相手役の女優さん。名前は――」
優香が指でスクロールして、そこを示す。
「矢野璃子さん。最近、舞台でも話題になってる人よ。知ってる?」

「……え?」
蓮の眉が、ほんのわずかに寄った。
「いや……知らない、と思うけど……」

胸の奥が、微かにざわめいた。
記憶の底で、遠い誰かの声がかすかに反響するような――そんな感覚だった。

優香はそんな蓮の横顔を見つめ、少し笑って肩を軽く叩いた。
「大丈夫、あの人はプロだから。こっちが気を張りすぎなくていいよ」

「……ああ」

「それに、私も一緒にいるでしょ?」

蓮はふっと笑い、うなずいた。
「……そうだな」

優香はタブレットを閉じ、テーブルの上を片づけながら言った。
「じゃあ、そろそろ出発の準備しようか。衣装の確認もしたいし」

蓮は立ち上がり、少し伸びをしてからマグカップを置いた。
けれど、出がけにふと口を開く。

「……優香がそばにいると、なんか……不思議と大丈夫な気がする」

その言葉に、優香の胸がじんわりとあたたかくなる。
(あの夜から、確かに変わった。彼は今、自分の足で立とうとしてる)

「なら、よかった」
優香は小さく笑い、まっすぐ蓮を見つめる。
「私、ずっとそばにいるから。だから……今日も一緒に頑張ろう」

蓮は一拍置いて、静かに頷いた。
「……ああ。俺、やってみる」

ふたりで玄関に向かう。
靴を履く蓮の顔には、ほんのわずかな緊張と、確かな決意が宿っていた。

(矢野……璃子……)
彼女の名が、胸の奥をかすかに揺らす。
(会えば、思い出すのか――それとも、忘れたままでいたいのか)

玄関のドアが開く。
朝の光が差し込み、ふたりを静かに包み込んだ。
これから始まる新しい一日へ――その歩幅は、確かに揃っていた。